10.豊玉

 



 琉菜が幕末に来てから、ひと月が経とうとしていた。


 最初のうちは、1日中賄いの仕事に追われていて、極端な話、24時間のうち20時間くらい台所にいるような気すらしていた。


 しかし、合間を縫って剣術の稽古をしたり、山南に字を習ったり、沖田や子供たちと壬生寺で遊んだりしているうちに、少しずつ、琉菜に幕末での生活を楽しむ余裕が出てきた。




 ここでの生活って、ある意味めちゃくちゃ健康的!

 何より食事がヘルシーだし。ちょっと、ピザとか焼き肉が恋しいけど。

 普通に生活してるだけでも運動量は絶対現代の倍はある。

 新選組の人たちはいい人ばっかりだし。

 幕末ライフも捨てたもんじゃないなー。



 そんな風に、前向きな気持ちになることも多かった。

 だが、そう思うたび、同時に恐怖とでも呼ぶにふさわしい気持ちが琉菜の肩に重くのしかかった。


 帰る方法…

 どうやって探せばいいんだろう。

 あたし、いつ帰れるのかな。


 琉菜は水汲みをするために釣瓶を引き上げていたが、ようやく上がってきた時のカタンという音で我に返った。


 ま、なんか今楽しいし、しばらくはここでのんびりするのもいいかな

 琉菜はひとり微笑むと、仕事に戻った。






 ある日、琉菜は再び飛脚の応対をすることとなった。


「ご苦労さまです」


 そう言って、琉菜は飛脚を笑顔で見送った。


 受け取った手紙の束を1つ1つ見て、琉菜はなんとか名前を読もうとしていた。

 山南に字を習ったおかげで、前よりも宛名が読めそうな気がしたのだ。

 力試しだと思って読んでみると、半分以上は誰宛のものだか判別がついた。

 しかしやはり全部は読めなかったので、受け取った手紙の束を持って、山南の部屋に向かった。


 スタスタと廊下を進み、目的の部屋に着くと、琉菜は声をかけた。


「山南さん、いらっしゃいますか?琉菜です」

「ああ、どうぞ」


 言われて中に入ると、山南は少し驚いたように、「どうかしましたか?」と尋ねた。


「また手紙を配らなきゃいけない事態になってしまいまして。半分くらいはわかったんですけど…」琉菜は6,7通ある手紙を見せた。

「ほう、少しは私も役に立てているようですね。いい練習になりますから、こうやって字を読む機会は大事にしてください」


 山南はにこりとして、琉菜が読めなかった手紙の宛先を教えてくれた。


「ありがとうございます!じゃあ早速配ってきますね!また読み書き教えてください!」

「いつでもどうぞ」


 なんだか本当に学校の先生みたいだな、と琉菜は微笑み、山南の部屋を出た。






 6通を配り終え、7通目を見て琉菜はため息をついた。


 そこには「土方歳三様」と書いてあった。


 土方さんの部屋に行くの…なんかユーウツ…


 剣道の勝負に負けて以来、琉菜はまともに土方と会話をしてはいなかった。

 気まずい、と思いながらも、仕事は仕事なので、琉菜は重い足取りで土方の部屋に向かった。


 障子の前に座り、1度深呼吸した。


「土方さん、琉菜です。文を届けにきました」

「ああ、入れ」


 琉菜は障子を開けた。


「ああ、琉菜さん。ご苦労さま」


 部屋の中には、土方の他に、陽気に笑う沖田がいた。

 土方は部屋の隅にある文机に向かっていたので琉菜に背を向けていて、沖田はその横に座っていた。


「お、沖田さん。どうしてここに?」


 琉菜は少し安堵した。

 沖田が間に入っていればとりあえず、土方と2人きりになって気まずい空気になる、ということは回避できる。


「ちょっと遊びに来ただけですよ。土方さんに文ですか?」


 そう言って、沖田は手を差し出した。

 琉菜が沖田に手紙を渡すと、沖田はにやにやしながら手紙の裏表を交互に見た。


「きっとまた、色文ですかね」

「いろぶみ?」

「女子からの手紙ですよ」

「えっ!?ってことは、ラブレター!?」琉菜は思わず声を上げた。

「ら…?」沖田が不思議そうな顔をしたので、琉菜は慌てて「なんでもないです」と首を振った。

「総司、ふざけてんじゃねぇ」土方はやっと文机から目を離し、沖田から手紙を取り上げた。


 琉菜はその光景をじっと見ながら、驚きの眼差しで土方を見た。


 ラブレター…か。

 やっぱ、いつの時代もイケメンはもてるのかな?

 性格悪いけどね!でもちょっと悪そうな人がもてるって言うし。

 そういうのって、今も昔も変わらないんだなー…


 なんとなくおかしくなって、琉菜はくすっと笑った。

 土方はそれを目ざとく見つけ、「何がおかしい」と低い声で言った。


「なんでもないです」琉菜は再びそう言って、顔に力を入れ、笑顔を消した。

「そうそう琉菜さん、本当におかしいものがありますよ」沖田はにやっとして言った。


 土方はハッとしたような顔をして、「バカやめろ総司!」と沖田の手を掴もうとした。

 沖田はそれを楽しむようににこにこ笑いながら、土方の手を逃れると、文机の引き出しを勝手に開け始めた。

 そして何か本のようなものを取り出し、高々と上に掲げた。


「総司返せ!」

「琉菜さん投げますよ!それ持って逃げてください!」言うが早いか、沖田はその本を琉菜に投げた。


 状況がつかみ切れていなかったが、とにかく琉菜はそれを受け取り、とりあえず土方に取られないようにしっかり抱えて部屋の外に出た。

 沖田も急いで部屋を出て、琉菜の腕をつかんだ。


「こっちにきてください。追いかけられたら困りますからね」

「は、はいっ」


 沖田は琉菜を引っ張って自分の部屋に逃げ込んだ。


「土方さんがいつ来るかわからないからさっさと見ちゃいましょう」


 琉菜はそこまでして見なければいけない本なのかと疑問に思い、本の表紙を見た。


「…なんて読むんですか?」

「『豊玉発句集ほうぎょくほっくしゅう』。豊玉は土方さんの雅号です。つまり、それは土方さんの作った俳句がたくさん載ってるってこと」

「俳句!?土方さんが?」琉菜は驚いて聞き返した。

「そうです。意外でしょ?」



 …意外すぎてあり得ないよ…土方さんが俳句なんて。

 そりゃこんなの知れたら恥ずかしいもんね。

 慌てるのもムリないか。



「見ていいですか?」

「どうぞどうぞ」


 琉菜は本を開いた。


 土方さんの俳句ってどんなのかな?

 っていうか、字習っといてよかったー。

 さっき山南さんに字を読む機会を大事にしなさいって言われたばっかだし、いい練習も兼ねて、読ませてもらいますよー、土方さん。


「えーと、『梅の花一輪咲いても梅は梅』…なんか、そのまんま…」


 次のページに目を向けた。


「『春の草五色までは覚えけり』」


 琉菜はなんの感想も思い浮かばなかった。


 要するに、春の草は、5種類までは覚えられるってことだよね。

 ああ、そうですか、って感じ…

 5種類って少なくない?あたしでさえ、学校で春の七草とか覚えさせられたし…


「どう思います?」


 沖田にそう言われ、琉菜はしばらく黙り込んだあと、「5種類って、少ないですね」とだけ言った。

 沖田はぷっと吹き出すように笑い、大声を出さないように口元を抑えていた。


「『菜の花のすだれに昇る朝日かな』…これはちょっと、俳句っぽいですね。でも、なんかアンチョクっぽい感じ…」


 琉菜はさんざん土方の俳句に文句をつけた後、沖田に言った。


「沖田さん、これって、上手いって言うべきなんですか?それともこれって下手な部類に入るんですか?あたし、俳句とかよくわからなくて…って沖田さん?」


 琉菜が沖田を見ると、彼はお腹を抱えて必死に笑いをこらえているようだった。


「どうしたんですか?」

「え?だ、だって、琉菜さんの感想があまりにも的を射ているもんですから…あっははははは!あーおかしー」

「そんなに笑ったら土方さんが聞きつけて奪い返しに来ちゃいますよ!」

「それもそうですね」


 沖田は笑いを抑えようと自分の口を手で塞いでいた。


「土方さんの俳句は下手ですよ」まだ笑顔が消えていなかった。

「そんなきっぱり言わなくても…」

「見て下さい。これが豊玉発句集最大の“下手”なところなんです」

「え?」

「ほらこれ。『手のひらを硯にやせん春の月』『山門を見越して見ゆる春の月』こんな感じで、『春の月』を季語にしたものがたくさんあるんです。同じ季語を何度も使うのって、あんまり上手な俳人じゃないんですけど、そこが土方さんらしくていいんですよねー」


 琉菜は発句集を見た。

 確かに、決して上手くはないけど、これはこれで結構いい句なのかも。


「土方さんって、よくわからない…」

「表面的にはあんな感じでぶっきらぼうだったりしますけど、ほんとはすっごく面白い人なんですよ」沖田はにっこりとして言った。


 この発句集を見る前だったら、沖田の言葉を信じることなどとてもできなかったが、琉菜はなんとなく「そうかもしれない」と思った。


「そこか。そこにいるんだなお前ら…」

「あ…」琉菜と沖田は同時に声を漏らした。


 障子に土方と思われる人影が映っていた。


「琉菜さん、そろそろ返してあげましょう。もう大体読んだでしょう?土方さん、怒ると怖いですから」

「あ、はい…」


 十分怒ってると思うけど…



 とりあえず、琉菜は沖田に従うことにした。

 障子を開けて、土方に発句集を渡す。


 土方はサッとそれを受け取ると、イライラした様子で自室に戻ろうとした。


「琉菜」


 土方は2人に背を向けたまま琉菜の名前を呼んだ。


「字は読めるようになったか」


 琉菜は突然の質問に面食らったものの、「はい、少しは」と小さく答えた。


「余計なことしやがって。次は他のもんで試しやがれ」


 それだけ言うと、土方はスタスタと行ってしまった。

 その後ろ姿を、琉菜は唖然として見送った。そして、何かもやもやしたものがこみあげてくるのを感じた。


「なんか…むかつく」ポツリとそう言うと、沖田がくすっと笑うのが聞こえた。

「何がですか?」沖田が尋ねた。

「余計なことだなんて。読み書きの練習、がんばってるつもりなのに」


 腑に落ちない、という顔をした琉菜を見て、沖田は朗らかに言った。


「土方さんなりに、心配してるんですよ。琉菜さんがここでちゃんとやっていけてるかどうか」

「そんなもんですかね…」


 土方の態度を思い出し、沖田の言葉を聞き、琉菜はますますわけがわからなくなったような気がした。


「そういえば」琉菜はあることに気付いた。

「あたし、初めて土方さんに名前呼ばれた気がします」


 沖田はまた笑い出した。


「私の予想はおおかた当たってると思いますよ」

「そうかもしれませんね」琉菜もくすっと笑った。



 なんだかんだ、いい人なのかもしれないな…

 だからもてるのかもなぁ。



 現代に帰れたら、お母さんになんで土方さんが好きなのか聞いてみよっと。


 琉菜はふと、隣に座る沖田を見た。


「どうかしましたか?」琉菜の目を見て、沖田は不思議そうな顔をした。


 沖田さんは、どうなんだろ…

 もてるのかな。

 好きな人とか、いるのかな。


「沖田さんは、好きな人とか、いるんですか」

「えっ、ど、どうしたんですか急に!?」


 思いのほか、慌て始めた沖田を見て、琉菜も慌ててしまった。


「いえ、なんでも!すいません、ヘンなこと聞いて!あたし、そろそろ食事の支度しなくちゃいけないんで、失礼しますね」


 さっと立ち上がると、琉菜は足早に台所に向かった。

 残された沖田は、どぎまぎしてその後ろ姿を見ていた。


 なんか、聞かなきゃよかったかな。それにしても、なんであんなに慌てるんだろう。

 もしかして、ほんとに誰か好きな人がいるのかな。

 でも、そういうこと興味なさそうだけど。お寺で子供と遊んでるのが好きみたいだし。

 きっといきなりあんな話ふったから、びっくりしただけだよね。


 琉菜は、もやもやしたような、でも少しほっとしたような、なんとも言えない思いに駆られた。

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