3 足音が聞こえる
3.1 普通の食事
店じまいをしたリーシャが厨房にもどってきた。料理は厨房のすみっこにあるテーブルにならべられていた。店に並ぶテーブルよりも上等なものだ。十人の人が座れるようになっていて、組織の話しあいをしている場所がここなのだろうとトゥエンは察した。
席に座って料理をあらためて見下ろしてみると、店でみる小鉢の料理とは比にならない量だった。魚と野菜を具にした麺のようだが、麺が主ではなく、魚が中心で、野菜がそのまわりをうっそうとりかこみ、さらにそのまわりをうっすら麺がかこったような、そんな比率だった。量を見るかぎり、おそらく魚はひと皿に二尾使われている。そのおおさにもおどろくが、この量をたべて太っていない二人にもたまげた。リーシャの表情は全く動じていないところ、普段どおりの量なのだろう。
食事をはじめてから話しだしたのは、クレシアで、トゥエンと自身のことだった。問いかけはリーシャにたべさせる暇をあたえず、クレシアもまた手があまりうごいていなかった。休む間もなく繰り出される会話。いつの間にかリーシャとトゥエンの関係という話題のなか、ひとり平らげてしまうのもきまりが悪いので、トゥエンはそれぞれの手をうかがいながらも魚を口にはこんだ。
でも、二人の話がどんどん暗い道へと進んでいった。リーシャが学校に入ってから感じてきた苦しみ、人の目のこわさ、自分をだましている気分で、自分をさらけだせないもどかしさ。リーシャの語りのなかに、『辛い』という言葉はどこにもなかった。目の前でリーシャを見ていたトゥエンには、辛いよりも強烈な意味あいをその長い言葉のなかに感じ取った。
ただ、リーシャがいなくなってからのことを話しだしたあたりから、食事の席にはふさわしくないものになってきた。リーシャがしてきた裏の生活をさらしだしたのだ。エグネにきたえられて、ときにはしのびこんで、人を殺して、という陽の光をあびない世界だった。興味のある人からすればたまらない話だったが、トゥエンにはリーシャの苦悩ぐらいのきもちが自身の中に膨らんできて、それを受け止められる自信がなかった。リーシャとは、まだ楽しい話をしていたかった。
「リーシャ、ちょっと」
「何か?」
「みんなでたべてるんだしさ、その話題、別のときにしよう。今の状態で、もうしわけないけれど、オレにはたえられない。もっと心の準備をして、それでききたい」
「ごめん、話しこんじゃって。場違いなことがらだったね」
「すいません、わたしがききたいといってしまったものですから」
「クレシアさんは悪くないですよ。その、たべながら、明るいことでも話そう」
かくいったものの、トゥエンには、単に明るい、重苦しさのない話が思いつかなかった。『思いつかなかった』とするよりも、ひとつだけしかはなしたいことがなかったというのが正しかった。リーシャとクレシアを目の中におさめていて、自身がいいたいことは、いまのこの食卓がとても幸せだということだけだった。重苦しいことだけが問題だった。
「オレはさ、こんな食卓があこがれなんだ」
「どうしてなのですか? 普通の食事ではないのですか?」
「普通の食事が、むかしはできなくて、えエと、どういったらいいんですかな、そうだな、むかしはこんな食卓ができなかったんですよ」
「そうだったのですか、そんなに貧しいなんて」
「じつはその逆なんです。出されるものは一流のものばかりで、身のまわりはぜんぶ給仕がやってくれて、身分の高い人ばかりがいて」
クレシアには意外なことだったのか、フォークを皿において、トゥエンにたいして身構えた。カチャリ、とフォークの柄が皿にぶつかる音が大きく聞こえた。
「じゃあ、どうして。いいじゃないですか」
「ゆたかにみえるのは表だけ。裏は、権力闘争の場で、表はたしかに裕福に見えるけれども、それはうわべだけのことで、こころの貧しい食事しかなかったんです。そんな食事は、一流であっても、まずい」
「何がきっかけで」
「リーシャなんですよね。いろいろと教えてくれて、実際に二人でたべにいって、それからはもうイヤになりました」
「ジーンさんが」
「そう、わたしのおかげ」
リーシャがにこりと笑って、フォークの先をトゥエンにむけた。すると、弓なり一線になっていた口が丸く開いて、丸い口がとじるまでにまばたきが二回あった。フォークを魚に刺して、手を離した。フォークはななめに立ったままだった。
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