4 前夜

4.1 足音が聞こえる

 クレシアが眠っている部屋にもどったが、寝床で横になる気にはなれなかった。町におおいかぶさるようにして広がっている穏やかでない雰囲気が、トゥエンはどうも気になってしまったのだった。底冷えのさむさの中、かけ布をまとうトゥエンは時々トラハヒェブをちょびっと口にしながら、窓の先にみえる紺色の空を見つめてばかりだった。



 シモフが教えてくれた情報を何度もくりかえし、頭の中の引き出しから引っ張り出したり片づけたりしては、何が起きようとしているのかを見定めようとした。とりわけ、そのときはさりげなく聞いていた隊長の死体については、かなりの回数を確かめていた。



 駐在所をとりしきる隊長の死。牢獄のなかで、ということだから、獄にとじこめられていたかもしれない。自分で死んだのかそれとも誰かに殺されたのかは――聞いたかぎりの状況を想像するだけで分かることではない。ただ、脱獄のためには駐在所の中を通る必要があるから、捕まった人が殺してにげたとは考えづらい。



 もっと具体的な状況をシモフから聞いておくべきだった、とトゥエンは白いため息をついた。白いもやは窓めがけて、もやそのものの中に対流を作りながらも、流れるようにとんでいって、でもゆきつくことなくきえた。



 具体的な、とはいっても、トゥエンには十分な収穫だったといえよう。イーレイはどこかにきえて、騎士団も同じようにいなくなり、駐在所には死体。隊長の死体。脱獄のときに殺したとみなすにはむずかしい。リーシャに報告することとしては、おもいもよらぬほどの収穫高といっても過言ではなかった、あとはイーレイの所在がわかりさえすれば。イーレイがどこにいったのか、トゥエンにはもはや足どりをつかむ手段はなかった。



 トゥエンはいまさらになって、クレシアの提案をすてたことに後悔した。クレシアの考え方を正すのはしょうがないことではあったが、それでも、イーレイの居場所をつきとめる方法といったら、醸造所以外に考えられなかった。ハチミツ酒の樽の間をぬって進んださきに目的地の走り書きがおちている、そんな光景を頭にうかべた。



 トラハヒェブを飲んでからため息。さきほどよりも大きかった。けれども、白かった息が、橙色となっていた。



 トゥエンは窓を見た。エルボー中の屋根が朝焼けに染まっていた。これほどないぐらいに赤くてまぶしかった。



 トゥエンはグラスを手にして窓辺に立った。木の茶色い屋根が、真ん中が真っ赤に、そして両端へとゆくにつれて、焼けた色あいがうすまっていた。まるで町全体が火に焼かれようとしているかのような景色だった。燃えるエルボーの奥にみえる赤い玉に、この世のものとはおもえないうつくしさを感じた。



 赤い色あいの美をさかなに、グラスにのこるトラハヒェブを全て飲みこんだ。口のやける感覚に目をぱっと開いて、喉を通した。ちょうどそのとき、シャアア、と音が聞こえた。トゥエンにはききおぼえのある音だった。



 剣を腰にくくりつけ、トゥエンは部屋をとびでた。コリシュマーデの丸い柄頭に左手をそえて、廊下、階段と一気に駆け抜けた。顔はほんのり赤みがかっているものの、目は朝焼けのときとはうってかわって、とがった目じりをしていた。視界の中に窓があらわれるたびに窓の奥の様子をにらみつけて、外で何が起きているのかを見つけようとした。



 シャアアという金属のこすれる音が、トゥエンの耳にずっと響いていた。鞘から剣がひきぬかれる響き。それもひとつではなく、いくつもかさなっていた。数人という域ではすまない、十数人の剣。ヤワな犯罪集団ではない、そこらへんの貴族があつめた傭兵団ぐらいの規模はありそうだった。



 いろんなことが起きすぎている、トゥエンは宿の受付を前に立ちどまった。いてもよかろう宿主の姿はなく、だからといって食堂の方からの音はなかった。



 トゥエンは受付まわりをきょろきょろと見てから、出入り口へ忍び寄った。外からの音に注意をはらいながら足をはこび、戸に手をかけた。かんぬきを抜いてから、手に力をいれて、きしむおとがでないよう慎重にひいて開けた。



 扉をあけてまず目に入ったのは、右の方を見て立ちすくむ女の姿だった。一歩うしろに足をすべらせたかと思えば、たてつづけに二歩後退りして、左に走ってすぐに細い通りへ折れた。左を見れば背をむけて走る人々がいくらか、まるで散ってゆくかのようだった。



 右に顔をむけたトゥエンは、一人を先頭にして四つの列をなしている集団を見た。朝焼けの陰で表情や服装をよく分からなかったが、先頭に立つ一人だけは、騎士団の服だとはっきり分かった。彼らは、頭の上高くに幅のある斬撃剣を掲げていた。急に雄たけびに似た声が聞こえた。

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