20.長州の人間

 真夜中近くだった。

 琉菜は今見た夢のせいで目が覚めてしまった。



 誰かが、殺されてた。よく思い出せないけど…


 琉菜がふと隣の布団に目をやると、鈴の姿がなかった。


 お鈴さん、さっきあたしが寝つくころに部屋の外に出てったけど…またどっかいっちゃったのかな?それとも、まだ外に?




 近頃、こんなことがよくあった。

 夜中に目が覚めたり、なかなか寝つけなかったりした時、鈴がいなくなるのを琉菜はよく目撃していた。

 その都度トイレか何かだと思っていたが、さすがに一晩に2回、もしくはこんなに長い間いなくなるなんて明らかにおかしかった。

 琉菜は心配になって探してみることにした。






 屯所内を歩き回っていると土方の部屋から明かりが漏れているのが見えた。

 琉菜は好奇心から、部屋に近付き中の会話を盗み聞いた。

 声の主は土方と沖田だった。


「以上が、監察の報告だ。総司、わかってるな。あの女を斬れ」



 突然の衝撃的な言葉に琉菜は固まってしまった。


 あ、あたし!?斬られるの?

 やっぱり、未来の人間だから?怪しいって?今更?



「承知しました」沖田の声がした。

「悪いな、お前はあいつに好意を持ってたみたいだが…」

「やだなあ、土方さん。そんなことないですよ」

「…そうか。それじゃ今夜だ。頼んだぞ」


 琉菜はその場に凍りついていた。状況が飲み込めない。

 その時、障子が開く音がした。


「琉菜さん」沖田の声に、琉菜はビクンと反応した。

「聞いてしまいましたか…」

「あたし、斬られるんですか…?」琉菜はその場に立ち尽くしたまま言った。

「聞いてるようでまるで聞いちゃいねえな」土方が呆れたように言った。

「こんな時まで面白いなぁ、琉菜さんは」沖田がくすくすと笑った。

「まあ、いずれ知れることだからな。斬らなきゃいけないのはあっちの女だ」

「え…って、お鈴さん…?」


 琉菜は頭が真っ白になった。

 土方の言葉の意味が理解できず、腰が抜けたようにその場にへたりと座り込んだ。


「なんで?なんでお鈴さんを斬るんですか?」琉菜は涙をこらえながら沖田を見た。

「あいつは長州の間者だったんだ。だから斬る。それだけだ」答えたのは土方だった。

「かん…じゃ…?」琉菜は絞り出すように言葉を発した。




 …って、スパイのことだよね。お鈴さんが?

 嘘だよ。そんなわけない。お鈴さんは新選組が大好きだったはずだもん。

 あんなに楽しそうに笑って、本当にお姉さんみたいにいい人で…

 信じたくない。お鈴さんは斬られたりなんかしない。

 もう、あたしの周りで人が死ぬのは嫌だよ。



「残念だが諦めろ。お前はあいつと仲が良かったからな…衝撃は受けるかもしれねぇが、仕方がねえんだ。」土方は少しだけ哀れむような目つきで琉菜を見た。

「ダメ!お鈴さんは斬らせない!」琉菜は強い口調で言った。

「沖田さん、絶対にお鈴さんを斬ったりしたらダメです!あたし、お鈴さんが死ぬなんて絶対にイヤ!それに、沖田さんは、お鈴さんのこと…」


 "好きなのに"その言葉が出る前に、琉菜は泣き出していた。


「琉菜さん。これは隊務です。私情は入れない。それが鉄則です」


 まただ。また、沖田さんの目が鬼になってる。


「お鈴さんは、河野屋という旅籠にいます。私は刀を取ってきますから」



 ―――だから、その間に追い掛けて話してきなさい。




 沖田が言わなくても、次に言おうとしたことは琉菜にはわかった。

 琉菜はばっと立ち上がり、屯所を飛び出した。



「お前もなかなかいい奴だな」土方が静かに言った。

「なんのことです?」沖田はきょとんとしていた。

「ふっ…なんでもねぇよ」





 お鈴さん、お鈴さん、嘘だって言って、お願い!


 琉菜はひたすら走った。

 以前鈴が道を聞くために入ったと琉菜が思っていた旅籠は、おそらく長州の人間が密会していた場所だったのだ。

 琉菜は信じたくないその事実を考えまいと必死に走った。



 すると、目の前から鈴が歩いてきた。密会を終え、もう屯所に戻ってくる途中だったのだ。

 互い立ち止まり、2人の目が合った。


「お鈴さん…」

「琉菜ちゃん、どないしたん…?」

「それは…こっちのセリフです!沖田さんと土方さんが…お鈴さんは長州の間者だって!なんで!?どうしてよお鈴さん!?嘘ですよね、間者なんて!ねぇ、嘘ですよね!?」


 琉菜は激しく泣きじゃくりながら鈴の腕をつかんだ。


「琉菜ちゃん…そうか。わかってしもてたんやな」



 琉菜の体が再び凍りついた。

 今、たった今、本人に、信じたくない事実を肯定された。

 もう、琉菜には否定する理由はない。


「琉菜ちゃん、ほんまにごめんね…騙しとらん言うたら嘘になるけえね。うち、琉菜ちゃんにほんまにひどいことしよった」

「そんな…お鈴さん…」


 鈴は、もはやあの流暢な京言葉ではなく、琉菜の知らない方言をしゃべっていた。

 これが長州の言葉使いで、鈴の本当の姿なのだと琉菜は思い知った。


 鈴は淡々と話を続けた。


「うちのほんまの名は桂鈴。桂小五郎って知っとる?親戚なんよ。小さいころからお世話になっとったし、尊敬しちょったから何やうちも役に立ちたいと思うて間者になる道を選んだんよ。うちが勤めてた甘味処に沖田はんたちが来るようになったんも、偶然やったけど、ええ機会で。ううん、もうその時からばれとったんかもなぁ。身よりがなくなった言うたらあっさり潜り込めたけど。泳がされてただけかも知らん」


 鈴は言葉を切って琉菜を見た。


「お鈴さん…もういいよ。お鈴さんが間者でもなんでもいいよ!とにかく逃げて下さい!早くしないと沖田さんが斬りに来る!お願いだから死なないで!逃げて!」


 琉菜は泣き叫びながら鈴に抱きついた。

 もう少しで、今抱きついている体は冷たくなるのだろうか?

 考えたくないことが、琉菜の頭の中にこみ上げてきた。



「琉菜ちゃん…もうええよ。うちだって武士の子じゃけえ。死ぬ時は、潔く死ぬけえね。どうせ今逃げよったとしても、これから命を狙われながら生きなきゃいけん」

「お鈴さん…」



 鈴はもう、覚悟を決めているのだと、琉菜は感じざるをえなかった。


「ひとつ聞いてええ?」鈴は思いついたように言った。

「未来はどうなっとるん?日本の行く末。うち、それだけは知りたい」




 その瞬間、琉菜の脳裏に山南の顔が思い浮かんだ。



 同じだ、あの時と。

 山南さんは、死ぬ前に同じ質問をした。…お鈴さんも。

 死ぬ直前は、未来がどうなるか気になるものなのかな。


 琉菜は心のどこかで鈴の死を覚悟した。

 そして、山南の時と同じように、ぽつりぽつりと琉菜は話し始めた。


「未来は、ここみたいに街中でいきなり人が斬られるなんてことはありません。戦争も、殺人も、まだまだたくさんあるけど、あたしの周りは今のところ平和です、ここよりずっと。あたしの世界は…未来は、平和です」



「そう。よかった」鈴はそれだけ言ってぼんやりと琉菜を見た。





「話は済みましたか?」


 その時、凛とした声が響いた。

 振り向かなくてもわかる。沖田がやって来たのだ。


「沖田はん…ふふっ新選組最強のあんたに斬ってもらえるなんて、光栄じゃね」鈴は落ち着き払っていた。

「話が早いですね」沖田はチャキ、と刀の鍔を指で押し上げた。


 その時、琉菜が鈴の前に立ちはだかった。


「沖田さん。お鈴さんを斬らないで下さい」震える声で、しかしはっきりと、琉菜は訴えた。

「琉菜さん、あなたもわからず屋ですね。どいて下さい」

「嫌です」

「琉菜ちゃん」琉菜の耳元で鈴が囁いた。


「大好きな沖田はんに、そんなこと言うてええの?」



 次の瞬間、琉菜の体がふわりと浮いた。そして、地面にドスンと落ちた。

 鈴が琉菜を突き飛ばしたのだ。


「お鈴さん…?」

「堪忍や琉菜ちゃん。でも、これでええんよ」


 これで沖田と鈴の間に隔てるものはなくなった。


 沖田は刀を抜き、鈴に向かってと風のように走った。



 ザシュッ



 あ、この音…人を斬った音…


 琉菜の顔に暖かいものが降ってきた。


 指で触ると、それが血だということがわかった。


 琉菜の目の前で、鈴の体がゆっくり倒れていった。



「やだ…お鈴さん…お鈴さんっ!!!」


 琉菜は鈴の元へ駆け寄り、抱き起こした。


 血まみれになり、かすかに息をしているようだった。


「お鈴さん、しっかりして!」

「琉菜…ちゃん…今まで…ありがとう。琉菜ちゃんのこと…大好きじゃけえね…」鈴は息も絶え絶えだった。

「あたしも…あたしもお鈴さんのこと大好きだから…一生忘れないよ」

「そう…うれし…」


 鈴はそれだけ言って、ゆっくり目を閉じた。


 琉菜の心臓が大きく鼓動した。


 目の前で起こっていることが、信じられなかった。


「いや!お鈴さんっ!!」



 琉菜の泣き叫ぶ声だけが、真夜中の静かな街に響いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る