19.禁門の変
元治元年6月下旬。
前年の八・一八の政変や先日の池田屋事件で京を追われる身となった長州は、報復・復権を図り、兵を率いて上京、嵯峨の天龍寺、山崎の天王山、そして伏見に合計2,000とも3,000とも言われる兵力を携え布陣した。
いわゆる、「禁門の変」の始まりである。
ちなみに、この3か所の中で一番御所から近い嵯峨の天龍寺でさえ、御所から徒歩1時間強、一番遠い山崎の天王山に至っては徒歩で4時間ほどかかる距離であるから、現代人にしてみればこの距離を徒歩で歩くのはなかなか難儀だという印象であるが、当時としては「すぐそこまで長州が迫っている」という感覚だったのだろう。
会津藩はこうした長州の状況を聞きつけ、新選組にも長州を迎え撃つ準備をするよう指示したのだった。
"迅速な行動"は新選組の十八番だ。
出動可能な隊士は全員直ちに武装して、陣を敷くよう指示を受けた九条河原に向かった。
「ったく長州も懲りねえなぁ」木内が呆れたように言った。
「ま、いいさ。池田屋でオレたちはやつらの作戦を止めたんだ。また止めりゃいいんだろ」結果がわかっている琉菜は暢気にそんなことを言った。
「お前、そういう時は前向きだよな」
「オレはいつでも前向きだぜ?」
「ホラ中富さん、木内さん、早くしてくださいよー」
「はーいっ!」
沖田に呼ばれ、二人は小走りして追い付いた。
琉菜が現代にいる時に調べた限りでは、沖田はこの禁門の変にしっかりと参戦していたという説も一部はあった中で、「不参加説」が有力だったので心配していたのだが、池田屋から2週間近く経ち体調も回復しているようだった。
現に、沖田は琉菜や木内をはじめとする自分の隊の隊士を率いて、九条河原に共に来ていたのだった。
池田屋の次は禁門の変かあ。
あたしはまだまだ死ねないからね。
沖田さんも、一応元気になったとはいえ病み上がりだし、この腕で、あたし自身と一人でも多くの仲間を守らなきゃ!
こうして、琉菜を始めやる気まんまんで長州勢を待ち伏せていた新選組だが、なんと1ヶ月弱という長期の間、出陣の命は下らなかった。
「ちくしょう!なんで長州はすぐそこにいるのに!」
「あんなやつら、お上の指示を仰ぐまでもねえ、追い出すべきだ!」
そんな声を漏らす隊士も大勢いた。
もちろん、長州が発砲したとか、どこかを焼き討ちにしたとか、派手な動きをすればこちらもすぐにでも動くのだが、最初の方は長州の中でも穏健派の抑えがまだ効いていたため、そのような派手な動きは起きていなかった。
また、朝廷内でも長州を擁護する派閥と、断固として追い出すべしという派閥が拮抗しており、新選組が待っていた1ヵ月弱という期間では、なんとか穏便に済ませられるよう水面下でのやり取りがあったわけだ。
しかしそんな膠着状態の末、ついにたまりかねた一部の長州勢は伏見で発砲。
戦いが始まった。
「やっと来ましたね」
琉菜はうずうずとしていた。
何より、九条河原での生活にはもううんざりしていた。
隣に立っていた沖田が、琉菜を見て微笑んだ。
「ええ。がんばりましょうね」
「もちろんです。みんなで無事に屯所に帰るんですから」
「新選組、出陣だ!」
近藤の声が響いた。
おうっ!と、隊士たちは声を上げ、全員が待ってましたというように、伏見へ向け意気揚揚と歩いた。
だが到着してみると、新選組よりも伏見に近いところに布陣していた大垣藩の兵たちによって、決着はあらかたついていたようだった。
「なんだよ、つまんねぇな」
「俺たち出番ナシかよ!?」
隊士らはそんな不平を言いながらも、残党の捕縛にあたった。
琉菜も、逃げようとする残党の男を追いかけた。
「待て、こいつ!」
琉菜は男の前に立ちはだかった。
左手を刀に添え、男の目を見据えた。手足の一本でも斬って捕縛してやる、と意気込んだ。
「ちくしょう…!」
男はそう言って刀を抜いた。
琉菜も抜刀しようと右手を刀にかけた。
しかし、男は抜いたその刀で自分の腹を刺した。
「え…」
琉菜は倒れる男を驚きの目で見つめた。
「へっ…壬生浪に捕まるくらいなら…死んだ方がましじゃあ…」
こうして自分で自分の命を絶つ者は少なくなかった。
現に、久坂玄瑞や来島又兵衛といった名の通った志士も、この事件で自刃している。
とにかくも、伏見では幕軍が勝利を収め、新選組も九条河原に帰陣した。
「ふう、やっと一段落つきましたね」
琉菜は本当は一段落つかないことを知っていたが、素知らぬ顔でそう言った。
「そうですね」沖田は言葉では琉菜に同意したが、その表情は曇っていた。
「…でも、なんか嫌な予感がするんですよね」
へぇ、やっぱ沖田さんはすごいや。
武士の勘ってやつ?
そう、禁門の変はまだまだ終わらないの。
他の隊士も、九条河原の陣営に着くと、ほっと安堵した様子だった。
「これで屯所に帰れるな」永倉がそう言うのが聞こえた。
「ああ。流石にここでの生活も飽きたぜ」原田が答えた。
その時、ドンという大きな音がした。
なんだなんだとみんなが外に集まった。
斎藤が空かさず屋根に上ってあたりを見回した。
「御所の方です。長州が発砲したようだ…」
「なんだって!?」近藤と土方が同時に言った。
途端に、その場がざわめいた。
御所に砲弾を打ち込むということは、「朝敵」「賊軍」となるということだ。
近藤が怒りにまかせて叫んだ。
「許せん!我々も御所に向かい、加勢するぞ!」
先ほどまでホッと胸をなで下ろしていた隊士たちも、一仕事終え疲れた表情の隊士たちも、再び戦闘の準備をすると、御所に向かって歩いた。
「オレたちもなかなか気が抜けねえなぁ」
琉菜はいかにも長州の第2撃を今知ったかのように振る舞った。
知らないふりするのも疲れるな…。
この演技力、現代に帰ったら女優になれるんじゃないの?
暢気なことを考えながらも、琉菜は山崎のことを考えた。
山崎さんなんか、こんな感じの状況で監察だなんて、本当にもどかしいだろうなあ…。
しかし、御所に到着し、新選組の面々が見たものは、彼らの想像とは全く違うものだった。
長州の軍勢はまたしてもあらかた駆逐されており、新選組は肩透かしをくらった。
それでも、残党を追撃するのに琉菜たちは全力を注いだ。
「そっちに逃げるぞ!」
「追えーっ!」
琉菜は2人の志士を斬り、捕縛した。
あたしも鬼になったなぁ。
しかも、人を斬って褒められるんだから、嫌な世の中だよね。
やっぱりまだ人を斬るのは少し怖いけど、敵より仲間の命の方が大事だから。
もう、そうやって割りきるしかないんだよね。
「局長!!」
一人の隊士が近藤を呼び、少し遠くに見える鷹司藩邸を指差した。
周囲も事態に気付き、あっと声をあげた。
長州勢が潜んでいた鷹司藩邸からは、火の手が上がっていたのだ。
近藤を筆頭に、新選組の面々はすぐにその場に駆け付けた。
運悪く当たった鉄砲玉が引火したとも、長州が逃げる際に放火していったとも、幕府の役人が残党をあぶり出すために火をつけたとも、出火原因については諸説ある。
だが、新選組がこの時駆けつけた鷹司藩邸をはじめ、御所の境町御門付近、長州藩邸などから続々と火災が発生した。
新選組の面々は、憤りと、やるせなさを隠せないでいた。池田屋の時に命がけで食い止めた京都大火が、現実となってしまったのだから。
よりにもよって、今日はとても強い風が吹いているのだ。
この火は市中に燃え広がり、結果的に焼けた家屋は2万軒以上とも言われている。
昭和期までは、京都のお年寄りの口から出る「この前の戦争」は第二次世界大戦ではなくこの禁門の変での火災・通称「どんどん焼け」のことであったという。
琉菜の目に写った光景は、テレビで見た震災の光景のようだった。
火の手があちこちから上がり、この時代の木造家屋に次々と引火していく。この火災は丸2日に渡って続いたので、新選組の面々は長州の残党掃討と平行して、焼け出された町民の世話にあたることになった。
「鴨川の向こう岸までは延焼していません!川の方へ逃げてください!」
そんなことを叫びながら、琉菜は沖田らと街を駆けずり回った。
そういえば、玉乃屋は?
鈴は、この禁門の変で焼け出されたのがきっかけで、新選組の賄い方になったと聞く。
だが、いかにも知っている風で琉菜が様子を見に行くのは変だ。さり気なく、行けそうだったら行こうと思い、琉菜は一応沖田たちを見失わないようにしながら町民に避難を呼びかけ続けた。
やがて、琉菜は”自然と”玉乃屋の方面に向かった。しかし、火の勢いが強く、近づくことさえできなかった。1つだけはっきりしていることは、玉乃屋は燃えてなくなってしまったことである。
火の勢いが弱まると、琉菜たちは壬生に帰営した。
火事さえなければ、ついに長州勢を追い出したと武功を胸に、池田屋の帰りの時のように颯爽と帰営したことだろう。しかし、結果として多くの民衆を巻き込んでしまった後味の悪さに、全員が苦虫を噛み潰したような顔で壬生に戻った。
その後、焼け出された人たちの避難所の1つとして、壬生寺の境内が使われた。もっとも、利用者は大していなかったのだが。
というのも、当然そこに来た被災者の世話をするのは新選組の隊士。「誰が壬生浪の世話になんかなるか」というわけだ。そのため、境内の様子は琉菜が想像していた「体育館に人がひしめき合っている感じ」とは随分違っていた。
また、同時に新選組は隊士の募集を強化した。今後また出動しなければならない時に、現状の人数では明らかに足りない。
募集をかけると、予想以上に地元の町民が名乗りを上げてきた。しかしその実は焼け出されて失った衣食住の確保が目的で、「脱走すれば切腹という法度があるがそれでも入るか」と意思確認すると大抵は引き下がっていった。
そんな中、変わり種が現れた。
「剣術は使えまへんけど、炊事や洗濯をさせてもらえるお仕事はありまへんやろか」
その声に、たまたま屯所の入り口近くにいた琉菜は敏感に反応した。
「お、お鈴さん!?」
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