3.2 素人偵察班

 エルボーというその町は塀と花のにおいでおおわれていた。エルボーではハチミツ酒を作るのにクローバーの花から生まれたハチミツを使っているためか、すきまさえあればクローバーがしげっている。ちいさなハチがトゥエンたちの目の前を気にすることなくとびかった。かとおもえば、家を眼下に見下ろすほどのカラスサンショウがトゥエンの右手奥に見えた。酒には使わないらしい――ボブネではこれによるハチミツが主流とのこと――が、その樹からできるハチミツはとてもさわやかだという。湯にとかしてのむと病人がとびあがるほどだと、ハチミツ屋のオヤジと客との話が聞こえた。まわりの人を見渡してみれば、やたらとフードをかぶる人がおおかった。そのときになってようやく、リーシャにコリシュマーデを渡しそこねたうえに、新品の剣をカウンターにおきっぱなしにしていたことを思いだした。



 戦争の名残たる漆喰色に設けられた門を二人がくぐるのは、リーシャからの頼まれごとだった。エルボーを拠点にするイーレイの様子を見てくるというもの。様子といっても、本当のところは偵察だとか潜入だとか、リーシャが得意とするもの。隠密任務においては全くの素人といってもいい二人。イーレイに勘づかれることなくなんてむずかしいことだし、クレシアにいたっては、武術のたしなみさえなかった。



 素人と入っても、素人しかやろうとおもわない大胆な作戦というのもある。トゥエンたちは、その作戦のため、イーレイの横に立っていた。目の前には、トゥエンの身長ほどある樽がたくさん並んでいた。



「で、これがハチミツをしこむ樽ですか」



「ああ、しかし、お前がそんなにハチミツ酒がすきだとは知らなかった」



「あんたがハチミツ酒を作っているってことも」



 エルボーの町を見てまわっていたところ、たまたま酒蔵のところにイーレイがいるのをみつけたのだった。酒蔵の名前が『ヒェ・ハルヒェザース・エイ・イーレイイーレイ・ハチミツ酒醸造所』であることから、そこで作戦を――偶然をよそおって友好関係を作ってしまおうと思いたったのだ。声をかけてみれば、思った通り、彼はこの酒蔵の主だった。



「ハルヒェがあるのでしたら、マグリンメセグリンもしこんでいるんですか?」



「ああ、うちだと、三種類の香辛料と五種類の香草、カラスサンショウのハチミツでしこんでる」



「その樽も見てみたいですな」



 イーレイもその気で、さあさあこっちだ、と両側の樽にはさまれた通路を右腕でさししめすのだが、そのとき、うしろからイーレイをよぶ声がした。トゥエンたちはいま、醸造所の入り口に立っているわけで、作業員なら正面から来るはずだった。地味なフードをかぶっているところをみると、その人が何者かははどことなく見当がついた。



 いきなりあらわれたフードはイーレイの耳もとのあたりで――イーレイだって獣人だ、フードをかぶっているのである――何かをささやき、イーレイはすると一度だけ、大きくうなずいた。



「おもわず話しこんでしまったが、実は人とあう約束がある。ひとまずここまでにして、別の機会にはなすこととしよう。そうだ、うちは酒場もついてる。夜にそこで飲みながら、というのはどうだ?」



「ざんねんですが、ここにはひいきの酒場があります。あんたのとこにはいけそうにありませんね」



「そうか、それはざんねん」



「全くです」



 クレシアをちらっと見て、ウィンクで合図してから、トゥエンは酒場に背をむけた。クレシアがちょっとうしろについてくるのをまたも一瞥してから、歩く速さをややあげた。クレシアは大股で歩いてゆかなければついていけないようなほどだった。



 通りをまがってイーレイがみえなくなると、しかし、急にトゥエンは立ちどまった。勢いを止められないクレシアは、トゥエンの二歩ほどまえでようやくとまった。



「トゥエンさん、急に止まってどうしたのですか」



「そろそろはじめましょう」



「ジーンさんからはあの人の様子を見ることだけだったと思いますが」



「それはそうなのですが、少し考えてみてください。イーレイはあくまで脱獄犯です。そんな人にあう人がいるでしょうか? それも外で」



「あの人と親しい人」



「となると、脱獄したことをもう知ってる人だっているということです。劇場の件に関係のある人かもしれません」



「ということは、とても大切ですね」



「そう、とても大切」



 トゥエンは青いオスェンのほこりをひとつつまんですてて、建物の蔭から醸造所をあやしげにのぞきみた。



 イーレイは、男といっしょに通りを歩いていた。男というのは、醸造所で耳打ちをしたその男だ。醸造所からはだいぶはなれたところである。なるべくあやしくないよう、通行人の中にまぎれて、二人はそのうごきを見つめていた。尾行にしてはだいぶ大胆なやり方だけれども、あやしげな様子はないので、その分成長したといえるか。



「あの人はどこにむかうのでしょう?」



「さあ、分かりません。どこかの店だってこともありますし、家ってことも」



「もし、どこにもむかってないとしたら?」



「つまり、ウソっぱちだといいたいんですね」



「ありえないことではないとおもいます」



「そのときは、コリシュマーデで守りますから、安心してください」



 クレシアにはそう口にしたものの、心中は全くもっておだやかではなかった。エルボーの街そのものが何だかおかしい気がしたのだ。フードをかぶっている人は獣人と見てまちがいないのだろう。獣人がこんなにおおくすむ街が、それも首都アクソネの近くにあってよいものなのだろうか? 日が照っているのに堂々と獣人が闊歩しているではないか! 普通だったら王宮騎士団か王宮の命令で追い出されるものだ。それぐらいならとてもかわいいほうだろう、虐殺されたっておかしくない。夜の闇に隠れて生活しているのが常となってしまっている獣人だとは思えなかった。



 そうしてついに、イーレイがどうしてハチミツ酒醸造という、大きな産業に――この国の酒といえばもっぱらハチミツ酒で、特にもうかる商売のひとつだ――携わることができるのか、イーレイのとはべつの酒蔵をよこぎったときにになってようやくはっとした。



「もしかしたら」



「トゥエンさん?」



「いや、ありえないことを考えてしまいましてね」



「ありえないこと、といいますと」



「ありえないというよりも、あったらおかしいしまずいっていうことです」



「ですからそれはなんですか」



「ああ、なんてこった」



 トゥエンが見る先では、王宮騎士団下級騎士の恰好をした男が、イーレイを待ち構えていた。イーレイがそのまえに立ちどまると、しばらくのあいだ雑談をして、それから中に入っていった。



 トゥエンはとてもまずいとおもいながらも、イーレイが王宮騎士団の駐在所に入っていったことには、運がよいと感じた。彼の頭のなかではイーレイの目的を知るための作戦がくまれてゆく。ああすれば、あるいは、こうすれば――



 トゥエンは道ばたに立つ騎士にずかずか歩みよった。そのうしろをわけがわからないといった表情でついてゆくクレシア。



「ちょっといいかな」



「はい、あ、先生、おひさしぶりです、いったいどうしてここに?」



「ちょっとした旅行だよ。ところで、ツレがここらへんで腕輪をなくしたということなんだが、そういった落とし物はとどいてたりひろったりしてないかな?」



「ええと、ちょっと調べてみます」



 帳簿を見るため駐在所のなかに入ってゆくなり、トゥエンは入り口のきわにはりつくようにしてたって、耳をそばだてた。クレシアはそのそばに立って、中をのぞきこんだ。



 トゥエンがきこうとしているのは、醸造所でさんざん聞いたイーレイが発する声の質だった。喉を酒で焼いてしまったのだろう、しゃがれた低い声を、トゥエンはあまたある音のなかからひきだそうとした。



 そのかすれた声をきく前に、芯の通って、なおかつすきとおった声が、トゥエンの耳を通っていった。鼓膜がひろいとった音は、



「しくじったようなので手配させてもらいました」



と言葉。



 ここまでになかなかな量の運をつかいこんできたトゥエンにとって、この言葉をきけることはとほうもなく運のよいことだった。イーレイと、この地の治安を守る王宮騎士団とのあいだの、なんらかのつながりを見つけたのだ。『犯罪者』であっても拘束をしないほどの関係だ。



 自分の運のよさを信じながら耳をそばだてていると、帳簿を片手に騎士がもどってきてしまった。トゥエンの運は、ここでようやくつきたらしかった。



「帳簿を見てみましたが、ここ一週間にそういったおとし物はきてませんね」



「じゃあ、まだどこかにおちてるかもしれないな。こっちで探してみることにするよ」



「そうしてもらえるとありがたいです」



「それじゃ最後に。この国で人間が革命をおこしたら、もちろん相手は王宮だ、王宮につくのか革命側につくのか、どっちだ?」



 トゥエンは一瞬だけのぞかせる騎士の怪訝な表情を見てから、ほくそ笑んで、背をむけた。答えられないような質問をする意地悪なトゥエンは、さあいきましょう、とクレシアに声をかけ、犯人のそばから立ち去った。人の流れに混ざりこむなか、うしろめたそうに駐在所の方を振りかえった。

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