11.タイムスリップってすごい
翌日、いよいよ伊東たちが出立するとあって、屯所は朝からバタバタとした雰囲気だった。
そんな中、琉菜は伊東の自室に呼び出された。
「本当に来ないんですか?」
来ないなんてもったいない、とでも言わんばかりの顔で伊東が言った。
琉菜はにっこりと笑顔を作った。
「はい。あたしは、近藤局長についていきます」
「そうですか。残念です。もう機会はありませんよ。局長との約束で、新選組と御陵衛士の間を移動するのは禁止になってるんですから」
「わかってます」
伊東は本当に残念そうな顔をした。が、それが本心から出る表情なのか、そういう演技なのか、琉菜には判別できなかった。
「わかりました。それでは琉菜さん、ぜひ、達者で」伊東はそう言いながら人の良さそうな顔を見せた。
「はい。伊東さんも、お元気で」
それ以上話すこともなかったので、琉菜はその場を立ち去った。
やっぱり、伊東さんがなんでそんなにあたしを連れていきたいんだか、わかんないや。
お鈴さんみたいに何かで間者にでもするつもりだったのかもしれないけど。
そういうの、絶対向いてない。
あたしなんか連れてったってしょうがないですよ、と胸の内で伊東に宣言すると、琉菜は表門の方に向かった。
「大丈夫ですか?伊東さん、何て?」
真っ先に沖田が声をかけてきた。琉菜は気にかけてもらっていたことが嬉しくて、思わず笑みを零した。
「本当に一緒に来なくていいんですか?って言われましたけど、きっぱり断りました。やっぱりあたしはこっちにいたいですし」
「そうですよ。せっかく戻ってきたのに、もう行っちゃうなんて寂しいですからね」
言葉以上の深い意味がないのはわかっていた。それでも、そんな言葉をかける沖田の屈託ない笑顔は、琉菜の頬を染めるのには十分だった。
やがて、御陵衛士として出ていく隊士が全員、門前に揃った。新選組に残る大勢の隊士に見送られ、さながら感動のお別れシーンといった様相だ。
出立組の中にはもちろん、斉藤、そして藤堂の姿もあった。
「藤堂さん、体に気をつけてくださいね」
「はい。琉菜さんもお元気で。いろいろありがとうございました」
「それはこっちのせりふです。藤堂さんといろいろ話せて、本当に楽しかったです。ありがとうございました」
柔らかい笑みを浮かべる藤堂を、琉菜はじっと見つめ、泣き出してしまわないように顔に力を入れた。
この目に、藤堂平助というひとりの武士の姿を、刻み込んでおきたい。
もう二度と、会えないかもしれないから。
狭い京都の町中だからもしかしたら、どっかでばったり会えるかもしれないけど。
そうなったら、いいな。
「平助」
琉菜の背後に立っていた近藤が、藤堂の名を呼んだ。
古株の同志が旅立つのだ。邪魔をしてはいけないと、琉菜は半歩下がって遠巻きに二人の様子を見守った。
「達者でな」近藤は優しい眼差しを藤堂に向けた。
「近藤先生も」藤堂も、すっと近藤と目を合わせた。
そのタイミングで、いつの間にか一団に加わっていた伊東が場を仕切り始めた。
「それではみなさん。今までありがとうございました!離れていても、我らの思いはひとつ。皇国日本のため、共に働きましょう!」
歯の浮くような台詞、という言葉はこういう時にも使えるのではないかと琉菜は思ったが、もちろん口には出さない。
伊東に率いられた分離隊士たちは、一礼すると、くるりと踵を返して西本願寺の大門をくぐって行ってしまった。
遠ざかっていく背中を、琉菜は見えなくなるまで見つめていた。
「行ってしまったな」近藤がしみじみと言った。
「まだこれからさ」土方が悪巧みを思いついた子供のような顔をした。
そう。土方さんの言うとおりだ。
まだ、これから。
****
数日後。
はあ、味噌かぁ。
琉菜は重い足取りで味噌を売っている問屋に向かった
重いから今度でいいやという気持ちがたたって先延ばしにしているうちに、ついに今朝味噌の桶が底をついた。
こんな時に限って巡察やらなんやらで男は買い物に来られない。
琉菜は大きく溜め息をついて店の前で止まった。
「琉菜ちゃんやないの。お久しゅう」問屋の女将の挨拶に、琉菜は苦笑いを返した。
「今日は何買うん?」
「えーっと……」
琉菜が言おうとした瞬間、通りの向こうからドドドッという足音が聞こえてきた。
「待てーっ!捕まえろー!」
追いかけている男が三人、追いかけられている男が一人。
追いかけている方は、見廻り組の腕章をつけていたが、追いかけられている男は、猛スピードで走っているので、誰だかよくわからない。
すると、見廻り組は琉菜の真後ろでぴたりと動きを止めた。
「消えた!」
消えたぁ?
こんな真っ直ぐな道でなんで見失うの?
同じ幕府側の治安維持部隊として恥ずかしいよもう。
琉菜がそんなことを考えているうちに、見廻り組の男たちは「手分けするぞ!」と散ってしまった。
琉菜がふと視線を女将に戻すと、女将はかなり驚いたような顔をしていた。
そして琉菜は、いつの間にか隣に男が立っていたことに気付いた。
「巻いたかの?」男は陽気に言い、安心したように息をついた。
琉菜は男を見て口をあんぐりとあけることしかできなかった。
「いやー、危なかったきに。女将さん、恩に着るぜよ」
「う、うちは何も……」
「さっ……」
琉菜は我を忘れていた。ん?と女将と男が琉菜を見た瞬間、
「坂本龍馬だーっ!!」
「アホーっ!」
男は慌てて琉菜の口を塞ぎ、そのまま琉菜を暗い路地裏へ連れ込んだ。
あとに残された女将はただ口をぽかんと開けているだけだった。
「なんちゅう女子じゃ。あんなに叫んだら見廻り組が戻ってきちゅうがぜよ」
「す、すいません……」琉菜は小さく言った。
「で、おまさんはなにもんや」
「へ?」
琉菜はどぎまぎした。
目の前にいるのは、正真正銘本物の坂本龍馬。
幕末史上で最も有名な人物といえる。
その坂本にまじまじと見つめられ、琉菜はどうしたらいいかわからなかった。
「なんでわしの名前知っちゅう?最近わしはこの辺りじゃ『才谷梅太郎』で通ってるんやが」
「しゃ、写真で見て……」
言ってから、琉菜はハッとした。
この時代に坂本の写真を見た者などほんの一握りにすぎないはずだ。
「写真……?なんぜよ?」
あ、この時代の人はポトガラって言うのに。こないだはちゃんと使い分けられたのにー!
そんなことは冷静に考えられるにもかかわらず、琉菜から出てくる言葉は冷静さを失った、墓穴を掘るものの連続だ。
「フォ、フォトグラフィーの、ことです……」
「発音ええのう!」
こ、これで?
この時代の人はフォとかフィとか言えないのか……。
って、そんなこと言ってる場合じゃないよ~。
あたしどんどん墓穴掘ってる~。
「おまさん、メリケン語がわかるがか?」
「いや……あんま……?」
「やっぱただもんじゃないじゃろう?どこの女子じゃ?」
琉菜の頭はもう真っ白で、新選組も見廻り組と同じく坂本を追っていることも忘れ、
「新選組の賄い方です……」と答えていた。
坂本は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに笑顔に戻った。
「新選組に女子がおるっちゅうのも驚きじゃが、なんで新選組がわしのポトガラヒーを見ちょるんがじゃのう」
「そ、それは……言えません」
琉菜はもうどうしたらよいかわからず、未来から来たと言うこともできず、そう答えるしかなかった。
「わかったぜよ。おまさんが新選組の幹部に今んこと言わんでおってくれちゃあ、深くは聞かんきに」
「あ、ありがとうございます」
その時、「どこに行ったんだ!」「まだ遠くへは行ってないはずだ!」という見廻り組の声が聞こえた。
「あいつら、戻ってきちゅう。よっしゃ、わしゃあ、逃げるぜよ。けんど、おまさんとはゆっくり話してみたいもんじゃのう。今度伏見の寺田屋に来たらええ。わしゃあよくそこにいるきに」
「えっ、でも寺田屋って危ないんじゃ」
琉菜はまた余計なことを言ってしまったと口をつぐんだ。
すでに坂本は、寺田屋で奉行所の役人に襲撃されていたはずだ。
「なんじゃ、そんなことまでわかるんか。その話も含めて、ゆっくり」
琉菜はわけもわからずただうなずいた。
「お前さん、名前は?」
「あ、琉菜です……」
「琉菜ちゃんか。そいじゃ、わしゃあ行くきに。バイバイじゃ!」
「はあ、さよなら……」
坂本はにやっと笑い、手を振って去った。
あとに残された琉菜は、唖然としてつっ立っていた。
あれ?
なんか違和感が……なんだろ。
でも……
坂本龍馬に会えちゃったよ!スゴくない!?
薩長同盟を結んで、海援隊を作った、幕末を代表する偉人に、あたし、会っちゃったんだ……
信じられない。
やっぱタイムスリップってすごい……
琉菜は重い味噌を持って屯所に帰った。
台所に味噌をしまい、自分の部屋に戻る途中、副長室の前を通りすぎた。
沖田と土方の声が、中から聞えた。沖田が巡察の報告をしているのだろう。
「……そうそう、途中で見廻り組に会いました。今日も坂本を取り逃がしたらしいですよ」
「へっ、しょうがねえやつらだな」土方の声は少しうれしそうだった。
「絶対俺らが捕まえて打ち首にしてやる」
琉菜は溜め息まじりにその場を通りすぎた。
坂本龍馬……絶対いい人だと思うんだけどなぁ。
伏見の寺田屋か。
未来にいるとき行ったけど、本当に坂本龍馬がいる寺田屋って、きっと何倍もすごいんだろうな。
琉菜は、自分の中になにかゾクゾクしたものがこみ上げるのを感じた。
行きたい!
せっかく会ったんだもん!
向こうから来いって言ってくれたんだし、これは会いに行くっきゃないよね!
琉菜は坂本に会いにいくことを決めた。
新選組と坂本は敵対する関係にあるということの重みを、この時は甘く見ていた。
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