5.9 騎士と血のはざま
夜が明ける前からクレシアの指導をして、それから騎士団の騎士訓練を監督している間でも、寝起きの余韻に浸っていた。シーツ一枚にくるまっているというのに、ひとりで寝ているときよりもぐんと温かかった。隣に目をむければそこにはリーシャがいた。体が温まるだけではなく、心までもが温まった。目があうなりたがいににこっと笑む。これほどまでリーシャが生きていると感じたことはなかった。
トゥエンの前で訓練をしている連中は新人の団員だけではなかった。所属して数年の若手剣士や、部下を持つぐらいの地位にある小隊長も訓練にまざっていた。王都本拠地の最も大きい訓練場がいっぱいだった。練習用の剣も人数分足らず、それなりの実力のある者は真正剣を用いての訓練となった。その様子をシモフの父親である騎士団の次官もならんでしばらく眺めていたが、用事があるのか、かえってしまった。
「もっとはやく攻撃する、敵のスキをすばやく見つけて攻撃するんだ。そして自らのスキはつくるな」
「真正剣をつかっているものは相手に大けがを負わせないよう注意しながら訓練に励め。その程度の制御もできないようじゃ王宮騎士団の名に恥じるぞ」
教官の赤いオスェンと小隊長制式の青い制服が発する大音声は、すみっこで訓練している団員にはとどいているのか疑わしかった。二人ののどはことあるたびにあげる声のせいで悲鳴をあげていた。騎士が声を荒げる機会はそうとない。のどが痛くなるのは仕方のないことだった。
「なあトゥエン、例の件があったからってこれだけ来るとは思わなかったな」
「正直、本当の意味での騎士団が発揮される時期にあるからな。それらしいことをするのは北方から異動してきた連中以外ははじめてだろうしな」
「しかし、その――お前はいいのか? こっちで指導してるのは」
「いっただろう? オレはどちらにも属さない。だから、ひっくりかえしていば、どちらの仕事も、オレのなかの損得勘定でひっかからないかぎりは、うけるってことだ」
「ほんと、お前の金袋のなかが見てみたいよ。どれだけアークレイ金貨がつまってることか」
「報酬でうごいてるってわけでもないからな。ま、練習剣の納品じゃあ稼がせてもらってるよ」
一転ちいさな声で言葉を交わしている間も、ときおりトゥエンはのどぼとけをつまむようなそぶりを見せた。シモフはしっくりこないのか、何度かせきこんだ。彼のせきを気にして目のまえの新人がこちらに顔をむけてきたところを、すかさずトゥエンが一喝した。
いつか獣人をこの団員たちが殺めてしまうのだろうか。ふと頭によぎった。うまく物事を運ぶことができなくなったときの最悪のシナリオとしてはトゥエンの頭の中にある、騎士団と獣人勢力との武力衝突。ぶつかりあってしまえば獣人と人間の対立はもっと深くなってしまい、めざす世界が遠のいてしまう。それではいけない。明るいなか、リーシャと一緒に歩きたい。
そのためにはまず、目の前にある、いまだ闇のなかに潜んでいる事件を解決しなければならない。リーシャが見たというボタンのついた服、襲撃、イーレイへの裏切り。シモフのボタンがついた騎士服と、不可解な言葉。
「シモフ、ひとつ聞いてもいいかな」
「ああ、なんだ?」
「昨日の言葉、あれはどういうつもりなんだ」
「そのまんまだよ。左手で剣を振るえるようにしておけってことだ」
「オレにはそれだけの意味には思えないな。パーティの席で剣をつかうとでも」
「何があるか分からない。用心のためだ」
「利き手ではないが右手でだって左手なみの本気はだせる」
「でも不意打ちのときは、わずかでもうごかしやすい腕でもてるようにすべきだ」
何かを隠している。シモフが奇襲を気にかけるなんて急なことだ。それほどシモフがいう伝統のパーティというのは危険なのか。ますますシモフに疑いの目をむけざるをえなくなってしまった。
「お前が獣人に傾いていることはわずかなでも知ってる人がいるんだ。俺や、国王、あとはお前がよく分かってるだろう。きっと個人の尺ではおさまらない何かに縛られてる人もいる。まえの件があったから気がかりでな、まあお前の力だ、この心配がただの無駄骨になるとは信じてるが」
「だとしても、そんな暗殺、なんの利点があるんだ。オレはたしかにハプスブーグの血をひいてるが、もう王位継承権はすてたし、ひとりの騎士、鍛冶にすぎない」
「ハプスブーグの血をひいてるだけでも、王家の血というのは力が強い。とくにここいらはハプスブーブ家が貴族だったころの領地でもあるんだから。何より、国王に平気な顔してケンカできるのはお前ぐらいしかいないぞ」
「あいつは頑固だ、何度説得したって――まあ、説得したところで、今度はシモフと対立することになるけど」
疑わしいと思えばまっとうなことを話してくるシモフに、トゥエンはごく普通の答えをかえすものの、その裏では大変だった。シモフの言葉が疑わしいと思ったのもつかのま、会話の脈としてごく普通の、どうともしない内容となってしまった。疑いたくない気持ち、でも疑わざるを得ない状況、そのうえ推測できない脈。頭の中で、いままで押さえてきた手がかりがグッチャグチャにあふれてしまいそうだった。
トゥエンはきもちを落ちつけようとコリシュマーデを抜いた。するどい剣先を天にむければ、光をうけて白い輝きを生み出した。乱れた心を白い光が貫き、潮がひいてゆくかのように鎮まってゆく。
何を思ったか、シモフもおもむろに斬撃剣をひき抜き、トゥエンがしているようにかかげた。まぶしさに目をしかめたが、それでもトゥエンのまねをした。
「なあトゥエン、俺自身が背負っているものを信条として通すべきか、それとも、個人にうごめく心情を通すべきか、どちらを選べといわれたら、トゥエンならどうする」
「大切なのは自分が何を考えているか、何を志すか。お前だって騎士なんだ、その答えは自分で見つけろ。オレが選ぶことじゃない」
「しかし、どうも迷いがでてしまって」
「たとえ迷いがあっても、決めなければならないのが騎士だ。オレらはそう訓練されてきたはずだぞ」
「お前を見てると、いつもまっすぐだ。お前に迷いはないのだろうから分からないんだ」
「迷ってるさ、オレだって。それも、生きるか死ぬかの迷い。いまだに答えが見つからない、それをずっと抱えながら、いままで決断してきた」
「すまない、ヤボだった」
シモフはついにまねをするのをやめて剣をおさめた。地面を見下ろしながら深呼吸をした表情が苦しそうだった。肩に重いものがのしかかっているようでもあり、首に何かが抱きついて背中にその重みが預けられて、重さに加えて首を絞められてくるしめられているかのようでもあった。
重みで猫背ぎみとなっていたシモフの背筋がピンと伸びて、大勢の団員にむかって訓練終了を叫んだ。たちまち訓練場に声があふれて、おもしろいぐらいに訓練をやめる人がしゃがみこんでいった。奥の方でまだ訓練をつづけていた。やはり指示は通ってないようだった。
「トゥエンすまない、俺はこれから人とあう約束があるんだ」
「騎士団か?」
「いや、私用だ。俺にあいたいという人がいるんでね」
「ふうん。じゃあ早くいってやれ。オレはしばらくここにいて団員の面倒はみるから」
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