18.引越
「起床ーっ!!」
琉菜は鍋を棒でガンガン叩きながら屯所内を練り歩いた。
3月上旬の、桜ももうすぐほころぶとある日。
琉菜は、山南の死からようやく立ち直っていた。
明里もひとまず体調が回復し、屯所を去っていた。
今日は屯所の移転日である。
今まで過ごした壬生村の屯所を離れ、歩いて30分程の西本願寺へ引っ越すことになる。
不精者の新選組隊士が、前々から荷造りなどしているわけがない。
それでも今日、引っ越さなければならないので琉菜と鈴はいつもより早く隊士達を起こして回った。
あちこちから眠そうな声、あくび、「こんな朝早く起こすなよ」「うるさいな~」という悪態などが聞こえてきた。
「今日は屯所移転の日です!さっさと起きてとっとと荷造りを始めましょう!巡察はなし!」琉菜は屯所中に聞こえるよう大声で叫んだ。
「バカ言ってんじゃねえ!」
ガツンと後ろから誰かに叩かれた。
振り返ると、そこには土方が怒りの形相で立っていた。
「巡察はなしじゃねえよ。そんなことしたらこの日を狙った浪士どもがなにしでかすかわかったもんじゃ…」
「はいはい、わかりました。巡察はありでーす!荷物は外の荷車へー!」
あちこちから再び悪態が聞こえてきた。
近藤が向こうから歩いて来た。
「おや琉菜さん、今日はいつにも増して元気がいいですね」
「はい、おはようございます局長。出発は四ツ半(午前11時)になるので局長も荷造りをしておいてください」
「そうか、わかりました。じゃあぼちぼち始めようかね…」
「はいっ」
琉菜はにこにこと、通りすぎていく近藤に手をふった。
「おい」と土方。
「なんでしょう?」と琉菜も聞き返す。
「なんか態度が違くねえか?」
「だってえ、あの穏和な局長に冷たい態度とったらバチあたりそうじゃないですかあ」
「なんだそりゃ」
土方はやれやれ、といったようにその場を去っていった。
「朝から元気ですねぇ。今日はお鍋隊長ですか?」
「誰がお鍋隊長だーっ!」
背後からした声に琉菜は思わず反応し、誰だかわからない声の主に、棒でおもいっきりたたき付けた。
「お、沖田さん?」
琉菜がその声の主を見ると、コブを作った沖田が頭をかかえてしかめ面をしていた。
「ご、ごめんなさい!大丈夫ですか!?」
「琉菜さぁん…」沖田は少し恨みがましい目で琉菜を見た。
「すいません、で、でも、あたしでも、やろーと思えば沖田さんから1本とれるんですねっ。」
琉菜はえへっとごまかし笑いをした。
「そういう問題じゃないでしょう…」
「わかってます!ほんとにすみません!」琉菜はやや深くお辞儀をした。
「…で、なんで今日はこんなに張り切ってるんですか?」
「今日は引越しですよ!沖田さんは荷造りできてますか?」
「ああ、今日でしたっけ」
「でしたっけじゃないですよ!もう沖田さんは手ぶらで西本願寺に行ってください!」
「はいはい」沖田はくすくすと笑った。
「もう、笑ってる場合じゃないですよ!置いてっちゃいますからね!」
琉菜はその場を去り、わずかに顔を赤らめた。
沖田とこんな他愛のないやりとりができることが、幸せだと思ってしまう自分が悔しかった。
あたしの荷物は、これだけ…。
琉菜は行李に自分の着物、それから制服やバッグなど現代からの持ち物を詰めた。
琉菜は何気なく携帯を開いた。
電波は圏外。現代では正確な時間を示していても、今は止まっている。
止まっている時間は、琉菜がこの世界にやってきた日時。
2018.4.7
久しぶりに未来の物を見て、琉菜はハッとした。
あたし、今まで何してたんだろう。
現代に帰る気なんてさらさらないんじゃないの?
だって、帰りたい、帰らなきゃいけないとは思っても、ただの1度だって、その方法を本気で探したことはない。
せめて、あの祠の周りを調べるくらい…どうして今までしなかったんだろう。
わかってる。
現代に帰ったら二度と幕末には来れないかもしれない。
二度と沖田さんたちには会えないかもしれない。
あたしはそれが怖いんだ。
でも、ずっとここにいるわけにもいかない。
お父さんもお母さんも心配してるだろうし…
それに、もし万が一あたしが何ヶ月も行方不明ってことになってたりしたら…
真剣に探そう。屯所移転が落ち着いたら、あの祠を覗いてみよう。
だってここは、あたしがいちゃいけない時代だ。
琉菜は行李のフタを閉め、外に運び出した。
大きな荷車が3つ、ガラガラと京の街を通った。
皆、前の屯所へ別れを告げた寂しさ、次の屯所への期待が入り混じって複雑な気持ちだったが、道中は雑談などをしてずっと笑っていた。
「なんかのどかですねー」
天気もよく琉菜はとてもすがすがしい気分だった。
「そうですねー。これなら毎日引越しでもいいなぁ」沖田は朗らかに笑った。
そんな時、強い風が吹いた。
琉菜はハっとしてあたりを見回した。
「え…」
琉菜は胸騒ぎがして、辺りを見回した。
すると、小さな鳥居と、その奥にある祠が目に入った。
『時の祠』
小さな石碑には間違いなくそう書いてあった。
思い出した。あたしがここに来たときも、こんな風に風が吹いてて…
琉菜は直感的に思った。
今、あそこに飛び込めば、元の時代に戻れる―――
「琉菜さん?どうかしたんですか?」沖田が尋ねた。
「あ、いえ、何でもないです…」
口をついて、そう言葉が出てきた。
そうだよ。まだ心の準備ができてない。現代に帰る心の準備。
それに、今あたしがいなくなったら、みんな怪しむだろうし。
琉菜は体のいい言い訳を考え、自分を納得させた。
「ほら琉菜さん、ここです。着きましたよ」
沖田の言葉で我に返ると、大きな寺が琉菜の目の前に現れた。
「あ、ここ、なんですね…」
「すげぇ~」「広ーい!」という歓声を聞きながら、琉菜は心ここにあらず、といったように時の祠のある方を見た。
帰らなくちゃいけない。
あたしはこの世界の人間じゃない。
明日からは、毎日でも通って、手がかりを見つけよう。
でも、まだ、ここにいたい。もう少しだけ。
あとちょっとでいいから、ここにいさせてください。
沖田さんのそばに――――
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