1-4.


 そして放課後、場面は部室へ。


 一年一組の教室もあるメイン校舎と隣接した部室棟は、ガラス窓が表面積の半分を占めていそうなザ・モダンのメイン校舎とベースを同じくしたテーマのデザインで(テーマが何なのか、具体的にはわかりかねる)、何でも今年度の共学化に合わせて新設されたそうだ。これまでメイン校舎及びサブ校舎内に点在していた数々の部室は全てこちらの棟に移されているそうなのだけれど、それでも何部屋も余りが出てしまうほどキャパの大きな建物だ。


 そこまで多くの部屋が設置してあるのは他でもなく共学化に合わせて部活動が新設されるだろうことを踏まえてのこと。つまりこの度俺が入部することとなった自転車部も言ってしまえば学校側の予想の範疇だったわけで、こんなにもあっさり部室確保にまで至った理由も単純にそれが大きいのだった。


 自転車部の部室となった部屋があるのは棟の最上階である五階の端っこ。メイン校舎と部室棟は各階で渡り廊下によって連結されているのだけれど、その連結部分とは反対側の隅っこだ。つまりは一番遠い場所。


 申請が通った時に学校側からここを指定され、またどうしてこんな辺鄙な地をと不平を言いたい気持ちがないでもなかったのだけれど、まあ別にいいやと俺はとやかく言わないでいた――だって、別に俺自身はこの部屋に通うつもりなんて全くなかったんだもん。ぶーぶー。


 後は野となれ山となれ精神を徹頭徹尾信奉し続けた結果――俺は結局この部屋へやってくることとなってしまった。輝かしい新生自転車部の仲間の面々とともに。


 「わー、ほんとだ! 綺麗な部屋~!」


 扉を潜って宮の開口一番。純真さの塊のような彼女の声が空っぽの部屋にこだまするのは、さながら新居にやってきた時のようなトキメキめいた気分を催す。新築の戸建てに引っ越してきてドキドキがとまらない少女のように弾む足取りの宮に続いて荒川も入室、俺は何となく気後れしながらも仕方なしに二人に続いた。


 先週の内に下見は済ませてあったので、その教室の半分くらいの広さはある開放的な空間に清々しさを見出すことはもうできなかったけれど、まあ確かに改めて見てみて高校生の部活動で使うにしてはかなり贅沢な一室だと言えよう。

 

 五階という高さから見える街並みは学校からの景色としては申し分なく、白を基調とした内装に面積の大きなガラス窓を兼ね備えたこの部屋は、使いようによってはアーティストの立派なアトリエになり得るに違いない。


 そんな部屋に今現在置いてある荷物は自転車が一台のみ。派手なペイントに車体で最も高い位置まで突き出たサドル、ぐにゃりとひん曲がったハンドルに前から見たら線でしかない細さのタイヤが特徴的な競技用自転車――ロードバイクである。


 持ち主はもちろんここにいる荒川輪子だ。一週間前に不慮の事故により愛用の自転車を破損させてしまった彼女だけれど、何も愛用の自転車が一台だけということはなかったらしく、今ここにあるのは前まで学校に持ち込んでいたものとは違う個体だ(違うとは言っても俺は彼女がいつもと違う自転車に乗っているということを知っているだけなので細かな違いはわからないのだけれど、とりあえず前のと同じくらい値段が高そうだということくらいは見て取れる)。

 

 今後一切教室に自転車を持ち込むことを禁止されてしまった荒川は、自転車登校を再開した今日、言いつけ通りにきちんと教室ではなくこの部室を自転車の保管場所として選んでいたというわけだ。


 その自転車は今、後ろの方に骨組みのような台座をくっつけて部屋の隅の方でひっそりと直立している。それ(本人風に言うならそのコ)を愛してやまない荒川はその姿を見るなりホッとしたように表情をやわらげ、一意専心まっしぐらに我が子の元へ向かうのだった。


 「お待たせー。ゴメンね、寂しかった? でもこれから授業中はココで待っててもらわないといけなくなるから。ちょっとの間だけ、我慢してね」


 自転車に話しかける女という図は常識的に考えればその文面を見ただけでちょっとアレで未知の世界を感じざるを得ないところだけれど、そんな常識が必ずしも人間誰もが持つ普遍的な概念ではないのだということは、高校に入学してから一カ月強の期間に俺が学んだことだった。


 荒川輪子という人間は、まあその根本の性格とかを除けば、の――その点がちょっぴり特徴的なだけの――普通の女子高生なのだ。だから、相対している自転車の部分だけ隠してしまえばそこんじょの世話好き女子と何ら変わらない姿の彼女を見て、俺はもう別段思うところはない。動物嫌いがペットを飼う人間の心理を理解できないけどだからと言ってその人間性までを疑うことはないのと同じくらいの感覚だ。引きはするけど。


 「荒川さん、そのコ、前のコと違うよね? 新しい自転車?」


 細かな違いがわかるらしい宮が荒川へ疑問を投げかける。


 「このコはどっちかと言えば古いコかな。中学卒業するまで乗ってたコなんだけど、新しく買った方が壊れちゃった――あたしの不注意で壊しちゃったから、とりあえずまた、走ってもらうことにしたって感じ」


 答えた荒川がその言葉を言いづらそうにしてるように見えたのは、気のせいではないだろう。


 しかしその理由を知らない宮は、何か勘付くような素振りも見せず、


 「ええっ、壊れちゃったの? あっ、もしかして、先週転んで頭打ったって言ってた、その時に……?」


 「う、ううん……そう、だね。そう、そーゆうこと。フレームにヒビ入っちゃったから、修理出さないと走れないの」


 「えええ。そうなんだぁ。それはお気の毒に……。そんなおっきな事故だったんじゃ、そりゃショックで体調崩しちゃうのも頷けるよ」


 「まあ、あたし自身ケガはしてないから平気なんだけどね……」


 この時、荒川の全身から俺にしか見えない殺気オーラがもくもくと噴出していたということはもはや言うまでもない――しかしあくまで荒川は俺以外には黒い感情をおくびにも出すつもりはないようで、


「ねえ、宮ちゃん。話変わるけどさ、」と、何故か事故の当事者よりもショゲてしまった宮を元気づけるように気の利いた話題転換。


 「同じ部活にもなったんだし、荒川さんってよそよそしく呼ぶのやめて、気軽に名前で呼んでよ」


 「えっ……?」


 突然の提案に戸惑いを見せる宮。


 そんな彼女の様子も尻目に荒川は、


 「いや、切り出し方がヘタだったかな。んじゃ、仕切り直し。あたしこれから宮ちゃんのこと、下の名前で呼ぶね。風香ちゃん……だからフーちゃん、かな。風香ってステキな名前だから、そっちで呼びたいの。だから、あたしのことも、下の名前で呼んでくれていいよ」


 「え、えっと……じゃあ、輪……ちゃん。あっ、輪ちゃんってスゴい可愛い……、リンちゃん。リンちゃんでいい?」


 「うん、いいよ。フーちゃん!」


 「うん、リンちゃん!」

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