15.桝屋出動

 元治元年6月5日。

 幕末史にその名を刻む大事件が起ころうとしていた。


 その日、午前の巡察は、病人が多くて人手が足りず、隊の所属に関係なく20名ほどの隊士が出動した。

 出発の前に沖田は隊士らに監察からの報告を伝えた。


「監察方の報告によれば、西木屋町の薪炭商・桝屋が怪しいとのことです。みなさん油断せず、捕縛してください」


 全員が「はい」と切れのいい返事をし、その場に緊張した空気が生まれた。





 沖田、永倉が先頭を歩き、原田が殿しんがりを務める格好で木屋町通りに向かい、程なくして琉菜たちは桝屋の前に到着した。


 この前来たばっかだけど。

 今日は中に入れるのかぁ。

 山崎さんは、大丈夫かな?


 そんなことを考えながら、琉菜は刀の柄を握る左手に力を込めた。


「薪炭商桝屋、御用を改めさせていただきます」


 こんな時に暢気な話ではあるが、そう言って狙いを定めた店に入っていく時の沖田の表情が琉菜は好きだった。


 賄い方の琉菜であればそうそう見られない沖田の顔を琉菜は目に焼き付け、他の隊士と共に後に続いた。


 沖田は桝屋の主人・喜右衛門に二の句を次がせず、ずかずかと店の奥まで入っていった。


「ちょっと、何しはるんどすか!」


 喜右衛門はおどおどと沖田を制そうとしたが、すでに待ちかまえていた斎藤率いる裏口からの隊士らに囲まれた。


「桝屋喜右衛門。新選組屯所にてお話を伺いたい」沖田が静かに、しっかりとそう告げた。

「し、新選組!」


 喜右衛門はその場を逃げようとしたが手に縄をかけられ、身動きできなくなった。


「中富、木内、こっちに来い」永倉、原田に呼ばれ、琉菜と木内は店の奥に向かった。


 外からの光が入らず見えづらかったが、店の奥の床は、板が外せる仕組みになっていた。

 その場で一番小柄な琉菜が、自然、床下の探索を命ぜられた。


 床下には少し広い空間が広がっており、琉菜は上にいた永倉から提灯を受け取ると、ぼんやりと明るくなった空間を見た。

 そこには、大量の鉄砲、弾薬、どうやって運び入れたのか、小型の大砲が一門、並べられていた。


「原田先生、永倉先生、これで証拠はあがりました」琉菜は少し勝ち誇ったように上に声をかけた。

「でかしたぞ中富」開いた床上から、原田がニッと笑顔を見せた。


 それから、出動隊士の半分程が残り、さらなる探索、残りは喜右衛門を縄で繋ぎ、連行して屯所へ帰営した。

 屯所に到着すると、喜右衛門は前川邸の倉に入れられた。


 琉菜たちの前に土方が現れた。

 俺たちの手柄だとばかりに、珍しく嬉しそうな顔をしているのが見てとれる。


「よく働いてくれた。これから責め問いにあたる者とさらなる武具の徴収にあたる者に分かれてもらう」


 土方はそう言って各隊士の役目を割り振った。

 琉菜は、武具の改め、没収のチームに振り分けられ、井上、藤堂らと共に大八車を持って再び桝屋に戻っていった。


 よかった。


 桝屋に向かう隊列に混じって琉菜は胸をなで下ろした。


 もし責め問い組になってたら…


 琉菜の顔が青ざめた。


 土方の指示で喜右衛門が受けた拷問はその酷たらしさで現代においても新選組通の間では有名だ。

 逆さ吊りにして足の甲から五寸釘を刺し、そこにろうそくを立てて火をつける。

 考えただけでもぞっとするような拷問だ。


「中富!」


 背後からの声に振り返ると、木内と数名の隊士がこちらに向かってきていた。


「木内、お前屯所に残ってたんじゃ…」

「あいつ、『本名は古高俊太郎』としか言わなくてよ。今原田先生たちが鞭で打ってるんだけど、埒があかないから俺らはこっちに加われってさ」

「もしかして屯所に残ったのは…」先頭を歩いていた井上が嫌な予感がするとばかりに言った。

「えっと、沖田先生と原田先生と永倉先生と斎藤先生ですね」

「やはりそうですか」井上は少し不安気に言った。

「土方さんが何もしなければいいんですけどねぇ」


 井上さん、さすが、やっぱり土方さんのやりそうなことの見当はついてるってわけか…


 琉菜はついつい脳内でよぎる”責め問い”のイメージ映像を振り払い、桝屋まで戻る道を歩んだ。


 結局、持ってきた大八車がいっぱいになるくらいの武器・弾薬を押収した琉菜たち一同は、これを奉行所に届け出た後、屯所に帰還した。

 すると、なんともタイミングの悪いことに今現在拷問の真っ最中のようで、倉からは激しいうめき声が聞こえた。


「な、なんだこの声は!」

「副長は一体何してるんだ?」


 何も知らない平隊士たちは口々にそんなことを言いながら、声のする蔵の方を見た。


 琉菜は先ほど想像していたイメージ映像にリアルなうめき声がプラスされたことで、寝込んでいる隊士に自分も仲間入りするのではないかと思った。


 あー、蝋燭だぁぁ…。


「やっぱり、土方さん、相当荒れてますねぇ」井上がやれやれと言ったようにため息をついた。普段温厚で取り乱すことのあまりない井上であったが、こんな時でも落ち着いている。


 やがて、蔵の方から沖田・原田・永倉・斎藤がやってきた。


「みなさん、おかえりなさい。何か見付かりましたか?」沖田が朗らかに言った。

「ええ。やはり武器を大量に所持していたようです」藤堂が報告した。

「そうですか。じゃあ私は土方さんにそう言って来ます」沖田は踵を返して蔵に向かった。


 なんか、沖田さん、軽い…

 とても拷問現場についてたとは思えない…


 琉菜は、自分が惚れた男の、よく言えばメンタルの強さ、悪く言えば冷酷さを目の当たりにし、複雑な気持ちになっていた。


「あのー、あの声、なんなんですか?」果敢にも、琉菜と同じ隊の岡崎が尋ねた。


 斎藤がその質問に答えた。

 やはり例のろうそくの拷問をやっているらしく、話を聞いているうちにその場の空気全体が重苦しくなるようだった。


 琉菜は、なんでわざわざ聞くかな、と岡崎を睨みつけたが、幸か不幸か本人には気づかれなかった。そんな琉菜を、木内が苦笑を顔に浮かべながら見ていた。




 それから約1時間程してから招集がかけられた。前川邸の中庭に全員が(と言っても、前述のように頭数は少なかったのだが)集められ、土方は「古高に自白させたこと」を発表した。


 その内容は、近く風の強い日を選んで御所に火を放つ。

 その混乱に乗じて、京都守護職松平容保をはじめとする要人を暗殺。もちろん、そのお預かりの新選組をも壊滅させる。

 そして、八・一八の政変で叶わなかった、朝廷を完全に味方につけたうえでの攘夷実行。


 それが、長州側の作戦だった。


「なんとしてでもこの計画を阻止する!連中は今夜にも、古高奪還について会合を設けると思われる!皆、戦闘の準備を!」


 近藤の言葉に、隊士らの士気は上がった。


「おおっ!!」


 琉菜は一息、深呼吸した。

 鼓動が高鳴るのがわかる。


 これが、これから始まるのが、新選組最大の事件、池田屋事件―――


 琉菜は、自分の脚が少し震えるのを見た。武者震いというものであろうか、それともただ恐怖に打ち震えているのか。


 琉菜はもう一度深呼吸をして、皆の前に立つ近藤と土方を見た。


 やりましょう!局長!副長!





 それから、平隊士は一旦解散となり、局長指示が出るまで屯所内で待つように、ということになっていた。

 琉菜は大量のお粥を作ると、木内に頼んで平隊士の大部屋に持っていってもらい、自分は山南の部屋にお粥を運んだ。

 山南は、暑気あたりなのか、このところ体調を崩して床に臥せっていたのだった。


「中富くん、何があったんだい?」


 琉菜がお粥を差し出すと、山南は心配そうに言った。

 こんな大事な話、誰かしらがすでにしているのかと思いきや、山南は本当に何も知らないようだった。琉菜は、一部始終を話して聞かせた。


「そ、そんなことが!?冗談じゃない!私も戦う!」


 山南がガバッと起き上がったのを、琉菜は慌てて制した。


「冗談じゃない、はこっちのセリフです!そんな体でムリに決まってるじゃないですか!」

「しかし…」

「あとはオレたちに任せて、山南先生はゆっくり休んでてください」琉菜はニッと笑った。

「そうか…じゃあ、頼んだよ…。武運を祈る」山南は悔しさを滲ませながら、絞り出すように言った。

「はい、ありがとうございます。絶対に、成果を上げてきます」山南の顔を見て、琉菜は力強く答えた。


 琉菜や木内が病人にお粥を配っている間に、力に自信のある隊士らが武器などをすでに祇園の会所に運びこんでいた。そこに会津や奉行所の者達が集結し、皆で揃って虱潰しに長州の浪士たちを探す予定だったのだ。

 土方は、琉菜たち平隊士に各自私服で2、3人ずつ、怪しまれないように会所へ向かうように指示を出していた。

 琉菜は木内と屯所を出発した。


 今日は祇園祭の宵々山というだけあっていつもより人通りが多かった。

 そのため、ちょうどよいことに新選組隊士であっても敵に狙われにくかったのである。


 会所に着くと、沖田がすでに到着していて、2人を迎え入れた。


「それじゃあ中富さん、木内さん、いつでも出られるように準備しておいてください」

「はい」


 琉菜は胴・小手・鉢金を身に付け、隊服に袖を通した。

 周りは緊迫した雰囲気だったが、琉菜は一人うれしさを隠すのに苦労していた。


 近藤隊になったらどうしようっていうのは確かに不安だけど、なんにしても、夢みたい!

 あたしが、参加できるなんて!

 この歴史的大事件に、新選組の隊士として参加できるなんて!


 琉菜は、今日何度目かの深呼吸をして、自分の刀を腰に差した。


 今日は、もう、怯まない。


 初めて人を斬った日、後悔と恐怖に押しつぶされそうになった琉菜であったが、今となっては、池田屋という大舞台を前に経験しておいたことはむしろよかったとすら思うようになっていた。度胸だけは、前よりも確実についている。


 絶対、全力で戦ってみせる!

 新選組隊士の名に恥じないように、武士として、やってやろうじゃん!

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