13.疑問
「中富一本!」
審判の声が響いた。
「へっへーん!またオレの勝ちだな!」
今ではすっかり慣れて、自然に使えるようになった男言葉で、琉菜は吐き捨てるように言った。
そして、竹刀をビュっと木内に突きつけ、にやりと笑った。
入隊試験で沖田に負けたとは言え、日本一の女子高生の腕は伊達ではない。
琉菜の腕前は、平隊士の中でなら強い部類に入るものだった。
「次!誰かかかってこいよ!」琉菜は調子に乗って叫んだ。
道場の端では隊士たちが座り込んで琉菜と木内の様子を見守っていたが、名乗りを上げる者はいなかった。
「ほう。ではお手並拝見しよう」斎藤がスッと琉菜の前に現れた。
げっ!斎藤さんはムリだよ!
調子に乗った琉菜をざまあみろとからかうように、周りからは斎藤を応援する声が聞こえた。
「始め!」
数分後。
結果はもちろん惨敗。
人生甘くない。
そのことを琉菜は痛感したのだった。
「ほーら見ろ」木内がにやにやと笑った。
「うるせえ!オレにも勝てねえくせして!」
琉菜の言葉に、木内は二の句が次げないようだった。「人斬りの経験」でいえば木内の方が先輩ではあったのだが。琉菜はそんなことはおかまいなしに、文字通り調子に乗っていたのだった。
「ふん、次は絶対俺が勝つからな!」
「おう、負けねえよ!」
琉菜と木内はニッと笑った。
木内とだけは、男の中富として会えなくなっちゃうのは寂しいなぁ
琉菜は時折、木内にはすべてを打ち明けてしまいたい衝動に駆られたが、ぐっとこらえて「中富新次郎」として振る舞っていた。
稽古が一通り終わると、平隊士は副長助勤たちから今日のいい所、悪い所を指摘してもらうことになっていた。
「中富は動きは速いが力がないし読みやすい。まあ腕自体はだいぶ上げてるようだが」
斎藤のコメントはこんな感じだった。
琉菜はぺこりとお辞儀をし、礼を言った。
沖田も同じようなことを言った。
「じゃあ中富さん、明日の稽古もがんばってください」
「はい、ありがとうございます!」琉菜が言うと、沖田は次の隊士に回り、指摘をし始めた。
「中富」
斎藤が再び琉菜の目の前に来た。
「少し残ってくれ」
みんなが引き上げた道場の中に、琉菜と斎藤だけがぽつんと残っていた。
追加の稽古だと斎藤は言った。
琉菜はなぜ自分だけなのかと疑問に思いながらも、竹刀を構えた。
「ヤーッ!!」
琉菜の剣はやはり、沖田と同じく新選組最強の腕を持つ斎藤には歯が立たなかった。
琉菜ははあはあと息を荒げて必死で斎藤に向かったが、結局一本取られてしまった。
「やはり気のせいか…」
琉菜が面を取る間、斎藤はそうつぶやいた。
「なんなんですか?」琉菜は思わず尋ねた。
「さっきの稽古で打った時、一瞬お前が女子のような…誰か別人に見えた。少し確かめてみたくてな」
「さ、斎藤先生、オレが女子に見えたんですか?」
「いや。気のせいだったようだ」
斎藤は竹刀を片付けた。
「お前はいい目をしている」
斎藤は涼しげな顔をして道場を出ていった。
あとに残された琉菜はぽかんとその後ろ姿を見ていた。
バレて…ないよね…
斎藤さんって変に鋭いところあるから気をつけなきゃ。
琉菜は我に帰って後片付けを済ませ、道場を出た。
「それじゃ、今日の巡察はこれで終わりです。各自屯所に戻ってください」
その日の午後、市中巡察を終えると、京の往来で沖田はにこりと笑みを浮かべて言った。
「各自」と沖田が言った時は、彼自身が寄り道したい時なのだということはみんなわかっていた。もっとも、その方が我が身にとっても都合がいいので、誰もとがめなかった。
はい、という返事と共にばらばらと散っていく中、琉菜も木内と共に屯所に帰ろうとした。
すると、沖田が琉菜を呼び止めた。
「中富さん、ちょっとついて来てもらえますか?」
沖田は何やら険しい顔をしていた。
琉菜も木内も、その表情から何か悪い予感を感じとった。
木内は「俺、先帰ってるぜ」とさっさと行ってしまった。
えー!待って、木内、置いてかないで!
絶対なんか嫌な予感すんじゃん!
なんか今日はこんなのが多いな…
まさか、沖田さんにはついに正体がバレた…?
琉菜は生きた心地がしなかったが、沖田に声をかけられたのを断るわけにもいかず、とぼとぼと後をついていった。
「沖田先生、どこに…」
「すいません、もったいぶった割に大した用じゃないんですけど。ちょっと驚かしてみちゃいました」沖田はいたずらっぽく笑った。その表情は、琉菜が琉菜だった時の、琉菜を特別扱いしていた時の顔に見えた。
琉菜はそんな沖田の笑顔をかわいいなあと思いつつ、沖田の横に並んで歩いた。結局どこに行くのかはわからない。
なんなの?どこ行くつもりなの?
まあ、不謹慎かもだけど、こうしてるとなんかデートみたいで幸せかも…
琉菜がニヤつきを必死に抑える間に、沖田は立ち止まった。
「着きました、中富さん」
沖田が連れてきた場所はあの玉乃屋だった。
なんだ、お鈴さんのところか…
お鈴さんに会いたくて来たわけね。
デートみたいとか、一瞬でも浮かれてバカみたい。
そもそも、ゲイでもない限り沖田さんが今のあたしとデートなんてあり得ないから。
玉乃屋に来たとなると、沖田が木内を帰して琉菜だけを連れてきたのも頷けた。木内は、以前は原田の勢いに圧されてついて来たが、実は甘いものがあまり好きではないのだと、琉菜と沖田に話していたのだった。
そう考えると、ますますデート感はゼロじゃないかと琉菜は落胆した。
琉菜の表情がこの短時間で目まぐるしく変わるのに沖田は気付く様子もなく、さっさと店内に入った。
「あれ、近藤先生、土方さん!」
沖田の後に続いて店内に入ると、奥の席で近藤と土方がぜんざいを食べているところだった。
近藤局長とか、土方さんも、こんなところでスイーツ食べたりするんだ…
琉菜は少し可笑しくなって笑いをこらえた。
でも、これでもう完璧にデートではなくなってしまった…。あーあ…。
「総司、お前巡察はどうした」土方が尋ねた。
「先ほど終わりました」沖田はそう言いながら、土方の隣の空いたスペースに座った。
「中富さんも座って」
座って、と言われても、空いているのは近藤の隣の席。さすがに平隊士が局長の隣に座るのはいかがなものかと琉菜は思ったが、沖田が言うなら、と腰を下ろした。
同時に、鈴がやってきた。
「あら、沖田はんと、えーと、」鈴が言葉を詰まらせたので、琉菜は「中富です」と名乗った。
「そうそう中富はん。えろうすんません。お久しぶりなもんやから…」
鈴は琉菜の名前だけ覚えていないことに対して謝った。
「いえ、構いません」
って、沖田さんのことは覚えてるってことは、やっぱりあの後通ってるんだ沖田さん。うーん、複雑…
琉菜がそんなことを考えてる間に沖田は常連然として「いつものあんみつ」を頼んだ。琉菜は考えるのが面倒くさくなって、同じものを頼んだ。
「あの、局長たちはどうしてここに…?」琉菜が尋ねた。
「うん、総司や左之助がオススメだって言うからな。ちょっと息抜きも兼ねて」近藤はぜんざいを啜った。彼らもまだ来たばかりのようで、ぜんざいはまだたっぷり残っていた。
「そうなんですか…」
「なんだ。悪ぃか」土方が話に割って入った。
「そ、そんなこと言ってないじゃないですか!でも、ただ、確かに土方副長に甘味って、なんかこう、意外でした」
「ああん?」土方は琉菜を睨みつけたが、こういう態度が土方の通常運転であることはわかっていたので、琉菜は「ははは、すいません」と取り繕った。
てか、よく考えたらすごい状況…
近藤勇と土方歳三と沖田総司と一緒にあんみつ食べるっていう…
やっぱり、あたしは幸せ者だなぁ。
それにしても、大丈夫なのかな…?
このお店が、すでに長州のアジト的な位置づけだとすると…のんきにあんみつ食べてる場合じゃないのでは…でも結局このお店は燃えてなくなっちゃうみたいだし、いいのか…?
琉菜はふと、別の客の応対をしている鈴を見た。
お鈴さん…
どうしてスパイになったの?
どうして新選組に来てしまったの?
お鈴さん、聞きたいことがたくさんあるんだよ。
もちろん、聞くことはできない。
琉菜は考えまいとして、近藤たちの雑談に意識を集中させた。
「お待っとおさんどした」
その矢先に鈴があんみつを持って戻ってきたものだから、琉菜の集中は途切れた。
「ありがとうございます」琉菜と沖田はあんみつを受け取り、さっそく一口目を口に運んだ。
「うまっ!」琉菜は思わずそう言った。
「でしょう?私ここのあんみつ大好きなんです」子供のように笑う沖田の顔を見て、琉菜は心臓が跳ねるように動いたのがわかった。
「そないに気に入ってもらえるなんて嬉しおすわぁ」鈴もにっこり微笑んだ。
「お鈴さん、あんたここに入って半年にも満たねえって聞いたが、前はどこにいたんだ」土方が何の気なしに尋ねた。
ちょ、土方さん…!
え、感づいてるの?それでそんなこと聞いてるの?
いや、感づいてたらわざわざ新選組に入れたりしないよね…
琉菜は鈴の表情に注意を払った。
「ここの前どすか?伏見の方に姉妹店があってなぁ、そちらにおったんどす」
本当なのか、こんなこともあろうかと用意していた嘘なのか、琉菜には判断できかねたが、とにかく鈴は動揺の色1つ見せることなくそう答えた。その時、また別の客に呼ばれて鈴と土方の会話はそれきりとなった。
「なんだトシ、口説こうとしてるのか?」近藤が可笑しそうに言った。
「ほんの挨拶だ」土方が言った。
土方さんが言うと、すごくチャラく聞こえる…。
琉菜はそんなことを思いながら黙々とあんみつを食べていた。
それからは4人はとりとめもない世間話をしながらぜんざいやあんみつを食べ終わり、店を後にした。
「まいどおおきに、ありがとさんどした」
鈴に見送られ、最後に店を出た琉菜は振り返って鈴を見た。
「中富はん?どないしたんどすか?」鈴に声をかけられ、琉菜は困ったように鈴を見た。
「いえ、なんでも。また来ますね。ごちそうさま」
琉菜はそう言って、少し先を歩いていた沖田たちに小走りで追いついた。
「トシ、どう思う?」近藤がおもむろに言った。
「そうだな。あの店に何かあるとは思うんだが、決め手がない」土方が答えた。
往来で話すのが憚られるためであろうか、近藤と土方はヒソヒソと、固有名詞は1つも出さずにそんな会話をしていた。それでも琉菜にはピンと来るものがあった。
局長たちはあの店をマークしてることはしてるんだ。決め手がないっていうのは、たぶん、まさか女のお鈴さんが長州のスパイだなんて思いもしてないってとこかな。
この時代、女性の活躍とか、男女平等なんて、発想自体がない。女忍者の「くノ一」ですら、後世の創作だと言われている。
近藤・土方が直々に出向いて確かめても尻尾がつかめないのは無理からぬことであった。余談だが、琉菜の男装がここまでばれていないのも、女が男装して入隊する、という発想に至らないからであろう。
「まあ、どちらにせよ、新選組の人間が頻繁に出入りするとわかれば、向こうも下手な動きはできないだろうよ」土方がそう言うのが聞こえた。
なるほど、牽制ってことか…。
「おいしかったですねぇ。また食べに来ましょうね」
琉菜と沖田は近藤たちの後ろを歩いていたが、沖田はのんきにそんな話を始めた。
「えっ、ああ、そうですね」琉菜は反応に困り適当に相槌を打った。この状況で「また来ましょうね」が何を意味するのか琉菜には見当がつかなかった。なんたって、自分は一介の平隊士なのだから。
時は元治元年4月。新選組にとって最も重要な事件の1つが、迫っていた。
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