17.涙



 山南の切腹は、隊内に大きな影響を与えたが、いつまでもくよくよしていられないと無理矢理にでも立ち直る隊士が多かった。

 琉菜も、できるだけそうしようとしていた。

 少なくとも、昼間は何事もなかったかのように仕事をこなし、いつものように笑っていた。

 だが、ふとした時に山南の顔が頭に浮かび、やりきれない気持ちになるものだった。




 山南の切腹前に屯所へ駆けつけた遊女・明里はショックで倒れ、そのまま琉菜と鈴の部屋で静養していた。



「明里さん、具合はどうですか?」


 琉菜はおかゆを差し出して、明里の顔をじっと見た。



 きれいな人…

 山南さんにとって、明里さんはどういう存在だったんだろう…


 明里さんは…好きな人が切腹なんかしたら…

 そりゃショックで寝込むわ…


 一瞬、脳裏を沖田の顔がよぎった琉菜だったが、さっと振り払った。


「琉菜はん、おおきに。ほんまにすんまへん、ご迷惑かけてもうて…」

「いえ、いいんです。元気になるまでゆっくりしてってください」



 琉菜はお盆を持って部屋をでた。


「あ、土方さん」


 琉菜が目の前を見ると、土方はこちらに向かって歩いてきていた。


「調子はどうだ」土方はぶっきらぼうに今琉菜が出てきた部屋を指した。

「だいぶ元気になりましたよ」

「そうか。…ちょっと来い」


 土方は小声でそう言うと、琉菜を部屋から離れた場所まで誘導した。



「あの人がいなくなったら、すぐに屯所を移転する。支度しておけ」

「な、それって、明里さんを追い出せってことですか?」

「バカ、声がでかい!」

「だってひどいじゃないですか…」

「追い出せとは言ってねえ。治ったらすぐ出発できるように用意しとけってこった。」

「…はあい。」


 それって、やっぱり早く追い出せってことじゃん。バカ副長!


 にしても…屯所移転か。ちょっと寂しいかも…

 でも、ここにいると山南さんのことを思い出しちゃってつらいっていう人もいるんだろうな。

 ま、前から決まってたことだし。しょうがないよね。



 土方がつかつかと去るのを見送って、琉菜はあることを思い出した。







「明里さん!」


 琉菜は障子を勢いよく開けた。明里は、目を丸くしておかゆを口に運ぶ手を止めた。


「…すいません」


 琉菜は軽く会釈して謝ると、その場に座って簪を差し出した。


「あの、これ山南さんに頼まれました。簪を預かってたんだけど、返してあげてくれって」


 明里は簪を手にとってじっと見た。


「これ…失くした思てたんやけど…。きっとうちが落としたんを山南はんが拾って持っててくれはったんやな。琉菜はん、おおきに」


 明里は微笑んで愛おしそうに簪を眺めた。


「なんでなんやろな…山南はんは、うちのことなんかどうでもええやったんやろか…」明里はぽろぽろと涙を流した。

「そ、そんなことないはずです!山南さんはきっと、きっと死ぬ覚悟で脱走したってだけで、上手く言えないけど、死にたかったわけじゃないっていうか…なんていうか、きっと無駄死になんかじゃないし…明里さんと離れることはきっとつらかったに決まってます」


 慰めになっているかわからなかったが、琉菜も山南を信じたかった。

 その言葉は、自分に言い聞かせているような気もしていた。


 琉菜も涙が出そうになって唇をぎゅっと結んで顔に力を入れた。


「おおきにな。…ちょっと、1人にしてもろてもええやろか」


 琉菜は頷いて、部屋を出た。

 その瞬間、明里の嗚咽混じりの鳴き声が聞こえてきた。






 琉菜は屯所の縁側に座ってふう、と息をついた。

 すると沖田が目の前にやってきた。


「あっ、琉菜さん。何してるんですか?」いつもと同じような笑顔だった。

「何…うーん…何にもしてないです。やる気起きません…」琉菜がぽつりと言った。

「あはは、それでこんなところに!ほんとに面白い人ですね!」沖田はくすくすと笑った。

「沖田さんは、悲しくないんですか?」


 琉菜は涙をこらえながら、沖田の顔をまっすぐに見た。


「私は新選組の一員ですから」

「だから悲しくないんですか?」

「悲しいとか、悲しくない、とかじゃないんですよ。山南さんは、潔い死に方をした。武士として、名誉なことです」


 一瞬の沈黙のあと、沖田がおもむろに話しだした。


「私も、介錯をやらせてもらって、光栄でした」

「そういうもんなんですか?」


 琉菜には、首をはねる役に指名されることが光栄だとは思えなかった。


「ええ…あ、そうそう。山南さん、琉菜さんと話せてよかったって言ってましたよ」

「そう…ですか」


 沈黙が流れた。


 お互い、山南に思いをはせているかのようだった。




 ぽつりと、琉菜の着物に丸いしみができた。

 その後琉菜の涙は、とめどなく着物を濡らしていった。


「あたしは、遠慮なく泣きますよ。武士じゃないから。沖田さんの分も、他のみんなの分も…!」



 涙で視界がぼやける中、琉菜は空を見上げた。


 そして、琉菜の視界が暗くなった。

 沖田が、自分の着物の袖で琉菜の涙をぬぐった。

 今度は沖田の着物の袖が濡れていった。

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