11.このあたりは物騒だから

 琉菜と鈴が町へ買い物に出ていると、沖田、永倉、原田、中富の4人とばったり出くわした。


「2人は買い物ですか、お疲れさまです」永倉が真面目な顔つきで言った。

「もう、組長はんたちが揃いもそろって…こっち方面いうことは、おおかた予想はつきますけどな」鈴が呆れたように言った。

「どこ行くんですか?」琉菜は興味津々になって鈴に聞いた。

「知らないなら知らんままがええ」

「島原だよ島原」原田が嬉しそうに言った。

「原田はん!」


 琉菜がまだキョトンとした顔をしているので、原田がさらに言った。


「ま、用は女と酒を飲むってことだ」


 その途端、琉菜の中にある記憶が蘇った。現代で京都観光をした時に、祇園周辺を歩いた時のことだ。そこでガイドブックに書いてあったのは、「江戸時代、祇園は島原と並ぶ遊里で…」という文句。


 で、遊里が何かっていったら…


「キャ、キャバクラ…!」琉菜は大声で言った。瞬間、あっと口を塞いだ。沖田、永倉、原田、鈴がキョトンとした顔をしていた。


「バカ、お前また未来の言葉を…」中富は当たりを見まわして、人がいないことを確認した。

「すいません、兄上。みなさん、そんなところ…」琉菜はにわかには信じられず、しどろもどろにそう言った。


 現代にいる時の勝手なイメージだが、キャバクラなんてドラマの中でこそ登場するものの、現実にそんなところに行く人やそこで働く人は、違う世界の人だと思っていた。それなのに、今琉菜にとって一番身近な人たちがそこへ行こうとしている。その事実が、琉菜には飲み込みがたかった。


「あの、沖田さんも…そういう、行くんですか?キャバ…じゃなくて、遊里ってやつ…?」特に、そういうイメージがなかった沖田に対し、琉菜は驚きをもって尋ねた。

「え、ええ、まあ…」沖田は罰が悪そうな顔をして、琉菜ではなく鈴をチラッと見た。


 琉菜は胸に何かもやもやしたものを感じながら、沖田を凝視した。


「とにかくそういうわけだ。じゃあなー」原田はそう言うと、残りの3人を引き連れて往来へと消えていった。


 鈴はまったく、とため息をつくと、あっと声を上げた。


「あかんわ。お味噌も切らしてたんやった。琉菜ちゃん、もうすぐで屯所やから、そっちの荷物もって先に帰っててぇな」

「え、あたしも行きますよ」

「ええんやええんや。お野菜早よしまわんと、悪うなるやないの」


 鈴はにこりと笑うと、これもまた往来へと消えていった。


 琉菜が屯所に帰ると、今度は土方に出くわした。


「ちょうどいい。お茶持ってきてくれ」それだけ言うと、土方は自室へ引き取った。


 問答無用、といった土方の態度に少し苛立ちを覚えながらも、さっさと行ってしまった土方の注文を今さら断れず、琉菜は台所に行ってお茶を入れた。


 できあがったお茶を持っていって「失礼します」と副長室を開けると、土方は奥の文机に向かって何かを書いていた。


「そこに置いといてくれ。そういや、お鈴さんはどうした」

「買い忘れたお味噌を買ってきてくれてます。ついでに言うと、沖田さんたちはキャバクラに行きました」琉菜はふてくされた調子で言った。

「なんだそりゃあ」

「島原です」


 土方はおもむろに振り向いた。その顔にはにやにやとした不敵な笑みが浮かんでいた。


「総司がなぁ…最近行くんだよなぁ。で、なんでお前はブスッとしてんだ」

「いいんですか?昼間からキャバクラなんて」

「うちは基本的に外泊禁止だからな。昼間行くっきゃねえだろ」


 それでも琉菜は表情を崩さなかった。もやもやしたものは消え去るどころか大きくなっていた。


「心配すんな。総司なら大丈夫だ」

「別に沖田さんの心配なんかしてませんよ。沖田さんだけじゃなくて、兄上も、原田さんとか永倉さんも、昼間っからそういうところに行くなんてって思っただけで す」

「ふぅーん…」

「何なんですか、さっきから」琉菜は土方の態度に苛立ちを募らせた。

「俺はそういう意味で言ったんじゃねぇよ。総司の本命はあそこには居ねえってことだ」土方はにやにや笑った。


 琉菜はらちがあかない、と思って立ち上がった。それに、このままここにいると土方のせいでイライラが頂点に達しそうだった。


「失礼します」


 障子を乱暴にピシャリと閉めると、琉菜は台所に向かって歩き出した。


 そうだ。あたしは沖田さんに幻滅したんだ。だからもやもやするんだ。子供と遊ぶようないい人~な感じだと思ったのに。昼間っからキャバクラなんて、信じられない!そんなチャラい人だったなんて!

 沖田さんって、何者なの!? 土方さんと同じくらい、もしかしたらそれ以上に、もうわけがわかんない。

 大体、兄上だって…確かに、兄上はちょっとチャラそうな雰囲気は醸し出してるけど、でもやっぱり本気でキャバクラ行くなんて、なんか、嫌!だって、正真正銘あたしのひいひいひいおじいちゃんなわけで…先祖がそんな人だったなんて…


「はぁ…」ため息をついて、あれこれ考えているうちに台所に着くと、鈴と沖田がいた。


「琉菜ちゃん。どこ行ってたん?」

「土方さんのところにお茶を…っていうか、沖田さん、島原に行ったんじゃないんですか?」

「あのあとなあ、うちらのこと手伝おうとして戻ってきてくれたんよ、沖田はん。ほんまに、ありがとさんどした」と鈴は沖田に向かって微笑んだ。沖田は「え、ええ」と答え、琉菜を見た。


「ちょうどよかったですよ。お味噌は重いですから」


 それだけ言うと、沖田は足早に台所を出ていった。


「ほな、夕飯作り始めまひょ」鈴はにっこりとそう言うと、火を起こし始めた。


 琉菜はそんな鈴を見て、先ほどの土方のセリフを、突然思い出した。


『総司の本命はあそこには居ねえってことだ』










 数日後、鈴に見送られ、琉菜は屯所の門を出た。 これから夕飯の材料を買いにいくところだ。


 琉菜が一人で屯所の外を歩くのは初めてのことだった。今までは鈴や手伝いの隊士に一緒についてきてもらっていたが、そろそろ琉菜にも地理感覚が身についてきていたので、鈴は洗濯係・琉菜は買い物という分担をした。これで少しは賄いの仕事も効率が上がる。


 これまで、琉菜は街を歩くときはただ一緒にいる人についていくだけだった。一人で歩いていると、街の景色もなんだか違って見える。


 でも、最初に来たときよりは、歩いてても怖くないなぁ。


 琉菜は改めて街を見回した。本当に風情があって、自分が現代人だということさえ忘れてしまいそうだった。ふと脇に目をやると、琉菜が今着ている着物を買った呉服屋があった。


 結構、時間が経ったんだなぁ。


 琉菜はくすっと笑って歩きつづけた。


「まずは野菜…」


 琉菜は八百屋の前で立ち止まった。すると、すぐに店の主人が出てきた。ここの主人ももう顔馴染みだ。 愛想のいい人だったので、琉菜は大好きだった。


「おお、琉菜ちゃんやないか。どないしたん?今日は一人か?」

「はいっ。これとこれお願いします」

「毎度おおきに」


 琉菜は金を渡し、品物を受け取った。金銭感覚も、少しずつ身につき、お金の扱いにも慣れてきていた。 この時代は紙幣などないので、持ち運びするには少々不便だが。


 全ての買い物を終え、琉菜は大きな風呂敷包みを背負って帰り道を歩いた。


 ちょっと、買いすぎたかな。重い…


 商家でにぎわう通りを抜け、壬生に向かう路地に入った。人通りは少し減っていた。


 早く帰って、この荷物降ろしたい…!


 そう思って速足になった途端、角から出てきた人とぶつかってしまった。


「あ、すいません。」琉菜は荷物を背負い直しながら謝った。

「なんじゃ!無礼な女子め!」


 そう言った武士らしき男は、どうやら虫の居所が悪いらしく、怒りを露わにしていた。


 え、何?ちょっとぶつかっただけじゃん。そんなに怒らなくても…


 琉菜がのん気にそう考えたのが顔に出てしまったらしい。男は、ますます怒っているようだった。


「どこの女子じゃ、名を名乗れ」

「どこって…新選組で賄いやってます…琉菜っていいます…」逆らう勇気もなく、琉菜は素直に答えた。

「何!?新選組!?」


 琉菜はゴクリと唾を飲んだ。嫌な予感がした。


「ほう、新選組に女子とはのう。運が悪かったな、女」


 男はそう言うと、すらっと刀を抜いた。


「新選組と聞いちゃ、黙っちゃおけねえな。お前の首でも、仲間に手向けるか」


 え…?


 琉菜の体が凍りついた。目の前にあるのは確かに刀。その刃が、夕日の光を受けて、きらりと光った。


 斬るの?ほんとに? あたし、殺されちゃうの?


 ウソ、そんなの...


 琉菜は腰を抜かして、その場にぺたんと座り込み、身動きがとれなくなった。目の前に刃が突き付けられている。


 やだよ!誰か、助けて!まだ、死にたくないよ…!



 助けを求めようにも、周りに人の気配はなかった。 しかも、琉菜は恐怖のあまり声の出し方を忘れてしまっていた。


 男は刀を振りかぶった。

 やだ…やだ…やだ… ああ、あたし、死ぬんだ。死んだら、どうなるんだろう?


 もはや、琉菜は妙に落ち着いてそんなことを考えていた。刃が目の前に来る。琉菜は思わず目をつぶった。



 ザシュッ



 ああ、死んじゃった。

 不思議。

 全然痛くないよ。

 死ぬってこういうことなんだ。


 琉菜はおそるおそる目を開けた。無傷だった。


 あれ?生きてる…


 でも、足元には確かに血が飛んでいる。ふと視線を上げると、今まさに琉菜を襲った男が、血を流して倒れていた。


 そして、その後ろに立っていたのは---


「お…きたさん…なんでここに…」


 ふと自分の目の前を見ると、沖田が刀を納めているのがわかった。


「琉菜さん、よかった、間に合って。大丈夫ですか?」


 沖田は安心したのか、微笑みを浮かべた。


 しかしその笑みを見て、琉菜の身は凍ったように固まった。


 どきん どきん どきん


 琉菜の心臓がいやに高鳴る。


 沖田さんはあたしを助けてくれたんだよね。

 もう、安心していいんだよね。


 しかし、琉菜の体は震えて止まらなかった。

 そして涙がこぼれ落ちた。




 琉菜の記憶は、そこで途切れた。

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