2.町に漂う空気の味わいよ

2.1 綱渡り

 酒場に入ると、めずらしく人がいた。ふたりだけ、どちらもふかいフードをかぶった、肩幅のある男。顎ひげをたくわえていた。トゥエンが珍しいとおもいながら見ていると、相手は何を思ったか、ガンをとばしてくるではないか。フードの奥にあるだろうするどい目をうけとめるだけうけとめて、適当にながした。ただし、男の腰に下がる剣に対してだけは、トゥエンがにらみつけた。



 腰かけるとマーターが、小鉢料理は注文するのかとたずねてきた。そうすると答えれば、クレシアをよんで一度うなずいて、酒の準備をはじめた。クレシアはマーターがグラスを用意しているうちに扉を閉じてしまった。背中に違和感をおぼえて振りかえってみれば、まだひげ面がじろじろこっちに顔をむけながらも話をしているらしかった。何を話しているかは聞こえなかった。ただ、うごく口だけは見えた。



 顔を正面にすると、マーターがちょうどグラスをカウンターにおくところだった。色の濃さからすると、エルボーのハチミツ酒をわったもので、酒がおおめの配合だった。その日の小鉢は辛い味つけになるからというマーターの配慮だった。



「そういえば、騎士団の人間がなくなられたようで」



「そうらしいですね」



「えらく淡白なようすですが」



「知らない人が殺されたようなので、別にそこは気にするべきところじゃありませんよ」



 酒をのみながらトゥエンは答えた。人がいくらか殺されたぐらいでおどおどしていてはばからしいとしか、彼は感じていなかった。マーターがいう『淡白』というのは、まさしく図星だった。



「もしかしたら殺戮の女王が関係してるかもしれないってことのほうが大事ですよ」



「そう考えますか。ところで騎士団の方はどう感じてましたか? 剣をもってご来店となると、騎士団の訓練があったのでしょう」



「さすがマーターですね、なんでも見抜かれる。ええ、新人はもうびくびくしてましたよ」



「どうです、新人の力は」



「なかなか、とだけいっておきましょう。こればかりは外にもらすことはできませんので」



「それは失礼しました」



 トゥエンは、グラスを口の中におしこんでしまいそうなぐらいあんぐり開けて、酒を半分飲みこんだ。一気に軽くなったグラスをカウンターにおいたら、目を扉にうごかした。がんばってみれば扉のむこうを見透かすことができるかもしれないと目をこらしてみたが、彼にはやはりそのような力はなかった。



「お客さんはどう思いますか?」



「いったい何を」



「これから人間はどううごこうとするかを」



 トゥエンはいやな予感がした。質問の言葉に彼は違和感があった。こういったことには『王宮騎士団』あるいは『騎士団』という言葉でたずねればいいのに、わざわざ、人間、とたずねた。



 相手の意思はさほど気にしていなかった。たんに騎士団のことを人間といっただけかもしれなかった。しかし、うしろには人がいる。いつもだったらスラスラと話してしまうことだが、その日は『いつも』ではなかった。しゃべるべきではないとカンがはたらいていた。



「どうするんでしょうね。なりゆきに任せるしかないとは思いますよ」



「お客さんらしからぬ答え方で」



「どううごこうと、鍛冶はもうかりますよ。剣の需要はありますからね」



 マーターの顔にたちまち笑みがわきあがった。扉のほうに顔を逸らしながらも、笑い声をもらした。こらえようとしていたらしくかなり細いものだったが、しっかりと耳にとどいてしまっていた。あまりに突拍子もないことだった。



 すみません笑って、とマーターが口にしたが、それよりも大きな音をたてて扉が開いた。料理がやってくるとおもって期待したが、しかし。



 クレシアは背中で戸をおしあけながら店にあらわれた。体から大きな器のはしっこがはみでていて、彼女がくるりとまわると、大皿にのった、赤っぽい汁のかかった細長いあげものを見ることができるようになった。はこばれる先は二人の客だった。テーブルにおくクレシアの声に耳をそばだてると、今日の料理はエビに衣をつけてあげたものにからい汁をかけたもののようだった。どういうわけか、名前をつげる声がたどたどしかった。



 小走りのクレシアを目でおった。先にいた二人の料理に時間がかかっていたのだから、彼のところに来るにはまだ時間がかかりそうだった。別の話題が浮かんだトゥエンは時間つぶしにでも、と思い、酒をひと口飲んでからマーターと対峙した。



「ところで、今日はお客さんがいるんですね」



「そりゃあ、お客さん以外にも客はいらっしゃいます。テーブルにすわってる人たちは店をあけたときからきてくれてる常連さんですよ」



「そうですか。それであのフードって、はやってるんですか? たしかウェルチャさんもつけていましたよね?」



「本人に聞かないかぎりは。はやりとかには全然うといものでして」



 ふうんとあいづちをうつトゥエンであったが、マーターがうといようには見えなかった。服はちゃんとしたてられたオスェンで、刺繍はないものの布の染めかたが普通の布とはちがうものに感じられた。布から織るところから作っているのは彼の目でもはっきりとわかった。



 扉が開いた。前をむいた姿でクレシアが店に入った。右手で戸をあけ、左手に皿をもち、やや浅い皿のふちから二本のエビがはみでていた。すたすたと歩いてトゥエンの横にやってくるクレシアは、男と同じフードをかぶっていた。



「テガナエビのあげものです」



「ん、ありがとう」



 グラスの横に皿がおかれる。かわいらしくエビとエビのあいだに香草がひとかけかざりつけられていて、そのまわりにも、きざまれた緑が明るい赤の汁に浮かんでいた。トゥエンが料理にみいっているところ、彼女がフォークをカウンターの上をすべらせて、皿にそえた。



 トゥエンはもうひとつお礼をささやいてからフォークを手にとろうとした。にぎりしめて、さて味をほめようと思っていたところ、彼女の声がトゥエンの手首をつかんだ。



「どうしたんですか」



「あの、その、トゥエンさんにおねがいしたいことがありまして」



「できることであれば。いったいなんでしょう」



「あの、これ」



 クレシアは顔を下にむけながらも、両手でトゥエンに紙を差し出した。紙はブルブルふるえていて、何か文字がうたれているのは分かるのだけれども、何がかいてあるのか全然分からなかった。フードでほとんど見えない顔を見たら、唇が目について、薄紅色はおびえていた。



 トゥエンはふるえる紙をつまんで、クレシアの手からとりあげた。ふるえなくなったそれを眺めてみると、歌劇の名前と、はじまる時間、おこなう場所をしるした広告だった。明日の、陽がしずんでから、王宮に作られた屋外劇場でおこなわれるという。歌劇の名前は『アシェヤ』というらしかった。主催は王宮で、国王も参加するのだともかいてあった。



「これを、ですか?」



「その、王宮の屋外劇場っていったことないので、その、トゥエンさんならいったことがあるんじゃないかなと思ったので、おさそいしたのですが」



「あそこはよくいったところですので知ってますよ。明日、ですよね、ええと、いまのところ用事はないので問題ないですよ」



「ありがとうございます」



 不安そうな細い声でずっと話していたクレシアが、急に大声でお礼をいうものだから、店のなかの客はみな肩をすくめた。とりわけトゥエンは目をつぶってイスからとびあがっていた。横にいたマーターは、いたって普通であるかのようにグラスをふいていた。



「ええと、では、開始時間の三十分ぐらい前にはここにきますので」



「はい、ありがとうございます」



 お辞儀をしてクレシアが奥にかけてゆこうというところで、テーブルをなぐる音が彼女を制した。なぐった男は荒々しくたちあがってイスをたおし、ドスドスと足をならしながら迫ってきた。男がむかう先は、しかし彼女ではなく、トゥエンだった。彼の背中にたつなり肩をつかみ、ちからづくにまわしてトゥエンの顔をむかせた。手が肩を離れ胸ぐらをつかんだ。



「おいおめえはなんなんだよ」



「ただの客ですが」



「それにしてはあの女になれなれしいんじゃないか? え?」



「それはあなたとは関係がないことじゃあありませんか」



「ここをあらされちゃあ気分がわるい」



「あなたがそう怒る理由がわからない」



「だったら剣で教えてやろう。お前も剣を抜け」



 トゥエンはマーターに振りかえって、常連さんならどうにかしてほしい、という視線を送るものの、決闘ぐらいなら構いませんよ、と声ではねかえされてしまった。男に目を戻したら、本当に剣を抜いて、殺気だっていた。もうひとりの方はというと、テーブルに腰をおろして料理をほおばっていた。そのおちつきようを見るかぎり、どうやらことあるたびに目のまえの男は剣をつきつけてきたらしかった。



 トゥエンにとっては、男が怒る理由はどうでもよかった。彼の剣術に対する考え方では、剣をとるほどの大事なことではないし、この程度の問題で剣を使っては頭が悪いというわけで、トゥエンにそのつもりはなかった。



「剣を使ってまでして怒る理由が知りたいわけではないので、いいです」



「なんだてめえ」



「以後気をつけますので、すみません。もう気をおちつけてください」



「おさまるものか。早く決闘だ」



 トゥエンはため息をつきながら、首を横に振った。男には全くもってあきれた。自分で勝手に自身のプライドを傷ついて、トゥエンがプライドを傷つけたとおもいこんでいる。なんとムダで小さくておさないプライドなことか。



 トゥエンはカウンターに銀貨を三枚おいた。銀貨の横のエビをつまみあげてひとくち、汁のついたところをたべた。たべかけを汁にゆっくり、まんなかの飾りがずれないよう戻した。エビの衣から手を離すなり、トゥエンは右手を握りこぶしにして一発、男の剣を叩いた。トゥエンの力に負けた剣は横にずれ、すきだらけとなったみぞおちに彼の左手をたたきこんだ。息ができなくなってたおれこむ男。剣は地面におちて音をすべらせた。せきこむ男を気にせずトゥエンは剣をひろいあげた。



 かわいそうな剣、とつぶやいたあとで、クレシアとマーターそれぞれに言葉をかけ、店をでた。剣は出入り口の柱に立てかけた。

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