21.局長不在の新選組で
8月に入り、藤堂が隊士募集のために江戸に下ることになった。
藤堂さんが帰ってきたら、いよいよあの人が来るのかぁ。
琉菜はぼんやりとそんなことを考えながら、藤堂を見送るためにできた人だかりに加わった。
「藤堂先生、お気をつけて」琉菜はにこっと笑った。
「ええ。たくさん仲間を連れて帰ってきますからね」藤堂も笑い返した。
藤堂は「それじゃ、行ってきます」と馬上から手を振って屯所の門を出た。
池田屋で負った額の傷はすっかり癒えたようで、本人は気にしていなかったが、その痕跡だけはくっきり残ってしまっていたから、むしろ見ている周りの方が痛ましい気持ちになるものだった。
まあ、藤堂さん、元気そうでよかった。
琉菜は自分の左腕を見た。琉菜も、痛みこそもうないものの、傷跡はしっかりと残ってしまっていた。もっとも、こちらは普段着物で隠れているから、琉菜本人も周りの人間も誰一人気にしないのだが。
藤堂を見送った後、その日は久々の休みだったので、琉菜は午後から小夏のところに行くことにした。
「琉菜ちゃん!平気やった?この前の戦!」
小夏は琉菜に飛び付いて声をあげた。
この前の戦、とはもちろん禁門の変のことである。
「うん、この通りぴんぴんしてるよ。1ヶ月も待たされたあげく、あたしたちにはほとんど出番なくてさ」
「そうなん?ほな心配いらへんな。せやけど、ひと月も陣営におってよう正体バレへんかったなぁ。屯所とは勝手も違てたやろ?」
「うん。ちょーっと危ない時もあったけどね。なんとかごまかしたよ。あたしテストはいつもヤバいけど、こういう時は機転利くんだよー」琉菜はにっと笑った。
「普通、自分でそないなこと言うんか?それより、てすとって何や?」
「あ…」
琉菜は思わず未来の言葉を発してしまっていた。
ここにいると本当に気が抜ける、ということを改めて感じた。
琉菜はテストや学校について説明した。
未来には当たり前のようにあるものだから、わかりやすく説明するのは逆に難しかった。
「へぇ、おもろそうなとこやなあ、学校ゆうんは」
「まあね。勉強は嫌だけど学校は楽しいよ」
「うちも琉菜ちゃんの時代に行ってみたいなぁ」
しみじみと言う小夏に、琉菜はにやりと笑った。
「来る?」
「ええねぇ。せやかて、どの時代に行くかわからんのやろ?」
「うん、そうなんだよね。あたしが言うのも何だけど、あんまり人にお勧めはしないかな」
琉菜は力なく笑った。
もし、1回未来に帰って、またあの祠に行ったら、また幕末に来れるかな。
ちょっとずれたけど、今回のタイムスリップはものすごいラッキーなのかも。
でも、あたしの運命の地なんて、ここ以外に有り得ない…!と、思う…。
「そう言うたら、まだ神風とやらは吹かんの?」
小夏が思い出したように言った。
「そうなんだよね。でも、あたしの読みが正しければあと4ヶ月。12月の満月が昇った時、風が吹くはずなの。前に来た時、兄上っていうかあたしが、そうだったから」
「それがうちには理解できひん。琉菜ちゃんが2人おるなんて」
「ふふっ、そうだね」
琉菜はSF映画やファンタジーものの漫画やアニメに触れる機会も多く「タイムスリップ」という概念を受け入れてはいたが、小夏にとってはそんなことは青天の霹靂で、百歩譲ってタイムスリップはアリだとしても、同じ人間が同時に2人いるというのはやはり想像の域を越えるらしい。
「2人同時にいるとこ見せてあげたいけど、前回は島原の中まで入らなかったからなぁ」
琉菜は前回のタイムスリップの時に、島原に行く新選組の面々に一種の嫌悪感を抱いたこともあったが、今では時間を見つけてここへ来る彼らの気持ちもわかるような気がした。
だって、ここだと癒されるし、くつろげるし…
琉菜はごろんと寝転んだ。
「ふふっ、羽伸ばしてはるなぁ」小夏は可笑しそうに笑った。
「うん、ここは楽だよ~。ありがとうね、小夏ちゃん」
「ええんよ。うちも琉菜ちゃん来はる時が一番楽やわ」
小夏とたっぷりしゃべって女子会を楽しんだ後、琉菜が屯所に帰ろうと廊下を歩いていると、知った顔にばったり出くわした。
「中富はん!」
「明里さん!」
琉菜が初めて明里に会ったのは山南が切腹した日であるが、明里にとっては、少し前にたまたま新選組の飲み会に芸者として呼ばれた時が初めてであった。今の琉菜は「馴染みの山南さんの部下の1人・中富新次郎」でしかない。
「もしかして山南先生来てたんですか?」
「へえ」
そう言うと、明里はぽっと頬を赤らめた。
女のあたしが言うのもなんだけど、明里さんってホントに可愛いよなぁ。
「中富はんももう帰らはるんどすか?」
「はい」
「そやったら山南はんに追い付けるかもしれまへん。さっきお帰りにならはったばかりどすから」
「そうですか。じゃあ、急いでみます。明里さん、また今度」
「へえ、ご達者で」
琉菜は島原の通りを小走りで駆け抜けた。
明里の笑顔を思い出すと、今後のことを考えてしまい、泣いてしまいそうになる。
しかし、もちろん泣くわけにはいかない。
琉菜は見知った背中を見つけると、着物の袖で一度目を拭ってから、彼に声をかけた。
「山南先生!」
呼ばれた山南は、目を丸くして振り返った。
「中富くん。君も小夏さんのところへ?」
「はい。藤堂先生が出立したばかりなのに、自分は女遊びなんですねっ」琉菜はからかうように言った。
「人聞きの悪いことを言うんじゃないよ。君だって人のことは言えないだろう?」
「あはは、それもそうですね」
琉菜が笑うと、山南もくすくすと笑い、話し出した。
「平助は、どんな人を連れてくるんだろうな」
「藤堂先生が募集するんですから、間違いはないですよ」
…とは言い切れないけどね。
琉菜は心の中で付け加えた。
しかし山南は琉菜の言葉で何だか安心したようだった。
「…そうだな。平助を信じよう」
「はいっ」琉菜はにこりと笑った。
それからまた2ヶ月ほど過ぎた。季節は晩秋。澄みきった空と、時折頬をなでる秋風が気持ちいい日だった。
藤堂に続いて近藤と永倉も隊士募集のために江戸へ行っており、屯所の実権を握るのが土方となったから(もともと実権は土方が握っているようなものだが)、平隊士たちはなんとなくいつもよりも緊張感に満ちていた。
そんな中でも、琉菜は巡察前の空き時間に、沖田とのんびりと大福を食べていた。「中富さんならきっとこのおいしさがわかるでしょう」と、沖田が買ってきたのだった。
「沖田先生、これめちゃくちゃ美味いです!」琉菜は大福を頬張りながら言った。
「でしょう?やっぱり中富さんは話のわかる人ですねー。あっ、お鈴さん」
琉菜と沖田が座っていた縁側の前を、鈴が洗濯物の束を持って横切った。
「もう、うちが皆さんの洗濯物洗っとるいうんに、大福なんか食べていい気なもんどすなぁ」鈴は言葉とは裏腹に笑顔でそんなことを言った。
「お鈴さんも食べませんか?」琉菜は声をかけた。
ああ、なんて偉いのあたし。
沖田さんの好きな人に大福食べませんかって声かけるなんて…!
そんなことを独り考えていたが、鈴の一言で現実に引き戻された。
「結構どす。うちは甘いもんは苦手なんや」
「はい。わかってましたけど」琉菜はハハハ、と渇いた苦笑いをした。
鈴が来て間もない頃、沖田や琉菜は鈴に一緒に菓子を食べないかと誘ったが、こういう理由であっけなく断られていたのだった。
「甘いもの嫌いなのに甘味処の女中やることになったなんて、ほんと、災難でしたね」琉菜は鈴に笑いかけた。
「ふふっ、せやね。けど、あっこにいたからこそ、こうしてご縁あって
ふわりと笑う鈴の顔に、琉菜は自分が女であることも忘れてときめいてしまった。
先を知ってるだけに、ほんとこのお鈴さんの演技力、尊敬だわ…
もちろんそんなこと沖田に言えるはずもない。鈴は「ほな」と言って物干し竿のある別の庭へ向かっていった。そんな鈴をぽーっと眺める沖田を見て、琉菜は小さな小さなため息をついた。
なんとなく居心地の悪い空気になったが、その時ちょうど木内が現れたので、琉菜は渡りに船とばかりに「お前も食うか?」と木内に言った。
「俺はいいよ。沖田先生、中富も。至急集まれとのことです」
「土方さんがそう言ったんですか?これから巡察じゃないですか」
「はい。すぐ終わるので、巡察はその後でいいそうです」
「わかりました。行きましょう、中富さん」
集められた部屋の壁には、一枚の紙が貼ってあった。
土方が前に立ち、説明を始めた。
「近藤局長からの文で、新入隊士の面々がほぼ確定した。これを機会に、指令が明確に伝わる新たな隊編成を考案した。まず、局長・近藤勇、総長・山南敬助、」
ここで、一瞬場がどよめいたので土方が付け加えた。
「山南さんは総長に昇格した。これからは局長の補佐、相談役として働いてもらう」
昇格ぅ?ウソばっか。
琉菜は未来にいた時に様々な本を読んできたから、この時の土方の思惑を知っていた。もっとも、本で読んだのは推測の域を出ないものばかりであるから目の前にいる本物の土方歳三が本当にそう考えていたかはわからないが。
つまるところ、2人目の副長が、土方にとって邪魔だったからに過ぎないのだ。だから、総長とはいっても、実際山南に権力は与えられなかった。と、ものの本には書いてあった。
事実、前回のタイムスリップの時すでに「総長」であった山南が目だった活躍をしていたのを琉菜は見たことがない。
土方は話を続けた。
「そして参謀に伊藤甲子太郎。この方が局長たちが募集した新たな隊士らの筆頭だ」
土方は簡単に説明し、隊士たちがざわつくのを無視した。
「副長は土方歳三、以下一番隊組長・沖田総司、二番隊組長・永倉新八…」
土方は組長まで紹介し、以下は紙に書いて貼っておくと告げた。
壁に貼られた紙に隊士が群がった。
琉菜もそれに混じり、自分の配属を見た。
やった!一番隊!
琉菜は見事、沖田率いる一番隊の隊士になれたのだった。
とりあえず、よかった。あー、幸せ…
琉菜がぼーっとしていると、木内が人を掻き分けてやってきた。
「中富、何番隊だ?」
「一番隊。お前は?」
「三番隊だ。斎藤先生が組長だよ。中富とは別の隊かぁ。ちょっと寂しいな」
「まあな。でも巡察が別になるだけだし。っていうか、お前からそんなセリフが出てくるとは思わなかったぜ」琉菜は皮肉っぽく笑った。
「うるせえな」木内も笑った。
そっか、伊東甲子太郎か。
いよいよ来るんだね。
数日後、新選組に新たな風が吹くことになる。
琉菜だけがそのことを知っていた。
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