12.いい人だったのに(前編)
坂本龍馬に出会った感動も冷めやらぬまま、琉菜は賄い方としての仕事をこなしていた。
洗濯をしていると、見覚えのある着物が出てきた。昨日沖田が着ていたものだ。
よく見ると、赤い染みがある。
これ、もしかして……
琉菜は沖田が吐いた血なのではないかとギクリとした。だが、すぐに違うことがわかった。
広げてみると、位置や色からしてそれは返り血だった。
そうだ、昨日矢口さんが……
実際見ていないので琉菜は話を聞いただけだったが、昨日矢口という隊士が長州の間者だったということが判明し、斬られた。
かねてから怪しく、泳がせながら山崎がつけていたところ、長州の者を贔屓する宿に入るのを確認した。
これを聞き付けた一番隊がその宿から帰ってくる矢口を待ち伏せ、斬りふせたという。
沖田さん、また無茶して……
琉菜は血のついた着物を見て溜め息をついた。
それにしても、矢口さん、結構いい人だと思ったんだけどなあ……。
琉菜は矢口のことを思い出した。
矢口が入隊したのは去年の年末、琉菜が賄い方に復帰してすぐのことだった。
「琉菜さんは、いつから新選組に?」賄いの手伝いをしてくれた時、何気無くそう尋ねられたのを思い出した。
「一昨年の冬です。去年の夏から家の都合で一旦離隊していたんですけど、それでもまた口べらしみたいな感じで先月ここに」
「なんだか、いろいろ大変なんだったんですね……そういえば、昔お兄さんが新選組にいたって聞きましたけど」
「ええ、いたにはいたんですが……実は脱走してしまって、今は行方知れずなんです」
「そうだったんですね。それはお寂しいでしょう。すみません、不躾な話でしたね」矢口は本当にすまなそうな顔をした。
「いえ、いいんです」
「でもいいですね、琉菜さんは俺より長くて。俺ももっと早く入ればよかったなぁ」
「新選組は好きですか?」
「はい。とっても」
そう答えた矢口の笑顔が、印象に残っている。
あーあ、間者だったんだ。
あんなにいい人そうだったのに。なんか、誰を信用したらいいのかわかんなくなっちゃうな。
まあ、いい人なのに間者だったっていうならお鈴さんの前例があるけどさ……
って考えると、長州の人っていい人?
まあ、実際問題一人一人はいい人なんだよね、きっと。薩摩も、長州も。
それが集団になると敵対しちゃう。
未来の方だって、お隣の国とはそんな感じだもんなぁ。
なんとなく気持ちが沈んでいく中、手だけは動かし続けた。
やがて干し終わった洗濯物を見て、琉菜はふうと息をついた。
さて、次は買い物っと。
琉菜は小型の大八車に米を乗せ、ゆっくりと引っ張りながら米問屋から屯所まで歩いていた。米の重さは現代の感覚で言えば十キロ、一般家庭ならひと月から数か月は保つであろう量だが、新選組の男たちはその人数と食欲でこの量をほぼ一日で平らげる。そのため、いつもは十分すぎる量を備蓄しているが、今日は少しだけ足りなかったのだ。
そういえば、最初に幕末に来た時もこうやって、一人で買い物してる時に襲われたんだよね、あたし。場所もちょうどこの辺だったような……人気が少ないから危ないといえば危ないんだけど、近道だし。
何かあったとしてもあの時よりは、いざとなっても応戦できる度胸はあるつもりだけど、いかんせん荷物がなぁ。
味噌だの米だの、こういう重い時に限って、全員稽古とか巡察とかで誰も一緒に来てくれない……
ついてないなあ。
ていうかあれじゃない?ア○ゾンみたいに屯所に配送してくれるようなシステムを構築できないかしら……一般家庭より量も多いことだし。
今度源さんに相談してみよう。
そんなことをぼんやり考えていると、「あれっ!この前の!」と、突然声をかけられた。
声の主を見やると、にこにこと愛想よく琉菜に近づいてくる男がいた。
「あっ、与太郎さん、でしたよね!偶然!また会いましたね!」
琉菜は男に笑顔で近づいていった。
この与太郎という男、ひと月ほど前に往来で道に迷っていたところを、琉菜が助けたという縁があった。桑名藩の仕事で江戸から来たばかりだというので、「あたしも江戸(本当は東京だが)出身なんですよ!」とコミュニケーションを取りつつ、藩邸の方角を教えてあげたのだ。
『ぜひ、お礼をさせてください』
『いえいえ、大したことはしていませんから』
『じゃあ、せめてお名前だけでも』
『琉菜と申します』
『琉菜さんですか。私は与太郎といいます。なぜ江戸から京へ?』
『家の都合でいろいろあったんですが…今は新選組で働いています』
『新選組!それはそれは。三年前の政変では、大変な活躍をされたとか』
『そうみたいですね。その頃はまだいなかったんでよく知らないんですけど。でも、あの大火は本当に大変だったことは印象深いですね』
本当は中富新次郎として出動していたとは言えず、琉菜はさらりと嘘をついた。
『新選組といえばうちの藩とはお味方同士ですし、またどこかでお会いできればいいですね』
そう言って、琉菜と与太郎は別れたのだった。
「こんなところでまた会えるなんて!お買い物ですか?」与太郎は爽やかに笑いかけた。
「そうなんです。お米を買い足したくて。百人分だからこれでも今晩だけでなくなっちゃうような量なんですけど」
「だからそんな恰好なんですね。女性一人にそんな重いものを持たせるなんて……」
琉菜は、動きやすさ重視でこの時代での旅装に近い恰好だった。裾を上げ脚絆をつけている。
本当は袴を履きたいところだったが、男装に近くなれば「中富新次郎っぽく」なってしまうので避けた。
「いいんです、仕事ですから」
「そしたら、私に手伝わせてください。この前のお礼です」
正直言ってこのまま屯所まで一人で行くのは辛かったので、渡りに船とばかりに琉菜は申し出に甘えた。
与太郎が大八車を引き、琉菜が後ろから押す。
「屯所の場所はわかりますか?」
「お西さん(西本願寺)でしょう?さすがに私も京の地理には慣れましたよ」
そうですか、とほほ笑み、他愛もない話をしながら二人は歩いた。
しばらくすると、与太郎はまったく屯所と違う方向に進んでいった。
「与太郎さん?屯所は反対で……」
「こちらの方が近道なんですよ。この前見つけたんです」
そんなものか、と思い琉菜は黙ってついて行ったがやがて明らかにこれはおかしい、と思った。
西本願寺に着く気配はなく、人気はどんどんなくなっていく。
丁字路を曲がった先は、大八車で塞がってしまうほどの道幅しかなかった。
その逃げ場のないところで、琉菜は背後に気配を感じた。
「与太郎さん?」
「馬鹿だなあ。新選組っていうのはよ」
そう言って振り向いた与太郎は、別人のように冷たく微笑を浮かべていた。
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