4.11 彼女の部屋
リーシャを寝室に寝かしつけてから、トゥエンはクレシアの部屋の前に立ちどまった。恋人つなぎをしてリーシャを連れていったときに、彼女がその部屋を教えてくれたのだ。ちゃんと自分の口でいわなければならない、とトゥエンは考えたのである。たとえタイミングがわるいとしても。
トゥエンは扉を二度叩いた。戸が開けたクレシアと目をあわせたくなかったから、間髪をいれずに自らの名を名乗った。だが、部屋から音はなんにも聞こえず、トゥエンです、という声はあっという間にすいこまれてしまった。かえってくる音はなにひとつなかった。口を開けて話しだそうとするが、一瞬ためらいがでてしまって言葉にできなかった。扉が音を全てすいこんでいるような気がして、何もとどかない気がしてしまった。
だが、トゥエンは自ら語らなければならなかった。
「もっといいときがきたときに話したかったことですが、オレはたしかに王族の忌まわしい血をひく人間です。オレにはあのデブたれの忌まわしい血が入ってるのです。もちろん、獣人差別をはじめたハプスブーグ家、旧アストヴァイシャ家創始者カトルーレ将軍の血もすくなからず含まれているのでしょう」
トゥエンは扉に背中を預けて、天井と壁とのまじわるところに視線をむけた。ちょうど目をやったところに、クモの巣があったが、主の姿は見当たらなかった。
「オレがうまれたころのハプスブーグ家は没落貴族にすぎませんでした。ですが貴族というのは見てくれが大事です。どんなに貧しかろうと見栄をはるのが貴族です。そこで利用したのが獣人でした。女中や執事をはじめ、全ての使用人を獣人としたのです。差別の強い時代、獣人に対する賃金などあってないようなものです。でも、オレを育ててくれた世話係の獣人、育ての親は大事に育ててくれました。その人はバレンさんといって、いろんなことを、読み書きとか学問のこととか、国でいままで何が起きていたのかってことも、そのほかにもたくさん。何より、たくさん遊んでくれました。だから、オレは普段、ハプスブーグではなく、バレンという名前を使ってます」
トゥエンはふたたび扉とむかいあった。扉に目をむけ、口をとがらせて息をととのえた。額を扉にあてて目をとざし、それからもういちど息をととのえた。扉に手をそえて、言葉をつづけた。
「オレはトゥエン・ラグ・ハプスブーグですが、トゥエン・バレンとしてありたい。ウェルチャさんには辛いことだと思いますが、オレはトゥエン・バレンとして見てもらいたいんです。もっといえば、トゥエンとして見てほしい。王家とか、人間なのか獣人なのか、とか関係なしに、オレを見てほしいんです。それがどれだけむずかしいことか、バレンさんに教わりました。だからムリにとはいいません、でも、いつかそう思えるようになったら、そう思っていただければとおもいます」
トゥエンは額を離して一歩あとずさりした。つま先のそろった足を見下ろして、中から声がかかるのを期待した。しかしそんなことはしばらく待っても起きなかった。たださむい空気と背後にあるクモの巣のみがあった。
足もとを見たまま、トゥエンは扉の前から去ろうと脚を踏み出した。足もとからの乾いた音がむなしくて、そのうえ響かなくて、きもちがよりむなしくなってきた。トゥエンはきたえた武器のことをいいわすれていたことを思い出したが、どうせ忌まわしい血の手によるものはほしくないだろう、と引き返す気もなかった。
――あの。
足音をかき消すように、声が後頭部をなぐった。声はことのほか大きかった。声に肩をちぢませて、トゥエンは反射的に振りかえった。開けられた扉を背にするクレシアと目があった。獣人の縦長の目。まゆ毛がもの悲しくて、ほおのあたりも何だか悲しそうな雰囲気をただよわせていた。
トゥエンは言葉がでなかったけれども、クレシアは必死に言葉をだそうとしていた。だが、あの、あの、と口にしてばかりでさきに進まなかった。だがトゥエンには十分だった。彼女の目がはっきりとしゃべっていた。まっすぐトゥエンを見ていた目は、トゥエンをひきとめようとしていた。
クレシアにあたえられている部屋にはあまりものがなかった。左の壁にそってぴったりと、ベッドとふたのない木箱がひとつおかれていた。膝ぐらいの高さがある箱からオスェンが二着、顔をのぞかせていた。うち青いオスェンについては、酒場できている姿を見たことがなかった。あとは壁に燭台がいくつかつけられていたが、ろうそくはささったままで、火はともされていなかった。正面に窓がみえた。月明かりが差し込んでいる。
「腰かけるイスもないですが」
「いえ、構いません。それよりも、どうして」
「わたしは、そんなに信用できないのですか」
トゥエンはクレシアをまっすぐ見ていても、心はすっかり揺らいでしまっていた。理由をきかれるならば『どうしてかくしていたのか『だとか『バレンさんはどのような人なのか』だとかいうことだろうと考えていたのに、クレシアの口からでたのはななめからの言葉だった。よりによって『信用できないのか』だなんて。クレシアがしているように、トゥエンもクレシアから目を逸らしたかった。でも、そうしたらうなずいているも同じだ、逸らすわけにはいかなかった。
「ここまで、わたしはトゥエンさんといろいろと行動を共にしました。ジーンさんと比べればそれはほんのわずかなことでしょう。わたしは短い間なりに、トゥエンさんがほかの人とはちがうってわかっているとおもっているつもりです。でも、教えてくれないということは、トゥエンさんはまだ信用してくださっていないのですよね。わたしはまだ信用にたりないのですか?」
「信用を崩したくないからこそ、オレはそのことをいいませんでした」
「そんなことで信用は崩れません」
「崩れるんです。どんな些細なことでも、窓枠がはまってしまえば人はそれをもとに考えるようになります。『トゥエン』だったのが『王族のトゥエン』となるだけで意識がかわってしまいます。それが、バレンさんのいっていたむずかしさ」
トゥエンはクレシアの横を通り過ぎて、窓を真ん前にして立ちどまった。窓をふさぐ木の戸をおしとばすようにして開けた。月明かりとともに、暗い空から冷たい空気がスーっと足もとにむかって流れこんできた。部屋にある空気とは全く別のもののようだった。
「オレがハプスブーグの人間だと知って、どう思いましたか」
「おどろきはしましたし、裏切られたというか、そんな気分になりました。でも、トゥエンさんは獣人のことをいつも考えているし、ジーンさんがすきになるような人ですから」
「裏切られた気分のときはどうでしたか? 信用されてないと思ったこと以外で」
「もしかしたら本当に裏切られるんじゃないかな、と思いました。わたしやジーンさんを殺そうとするのではないのか、と考えてしまいました」
「裏切られるというところまで考えられるのならば十分でしょう」
トゥエンは戸を閉じた。ほのかなあかるさがなくなってしまった室内は、すっかり冷めきっていた。だが、足もとで感じたほどのするどいさむさを肩に感じたわけではなかった、空気はいつしかまざったようだった。
クレシアはトゥエンを受け入れようとしている。あとはトゥエンがそのきもちをうけとる番――クレシアのための武器のことを話さなければならならなかった。なるべくクレシアがよろこびそうな形で。
「ウェルチャさん、明日から本格的な訓練をはじめましょう」
「訓練ということは、武器ができたのですか?」
「ええ、世界にひとつ、人を殺さずして相手を制する武器です。そしてウェルチャさん、あなたは殺さないで相手を倒すのです」
「殺さないで倒すとはどういうことですか」
「気絶させるだけ。もしくは、武器を奪うかこわすかして相手の力をうしなわせる、強い騎士です。そんな騎士、世界どこを探したっていないでしょう」
「あ、えっと、ちょっと待ってください、騎士って」
トゥエンは振りかえってクレシアに目をやった。それだけで答えずにいた。するとクレシアは鎖骨のあたりに手をそえて考えはじめた。考える力のあるクレシアには答えを導き出すのは造作もないことで、しかし彼女は目を泳がせるばかりだった。トゥエンと目をあわせたり、かと思えば扉を見たりと、どこに目をおちつかせればよいのか分からないというふうだった。
「それって、その、そういうことでいいのですか?」
「ウェルチャさんがはじめての弟子ですよ。厳しくやりますからね」
「いいのですか?」
トゥエンは顔に笑みをうかばせながらうなずいた。するとたちまち、クレシアの目がトゥエンにくぎづけとなって、輝きだして、顔全体がパッとあかるくなった。うれしそうな様子ときたら。相手を安心させようとつくろっていたトゥエンの笑みを、心からの笑みに変えてしまうのである。うれしさでにじみでてくる本当の笑みにかえてしまうのだった。
「ウェルチャさんはオレを受け入れようとしています。それに報いるには、オレはこれしかできないでしょう」
「ありがとうございます。わたし、がんばります」
「さっそく明日、あなたのための鎖帷子を調達しましょう。それから、騎士としてふさわしい服を――」
トゥエンの笑みが凍りついた。目の前にいるクレシアが笑みをうしなった。外から勇み声ともとれる大声が聞こえてきて、そのなかに『人間どもを殺せ』という声があった。
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