2.2 炭酸水蜂蜜酒割
三十分以上早くから、トゥエンは酒場にいた。料理は頼まずに、エルボーのハチミツ酒をのんでいた。これから歌劇をみるということもあって、酒の色をメルヒェンドの水でかなりうすめていた。貴族らしい装いの女が一人、カウンターのすみで飲んでいた。
「いやあ、お客さんの決闘を見ることができなくてざんねんですよ」
「なぜものおしいような目で見るんですか」
「騎士団をおしえるような人がどれほどの実力なのか、気にならないわけがないでしょう」
「じゃあ、あの男はオレと決闘するに値しない、としておきましょう」
酒を口に含み、トゥエンはうしろを振りかえった。誰もいないテーブル。誰も開けない扉。男に絡まれたとき目の中にあった背景だった。なにごともなかったかのようにふるまっているが、男が剣をおとしたときにできたのだろう、床には傷がついていた。
「あの方も剣術はお強いんですよ」
「でも、どうして怒ったのかさっぱり分からないんですよ」
「いまいちピンときませんね。でもやっぱり、お客さんの剣さばきぐらいは見たかったです」
「マーターはけっきょくそれなんですね」
マーターはほほえみをトゥエンに送ったかと思うと、振りかえって何かをそそいだ。ほほえみを彼の前にやったマーターの手には、ポプタープ・ファルタの入ったグラスがもたれていた。カウンターにグラスをおくなり、下から赤黒い何かの入ったビンを取りだした。ビンに
「それはなんですか」
「これはざくろですよ」
「ハチミツ酒にいれたら」
「エルボーのハチミツ酒にはあまりあいませんよ。ボブネならあうとおもいます」
「なら、つぎの一杯はそれで。メルヒェンドのはやはりおおめで」
トゥエンはグラスの酒を――グラスの中にはほとんどのこっていなかった――口にながしこむと、カウンターにおいてマーターをうけながした。こくんとうなずくと、うしろの樽から酒と水をそそぎ、最後にシーペで赤に染める。この店ででる飲みものとしてははじめて見る色あいだった。
「それでお客さん、決闘をしなかったのはなぜですか? 礼儀であれば、もうしこまれたらうけるのが普通かと思いますが」
「決闘にも必要ある決闘と、ムダな決闘とがあります。あの男の決闘はムダ以外何ものでもありません」
「しかし、それでもうけるのが騎士たるものだとは」
「それが正しいとお思いですか?」
「ほう、その意図は」
「あたりまえにあると思っていることが正しいのかどうか自分で判断できないのは、まだ青い剣術だということです」
「なるほど。お客さんはじつにおもしろい」
マーターは酒の入っていないグラスを手に乾杯のしぐさをし、それからグラスを両手にかかえて飲んだ。口を離すとニッと笑んで、グラスの底をカウンターの丸い水滴のあとにあわせた。
「技術そのものよりも心構えを重視する剣術といいますとシュデリツ剣術ですか?」
「いやシュデリツの大元のやつですね」
「ああ、レローン剣術! たしかあれは修業が厳しいとききますが」
「ええ、自分のときは、入門したてのころは百人いて、最後に七人でしたからね。それでいて免許皆伝をもらえたのは自分を含めてふたりだけ。いまだに修行している人がいるらしいのですが、知らない人のようです」
マーターはいつのまにかグラスをあけていた。またシーペを飲むのかと思ってマーターの手を見るも、いっこうに下へゆこうとしなかった。肩をつたってマーターの顔に視線をうつすと、何かをじいっと考えこんでいるふうだった。マーターにとって考えこむような要素は会話のどこにもなかった。
視線に気づいたらしいマーターは、失礼、とわびの言葉を口にして、ボブネのハチミツ酒をグラスにつめこんだ。それはもうギリギリのところまでそそいでいて、水でわるつもりはなかった。どういうわけかそれをイッキのみして、話題をトゥエンの剣にすりかえるのだった。
「今日はつけておられますが、お客さんが使ってる剣っていうのは、斬撃ではないですよね。鞘が細いものでしたから」
「ええ。斬撃剣もあつかえるのですが、刺突剣の方がしっくりくるんですよ」
「でも刺突剣は、使いすて、とか、すぐ折れて使いものにならない、なんて話ですが?」
「それは技術がないか、手入れがなってないだけです。斬撃剣とは全くちがう剣なのに勘違いしてる人がおおいんですよ」
トゥエンはマーターとは対照的に、ちびちびと酒をのんだ。手にするものをグラスからつかにかえて、剣をひき抜いた。剣の形状に、マーターは感嘆の声をあげた。
「おもしろい形ですね。見るところ、刃の断面は三角形なのですね」
「ええ。これはあくまで刺突専用ですから、まがらないよう三角形になってるんです。それにほそく。実戦だと斬撃剣にすぐ折られてしまいますから、それを防ぐために根元がふといんです。やりあいになったときに剣をうけられるよう。こうやって複雑な作りなので、使いこなすにもひと苦労ですし、何よりこのコリシュマーデを作ること自体がむずかしいんです。この形にきたえあげるのは、それはもう」
「それほどむずかしいんですか」
つまりお客さんの鍛冶の腕はそれほどいいということですね、とマーターはいつのまにかグラスをあけていた。そうしてまたハチミツ酒で、エルボーとボブネとをあわせたものでグラスをいっぱいにした。
「刺突剣は鎖帷子に強いのですから、売りだせばいいのに。きっとその、コリシュマーデでしたっけ? それならじょうぶそうですし、剣士が群がると思いますよ。特に獣人の動向があやしいとさけばれている世の中ですから」
「コリシュマーデは作るのがむずかしいので、そんなたくさんやってきたらこまりますよ。一日一本できればいいほうですから」
「なら一本ならだいじょうぶですか?」
「なぜです」
「私がおねがいしたいんですよ。私のために一本、どうですか?」
「かなり高いですよ、時間にもよりますが」
「お客さんのきたえた刺突剣なら、まがることも折れることもないでしょう。高いのも納得できます」
マーターは酒をがぶ飲みして、おおよそ半分を胃におさめた。何があって酒をのみまくっているのか、トゥエンには何かがある風に思えた。だが、きくことはできなかった。クレシアが姿をあらわしたのである。
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