5.5 クレシアの剣
訓練初日の朝は早かった。トゥエンが茶色のオスェンをきて酒場にやってきたとき、クレシアはまだ朝食のなかばだった。トゥエンは朝食がおわるのを待つつもりだったが、クレシアはたべかけのパンを皿において席をはずした。テクテクともどってくれば、青いニット帽をかぶった彼女の手にはあの武器があって、たべかけも手にしてトゥエンのもとにやってきた。
トゥエンがクレシアをひきつれて到着したのは、町のはずれにある森だった。フードをかぶっているとはいえども、日中では獣人の目はネコのようにほそながくなるため、人間の目につかないところにしなければならなかった。
トゥエンは練習剣を片手にもちながら、クレシアに名前のない武器をどうあつかうべきかを教えた。武器の長所は二刀流で身軽にうごけることであり、欠点は小さい武器であるために攻撃範囲が狭いこと。相手を攻撃するのに有効な場所は二の腕や手首、または関節などでうごきを封じることができる。みぞおちや口の中などを突けば相手を殺すこととなるだろう。この武器は殺すことを目的に作られていない、そのためよっぽど身の危険が迫ったときではないかぎりはあやめるべきではない。よっぽどの身の危険というのは、助けがくる可能性がなくて、人を殺さずして脱出する手段が十秒考えてもおもいつかないときだ。攻撃については、かならず片方を防御のために構えながら効果的に叩くこと。攻撃力が高いわけではないから、場所を考えてうちこまなければ抑止力にならない。
トゥエンはときどき身ぶり手ぶりを見せつつも、基本を教えていった。教えていったことを実際にやってみるクレシアを前にしつつ、トゥエンが考えているのは騎士の心得をどう考えさせるかという点だった。具体的にいえば、悪事とされていることをするのを誰にするか、ということだった。
「オレから教えることのできる技術的なところはこれですべてです。のこりは、自分で考えて強めてください」
「はい、ところで実際に剣を交わらせる練習はしないのですか?」
「まだ早い。まず、この問題に答えられてからにしましょう」
「問題、といいますと」
「オレやリーシャがウェルチャさんにとっての悪をはたらいているとしたら、たとえば国内の獣人をすてて外ににげるだとか、そうしたらどうしますか?」
トゥエンはクレシアの目がどううごくのか注意ぶかく見つめていた。目が泳ぐことはなかったが、鼓動が三回聞こえた頃に、トゥエンの剣へクレシアが注意をむけた。
ときどき戦場では一騎打ちのような状況に陥ることがある。そんな時一瞬でも目をそらせば、攻めこまれる隙になってしまう。敵を前にして迷うことはおおいに問題ないといえるが、それを表に出してしまっては騎士としてはダメなのだ。
トゥエンはいきなり剣を振りあげた。クレシアの肩がビクッと反応した。腕もあがり、武器で剣をうけとめようと待ち構えた。
「考えるのは構いませんが、目を逸らしてはなりません。その隙で、敵はウェルチャさんをきるでしょう。その武器では、隙をみせることほど無謀なことはありません」
「わたしは殺せる可能性を考えました」
「オレを殺す、というのが答えですか?」
「ちがいます。わたしだけで国をなんとかできるか、国王を殺せるのか、国をかえられるか、これを考えたわけです。国からにげるのであれば、もう武器は必要ないでしょう? ですから、トゥエンさんの武器を失敬しようかとおもったのです。そこで、いまトゥエンさんのもっている武器をわたしがつかいこなせるかどうかと」
ああなるほど、としかトゥエンはいうことができなかった。クレシアの頭は思っていることよりも五歩先を歩んでいる。トゥエンが目の前の戦いに際しての忠告を思いうかべている中、クレシアはトゥエンたちのいなくなったあとのことを考えていた。それだけではなく、目のまえの状況にも対応した。クレシアが構えた武器の位置、振りあげた剣をうけとめるには申し分ない場所だった。王宮騎士団の人間をどれだけ漁っても、これだけの逸材はない。
これがわたしの答えです、とクレシアの言葉があっても、トゥエンはどう答えるべきかピンとこなかった。しかしちょっと考えてみれば、考え方はすばらしくても、答えとしては完結しているものではなかった。
「では、ウェルチャさんが考えた中では、国をかえられる可能性はいかほどですか?」
「わたしのきもちを抑えてくれるような存在がいれば、可能性は高いです。わたしは親を人間に殺されています、その恨みを抑える人がいれば、トゥエンさんが思っているような国にかえられることはできましょう」
「いなかったら」
「自らを制するのみです。可能性は分かりません。でも、やる価値はあります」
「そんなできるかどうかも分からないことに、賭けられるのか?」
「トゥエンさんの同級生だってトゥエンさんに殺されるかもしれないのに告白したのでしょう? そのぐらいの覚悟ができなくてどうして国をかえられますか?」
普段だったら答えをいったところでよしとするところだが、トゥエンはさらにどれだけの覚悟かを答えさせた。ここには単に騎士として自身を律することができればよいわけではない、獣人と人間という大きな区別の中であらがう覚悟があるかをたしかめたのだった。その答えをきくかぎり、問題はどこにもなかった。
訓練をおえようと思ったところに、クレシアがひとつ尋ねたいことがあると言い出した。
「尋ねたいというよりも確認なのですが、トゥエンさんが以前にいっていた『獣人の血をもつ同級生のリーシャ』というのは、ジーンさんでいいのですよね?」
「どうしてそう思ったのですか?」
「獣人の血、あと名前がリーシャ、というのはジーンさんも同じですし、特に、トゥエンさんといっしょにいるジーンさんはとっても幸せそうな顔をしています。もし赤の他人どうしだとしたら、そのような仲となるには早すぎます」
「中にはそのぐらいの早さでそのような仲となる人もいるでしょう。その点は、強引な考えかただというほかありませんよ。ただし、場合によっては時間軸をふまえた考えかたも有効です、理解してください」
「それで結局はどうなのですか」
「ウェルチャさんのいうジーンは、リーシャで間違いありません」
トゥエンが考え方を答えるよういったあたりから、クレシアの表情がすこしばかりきつくなった。考え方について指摘されたときには横に顔をずらした。ようやくはっきりしたことをきけたときには、まだ目はするどくて眉間にはうっすらとしわが寄っていた。しかし不快であることはあからさまには表に出さなかった。
「最初からそういってくださればいいのに。これも訓練なのですか?」
「騎士はつねに考えることを求められます。戦いの中でも、日常の中でもかわりません。ずっと考えて、武術の腕を磨きつづけることが騎士として必要なことです。そのために、考えることも訓練します」
「騎士の見習いなら誰でもやることですか」
「本当の意味の騎士としては必要ですからね。オレが免許皆伝をもらった流派は特に厳しいんです」
「本当の意味とはどういう」
「それは歩きながら話しましょう。これから、ウェルチャさんのための鎖帷子と騎士服を調達しにいきます。なに、だいじょうぶですよ、これからいくのは人がいない場所ですから」
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