14.仮説

 5月下旬になった。

 梅雨はもうすぐ明けようとしている。


 屯所では風邪、暑気当たり、さらには脱走が大流行していた。


 この時はまだ山南を死に追いやった有名な局中法度の文言はなかった。

 そのため、「脱走は切腹」というルールはあったものの、それほど厳しくはなかった。

 否、厳しくしようにも体調不良に陥る隊士が多く、脱走隊士の探索に当たれる人員が足りていなかったというのが実情だ。すなわち、脱走はほとんど黙認という状態だった。

 脱走隊士を追うことよりは、具合いの悪い隊士の看病の方が急を要するということで、幸いにも健康だった琉菜や木内は連日看病を続けていた。


「中富、お前今日賄い当番じゃなかったか?」


 木内にそう言われ、琉菜は手拭いを絞る手を止めた。


「うわっ!忘れてた!元気なやつがあんまりいないからすぐ順番回ってくんだよなぁ」


 琉菜は目の前で横になっていた隊士の額に無造作に手拭いをのせた。


「おい、中富…もうちょっと丁寧に…」隊士はうめくように言った。

「あ、すいません。じゃオレ買い物してきます!」


 琉菜は屯所を飛び出した。







 そんなこんなで、最近は巡察よりも賄い方として過ごす時間や隊士の看病をしている時間の方が長いくらいの状況であったが、久々に非番の日が訪れた。


 琉菜は1人で町を歩く機会があったら行ってみたいところがあった。

 壬生の屯所から歩いて30分程。鴨川沿いを三条方面へ向かっていた。


 現代だと、居酒屋さんになっちゃってるし。

 当日は何かとバタバタするし。もし土方隊に振り分けられたらアレだし。


 池田屋を見てみたい!!


 詳しくは後に語られることになるが、新選組が一躍その名を有名にした池田屋事件。

 琉菜はこの時ばかりはすっかり観光客気分で三条の町を歩いていた。


 行くからには、新選組の隊士とばれたら厄介なことになるのは目に見えていたので、琉菜は中富屋に立ち寄り久々に女の格好に戻っていた。髪型も、琉菜の男髷を結ってくれた髪結いに頼んでかつらを用意してもらっていた。


 池田屋に向かう途中、琉菜はあえて裏路地を通った。


 「ここが、桝屋か」


 池田屋事件を語るにかかせない薪炭商・桝屋。

 現代では建物は残っておらず石碑が立っているのみだが、もちろんここには立派な建物がある。


 タイムスリップってほんとすごいや。

 もし今度女として堂々と京の町を歩けるようになったら、いろんな史跡を見てみたいな。


 でもやっぱり、桝屋の目の前まで来ちゃうなんて、攻めすぎたかな…

 きっと、この中には長州のやつらがうじゃうじゃ…え?


 一抹の不安を覚えたものの、桝屋から出てきた思いがけない人物の姿にその不安も吹き飛んだ。



「和助さん!」琉菜は男の名を呼んだ。

「おお、…琉菜?どないしたんや女子の格好なんかして」


 琉菜は急いで和助の近くに駆け寄った。


「あたしは今日非番なんで、ただの観光です。和助さんこそこんなところで何してるんですか?」

「今はな、桝屋でバイトしてんのや」和助は事も無げに言った。

「…って危ないじゃないですか!もうすぐ6月5日ですよ!?」

「それはこっちのセリフや。お前みたいなもんがこんなとこ来て何やってるんや。向こう見ずにも程があるで」


 やっぱ、攻めすぎたか…


 琉菜は和助に言われて自分のしたことの重大さを思い知るようで、急に後悔の念が押し寄せてきた。


「俺のことなら心配いらへん。何かわかったら桝屋やめてすぐ帰ってこいって土方はんに言われとんのや」


 琉菜は一瞬固まった。


 え?どういうこと?

 なんで土方さんの名前が出てくるの?


「状況がわからへんって顔しとるな。来い。俺の本名教えたるわ」


 和助は近くの団子屋を指し、さっさとそこに向かっていった。

 琉菜はしぶしぶあとについていった。


 店内に入ると、ふくよかな年配の女性がやってきて「何にしはります?」と尋ねた。和助は琉菜の意見も聞かず「みたらしとお茶2つずつ」と注文した。


「本名ってなんのことですか?和助は偽名だったんですか?」


 琉菜は「おおきに」と言って去っていった女性を横目に、小声で聞いた。


「そうや。俺の本名は山崎烝。新選組の諸士調役兼監察や」


琉菜はぽかんと口を開けた。


「山崎烝!?」


はっとして琉菜は手で口を塞いだ。


「だって、未来から来たんじゃなかったんですか?」


 信じられない、この人が、あの山崎烝!?


「俺が平成の時代で歴史の研究しとったいうんは前に話したな」


 山崎は琉菜の質問には直接答えず、淡々と話した。


「文字こそ違うが俺は本当に向こうでもヤマザキススム、いう名前やったんや。せやから、新選組の監察方やら幕末にはもとから興味あってな。そんで、幕末にタイムスリップできたいうんがわかったら、まず、俺と同じ名前の本物の山崎烝を見てみよ思うて大阪に行ったんや。鍼屋の息子やったって話知ってるやろ?」


 琉菜はこくこくと頷いた。


「調べたら、鍼屋に息子なんかおらんかった。不思議に思うたけど、どっちにしろ生計立てなあかんかったから俺はそこでバイトすることにしたんや。旦那はんはすごいええ人で、俺が働き始めて4年目の時に、養子にならへんかって言われたんや。まあ断る理由もあらへんかったし、俺は引き受けた。そんで気づいたんや。こうなる運命やったんやと。俺自身が山崎烝なんやと」


 山崎はふっと一息ついてから話を続けた。


「あとはお前の知ってる通りや。時勢がヤバい方向になってきて、俺は新選組に入った。というか、入らんと歴史も変わるしな」


 山崎烝は未来人だった。

 一瞬では信じられなかったが、こんな作り話をわざわざ作る必要もない。


「本当なんですか…?」

 それでも琉菜は確認するように言った。

「ああ、本当や」山崎の目は真剣だった。


 琉菜は突然あることに気づいた。


「ってことは、あたし、切腹ですよね…」


 琉菜が突然今までの話と関係ないことを言ったので、山崎は驚いていた。


「だって監察に正体バレちゃ、土方さんに報告されておしまいじゃないですか」琉菜は意気消沈して言った。

「アホやな」山崎が静かに言った。

「俺が土方はんに報告しとったらお前はとっくにあの世行きや」


 琉菜はハッとして山崎を見た。


「た、確かに。えっ報告、しなかったんですか?どうして…」


 山崎は少し伏し目がちになって言った。


「土方はんに言われたんや。『中富は怪しい』てな。まさか男装した女だとは思ってなかったみたいやけど、あの人は仕事柄人をよく疑うし、鋭いからその勘は実際よく当たるんや。そこで俺はあんたを調べた。土方はんの勘は当たっとった。でも、俺はあんたに死んで欲しゅうなかった」

「え…」

「あかんよな。監察は私情捨てて隊士の素行を調査・密告せなあかんのに。俺は同じ未来人のあんたは殺したなかった。一回しか会うてへんのになぁ。でも、あんたには俺の分まで精一杯生きて欲しいんや」


 その言葉を聞いて、琉菜は涙が出そうになった。


 史実の通りに事が運べば、この男はあと数年しか生きられない。

 明日死ぬかもしれないと命がけで生きる沖田らと、自分の寿命がわかっていて、その中で懸命に生きる山崎。

 両者とも、現代人からすれば想像を絶するギリギリの環境で日々を生きているのだ。


 以前山崎が言ったように、確かに琉菜は生半可な気持ちだった。

 武士でいる間は、命を賭けなければ。

 琉菜はそう思い直した。


「でも、山崎さん、もし万が一、あたしがいろんな嘘をついてるっていうのがバレたら…山崎さんまでただじゃおかないんじゃ…」

「あのな。バレたら、やない。死んでもバレないように俺とお前で結託するんや。俺が職権乱用してバックアップしたる。乗りかかった船や。後戻りはできん。それに」


 山崎は琉菜を見た。


「俺は慶応4年の春まで死なん。お前はこの前、そのうち未来に帰る言うたな。アタリはついてんのか」


 琉菜はこくりと頷いた。


「前にあたしが幕末にいた時、兄上、今思えばあたしが、脱走して、逃げ切りました。つまりあれは、あの夜あたしは未来に帰ったってことになるんだと思います」


 その話を聞いて山崎は満足そうに微笑んだ。


「お前、歴史変えようと思ったか?」山崎はおもむろにそんなことを尋ねた。

「そりゃあ、変えられるなら、池田屋だってもっと先手を打って突入するようにした方がいいですし、沖田さんの病気も治したいです。でもさすがに素人が結核の薬なんか手に入れられないし…」

「やってみようとしたことはあるか?」

「実際は、歴史を変えるのは怖いです。だから、何もしてません」琉菜は答えた。そもそも何をどうすれば歴史を変えられるかもわからず、実際のところ琉菜は流されるようにその日その日を生きていた。

「俺が山崎烝になったこと、お前が隊士で入隊したこと、全部歴史に組み込まれてる。未来戻ったら隊士名簿でも見てみたらええ。中富新次郎って名前くらいは載っとるはずや。歴史は変わらん」山崎はきっぱりと言った。


 琉菜は、その言葉を聞いて、心の隅に追いやっていた事実に向き合わざるを得なかった。


 未来で新選組の本を読んだ時、池田屋事件で最初に斬り込む隊、つまり近藤や沖田といった隊随一の使い手と一緒に池田屋に突入する隊士の中に、「中富新次郎」の名を見つけていたのだ。


 その時は、「あ、兄上も池田屋に行ったんだ~」くらいの、軽いノリで考えていたが、中富新次郎がイコール自分である今となっては、その本の内容は琉菜にとって不安の種であった。

もちろん、その後も中富が生きていること自体はわかってはいたのだが。


 琉菜は本の隅に書かれていた「近藤隊のメンバー構成については諸説あり」という注意書きに期待をしていた。

 ひょんなことから歴史が少しだけ変わって、自分が近藤隊に振り分けられるという事実が変わることにも期待していた。


「そんなにきっぱり言わなくても…」琉菜は小さい声で山崎に言った。

「俺は今まで何回も歴史を変えようと試してみた。けどな、全部、結局回り回って同じ結果になるんや。せやから、諦めた」


 山崎は小さくため息をついた。


「まあ、あくまでこれまでの経験から導き出した仮説やけどな。このまま行けば、俺は鳥羽伏見の戦いで深手を負って死ぬ。お前は未来へいったん帰る。その結果を目指して、ひとまずはお前の正体がバレないようにするんや」


 琉菜は池田屋のことはいったん頭の隅に追いやり、力強く頷いた。こんなに頼もしい味方ができるなんて、楽勝じゃないかと一瞬思ったが、それでも細心の注意を払う必要があることには変わらない。何より一度土方に目をつけられたからには、これからの行動次第では何を言われるかわかったものではない。


「ありがとうございます、山崎さん。あたし、絶対に死にません」


 琉菜は決然として言った。

 山崎は「その意気や」と笑った。


「おっと、そろそろ用事すませて戻らんと」


 山崎はお茶を飲み干して立ち上がった。


「山崎さん」

「何や」

「知ってて監察方やるの大変じゃないですか?」

「そやな。できることなら、さっさと池田屋に行って桂小五郎の首取りたいとこやけど」

 山崎はふっと息をついて琉菜を見た。

「それで薩長同盟がパアになったら?大政奉還がなくなったら?歴史上の人物ひとりの運命変えるだけで、もうその先どうなるかの保証はあらへん」

「そう、ですね…」

「せやから俺は、自分の目と足で得た情報だけで仕事をする。アナログやけどな。結局はそれが一番や」


 山崎に続いて琉菜も立ち上がり店を出た。

 その後二人は、連絡したくなったら中富屋に手紙を預ける、ということで合意した。


「ま、あんまり必要なさそうやけどな。じゃ、また今度会おうな」

「はい、さよなら」


 琉菜と山崎は手を振って別れた。

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