13.いい人だったのに(後編)




 気配に振り返ると、男が二人近づいてきていた。ニタニタと笑いながら琉菜をじっと見ている。偶然居合わせた破落戸ごろつき、というわけでないのは明らかだ。



「与太郎さん?どういうことですか?」琉菜は男二人から目を離さずに言った。背中を大八車にぴたりとつけ、背後の安全を一応確保する。

「どうもこうも、お前を殺るために近づいたのさ。気づかなかったのか?」



 ちょっと待ってよ。いくらなんでもこういうの多すぎじゃない?

 よりにもよってまた一人の時に。あたしって、ほんとついてない……


 琉菜は困惑しながらも、”中富新次郎”経験後ともなると落ち着いたもので、どうやってこの場を切り抜けようかと考えを巡らせていた。


「どうしてあたしを狙ったんですか?」時間を稼ぐためにも、琉菜は尋ねた。

「お前の兄に、俺の弟を殺されたのだ。まあ、仇討というところだ」

「だったら、兄を狙えばいい」

「おい、薄情な妹だな。お前の兄は今行方知れずなんだろう。だからお前に身代わりになってもらう」

「兄が行方知れずだなんて、どうして知ってるんですか。それに、そもそも本当に兄がやったんですか」

「当たり前だ。間者に探らせ、裏は取っている」


 間者ってまさか……!


「先だって、矢口という隊士が斬られただろう」

「ってことは、あたしを殺すために、わざわざ間者を入れたんですか?与太郎さんは、長州の人なんですか?」

「もちろん、矢口にお前のことを探ってもらったのは藩命のついでだ。俺もあいつも国の言葉を捨てたから、どちらも長州者だとは気づかなかっただろう」

「そう、だったんですか。はあ、もうやだ」

「は?」


 琉菜は与太郎の目を見ないまま言った。


「お鈴さんも、矢口さんも与太郎さんも、いい人だったのに、みんな長州の間者だった!もうそういうのはたくさん!だいたい、そっちだってうちの仲間を斬ってるんだからお互い様でしょ!?いちいち仇討なんてしてたらキリないじゃん!そもそも、三人でよってたかって一人の女を斬ろうとするなんて、武士の風上にもおけませんね!」

「な、何だと……!」


 琉菜は背中を預けていた大八車に飛び乗った。シーソーの要領で、持ち手の部分が勢いよく跳ね上がる。与太郎がうっとうめく声が聞こえたので、当たったようだ。


「この女っ!」


 琉菜の前にいた男たちは抜き身を構え、こちらに向かってくる。

 琉菜は米俵の上から男たちを見下ろした。


 左側の浪人髷を結った男が刀を下段に構えた。琉菜はすかさず飛び上がり、男が刀を振り上げる前にその顔面に蹴りを食らわせた。


「う、うわっ!」


 バランスを崩した男は、刀を取り落とした。琉菜は素早くそれを拾い、男の腹を踏みつけたまま、もう一人の男に向かって刀を向けた。


「てめえ、女のくせに只者じゃねえな」

「そういう情報は聞いてなかったの?あたしは、新選組幹部直伝の剣術使いなんだ」


 脚絆をつけていたのは幸いだった。袴ほどではないが、動ける。

 この間に、与太郎も琉菜の前に立ちはだかっていた。


「くそっ、お前を殺して、中富に俺と同じ気持ちを味わわせてやる!」先ほどまでの温和な表情とは、別人のように殺気立った目をしていた。琉菜は再び背中を大八車に預けながら様子をうかがった。


 まあ、やったのが中富新次郎っていうのが本当なら、どっちにしてもあたしを殺すことが本当の仇討ってことになるわけだけど…。

 はいそうですか、って討たれてやるわけにもいかない。


 先ほどから時間を稼いだつもりでいたが、偶然新選組の巡察隊が通る気配もなく、もうこの場を一人で切り抜けるしかない、と琉菜は覚悟を決めた。

  

 琉菜は刀を大きく振りかぶり、浪人髷の男を足蹴にして与太郎に斬りかかった。と見せかけて、もう一人の刺客の方に向かった。

 与太郎はしまったという表情を浮かべる。


 刀を持ってはいるが、琉菜は斬るつもりはなかった。母と、土方と、約束したのだから。

 だから、男装していた時に習った、人間の急所を思いっきり蹴り、さらに刀の柄で叩いた。


「お前、卑怯だぞ!」与太郎が叫んだ。

「卑怯?どっちが?……実戦じゃあね、勝ちゃあ何したって構わないんだから。さあ、一対一ですよ」


 琉菜は刀を構えた。

 与太郎も構えた。


 ヤバイな、殺気が違う。


 向こうは本気で琉菜を殺すつもりでいる。

 琉菜は殺したくないと思っている。

 その違いは、明らかに剣にも現れる。


 できるかな、峰打ち。


 以前、一度沖田に教わったことがある。

 ただあの時は、やり方を説明されたものの、実際やってみると全然できず、結局琉菜は成功したためしはない。


 でも、やらなきゃ。


 こんなところで死にたくない。

 こんなやつに殺されたくない。

 あたしには、まだまだやらなくちゃいけないことが、いっぱいあるんだから。


 二人は動かず、ジリジリと相手を威嚇した。


 速さじゃ、絶対あたしの方が上。

 こういう時は、フェイントをかけて……


 琉菜はすっと刀を上段に持ってきた。

 与兵衛はしめたとばかりに左胴を狙って突進してきた。


 遅い!


 琉菜は与太郎の間合いに入ると同時に素早く剣を持ち替え、峰を向け、下から切り上げた。


 与太郎はその場にドサッと倒れた。


「う、うう……って、あれ?」


 自分が生きていることに気づき、与太郎は声を荒げた。


「おい、どういうつもりだ!殺せよ。女に負けて生き恥を晒せるか!」

「そんなことしたら、また別の人に仇討だって命を狙われるじゃないですか。そういう仇討の連鎖みたいなの、付き合ってられない」


 すると、与太郎は脇差に手を伸ばした。


「切腹も、やめてくださいね。弟さんのためにも、仇討が成功してから死んでください」


 琉菜は刀をぽいっと投げ捨てると、ひとまず大八車をその場に置いたまま屯所へと走った。



 その場を離れると、琉菜は泣きながら、足を引きずりながら走っていた。左脚から血が出ている。先ほど、与太郎とは相打ちになっていたのだ。


 与太郎さんみたいな人を生みだしてしまったことが、この脚の傷が、中富新次郎として人を斬ったことの罰なのかもしれない。

 中富新次郎をやめても、あたしは人を斬ったことには変わりない。

 こんな形で、思い知るなんて。





 屯所に着いて事情を話すと、たまたま屯所にいた永倉率いる二番隊がすぐに現場にかけつけてくれた。

 琉菜はそのまま医務室に行き、山崎から手当を受けた。


「あほ。何無茶してんのや。もうお前は男やあらへんのやで」

「だ、だから峰打ちにしたんですよー……痛っ」

「そんな高度なことしようとするから相打ちになるんや」


 幸いにも、怪我の状況としてはかすり傷程度といえるもので済んでいた。


「ほれ、終わりや」


山崎はわざと琉菜の怪我した部分をぽんとたたいた。

 琉菜は顔を歪めて包帯の巻かれた足を見た。


「ありがと……ございます」

「しばらく無理すんなや。重いもん持ったり稽古なんてもっての外やからな」

「はーい……」


 山崎は琉菜の脚を苦々し気に見つめると、「琉菜、悪かったな」と謝った。


「へ?なんで山崎さんが謝るんです?」

「矢口がお前のことまで調べてたいうんは追いきれなかった。わかってたらこないなことにならんと済んだかもしれん」

「そんな、山崎さんのせいじゃありませんよ。どっちかといえば、中富新次郎時代の、自分のせいです」


 琉菜はよっこらしょ、と立ち上がった。足はずきずきと痛んだが、全く歩けないわけではなさそうだ。


「お前はほんま強いわな」

「ここは幕末ですからね。強くならざるを得ませんよ」


 にこりとほほ笑むと、琉菜は医務室を出た。







 足をひきずりながら廊下を歩いていると、前から沖田がやってきた。


「琉菜さん!大丈夫ですか!?さっき巡察から帰って来たら永倉さんたちとすれ違って、事情を聞きました。あっ、脚、怪我してるじゃないですか!」


 すると沖田はあろうことか、「部屋まで連れていきますよ」と琉菜をひょいと持ち上げた。お姫さま抱っこだ。


「ちょ、沖田さん、大丈夫ですから!下ろしてくださいっ!」琉菜は恥ずかしさのあまり足をジタバタさせる。

「大人しくしててください。しょうがないじゃないですか、怪我してるんだから」


 琉菜は顔を真っ赤にして、なすがまま沖田に抱えられながら長いような短いような自室までの道のりを進んだ。

 巡察から帰ってきたばかりだから、少し汗のにおいがする。だが、不快感は全くなかった。

 耳元にはちょうと沖田の心臓があり、とくん、とくんという規則正しい鼓動の音が聞こえた。


 あたしの心臓の音は、これよりもずっと大きくて、速い……


 右耳では沖田の、左耳では大きくなっている自分の、鼓動の音を聞いているうちに、琉菜の部屋に到着した。


 沖田はそっと琉菜を畳に下ろすと、「大丈夫ですか?」と声をかけた。


「はい、あの、全然平気です。ありがとうございました……」


 沖田から離れ、少しだけほっとしたような、寂しいような気持ちになりながら、琉菜は沖田を見上げた。


「巡察終わってすぐなんで、いろいろ片づけたらまた来ますね!」


 にこっと笑うと、沖田はあっという間に去っていった。


 沖田さん、巡察の後だっていうのに、真っ先にあたしの心配してくれたのかな……?


 優しいな。そういうところが、あたしはやっぱり大好きだなあ。



 琉菜はそのまま横になった。

 ふと、道端に置いてきた米俵のことが気になったが、「永倉さんたちがなんとかしてくれるだろう」と結論づけると、緊張の糸が切れたのか、琉菜はそのまま眠りに落ちた。



「琉菜さん」


 襖の向こうから声をかけられ、琉菜はハッとして目が覚めた。


 やばい、どのくらい寝ちゃってたんだろう。


 外を見やると、まだ日は高い。どうやら一時間弱といったところか。

 そして、声の主が沖田であるということに気づき、琉菜は少し間を空けて「はいっ!」と返事をした。


「入ってもよろしいですか?」

「はい、大丈夫です!」


 言いながら、慌てて髪と着物を整え、居ずまいを正す。


 沖田は襖をあけて部屋に入ると、琉菜の前に正座し、一振りの刀を置いた。


「これを、琉菜さんに」

「えっ、刀……?」


 状況が呑み込めず、琉菜は刀と沖田を交互に見た。


「大丈夫ですよ。刃引きしてありますから斬れません」琉菜の心配そうな顔を察して、沖田が付け加えた。

「これは、私が初めて使った刀で、使えなくなったから刃引きして稽古用にしてたんです」

「そんな大事な刀を、どうして……?」


 沖田は、伏し目がちになって刀を見、それから琉菜を心配そうな顔で見た。


「今回のことで、いろいろ考えてみたんです。長州の間者が入ってあなたのことを探っていた以上、『新選組にいる女』として顔が割れてしまっています。もしかしたら、また何か狙われてしまうことがあるかもしれません。かと言って、一歩も外に出ないわけにもいかないですし……私がいつでも一緒にいてあげれればいいんですが、なかなかそうもいかないじゃないですか。だから、この刀が私の代わりにあなたを守ってくれたらな、と」

「沖田さん……」

「琉菜さんの腕前なら大丈夫。敵を気絶させたり、追い払ったりするくらいのことは、この刀で十分できますよ」


 琉菜はプルプルと震える手で刀を手に取った。

スラリと抜いてみると、美しい曲線を描いた刀身が現れた。斬れない刀とは言え、手入れが行き届いており、琉菜の顔が刀身に映っている。


 沖田さんが、守ってあげたいって言ってくれた……

 それだけで、すっごく嬉しいのに。

 こんな風に、あたしのこと考えてくれて。

 どうしよう、今、幸せだ。



「沖田さん、ありがとうございます」琉菜は深く頭を下げた。

「いつでも、肌身離さず持っています」

「喜んでいただけて、よかったです」


 沖田はにっこりと笑った。


 琉菜も、笑い返し、刀の柄をぎゅっと握った。

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