5.16 黒い雨に赤く滴り

 王宮の敷地の中には血なまぐささはなく、むしろ市街での勇み声やら断末魔やらがはげしくとびこんでくるばかりだった。国王がいる建物の入ってもなお、その音は途絶えなかった。むしろ大きくなっている感じさえあった。



 王宮の警備は弱くなっていた。国王のまわりを守る騎士はせいぜい部隊一つ分、つまり十人ほどの団員だろう。建物を中心に警備しているものの、大勢で攻めこまれたときを考えたら不安だった。



「トゥエンさん、ここに入って何をするのですか? 国王を、殺すんですか?」



「いえ、守ります」



「どうして守るんですか、獣人の敵を」



「これから国王を殺そうとやってくるだろう人に殺されてはならないからです。国王を殺すのは、獣人であり人間であり国民じゃなきゃいけないのですから」



「やってくる人、というのは?」



「貴族です。この混乱の中、国王を殺してその王位を奪おうという魂胆です」



「貴族がそんな争いのために獣人を利用したのですか」



 国王がいる階へつながる階段をのぼる。そんなことのために、というクレシアの憎しみが口からもれていた。差別対象とされている獣人に襲撃するようけしかけて、その襲撃を踏み台にしてその上にあるものを得る。思ってみれば貴族ならやりそうなことだった。



 階段も半ばといったところ、とつぜん足音が二人を緊張させた。足音は前から響いてきており、トゥエンの中に最悪のシナリオが組まれてゆく。だがそれは幸いにも散った――視界に現れたのは騎士団員だった。



 すかさず走り寄って状況を問いただしたところ、やはり国王を警備する任をうけたのは十数人の部隊一つだけだった。異変はなく、また、侵入者もないとのことだった。



 たまたま会った騎士団員に警備をつづけるよう告げてから、国王の部屋まではほんの二十歩だった。扉の両脇を騎士団員二人が守っている。その扉を開ければ、デブ垂れ国王がおちつかない様子で奥にあるイスのまわりを歩きまわっていた。トゥエンをとらえるなり、国王は腕を広げてトゥエンに迫ってきた。



「トゥエン、これはどういうことだ! はやく獣人どもを殺しつくせ!」



「襲撃した連中は獣人だけじゃない、人間もいる。いま何が起きてるか分かってないような男が国王やってるなんて信じられない」



「ぐだぐだいっているヒマがあるならはやくなんとかするんだ!」



「親父は黙って隅っこにいろ」



 外から断末魔が聞こえた。街から聞こえる悲鳴よりもはるかに強い、はっきりとした声。連中はまちがいなくこの建物の中にいる、トゥエンは剣を抜いた。それから国王をイスのあるあたりまで押しやった。クレシアに目を向ければ、緊張した面持ちで武器を構えていた。はじめての実戦であるにもかかわらず、手の震えなどは一切なかった。



 はっきりとした声が二つ、それからたおれる音が二つ。



「ヤツがきます、ウェルチャさん、端にかくれてください」



「わたしも戦います」



「これは訓練じゃないんです。ウェルチャさんの技量で太刀打ちできるわけがありません」



 トゥエンはクレシアを睨みつけた。頼むからいうことを聞いてほしいと、強く念じながら、クレシアを待った。しかしクレシアも熱いほどの視線をかえしてきた。トゥエンは首を横にふり、かくれるんだ、そうドスをきかせたところでようやく四隅に小さくなった。



 トゥエンはこの部屋ただ一つの出入り口に視線を戻し、息をのんだ。集中を高めつつ、動きを待った。



 もったいぶっているかのような、とても遅いうごきで扉が開いてゆく。両開きの戸がジワリジワリと焦らすかのようで、トゥエンの集中力をそごうとしている風でもあった。その扉の蔭から、足がでてきて、太ももがでてきて、と次第に体が明らかになっていった。アルファグ次官だった。そのあとに女――会場で酒を流しこんでいた女だ――も出てきた。手に持つ剣には血がこびりついていた。すこしばかり酒臭い。



「アルファグ、何をしている! 現場はどうしたのだ」



「陛下、事態は順調に進んでいます。エルボーでった私兵たちは着実にアクソネを侵攻しています。そうしていま、この部屋に新たな国王がうまれるのです。ただ、身内が裏切ったのは不本意ですが」



「何を」



「親父、全部こいつの仕業だ。全てはあんたを殺して国王になるため、襲撃もだ」



 トゥエンは二人に対して鋭い剣先をむけた。相手は国王を前にしても礼儀を尽くすつもりはないようで、ひざまずくこともなく、今度はトゥエンに話しかけた、さも親しい間柄で、久しぶりに会ったかのように。トゥエンは腹立たしくてたまらなかった。だが、こういうときほど、冷静を装わなければならない。



「ああトゥエンくん、パーティから突然いなくなるので驚きましたよ?」



「そこでオレも殺す予定だったのだろう、違うか?」



「なんとぶっきらぼうなものいいでしょう。トゥエンくんを国王即位記念の余興としたかったのですよ。前国王の息子として、広場で処刑したかった」



「親父は国民に殺されるべきなんだ、あんたみたいな貴族風情に殺されては困る」



「トゥエンくんは王族じゃありませんか」



「もう継承権は捨てた。オレは騎士トゥエンだ、トゥエン・バレン、トゥエン・ジーン、トゥエン・ウェルチャ――とにかく獣人を私欲のために痛めつけたことを許さない」



「なんともまあ頭の悪いことか」



 相手は剣を抜いた。二人がもつ剣は特徴的で、つかのまわりを包むように金属の帯が巻かれていた。手を守るため、見てくれをよくするための護拳である。刀身も、刺突剣には太く、斬撃剣にしては細かった。鍛冶の目からして、アルバーニ家特注の剣らしかった。



 攻撃はほぼ二人同時だった。いくらか女の攻撃が早い。女の下からの振りあげ。トゥエンは女の剣をコリシュマーデの太い根元で止めるも、次官の攻撃までを剣で受け止めるわけにはいかなかった。先の細いこの剣では、腕の力加減で威力を殺しながらも根元で攻撃を受けなければらない。その根元は女の剣を防いでいる。次官の攻撃を受け止めれば、受けるところが細いところのみとなり、剣が折れてしまう。



 トゥエンの刹那の判断は女の脇腹をけり、壁にとばした。次官の攻撃をかわすために次官を見やった。トゥエンはすでに相手の距離の中に入ってしまっていた。このままでは殺される。全てが水の泡になってしまう。トゥエンは足を踏ん張って重心を無理やり連れ戻した。左に飛びのく。特注の剣をよけられるかよけられないか、瀬戸際のタイミングだった。



 上から落ちる剣で空気が切れるが、その音が甲高い音でとめられた。隅にいたはずのクレシアが、次官の剣を左手の武器で受けとめた。すぐさま次官の腕に右をたたきつけ、次に肩をうった。顔をゆがませるのはアルファグ次官だった。しかし、武器を離すきざしはなく、剣と武器がせめぎ合う形は変わらなかった。



 トゥエンは次官の太ももに突き刺した。左ももをつらぬき、引き抜いて間をおかずに右を貫く。それからおしとばした。急所は外したため、すぐには死なないだろうが、まともにうごくことはできない。床を滑ってゆく次官のあとには血のの筆跡が残り、次官のももは赤く染まった。床にしみ出たものもあった。かすれ気味に、アア、と唸り声をあげていた。



「ウェルチャさんだめです、いますぐ離れてください」



「わたしはもう我慢できません。自分だけ何もしないなんて。未熟なことは分かってます、ですが、わたしだってなんとかしたいんです。トゥエンさんの助けになりたいんです」



「だめです、すみにもどってください」



 なぜ殺さないか? トゥエンは今回の事件を『鎮圧した』で終わらせたくなかった。何が起き、どういうことがあり、いかにして獣人と人間が利用されたか。それを人間と獣人がどう協力してうちやぶったのか。これらを人々が共有することに何より大切な意味があると考えたのだった。だから当事者はなるべく殺さずに生かし、人々の前で弾劾されなければならない。彼らの企みを、獣人と人間のかけ橋にしようと企んだわけだ。



 残るは壁ぎわでうずくまっている女だけだった。気を失っているかどうかは分からない。ただし、まだ剣をつかんだままであることから、どちらにせよ剣に注意するのが吉だった。あるときになったらすばやく剣を踏みつけて、剣を封じる。相手は逃げることしかできなくなる。



 トゥエンは。クレシアに目をあわせることなく、女に迫り、剣めがけて踏みこんだ。あとはうごけなくすればよい。コリシュマーデを構え、ここでようやくクレシアに言葉をかけた、アルファグ次官を見張っていてくれ、と。



 トゥエンが言葉したことは隙となった。女がムクリと上半身を起こして、左手を足めがけて振るった。いつしかナイフが握られていて、ふくらはぎの脇に鋭い痛みが走った。不意打ちをくらったトゥエンを女が奇声をあげる女におし倒され、女がむかう先には目を見開いているデブたれ。



 手にはナイフ。



 女が国王に迫り、その間に構えを変えて、ナイフを全力で突けるようにしていた。一歩足が地に着くたび、女の髪が背中をたたき、はねあがった。一歩国王に近づくたびに、ナイフが後ろにひかれているような感じがした。一歩近づくたびに、デブたれの顔が恐怖でいっぱいになった。



 クレシアが飛びだした。国王の前を阻むように武器を構えた。女がずいぶん遅いうごきをしている風に感じられる中、クレシアのうごきはとてもすばやかった。しかしたちまち女の体に隠れて、クレシアの姿をとらえることができなくなった。



 女の髪の毛が不自然にはとびあがり、毛先がへびのようにうねり、中空で乱れた。女の髪が、背中におちて、うごかなくなった。おなじく、空気までもがうごかなくなった、息をすることさえもくるしくなった。



 次官のうめき声が耳に入ってきてようやく、トゥエンは呆然としている自分を知った。音のある方向にガバリと目をむければ、戸口へはいずる次官がいた。トゥエンに頭に情報の怒涛がやってきた。次官のうごきをとめなければならない、しかしクレシアをなんとかしなければならない、どちらを優先する? どう対処する?



 考えるよりも早く、トゥエンは次官の赤い太ももをけった。刺し傷にあらたな痛みを植えつけ、もだえさせる。痛みでうごけなくなっている間に、女の肩をつかんでひき倒した。



 女の異変に気づいたのは女を離そうとした、まさにその瞬間だった。クレシアと衝突しているにもかかわらず、ふんばっている感じがなかった。まるでボーっと立っている人に不意打ちをかけて倒したときのような、である。腕におぼえたのは、粘り気のある重さではなく、女の体重だけのあっさりとした重さだった。



 地面に女が横たわったとき、鈍い音とともに床がわずかに揺れた。女のみぞおちのあたりにクレシアの武器がつきたっていた。トゥエンはここでようやく何が起きたかを知った。クレシアが女を殺したのである。



 トゥエンがナイフのないことに気づいたのは、ふたたび地面が揺れたのとほぼ時が同じだった。何が起きたか、トゥエンはもう分かっていたが、信じたくなかった。後ろの方からのくるしみの声――それはうめき声などという程度をはるかに超えた声だった――は、しかし、トゥエンを振りむかせる。



 クレシアがナイフをかかえて倒れていた。抱えるといっても、腹を押さえるようにしている風にも見えた。事実、その両方だった。クレシアに何度も声をかけながら、あおむけにして手を外させれば、ナイフはクレシアに刺さっていた。それも、急所以上に、絶望的な場所だった。



 修行時代、『ポプタープ・シュマンケ泡のでる腹』というものを教わった。腹部のうち、ポプタープ・シュマンケと呼ばれるところに深い刺し傷を負わせると、傷口からは絶えず泡がでるようになり、けがをした人はこれ以上ないほどにまでくるしむ、と。さらに糸で縫いあわせるなどしても、その泡が傷口や糸をむしばみ、また開いてしまうという、恐ろしいところだった。死をこえる苦痛。泡がでてしまったものには『慈悲』をあたえよ、と告げる声が印象的で頭からいまだに離れない。考えさせられることのおおかった修行の中で、自ら考えるのではない『教えられた』ことがら。数少ない命令のひとつだった。



 まさしくそこに、ナイフが刺さっていた。のたうち回ろうとこわばる体。脚でクレシアの体を押さえつけて、服を破いてみれば、血とともに泡がわいていた。刃は泡を出すほどに深く、泡がでたということは、もはや終わってしまったことを示している。耳にはとだえることのない絶叫がとどいた。クレシアがふくらはぎをつかんだ。肉を引きちぎらんほどの力で、クレシアの腕からは想像できなかった。



 視線をずらせば、クレシアにはいままで見たことのない首に走る筋があり、表情があった。まんまるに見開かれた目は血走り、白くあるべきところが赤く、白いところの方がむしろ少なかった。くいしばる歯が唇の間からのぞき、ほおまでもが痛みで力んでいた。



 トゥエンはつらい選択をしなければならなかった。しかも選択は一つしか許されない。選ぶ選ばないということはあっても、結論は同じである。慈悲をあたえるべきか、あたえずに奇跡を信じるか。トゥエンはクレシアから目を逸らして白い壁ににげた。しかし、視界にクレシアの血走った目がなくなっても、もだえくるしむ声はとびこんでくるのだ。



 トゥエンは剣を抜いた。クレシアの顔は見ない。急所のみに目を集中させた。



「ウェルチャさん、ごめんなさい」



 両手でつかんだコリシュマーデを、急所めがけて、一直線に、突き刺した。



 細い穴から吹き出すようなうめき声。



 ――クレシアの声が、消えた。

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