20.鈴



「副長!中富です!」


 琉菜は門前に現れた鈴をひとまずその場へ待たせ、土方の部屋へ急いだ。

 部屋の前で名乗ると、「どうした」という声と共に障子が開いた。


「入隊希望者が来てるんですが…オレじゃ判断がつかなくて…」

「どういう意味だ」


 土方は片膝をついて自分を見上げる琉菜を見た。

 ここまで走ってきた琉菜は息を整えると、続きを話した。


「玉乃屋の、お鈴さんなんです。剣術は使えないから、賄いの仕事ができないかって」


 土方の顔色が変わるのがわかった。


「お鈴さんだと?こんなところにどういうつもりだ」

「先日の火事で家も身寄りも失くしたから、京で顔を知っているのはオレたちだけだって」

「…とりあえず、連れてこい」土方は苦々しげな顔で言った。



 琉菜が鈴を呼んでくる間に、土方は近藤を呼んでいた。

 4人は決して広くはない土方の部屋に収まり、琉菜は近藤・土方と鈴が向かい合うのを、横から見ていた。


「お鈴さん、まずはこの度は大変な目に合われて、あの戦に参加していた者として謝罪させていただく。罪もない市井の人を巻き込む形になってしまって、申し訳ありませんでした」


 近藤はそう言って頭を下げた。

 新選組の局長ともあろう者がいち町民に頭を下げるなんて、と言う者もいるだろう。だが、琉菜はむしろ近藤のそういうところを尊敬していた。


「近藤はん、頭を上げておくれやす。仕方のないことやってん、うちなんかにそないな風に言うていただく必要あらしまへん」


 鈴は慌てたように言い、心配そうな表情で近藤を見た。


 その様子を、鈴が長州の間者だと知っている琉菜と、鈴が何等かの事情を抱えていると疑っている土方は黙って見ていた。


 頭を上げた近藤は、「それで、うちで働きたいというのは…」と本題を切り出した。


「へえ。玉乃屋は焼けてのうなってしもて、ご主人も女将はんも亡くなってしもたんどす。うちはあっこに住み込みで働かせてもろてましたさかい、家も食い扶持もないんどす」


「ご家族は…?」近藤は聞きづらそうにしながらもそう言った。

「うちは女将はんの姪だったんどす。流行り病で両親亡くした天涯孤独のうちが、女郎屋に売られずに済んだのは女将はんのおかげなんどす」


 ぺらぺらと嘘の出自を言ってのける鈴を見て、琉菜は舌を巻いた。近藤はすっかり信じ切っているようだし、土方も、先ほどまで鈴に向けていた射るような視線を幾分和らげていた。途端に、琉菜は自分の「嘘の出自」はばれていないだろうかと不安になった。


「あんた、前に伏見の姉妹店で働いてたって言ってたじゃねえか。そっちはどうなんだ」土方が完全に疑いが晴れたわけじゃないと言わんばかりに聞いた。だが、もちろん鈴はその答えを用意していた。


「確かに言いましたえ。せやけど、伏見の姉妹店ゆうのはとっくに店じまいしてのうなっとります」


 土方は押し黙った。次の一手を考えるように唇を結んでいる間に、近藤が話し始めた。


「しかしお鈴さん、ここで住み込みで働くというのはなかなか大変ですよ。ご存じのようにここは男所帯ですし」

「構しまへん。この歳で今から身を売ること考えたら、ずうっとましどす」


 鈴は即答した。ここまで言われてしまえば、近藤も土方ももはや言い返せない。


「事情はわかりました。少し協議させていただいて、正式にお願いするかどうかを決めたいと思います。明日の同じ時間にまた来ていただけますか」近藤が言った。

「おおきに、ありがとさんどす。ほな、うちはお救い小屋でもう一晩明かしますわ」


 鈴は一礼すると、近藤、土方、琉菜を残し屯所を出ていった。


 京都人特有の紙一重な皮肉まで見事使いこなす鈴を、長州の人間だと思う者はいないだろうと琉菜は思った。

 しかし、それでも鬼の副長までを騙し切ることはできない。


「どう思う、近藤さん」鈴が完全に去ったのを確認すると、土方が言った。

「どう、とは」近藤は言葉を濁した。

「女郎屋に売られるよりここで賄いをやった方がマシだって?そんな女いるのかよ」

「いるかもしれませんよ…」琉菜は小さく口を挟んだ。少しでも、鈴が怪しい者ではないという刷り込みをしたくて、とっさに鈴の肩を持ってしまった。実際、琉菜がその二択を突きつけられたら、迷わず新選組を選ぶだろう。もっとも、この時代の京都の女性とはまったく立場も価値観も違うから、なんの参考にもならないのだが。


「どちらにせよ、だ」土方は琉菜の発言を無視してコホンと咳払いをした。

「あの玉乃屋ってところには不逞の浪士どもも甘味を食べに来てたんだ。あの鈴って女に長州の息がかかっててもおかしくねえ」

「うん、あそこの甘味は美味かったからなあ。燃えてしまったとは残念だ。土方くん、甘味を楽しむ気持ちに不逞の浪士も何も関係ないだろう」


 それについては琉菜も同感だった。普通の甘味処であれば、新選組だろうが長州だろうが、お金を払ってあんみつや団子を食べてくれれば「客」であり、そこで働いている女中に長州の息がかかっているとか、そんな風に考えるのは考えすぎである。

 と、言いたいところではあるのだが、琉菜は土方の勘が当たっていることを知っている以上、余計なことを言わないように黙っているしかなかった。

 そもそも、偶然の成り行きとはいえ、局長と副長がこのような大事な話をしている空間に自分がいてもいいのだろうか、となんとも居心地の悪い思いも持っていた。


「あの、オレはそろそろ失礼しますね」これ以上ここにいても何の得にもならないと判断し、琉菜はそう声をかけて立ち上がった。


「中富」


 土方に呼び止められ琉菜は土方の目を見た。


「お前が女だったら、新選組と島原どっちを選ぶ」


 琉菜は心臓が急にバクッと音を立てて跳ねるのを感じた。


 いや、バレてるわけじゃない。あくまで仮定の話だよね。


「女だったら、ですか?女じゃないからわかりませんけど、オレは新選組が好きですよ」

「バカ野郎、答えになってねえよ」

「あはは、すみません…」


 もう立ち去ってもよいだろうか、と琉菜は土方の言葉を待った。


「4畳程度でいい。人1人寝泊まりできる空き部屋があるか確認しておけ。それともちろんわかっていると思うが、ここでの話は他言無用だ」


 琉菜は目を丸くして土方を見た。


「承知しました」


 琉菜は障子を閉め、その場を立ち去った後、別ルートで土方の隣の部屋に忍び込み、2人の会話の続きを聞いた。


「いいのか?トシ」近藤は二人きりになったからと、土方のことを「トシ」と呼んだ。

「ああ。引き入れて泳がせれば、むしろ役に立つかもしれねえしな」

「そうか。まあ、どちらにせよ、これから隊士を増やしていくなら賄を専任でやってくれる人がいるのも助かるし」


 琉菜はその会話を聞いたところで部屋を抜け出し、頼まれた「空き部屋探し」の仕事に着手した。


 もう、土方さん、なんで止めてくれなかったの…?

 お鈴さんが新選組に入ったら、このまま殺されちゃう流れじゃん…。


 あ、さっき「新選組と島原どっちか」って聞かれた時に島原って言っといた方がよかったのかな…?

 時すでに遅し、か…。

 結局あたしが何言ったところで土方さんが「怪しい。引き入れて泳がせる」って思っちゃった時点で詰んでるわけだしな…。


 やっぱり、山崎さんの仮説は本当なのかもなあ。



 そうかと言ってサボるわけにもいかなかったので、琉菜は空き部屋がないことを祈りながら、前川邸と八木邸の間取り図を手に屯所を探索して歩いた。そうする中で、4畳半の部屋を見つけてしまった。開けてみると、そこは紛れもなく琉菜が賄い方として鈴と過ごした部屋だった。


 見つからなかったことにしたいけど、ダメだよね…


 結局、部屋の有無にかかわらず、土方は鈴を賄い方として採用することを決めてしまったようだった。部屋がなければ誰かが詰めて空ければいい、くらいに思っていたのかもしれない。

 琉菜が部屋の話をする前に、土方は明後日の賄当番の隊士に「専任の賄い方が来るから、仕事のやり方を教えるように」と指示したのだった。その話は平隊士連中の間ですぐに広まった。


「そうそう、そういう人がいたらいいのにって何度思ったことか」木内が嬉しそうに言った。

「そうだなあ、これから隊士も増えるだろうし」琉菜は複雑な気持ちで、そんな風に答えた。


 しかし木内を含め、ただの1人もその「専任の賄い方」が女であるとは想定していなかった。


 翌々日、平隊士の大部屋に膳を持って現れた鈴を見て、全員がぽかんと口を開けたり息を呑んだりして、一言も発しなかった。


「今日からこちらでお世話んなります。鈴いいます。どうぞよろしゅう。あら、玉乃屋でお見掛けした方も何人かおりますのやなあ。よろしゅうお頼申します」


 さらりとした鈴の挨拶を聞いて、隊士たちは我に返り、続いてわあっと声を上げた。


「よ、よろしくお願い致します!」


 口々に、鼻の下を伸ばしながら隊士たちは挨拶した。


「朝から騒がしいぞお前ら」


 障子ががらりと開き、土方と沖田が入ってきた。


「そういうわけで、元玉乃屋の女中、お鈴が賄い方として入隊することになった。わかっているだろうが、手出しした者は切腹だ」


 鼻の下を伸ばしていた隊士らは、途端に真顔になった。

 同時に、沖田がすっと琉菜のもとに近づいてきて、にこっと笑った。


「空き部屋、見つかったんですってね!」


 そんなに嬉しそうに言わなくても…

 でもこの笑顔はかわいい…


 琉菜は胸がざわつくのを感じながら、「はい、そんなに広くはありませんが」と答えた。「お鈴さんに手を出すな」という警告をするだけなら土方1人で十分なのに、わざわざ沖田が付いて来た理由が琉菜はなんとなくわかって、沖田の顔を直視できなかった。


 とにもかくにも、こうして鈴はまんまと新選組に「潜入」したのだった。


 彼女の本当の目的を知っているのはもちろん、琉菜だけである。


 山崎の「仮説」をより裏付けるようなこの展開に、琉菜は人知れずため息をついた。

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