4.2 凪の前の嵐
トゥエンは戸にかんぬきをさし、まずシモフの部屋をおそった。木の扉がこわれそうになるぐらい叩いて、目をこすりながらあらわれるシモフだったが、ただならぬ目をするトゥエンと外からの音を認めると、
「すぐきがえる」
とうなずき奥にもどっていった。
部屋にもどったトゥエンはテーブルのそばに立って、コリシュマーデを抜いた。朝焼けが収まりつつあって色が薄れていたが、それでも刺突剣は赤みをおびた光につつまれた。赤いコリシュマーデが、あたかも人を刺して血まみれとなったかのようで、見ていてきもちのよいものではなかった。トゥエンは気味のわるさに目を逸らすが、しかし、はげしく首を横に振ると、血みどろのその姿をにらみつけた。するどい剣先をじっと見すえて深呼吸してから、ようやく剣をおさめた。その目でクレシアを見た。
シモフだ、という声があった。振りかえれば戸を開けたシモフが立っていた。ちょうど胴体のところはトゥエンのせいで影となっているものの、朝日のあたっているそででは、金糸がキラキラと輝いていた。全くもって戦闘にはムダな飾りである。
「トゥエンはどこまで把握してるんだ」
「兵士みたいな集団が斬撃剣をもってる。すくなくとも一人は騎士団の人間」
「もっと状況はわるいようだ。さっき窓から様子を見てみたが、相手は二十人以上、騎士団員もいれば、チュニックをきた一般民もいる。武装蜂起だ」
「イーレイが関係してる可能性は十分あると思うぞ」
「ああ。いままでの情報を考えればありえる。ただ、そのまえに地元民を守らなければ。俺は王宮騎士団の騎士だ」
「オレも知ってる。だが、オレには連れがいるんだ。彼女にけがさせることなく脱出したい――」
とつぜん外が騒がしくなった。トゥエンは話半ばで窓にかけよった。窓をあけ身を乗り出して外を見てみると、ついに剣がうごきはじめていた。外のさわぎを嗅ぎつけた市民だろうか、外にでてきた彼らにむかって剣が攻撃をはじめたのだった。赤いフードをかぶった男が、まさにそのとき、麻のフードをかぶった女を斬り殺した。フードが外れて、獣人の耳があらわになった。
トゥエンが一瞬引きつった息をして、こきざみに何度もうなずいた。そういうことか、と何度も半分ほど顔を出した日にむかってつぶやいた。朝焼けはもういずこへきえてしまっていた。
「どうしたんだトゥエン?」
「赤いフードだ、赤いフードが敵集団で、赤いフードをしてない人たちを敵として殺してるんだ」
「この町の人々がどうして」
「理由はとにかく、事態は急を要するぞ。シモフ、お前はどうする?」
「トゥエンさん、どうしたんですか」
かん高い声はシモフの声ではなかった。トゥエンが振りかえったら、シモフの奥に、かけ布をまとってたたずむクレシアがいた。顔には寝起きらしい間の抜けた表情ではなく、しっかりと開いた目だった。シモフへと目をむけるのだが、目がとまることなくトゥエンへとうつった。彼女は、どうしたんですか、ともういちど尋ねた。
外からの声が、いっそうむごたらしくなってきた。どこからともなく、扉を力任せに叩く音がした。
「一番おそれていたことが起きてしまいました」
「ああ、そんな、ついに」
「騎士がいくらかで、どうやら味方でないエルボー市民を殺しているようです」
「あの男の、姿は?」
「イーレイの姿はいまのところはみられません。ですが、この襲撃にイーレイがかかわってる可能性はありえます」
「そうですか。ならば、何をしているのか把握しましょう、もしかしたら町のなかに」
トゥエンにはクレシアがどう答えるのか、なんとなく見当はついていた。だが、思いもよらなかったことが、外で起きていることを把握したとたん、彼女の手がかけ布をにぎりしめて、震えだしたことだった。
偵察することを強く主張して、ついさっき襲撃の中でイーレイを探そうといった彼女の手がおびえていた。手から上に目線をうごかせば、クレシアの真剣なまなざしがあった。だがとりようによっては、何かをこらえているから目に力が入っていると考えられるし、こわいことをかくそうと表情はかくしているとも受けとめられた。本当のところはともあれ、トゥエンはそのように考えた。そう考えたほうが安全だった。
「シモフ、まずにげることを考えよう。シモフに協力はしたいが、まずは連れを脱出させたい。それでひとりにさせたら何するか分からないから、脱出させたあとにお前をおうこともできない」
「ならばひとりででも」
「あきらめろ。現実問題、ひとりどころか、ふたりで相手をするのもムリだ。オレらは神話にいきる英雄じゃない」
「俺は王宮騎士団の騎士だぞ! 市民を見捨てろっていうのか?」
シモフがテーブルに手のひらをたたきつけていらだちをあらわにするが、クレシアが二人にもとへ歩いてきた。手のふるえをかくすつもりなのか、左手をふるえる手に重ねるが、左手までもがふるえていた。
「わたしのことは気にしないでいただいて構いません。ここにのこりますから、おふたりで敵をたおしてください」
「ウェルチャさんは武器をもってません。もしここに赤いフードの連中が侵入してきたら、ウェルチャさんは死にますよ」
それは、とつぶやいてクレシアは視線をななめ下へ逸らした。もしトゥエンが騎士団の人間であれば、そうすることもいとわなかっただろう。クレシアがいうとおり、彼女をここにおいてゆくのが、たたかうという前提にたてば、もっともよい判断だった。トゥエンは空気をのみこんで、吐き出しながら目をとじて、もういちどのみこんだ。目を開けてトゥエンに視線をやった。シモフもトゥエンを見ていた。彼は、きっと彼女の考えに賛成なのだろうと思ったら、歯がゆくてたまらなかった。
「シモフ、ここはオレの指示にしたがってもらう。いいな?」
「おい、なんのつもり」
「オレらはこの町を脱出する。ウェルチャさんの命を守ることが第一だ。にげゆく市民たちもあわせて守る。でも、俺らの脱出が最優先だ、ちょっとでもオレらからおくれれば、その人はすてる」
「ふざけるな! 騎士としてゆるせない!」
「ならば、お前ひとりでこの町の人々をすくえるとでも? どうしようもないんだ。こっちは二人、相手の数も、どんな連中なのか、全く分かってないんだぞ」
外から金切り声が突き刺さった。直後、トゥエンは窓ぎわの壁をなぐった。トゥエンは腕にもどかしさがたまってきていて、考えをくつがえそうとするシモフにいらだちをかくせないでいた。男の断末魔と、気合を入れるような叫び声が聞こえた。その裏で、シモフの舌うちがはねた。
「クソっ、したがってやる。このままじゃ結論がでるまえに全員死んじまう」
「賢明だ。ウェルチャさん、オレから絶対にはなれないでください」
「は、はい、分かりました」
クレシアの手はまだふるえていた。手だけではなく、声までもがふるえていた。すっかりおびえているふうな彼女にトゥエンは手をさしのべた。さあ手を、とうながすと、クレシアは両手でトゥエンの手をつつみこんだ。トゥエンのぬくもりに触れたその手はまだおびえきってはいたが、しばらくこうしていればきっとこわさも薄れてゆくだろう、とトゥエンは信じた。
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