5.15 剣は投げられる

 ベルクタープ・ギーエンは激しさを増していて、二人はあっという間に水漬けとなった。通りには誰もいないが、遠くから叫び声が聞こえる。この天気だから外にでている人はいまい、つまりは家の中に入りこんでまでして人を殺しているにちがいなかった。じきにこの道も逃げまどう人が走ることになるだろう。



 トゥエンは走りながらも冷静な頭をあわせもっていた。というのは、この事件の謎がまだ残っていたからだった。シモフが『水の泡』と評したあの襲撃だ。シモフはトゥエンよりもはやく対応しなければならなかったのに、しなかった。



「どうしてあの襲撃のときに一団を討たなかったんだ。そうしなければならなかったんだろ?」



「実はさ、見合いをしてな。その相手ってのが、その、トゥエンと同じ境遇だった、といえばよかろう。使用人を獣人で固める典型的な没落貴族さ。相手は地位のために、俺と抱きあわせようとしたんだ」



「ということは、お前はその相手にひとめぼれでもしたのか?」



「ひとめぼれじゃない、何度もあって話をしてて、その中で。獣人は差別されて当然だと自分は思ってるが、でも相手はそれに疑問を投げかけてる。そんな相手を好きになって、獣人に対してどう考えるべきか迷ってた。そんなときに襲撃のことを知らされて。トゥエンがことをおさめるだろうことを考えれば早くしなきゃいけなかったけれど、これで失敗するなら、あきらめてくれるなら、と思ってわざと遅れた」



 トゥエンはうしろを見た。まだ追手がしつこくついてきていた。ここから先の道はしばらく一本道で、追手をまくための道もなかった。一騎打ちなら数秒で片づけられる。幸い、会場からはそれなりに離れた場所だった。



 トゥエンは踵を返して男と対峙した。左手でコリシュマーデのつかをつかみ、一気に引き抜いた。男はすると走りながら剣を――斬撃剣をひき抜いて、突きの構えで迫ってきた。トゥエンが腰を低くして足に力を入れる中、男がトゥエンを殺そうと剣を突き出した。トゥエンのことに気づいたらしく、トゥエンを呼ぶシモフの声がとんだ。



 男の浅はかな攻撃を避けるのは、トゥエンにとってはたやすいことだった。スッと横にずれて、すかさず急所めがけてコリシュマーデを突き刺した。ななめに体を貫通した鋭い剣先には血に彩られた。力を失う男。剣をひき抜くとともに地面に倒れ、地面が赤くなる。かと思えば、この雨が流していった。それでも流れる赤だった。トゥエンは素振りして、剣にまとわりつく忌まわしい色を振り払った。



 ひとりを殺してからあたりを探ってみる。中心街に入ったふたりはあまりよい状況でないことを知った。騎士団員が戦っているすがたがあるが、武器を持つ人間は敵の方がおおいようだった。いくら騎士団として訓練をしても、数に勝つのは厳しい。



 トゥエンが探している相手も騎士団の側にいた。トゥエンと同じ武器で敵の人間を突き刺すリーシャと、そのとなりで、今まさに相手を気絶させた、クレシア。クレシアがよそ見をして――生きるか死ぬかの世界ではやってはならないことだ――トゥエンに気づき、リーシャを連れて走ってきた。ちゃんと騎士服を着ていた。



「トゥエンさん! 心配しました」



「状況は」



「大勢の敵がおそってきてる。今は騎士団と協力して私が集めた獣人たちと一緒に戦ってる。安心して、全員戦争を経験してて武器にも慣れてるから。あとキルゲスもいる。ねえ、これもトゥエンくんがいってたことの一環なの?」



「ウェルチャさんはオレときてください。リーシャたちはこいつと一緒に外を押さえて。こいつも騎士団員だ。あと、獣人も人間ももはや関係ない、相手には容赦しないこと」



「分かりました」



「分かった。でもトゥエンくんはどこに?」



「やることがある、だいじょうぶ、敵の先回りをするだけだから」



 リーシャの凝視がトゥエンの目を貫いて、心の中までのぞきこもうとしていた。しかしその目はすぐに笑みへと変わり、大きくうなずいてみせて、がんばって、とささやきかけてきた。表情とはうってかわって、震えた声色で、腰の辺りでは抱き締めたくてたまらない手が悶々としていた。その気持ちはトゥエンにもヒシヒシとつたわってきた。



 戦場の真っただ中で抱きあう余裕などあるわけがない。トゥエンはリーシャの目を貫きかえして、必ず帰るからまってて、とやわらかい調子の声で言葉を投げかけた。

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