1-6.
◆
「それで、それで。他にはどんな活動をしたの?」
いつもの道。いつもの橋。いつもの景色。
いつもの時間、いつもの夕空――正確にはいつもより少し遅いので、空も少々ばかり夜色味が濃くなっている。
いつものルート。いつもの人気なさ――。
そんないつもの帰り道を、いつもの同伴者を連れて歩いている。
そう、端から見れば完全に俺がその女の子を連れて歩いている図となっているのだろうけど、戸惑うなかれ、真実は大半の場合において見た目とは違うというのがもはや世の道理。この状況も例に漏れず、俺の隣にいる女の子は俺が連れているというわけじゃあない。
純白のワンピースに似合わない真っ黒な小径自転車を自由自在に駆る彼女に関しては、ただ勝手に俺についてきているというのが正の解だ。学校からの帰り道、ほぼ毎日のように現れるこの自転車少女の正体を俺はまだ知らない。学校一の美人と噂されるアリスさんをも凌ぐ美形(それでもアリスさんが劣っているという風に感じないのは、この女の子の姿があまりにも現実離れしているからだろう)の持ち主は何ということか――驚くなかれ、自称自転車の妖精なのである!
自転車の妖精というのが何者なのかという質問に関してはお生憎様、俺も答えを持ち合わせていないので受け付けない。本人がそう言ってるからそのまま使っているだけの話だ。
本人によれば名前はリンコ・ツー。あだ名は後ろを取ってツー。年齢不詳、住所不定、職業不明。何しろ毎日のように通学路に現れるので、常識的な親切心を持つ俺は会話の繋ぎ程度の気持ちで何度か、学校はどこかとか、ひとりで出かけて親が心配しないのなどといった質問はしてみたのだけれど、そういった類の質問は尽くはぐらかされるかよく意味のわからない返事をされるかのどちらかだった(「それは内緒~(音符)」といった感じが多い)。
だから、もう俺はツーが何者かというか何なのか気にするのは止めたのだった。本人の言う通り彼女が妖精だということにして謎の自転車少女に付き添われる通学路という運命に甘んじる決意を固めたのがおよそ一週間前――そして今に至るというような形なわけであり。
自転車部活動開始の報告をした(させられた)際の、冒頭のセリフだった。
自転車のハンドル部分に前向きに腰かけるというツーの奇抜なスタイル(それでいて何故か自転車は安定したまま前に進んでいる)にももう驚かされることなく俺は答える。
「特にこれといった活動はしてねえよ。これからどんな活動をするかって話をしてたらいつの間にか下校時刻だったくらいだ」
「どんな活動をすることになったの?」
「さあな。結局話は全然まとまらなかったよ。土日にサイクリングするにしてもアリスさんが週末はチームのトレーニングやら何かに参加しないといけないらしいし、だからといって放課後に出かけるっていうのも時間的に難しいしな。荒川と宮はレースが好きじゃないらしいから放課後毎日運動部みたいにトレーニングってのも変だし、都合が合う時に合う奴同士でサイクリングするにしても、それじゃ別に部活としてする意味がなくなっちまうし」
「ふ~ん、ふふ~ん。難しそうだね~楽しそうだね~」
「楽しくねえよ。めんどくせえよ」
今朝からずっと、裏で考えていたことがあった――それはつまり、どうやったら自転車部の活動から逃れられるかということだ。荒川の策略で強制参加を余儀なくされてしまったわけだけれど、だからと言って丸め込まれたままの現状を良しとできるほど俺の矜持は薄っぺらじゃない。
何とかして――例えば活動方針が決まり次第、音楽性の違いを主張してグループ脱退するとか――上手く荒川の魔の手を逃れられはしないものだろうか……!
「でもエドさん、あの時言ってなかったっけ? ちょっと自転車に興味が湧いてきたって。だから自転車部に入るんだって。それなのに部活、楽しくないの? 楽しみじゃないの?」
「あー、それな……って、」
言いかけて、
「お前も今、エドって言ったか……?」
「ん? どういうこと?」
ツーはいかにも可愛らしく首を傾げる。
「いやだから、今発音が完璧に江戸じゃなくてエドになってたよな……?」
「江戸? エド? 細かな発音の違いかな? うーん、よくわかんないよ」
「江戸だ。江戸が正しい。エドはやめてくれ。頭が痛くなる」
「エド。エドさん」
「江戸」
「エド」
「…………」
耳がおかしくなってしまったのだろうか……。
この女の子には今までしっかり日本語の『江戸』の発音で江戸さんと呼ばれていたのに、今日になって突然外人の名前の『エド』でエドさんになってしまった。つい先ほどその件で不快な目にあってきたばかりだと言うのに、全く誰の嫌がらせで何の因果だろうか――それともただ単に、頭痛のあまり俺の聴覚がおかしくなってしまったのだろうか?
ツー自身はあたかも前から全く同じ呼び方をしてましたけど何でしょうって顔してるし、そっちの線の方が濃く思える俺は末期なのかもしれない――しかしまあ、今さらこんな些末な点に気を取られていても仕方がない。
放っておけば永遠にそのガラス細工のように美しくも儚い微笑を浮かべたままでいそうなツーが先の質問の答えを待っているようだったので、とりあえずその返事を優先することにする。
「ええっと、それでだな、まあ、興味を持ったのは本当だよ。荒川みたいに根っから自転車が好きなんていう奴もこの世にはいるんだって知って、俺は関心度大で興味津々、知的好奇心を大いに刺激されたさ。荒川のあの自転車に対する姿勢は敬服の域に達してると思うけど……」
「けど?」
「……だからと言ってまあ、別に自分も自転車に乗りたいとかって気持ちは、湧いてこないかなーっていうか何ていうか。そんな感じだよ」
自転車の妖精を自称するような女の子に対してその彼女の愛する乗り物を否定するようなことを言うのは気が進まなかったのだけれど、ツーは気分を害したような素振りは一切見せず。
少し間を置いてから、相変わらずの笑顔でこんなことを言ってきた。
「いつかエドさんも自転車の良さをわかってくれると思う。私はそう信じてるから」
俺が何も答えないでいるうちにツーは器用に通常の自転車の乗車姿勢に戻り、特に名残惜しそうな雰囲気も出さずに先に行ってしまった。
微妙なタイミングでいきなり走り去ってしまうというのも、今となってはもう慣れた謎の自転車少女の習性だ。俺は特に気にすることもなく、ツーが残したセリフについて熟考することもせず、そのまま帰路を歩み続ける。
家に着く頃にはもう空はすっかり夜の模様になっていた。
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