1-5.


 女子高生たちが主役のちゃちな青春ドラマでしか見なかったようなやり取りを目の当たりにさせられて俺がこんな茶番が現実に起こり得るのかと驚天動地の思いに揺れ脳内データの一部の迅速な書き換えに迫られていると、そこで新たな人物がまさにドラマのようなグッドタイミングで、さながらドラマチックな登場を果たす。


 「遅れてごめんなさーい。お邪魔しまぁす」


 これがテレビ画面だったら『ガラガラッ』という音の直後にカメラアングルが切り替わり、その人物の足元から映像がゆっくり状態の方へスクロールするという演出だっただろう。遅れてやって来たのは自転車部最後のメンバーのアリスさんで、見る者全てにモデルのように美しいと言わしめた金髪碧眼美女のミニスカニーハイソックス姿というのは少なくともテレビの前にいた男の目一つ残らず画面にくぎ付けしたに違いない。


 ちなみに一人だけクラスはおろか学年も違う彼女はこの日クラスの掃除当番だったようで、遅れて参加との旨は連絡受け取り済みで一年生女子の二人にも伝え済みだ。


 高校生ながらプロ自転車レースチーム所属という異色の肩書を持つ上級生の登場にまずは異色さという意味では引けをとらない荒川が喜色満面、


 「アリちゃん! 待ってたよー!」


 アリスさんに飛びついた。文字通り飛びついた。扉前に立っていた俺を押しのけ、飛翔した。体と体が密着状態。つまりハグだった。


 「リンリン~! 良かったぁ、元気になったのね。心配してたのよぉ」


 「ありがとー。もう大丈夫だから、心配無用だよ」


 キスまでし出しそうな(さすがにしなかった)気配の二人がいつの間にそこまでの関係を育んでいたのかという点が甚だ疑問ではあったけれど、そんな俺のクエスチョンもアウトオブ眼中、一人少し離れた場所にいる宮が他の女子二人を見つめて魂が抜けたような顔でぽかんと立ち尽くしている。


 「……どうかしたか?」


 そっと声をかけると。


 さっきまでのキラめきはどこへやら、彼女は石像のように固まってしまっている。目線は荒川とアリスさんの方へ固定されたまま。同級生の百合シーンを目撃してしまって現実を受け入れられていないのかと俺が憶測していると、


 「……が……リスさん……」


 何か言った。が、声が震えていて聞き取れなかった。


 「ん?」


 聞き返すと、今度はギリギリ音声の輪郭を感じ取れるくらいの声量で、


 「あれが、アリスさん……」


 「そうだけど……?」


 そんなにあっけにとられて何を考えているのかと思えば、次に宮はこんなことを言った。


 「……すっごい綺麗」


 「……そうだな」


 「うわあ……どうしよ、あんなに綺麗な人初めて見た……わああ、ちょっとヤバいかも、ごめん、ううううわ、綺麗スギる……マズい、マズい、ドキドキが止まらない……」


 人格崩壊したのか、もしくは裏の人格が出てきてしまったらしい――どっちかと言えばこっちの方が百合だったのか?


 宮の本性を見てしまったようで――その本性が本性だ――俺が何とも言えない心地に浸っていると、彼女は今ごろ俺という存在に気が付いたのか、我に返ったように、


 「あっ、いやっ、あのっ、別にそういうわけじゃなくて、えっとえっと、その、ただほんとに綺麗だから、ってだけの意味で、その、別にそういうのとかじゃないから……」


 「わかった。わかったから」


 俺はテンパる宮の口を塞いで無理矢理黙らせた。幸い、ここでのやりとりは全部小声だったため、入口の方で自分たちの世界に入っている二人の耳には入っていないようである。


 聞かれたら聞かれたで事態が余計混乱しそうだし、何となく宮のためにも今のことは歴史の奥底に封印しておいたほうが良さそうな気がしたので、俺は会話終了の合図を目で送り何事もなかったかのように虚空に目を戻した。



 

 と、そうこうしているうちにちょうど入口の二人の再会の喜びの熱も落ち着いてきたようで。


 「アナタが宮風香さんね。こんにちは。わぁ、江戸君から聞いた通りホント可愛いのね~。ウフフ、私は五十嵐アリスって言います。どうぞこれからよろしくお願いします」


 アリスさんと宮にとってはこれが初の対面だったため、たわやかで慇懃なアリスさんが丁寧に自己紹介をしたことには何の不思議もないと言える――がしかし、この人のセリフにもひとこと余計な箇所が含まれていて、そこを耳ざとく聞き取った宮は、


 「あっと、えっと、宮です。風香ですっ。よろ、よろしくお願いしますっ」


 圧倒的な優美さに押しつぶされそうになりながら返事をした後、心なしか身を縮こませるようにして、おそるおそる俺の方に首だけ向け、


 「で、その、えっと、江戸君が、エド君が? ワタシ? カワイイ? 言ッタ? ナニソレ?」


 今にも顔全体が真っ赤になりそうな勢いで頬を紅潮させつつ、何故か片言風に喋った。


 それに対して俺は即答。


 「いや、誤解だ。事実としては間違いないけど、少なくともお前が今思ってるような深くて甘い意味はこもってなかったように思う」


 自転車部に入るもう一人の部員が女子だとアリスさんに伝えた時、それが興味深かったらしいアリスさんはその人物の特徴について尋ねてきた(へぇ、どんな子なの? って感じに)。それに対し俺は、まだ宮風香という人物について簡潔だが核心をついた紹介をできるほどに彼女と交流を重ねていなかったので、子どもみたいで色々と可愛らしい感じの奴ッスね的なざっくりとした説明で済ませたのだけれど……。


 それがアリスさんに曲解(なのか単なる女子脳による誤解)された挙句、宮本人の大誤解を招く始末。勘弁してくれ。


 「へえ。じゃあやっぱり江戸君、フーちゃんのこと気になってるんだ?」


 すかさず茶々を入れてくる荒川。挑発的な目が不快感を催す。


 「へえ、じゃねえ。でもまあ、アレか。お前よりは断然好感が持てるな」


 「何それ。どーゆう意味よ」


 「宮が可愛いか否かの議論は脇に置いておくとして、少なくともお前は全然可愛くねえって意味だよ」


 「ひっど! 江戸君って女の子に向かって平気でそんなこと言う人だったの? 見損なったわ」


 「自転車担いでのし歩いてる奴なんて到底女の子にはなり得ねえよ。変態女だ」


 「……前言撤回。見下げ果てた」


 荒川の目つきがキッと鋭くなったのでこれは一蹴り来るかと思いきや、ここでもアリスさんの洗練された如才なさが遺憾なく発揮され――


 「あらあらァ。エドとリンリン、とっても仲良いのねぇ。ふたりこそお互い好きなんじゃないの?」


 「それはない」


 「それはない!!」


 

 …………。



 声の調子だけやたらと違う、全く同じ五文字のセリフがふたりの人物によって同時に発せられた。直前の発言を物ともしない呆れトーンに、典型的感情的人物による怒り声。それぞれ主は俺、そして荒川輪子。


 前にも同じことがあったような気がする――デジャヴだろうか?


 ただ今回は新たに加えられた展開があり、それはやってしまったと言わんばかりに目を大きくした荒川が苦虫を数十匹まとめて噛み潰したような顔をして体をプルプル震わせたかと思った次の瞬間に俺のつま先を全体重を込めて踏みつけてきたということだ。


 「いって!」


 というのは俺の心の声で。せっかくアリスさんの機転のおかげで助かったと思ったのに、結局同じ運命を辿ることになってしまったわけだった――俺をDV魔荒川から救うために(実際本人がどういうつもりだったのかはわからない)気を回してくれたアリスさんの顔に泥を塗ってしまった形だ。申し訳なくて顔向けもできねえぜ。はっはっは。


 その細い脚のどこにそんなプレス機のような強烈な圧力が生み出すメカニズムが内包されているのかと俺が悶絶しながら思索にふけっていると、そんな俺の不甲斐なさをもいとも容易く受け止めてしまう大草原のような懐の広さを持ったアリスさんが耳に入れただけで足の痛みの緩和及び美容と健康の促進効果がありそうな声で、


 「リンリン、暴力はダメよ。女の子なんだからねぇ。あんまりやりすぎると、エドに嫌われちゃうわよ~」


 「嫌われてもいいし、っていうかもう嫌われてるし! こんな奴がどうなろうと知ったこっちゃないから。暴力じゃなくて制裁だよ、制裁。しかるべき罰をあたしが与えて上げただけ……って、エド? それって何、江戸君のこと?」


 ふと小首を傾げる荒川。それに倣って隣の宮も不思議そうな顔をしたと思えば、


 「あっ、もしかして、江戸君だから、エド? わぁ、おもしろーい! 何か外国人みたいでカッコいいね、エドって」


 「ああ、なるほどね……って、ぷぷっ」


 荒川は得心がいったような顔をしたかと思えば急に吹き出し、


 「エドって……ぶぶっ、おもしろっ。漫画のキャラクターじゃん……エド、エド……あはっ、ヤバ、笑いが……」


 そのまま腹を抱えて笑い出した。


 「あ、あはっ、アハハハッ、ハハハ、ハハ、江戸君が、江戸君が、エド、エド……似合わなっ」


 「似合わなくて悪かったな」


 そこには冷静にツッコむ俺だった――がしかし、そんなことにはお構いなしに荒川は笑い続ける。


 ハハハ、アハハハ――。


 彼女の高らかな声が空っぽの部屋に響き渡った――いや、おそらく最低でもこの階全体には届いていただろう。そのあまりの抱腹絶倒っぷりに、残る自転車部員はあっけにとられ、その笑いが収まるのをただ待っているしかできないくらいだった。

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