2.3 屋外劇場の災

 まだ座れるところがあるのだが、二人は一番うしろの立ち見にいた。当然ながら立ち見を確保している人はいなくて、とても目立った。だがそんな立ち見を気にかける人なんているわけがなかった。



 クレシアは歌劇をはじめて見る。彼女は物語がすきだった。物語はたくさんよんできたが、歌劇は見たことがなくて、よんだことのある物語が歌劇になっていることを知って、ずっと見たかった。歌劇の広告を見てわくわくしたし、トゥエンさんの声が頭をよぎった。けれどもいったことがない場所だから、きっとトゥエンさんなら場所が分かるだろうし、ついてきてくれるかもしれないと思った。さそえるかどうかも分からないのに二枚組を真夜中にかった。のぞんだおりにトゥエンさんがついてきてくれてうれしかった。クレシアはトゥエンにそういっていた。彼女はいつも以上にフードをふかくかぶっていた。



 客がしだいにふえてゆくなか、まわりに革の鎧や騎士団の服をきた人もふえていた。これから芸術があるという場であるのにものものしい雰囲気だ。ゆったりと歌劇をみる心構えをしようにもぴりぴりした剣の声が邪魔をする。カチャカチャと、自分のたち位置に小走りする騎士団員がうるさかった。そこに音楽隊の音をととのえる音がくわわるものだから、少数ではあるが、うんざりしる人の姿もあった。



「トゥエンさん、ここはこれほどまで騎士がたくさんいる場所なんですか?」



「いや、ふだんは誰もいません。ここのところ獣人のうごきがあやしいと騎士団はにらんでいて、警戒しているのでしょう」



「王族が殺されてしまうとでも考えているのですか」



「最悪の場合は、ですね。でもそれなりにきたえている連中ですから不安があることはないですよ」



「いえ、不安です」



 クレシアは役者を待つ舞台を見るわけでもなく、客の頭を眺めるわけでもなく、トゥエンの剣を見下ろしていた。トゥエンがその様子を見下ろしているのも気づかず、口を横にむすんで、かたまっていた。どことなくくるしそうな顔で、また、何かにたえているかのようでもあった。



「トゥエンさんのその剣は、人を殺すのですか」



「いきなりどうしたんですか」



「何だか雰囲気がアレで……どうなんですか?」



「この剣で人を殺したことはありませんが、これを使う前のものでは、殺したことがあります」



「なんのために、ですか」



「国が悪い方向に流れないようにするために。人の、人間と獣人のために」



「トゥエンさんは、獣人のこと、どう考えてるのですか」



 同じことをまえにもトゥエンはたずねられた。クレシアに、そのときは酒場にてだったが、声の調子もまたちがうが、まちがいなく同じことをトゥエンに求めている――お前はどちらに味方して、どっちを敵にまわすのかはっきりさせなさい。



 まわりには人は見あたらないけれども、誰が見ているかわからない状況だった。王宮騎士団の姿だってある。ここで『獣人をとるか人間をとるか』を答えてしまえば、トゥエンにとっても、クレシアにとってもよくないことだった。トゥエンが獣人をとれば、トゥエンは騎士団によって殺されるだろう。人間をとれば、もしかしたらクレシアが反対するかもしれない、するとクレシアがつれてゆかれてしまう。誰かが聞いていたら、の話ではあるが。



「そういう話はマーターのところかどこかでしましょう。人があつまってるここでは、刺激になりかねません」



「でも、トゥエンさんの中でははっきりしてるのでしょう?」



「正直、どうでもいいことなんですよ」



 トゥエンは柄頭に手のひらをあて、舞台を見やった。きらきらと刺繍のはなやかなオスェンを身にまとった騎士が二人、舞台の左右をかためて、音楽隊がけたたましい国王歌をかなでた。席についていた人がつぎつぎに立ちあがり、舞台に注目した。演奏が盛り上がりを見せたときになって、左のそでから国王がどうどうたる足どりで舞台にあがった。とたん群衆から拍手があがるが、右手をあげて民を黙らせ、演説をはじめる。トゥエンは出番を待つ音楽隊を、クレシアはトゥエンの耳を見ていた。二人以外の人は、まるで国王の姿を見るため――そのための人間もすくなからずいるのだろう――に鑑賞券をかったかのようだった



 国王の真ん前に、クレシアと同じフードをかぶった人がいるのを、一番前の列にいくらかいるのを、トゥエンは見つけた。正面の人が、右を見て、それから左を見て、前へ歩きだした。



 トゥエンの目ががばっと開いた。大きくなった目でみるのは国王だ。いやな直感がした。



「ウェルチャさん、いますぐ劇場を離れましょう」



「でも、歌劇は」



「いやな予感がします」



 『いやな』といいかけたときだった。国王の目の前にたったその人はフードをなげすてた。国王の演説がとぎれ、その前を騎士がふさいで、いつでも剣を抜けるよう構えた。客はざわめきだし、誰かが、獣人がいるぞ、と大声をあげた。いっそう客はざわめいて、クレシアに目をうつせば、胸に片手をそえて、舞台での出来事から目を逸らしていた。



 獣人とさけばれた人物が突如声をはりあげた。声がわれてききとりづらいところがあるが、ひとつ分かったことは、トゥエンに決闘を申しこんだ男の声とかわらないことだった。アストヴァイシャの土地はかつてから獣人の場所だった、とさけんだ。人間がわがもの顔でこの地をふみにじっている、この場にいる人間どもは恥を知れ、と。



 音楽隊のまわりを守っていた騎士が男めがけて走ってくるなか、男が何かをなげた。国王を守る騎士が太ももを押さえてたおれた。騎士の下が赤くなって、悲鳴があがった。トゥエンたちのうしろにいる騎士たちが剣をぬいた。



「もういきましょう、あぶないです」



「この距離では何もないのでは」



 そのとき、最前列のフードたちがいっせいに客に振りかえった。オスェンをぬぐと、全員が体に黒っぽい色をまとっていた。たんに悲鳴があげていただけの客が急に街へにげはじめた。叫び声もたちまち膨れあがった。トゥエンはそこで、一番前の列だけではなく、まんべんなくフードがちりばめられていることに気づいた。すぐ近く、正面へ六列おりたところにもいた。それも服をぬいで、黒いものをまきつけていた。



 トゥエンは、反射、といってもいいぐらいのすばやさでクレシアの手をつかんでひっぱっていった。引きずっていったといえるぐらいに荒いあつかいで、しかもトゥエンが走り出すものだから、クレシアは脚がおいつかなくてこけそうになった。クレシアは事情を説明するようトゥエンに怒ったかのような声をあびせたが、トゥエンはただ『はしれ』とどなりかえすだけだった。



 劇場へむかおうとする騎士の横を駆け抜けたときに、背中に爆音がうちつけてきた。騎士もトゥエンたちも脚がとまって、劇場のある方を見た。空には煙があがり、叫び声はどこにもいなくなっていた。ただ、太い男の声、取り押さえた、という声に、負傷者がおおすぎる、と声がとびかかり、国王をはやく、とのしかかった。そしてたちまち、はっとしたかのように、叫び声がわきおこった。

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