2.4 クレシア

 鍛冶場ににげこんだ頃にはだいぶ騒ぎが大きくなっていて、道を走ってゆく人がおおくなった。助けにゆこうとしているのか、野次馬をしようというのかは分からなかった。



 なだれこむような形で鍛冶場にかえってきたトゥエンは走ってきたいきおいで壁にぶつかり、クレシアは地面にたおれこんだ。すぐさま戸を力ずくでとじ、錠前をしめた。カギをにぎりしめ、フラフラと壁にもどって、背中をずるずるこすりつけるようにして、床におちた。石の床はことのほか冷たかった。



「トゥエンさん、トゥエンさん」



「ウェルチャさん、ここです」



「ああトゥエンさん! こわかった、もうなんなのですか」



「もう安心してください、ここはオレの家です」



 暗闇のなか、トゥエンはクレシアの手を腕に感じた。まるでトゥエンが尻で感じている冷たさと同じかのようだった。



「あそこでは、獣人たちが爆弾を使ったのでしょう。それで、人間をたくさん殺そうと。国王が人の前にでてくるなんてまたとない機会です。数十人の人間がけがなり死ぬなりするかもしれません。あの距離だと、国王だってどうなるか」



 クレシアはしかし、腕のしめつけを強くするだけで、答えをかえそうとする様子はなかった。トゥエンにだきついて、コトがおわるのを待っていた。



 鍛冶場は暗くて、しかし月明かりがまるいガラス窓から差し込んできて、光が床を切りとっていた。光が時々とぎれるのは、人が横切ったからだろう。まだ外では悲劇がつづいていた。



 獣人が爆弾を腹にまいて自爆した。トゥエンは差し込む光のなかに、劇場を想像した。国王たちはおそらく、騎士の盾があるから、大けがはしても死にはしない。国王の盾となった騎士は死ぬかもしれないが、ほかは気にしなくとも問題なかろう。やはりもっとも気にかけるべきは観客だ。もみくちゃでうごけないような状況で爆発されれば死人はかならずでる。にげまどう人々が人をふみつけて死なせてしまうことだってある。数十人という人の血が、劇場を染めるのだ。



 戦争、とつぶやくのはクレシアの口だった。



「はじまってしまいますよね」



「かもですね。ですが、まずは居場所のさぐりあいですから、はじめは大きなことはないと思いますよ」



「わたしの両親は、さきの戦争でなくなりました。わたしを屋根裏にかくして、大切なものをもっていざかくれようというところで、その、おしいられて」



「ということは、五年ぐらいあの酒場でお世話になってるんですか?」



「そうですね、戦争がとまってから、ですので」



「とまってから、ですか」



 トゥエンは戦争が中断したとき――けっして休戦ではない――のことをよくおぼえていた。獣人と人間の対立、そこを獣人が奇襲をかけてはじまった戦争。あまりにもはげしく、ながい戦争で、両者はひどく弱っていた。目をつけたのがいまの王家であるハプスブーグ家だった。ハプスブーグ家は戦争以前に政治闘争で失脚させられていた。国王となる機会をさぐっている中の、絶好のとき。どの勢力も力をすりへらしているそのときなら国を奪うことができると考えたのである。事実、政権を奪うのはあっという間だった。王宮前の広場にはかつての支配者たちがやつざきになっていて、その中でハプスブーグ家の王権を宣言したのだった。そのとき、ハプスブーグ家がその戦争のことをラーイエシュ戦争と名づけた。



 クレシアの腕がトゥエンを這ってどこかへときえた。ぼうっとしていたトゥエンはさむさに身震いした。クレシアの気配を感じる方向に視線を送ったら、そろそろ明かりを、とささやきがかえってきた。



 トゥエンはいつもの四倍ものろうそくを、つまり四本のろうそくをテーブルにたて、クレシアを自分のとなりに座らせた。本当ならば飲みもののひとつでも差し出してやりたいトゥエンなのだが、金属のグラスはあっても、あいにく中にいれるものがなかった。外からはまだ、さわぎ声が聞こえた。こどもの泣き声が聞こえた。



「トゥエンさんは、獣人のことをどう思ってますか?」



「また、その話題ですか」



「ここなら、教えていただけますでしょう」



「しかし、このことがらは」



「だったら、どちらが、正しいのか、答えていただけますか」



 クレシアの言葉はかなり積極的だった。獣人に対する思いにかんしては、しつこいといえるほどだった。しかしその調子は、まだ劇場を引きずっていて、黒く染まっていた。



 トゥエンはクレシアをあやしんだ。はっきりとした彼女の立場を思いうかべることはできなくとも、彼女は答えにうえていた。うえている理由が気になるよりも、トゥエンの言葉を聞いて何をしたいのか、ということだった。でも、ろうそくの明かりでテラテラ光る唇に目をむけると、急に不安が疑いをけとばした。どう答えればいいのか、クレシアを満足させる一番のウソは何か。彼はそのことばかりで、何をしたいのか、なんてことを考える余裕がなくなった。ウソを思いつこうと頭をせいいっぱいつかっても、でてくるのは本当の信念だけだった。



 トゥエンは考えるのをあきらめて、ため息をついた。満足させることができない、とクレシアにいうものの、クレシアはそのような答えでもききたがった。



「では、オレなりの答えをいいましょう。獣人が正しいわけでも、人間が正しいわけでもありません。差別をなくそうと戦争を、殺しをはじめたのは獣人です。そして、獣人を差別したのは人間です。互いを知ろうとしなかった両方が、悪いのです」



「戦争のきっかけは人間の差別じゃないですか。どうして人間が悪くはないのですか」



「もともとは、獣人が人間を差別していたことに由来することなんです。とおい昔には獣人が人間と称される人種を差別して、そして人間が獣人を差別するようになった」



「どうして人間をかばうのですか」



「人間をかばっているわけではありません! どうして人間は獣人をうけいれることができなかったんですか。戦争だって、獣人を受け入れればすぐに終わったことじゃありませんか。それは獣人にもいえることです。受け入れることができる機会はあったでしょう、なのにしなかったのです」



「そんな理想」



「獣人と人間の間にいたことのない人に何が分かるんだ!」



 トゥエンのどなり声はろうそくの炎をふるわせ、窓ガラスをもゆさぶった。クレシアの肩はひどくちぢこまり、唇がおののいていた。トゥエンの手も、ブルブルとおびえていた。自分がこれほどまで感情的になるとは思っていなくて、そして怒り狂っている自分がこわかった。あばれまわろうとトゥエンの口をやぶろうとしているヤツをしずめるため、深呼吸をした。一回ではたらず、三回深呼吸した。



「つい、感情的になってしまいました、すみません」



「どう、いうこと、ですか、その」



「これは秘密ですよ」



 トゥエンは努めて静かな口調で言った。



「学校にいたころ、獣人の血をもつ子と同級生でした。オレと彼女は親友でした。血のことはかくしていて、たぶん、オレとあとわずかな人にしか教えなかったようです、本当にこわかったことでしょう。獣人の血をもつ存在は学校にも入ってはならないし、人間と仲をもつこともゆるされません。でも、話してくれた。おどろきましたけれど、うれしかったんです。だから、血のことはばれないようなんとかやりながら、あそんでました。でも、ばれたんです。彼女の血を知っている誰かが、密告したんです。たちまち彼女と、血のことを知ってる同級生は捕まって、でも、彼女はそれっきり別のところにつれていかれて。彼女を知っているオレらはなぐられて、腹とかをけられて、そのまま退学させられました。なぐられている間、彼女に何があったかは知りません、でも」



「でも?」



「つぎの日、学校にいってみたら、校庭で死んでいました。体じゅうがずたずたにきりきざまれて、首もきりおとされていて、それでいて顔もぐちゃぐちゃになっていました。顔が全然分からないぐらいに」



 トゥエンは一本のろうそくをもちあげて、口元を炎に近づけた。火は鼻の息をきらって顔を逸らすものの、口のひと息でその命がけされた。たちまちトゥエンの顔がうす暗くなって、目の輝きがなくなったかのようだった。



「その子の名前、リーシャ、っていうんです。遠くの国のふるい言葉で『よろこび』を意味するそうです。きっと親御さんは、子供に希望を託したんでしょう」



「リーシャ」



「そう、よろこび」



 トゥエンは言葉につまった。もういない人の笑顔が頭に浮かんで、たちまち彼の言葉をすいとってしまった。親友と彼はいったが、本当のところはもっとふかい間柄で、手をつないで歩いたほどだった。口づけだってした。そんな彼女が殺されたという記憶。クレシアにはなすべく口からでた言葉は、トゥエンをズタズタにきざんだのだ。



「心を通わすことができるのに、どうして誰も気づいてないのか」



 クレシアは何も口にすることなく、椅子をたつとトゥエンのそばで膝立ちになって、上半身をすりよせ、そっとだきしめた。トゥエンの体はおどろくほど冷たかったが、クレシアはその逆で、お湯のようにあたたかだった。彼女はあたたかいのに、でも、こごえているかのようにふるえていた。たしかにこのあたりは夜がさむいが、ふるえるほどのさむさではなかった。



「理想だなんて、ごめんなさい」



「いえ、理想といってくれるだけましです。誰もこれを理想とはよんでくれません」



「わたしに、リーシャさんの、かわりはできませんか」



「ウェルチャさんはリーシャにはなれません。でも、リーシャと同じ志をもつことはできます」



「トゥエンさんは、わたしと、なかよくしていただけるのですか?」



「はい」



 クレシアはフードをとった。フードを手につかんだまま、まただきしめた。あらわになった髪の毛をゴシゴシとトゥエンの脇腹にこすりつけた。髪の毛は色をぬいたように銀色で、短かった。そのせいか耳がのぞいていた。耳には銀色の短い毛が生えていた。産毛ではない、ちゃんとした毛。脳裏によぎるリーシャの耳。ああたしか、彼女も銀色のきれいな色だった。こすりつけるのをやめてトゥエンをみあげるその目は、夜のネコのようだった。クレシアは獣人だった。



 ここでクレシアをののしるのがふつうの人間である。しかしトゥエンは、頭に手をのせて、髪の目にそってなでるのだった。やわらかい髪に触れたとたん、トゥエンの表情が柔和になった。

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