9.手合わせ

「やああ!!」

「ええい!!」

「そこ、もっとちゃんと打て!」


  壬生前川邸・新選組の屯所にある道場では、今日も朝から隊士たちが稽古していた


 その道場の前を、琉菜は水汲みの途中で通りがかった。


 そういえば、道場って、まだ入ったことなかったな。

 なんかいつもギャーギャー声がして入りづらいんだもん。

 でも、気になるなー。

 チラッと…ドアの隙間から見るくらいならいいよね。

 本場の武士の稽古風景なんて、そうそう見られるもんじゃなし。



  琉菜にも剣道の経験はあった。中学時代は剣道部に所属していて、腕前はそこそこいい方だった。


  剣道…しばらくやってなかったな。

  高校行ったら違う部活にしてみようかなーとか思ったけど、やっぱり剣道部入ろっかな。

 ま、そもそも高校に行ける…戻れるのかって感じだけどね。


  好奇心を抑えきれず、琉菜は近づいて中を覗いてみた。隊士たちが朝の稽古をしている。

  教えているのは、土方と沖田だった。


 すっごーい、2人ともなんかいつもとオーラが違う。

 やっぱ剣道っていいよね。

 うん、高校行ったら剣道部入ろうっと。




「誰だ!?」

 突然土方が叫んだ。琉菜はビクッとして扉の陰に隠れた。

「出て来い、そこにいるのはわかってるんだぞ!」


 バレたらきっと怒られる、琉菜はそう感じて顔を出した。


「あ、あはは。土方さん沖田さんおはようございまーす」

 琉菜は作り笑いをしたが、土方には通用しなかった。

「挨拶なんてしてる場合か!仕事は済んだのか!?」

「いえ、まだですっ」

「じゃあさっさと戻ってやってこい!」

「はいっ!」


 ちょっと見るくらいいいじゃん。

 あたし土方さんってやっぱり苦手。

 お母さんは絶対土方さんがちょっとイケメンだからって勘違いしてるだけなんだ。

 あとで、土方さんがいなさそうな時に道場行ってみよっと







 朝食の後片付けを終えると、琉菜は道場に向かった。

 先ほど稽古をしていたのだから、今はきっといないはずだ、と琉菜はふんでいた。

  中を覗くと、土方どころか誰もいなかった。


 今はみんな外回りとかかな。

 ちょうどいいや。久しぶりに素振りくらいしてみよっと。

 にしても、着物、動きづらい。

 あたしも袴がいいなあ…なんて。


 琉菜は道場の中に入り、壁際に並んでいる竹刀を手に取った。


  「なんだ。またお前か?」


 突然声がして、琉菜はビクッと入口の方を見た。

 土方がイライラした様子でそこに立っていた。


「琉菜さんじゃないですか。そんなところで何してるんですか?」土方の後ろから声がし、沖田が顔を覗かせた。

「え、琉菜ちゃん?」という声がし、原田が現れ、続いて永倉も現れた。

「すいません、あの、ちょっと素振りを…」

「素振り?琉菜さんが?」永倉が目を丸くした。

「はい。実はあたし、剣道やってたんですよ。久しぶりにちょっとやってみようかなって」

「お前の言うことはいちいち常軌を逸脱してやがる。お前みたいな細っちょろい女が剣術なんてなぁ…」疑うような口調で土方が言った。

「なんなら勝負してみますか?」琉菜はほとんど後先を考えずにそう言っていた。

「え、ちょっと、琉菜さん大丈夫なんですか?」沖田が慌てたように言った。

「こう見えても中学の時都大会で副将やって、準優勝したんですよ!」


 言ってしまってから、琉菜は沖田たちの顔を見て、今の話が全く伝わらないことに気づいた。


「要するに、腕には自信あります」

  琉菜が胸を張ってそう言うと、土方はニヤリと笑った。

「面白え。そこまで言うんなら勝負してやろうじゃねえか。手加減なしだ」

「土方さん、本気ですか!」永倉が慌てて身を乗り出した。

「武士に二言はねえんだ」土方はニヤリと笑った。






 数分後、琉菜は胴着・袴・防具を借りて身につけると、道場の真ん中に竹刀を持って立った。

 目の前には、同じく防具をつけた土方が竹刀を構えて立っている。

 沖田・永倉・原田は端に座って、この珍しい闘いを見ようとしていた。


「確か私たちは稽古をするためにここに来たんですよね。なんでこんなことになっちゃいましたかね…」沖田は小さくため息をついた。

「なんでもいいじゃねえか。面白そうだぜ~」原田はうれしそうに沖田の肩をバシバシ叩いた。

「では、審判は私が務めます」


 永倉が立ち上がって審判の位置についた。


「始め!」



「やあああ!!!!」


 琉菜は竹刀を大きく振りかぶって、土方の面を狙った。

 しかし、土方はそれを素早く避けて、琉菜の小手を打とうとした。


 は、速いっ…!!


 琉菜はそう思いながら、土方の横にひょいっと出た。


「いいぞー琉菜ちゃん!!」原田の声が道場に響く。

「やああ!!」


  琉菜は再び土方の面をめがけて竹刀を振った。


「ははっ。同じところばっかり狙ったって俺には勝てないぜ!」


 土方は素早く避けながらそう言った。


 すごい…あたしなんてもうしゃべってる余裕ないのに!

 甘くみてた…

 相手は本物の武士だっていうのに…


「えーい!とおーーー!!」


 琉菜はどんどん打っていくが、土方はことごとくそれを避けて琉菜の胴を打った。



「土方さん、胴あり1本!」


 永倉の声が道場に響いた。


「へっ、口ほどにもねぇ」


 土方は勝ち誇ったような目で竹刀で琉菜の面をばんばんと叩いた。


 琉菜は防具をはずしてその場にへたりこんだ。










 防具を片付けていると、沖田・永倉・原田が琉菜のいるところにやってきた。

「土方さんも、大人気ないですねぇ。ほんとに手加減なしでしたよ」沖田が少し呆れたように言った。

「でも、琉菜ちゃんはなかなか骨があるな!土方さんとやり合おうなんて、その辺の平隊士よりよっぽど度胸が座ってら!」と原田が言った。

「しかも、思ったよりよく戦えていて感心しましたよ」永倉があとに続いた。

「あはは、ありがとうございます」琉菜は苦笑いすると、急いで防具を片付けて、足早にその場を去った。





「なんか、元気なくしちまったな」原田がポツリとつぶやいた。

「そりゃあやっぱり悔しいでしょうよ。ほんとにでも、筋はいいと思うんですけどね」沖田は少し微笑んだ。






 琉菜は賄いの仕事をしている間も先ほどの勝負のことを思い出していた。


 土方さん…すごく動きが速かった…

 あたしなんか、全然かすりもしなかった。

 …当たり前か。相手は本物の武士。

 きっと本当に人を斬ったことだって…

 あるの…かな…?


 琉菜は背筋がゾクッとするのを感じた。


 コワいこと考えるのはやめよう。

 ていうか、沖田さんたちだって、完全にあたしの腕なんか大したことないみたいに思ってたようなこと言って。

 そりゃ、中学時代に都大会で準優勝したなんて言ってもどういうレベルだかわかんないだろうけど。

 でもまあ、本物の武士相手じゃ全国優勝しても勝てるかどうかっていうくらいスケールの違う話なのかもなぁ… たぶんそうだ。だとしたら、なんか都大会で準優勝したくらいであんなこと言っちゃったなんてちょっと…いやかなり恥ずかしい…



 琉菜は再び、考えるのはやめよう、と自分に言い聞かせ、目の前の仕事に集中した。


 でも…


 琉菜は手をとめた。


 本物の武士に習ったら、っていうか、1本でも取れたら、現代に帰った時スッゴい強い人みたいになるんじゃないの??


 決めた。


 土方さんから1本取れるように、稽古しよう。

 沖田さんとか、教えてくれるかな。








 夜になって、琉菜は自室の前の縁側に座ってぼーっとしていた。

 幕末の夜空には現代とは比べものにならないほどの数の星が見える。

 琉菜は寝る前にこうしてのんびりする時間が好きだった。



「よっ」


 聞き覚えのある声がし、視線を向けると中富が来ていた。


「兄上、どうしたんですか?」

「ははっ、どうでもいいけどさ、兄上って呼ばれるの慣れてきた」

「はい。使い分けようとすると墓穴掘りそうなんで、いつでもどこでも兄上って呼ばせてもらいます」

「それが懸命だな」


  一瞬の沈黙。

  何しに来たんだろう、と琉菜は中富をじっと見つめた。



「さっき夜番行っててさ、沖田先生から聞いたんだ。お前、副長と勝負して負けたんだってな」


 中富はそれだけ言うと、ぷっと吹き出し、ゲラゲラと大笑いし始めた。


「あっははははは!」

「な、なんですか?」

「だってお前…!バッカだなー!オレより年下の女が土方さんに勝てるわけねーって。物心ついた時から竹刀振ってたわけでもねーだろ?」

「そうですけど…そんなに笑わなくたって…確かに、考えが甘かったとは思いますよ。相手は本物の武士なんだし」琉菜はふてくされて言った。


 中富は笑い声をなんとか抑えると、にっこりと笑って言った。


「にしてもお前、なんで剣術の心得があるんだ?女だろ?」

「未来では、男女関係なくやります」


  琉菜は、あ、と声を出した。


「兄上、あたしに稽古つけてください」

「稽古?オレが?なんでまた」

「土方さんから1本取って、見返すんです。あと、単純に、強くなりたいから」


 中富はまた吹き出すように笑った。


「無理。お前じゃ副長には勝てねえよ。相手は本物の侍だ。さっき自分で言ってたじゃねえか」


 琉菜は少し考えた。


「本物の侍がなんで強いかって、やっぱり人を斬るからですか?」


 中富の顔から笑顔が消えた。


「そうだ。オレたちは新選組だ。実戦に備えた稽古を積んでる。だから、お前の剣と副長の剣じゃ、そもそも目的が違うんだ」


 琉菜は再び背中に嫌な何かを感じた。

 生半可な気持ちでは武士に太刀打ちすることなど、到底できないのだ。 


「でも」中富が言った。

「前に山南さんが言ってたぜ。北辰一刀流の千葉道場じゃ、道場主の娘が誰よりも強かったって噂だ。だから、可能性はめちゃくちゃ低いけど、お前だってがんばればなんとかなるかもな」


 琉菜は中富の言葉を聞いて混乱した。結局、彼は琉菜が剣の稽古をすることを薦めているのか止めているのかわからない。


「あたし、どうすればいいんですかね」

「お前、剣術やりたいか?強くなりたいか?」

「はい」

「なら、道場が空いてる時にでも稽古するんだな」

「兄上、稽古つけてくれるんですか?」


 中富はしばらく黙った。


「ま、気が向いたら、な。俺より沖田先生とかに教わった方がいいぜ。教え慣れてるし」

「はい、ありがとうございます!」


 じゃ、オレは疲れたから寝るわ、と言って、中富は去っていった。


 兄上は、いい人だなー。

 本当にお兄ちゃんみたい。

 でも、結局なんでここに来たんだろ。


 琉菜はあくびをすると、立ち上がった。


 空いてる時に、練習しよっと。








「やあっ!」


 次の日、道場で琉菜はひとり竹刀を振っていた。 中富に言われたことを思い出しながら、「打倒土方」を頭に思い描きながら、竹刀を握る手に力をこめる。

 しばらく練習していると、ふいに後ろから声が聞こえた。


「琉菜さん?こんなところで何してるんですか?」


 琉菜はかけ声を止めて声のした方に振り返った。


「あっ、沖田さん!ちょっと剣道の練習を…」

「まさか、昨日のことで?」沖田が驚いて尋ねた。

「はい。実は…」


 琉菜は昨日中富と話したことを沖田に話した。


「…で、あたし土方さんから1本取るっていうのを目標に、今練習してるところなんです」


 沖田は何も言わずに琉菜の話を聞いていたが、すべて聞き終わると、クスッと笑った。


「私も昔、土方さんに勝ちたくて稽古に励んでたなって、思い出しました」

「沖田さんが?」

「そうです。大人げなくいじめるもんだから、絶対剣で見返してやるって」

「ふふ、なんだか安心しました。そういう動機もアリですよね」


 中富が言っていたほど、重く考えすぎなくてもいいのかも、と琉菜は少し気が楽になった。


「せっかくですから、ちょっと稽古をつけてあげますよ」

「本当ですか?ありがとうございます!」




 それから2人は小一時間稽古に励んだ。

 沖田の教え方は少々厳しかったが、本物の武士に稽古をつけてもらっているという嬉しさから、琉菜はそれに耐えることができた。


「ありがとうございました。また時間があったら教えてください」

「承知。がんばってくださいね」



 いつか強くなって、土方さんから1本取ってやる。


 琉菜は1人微笑み、道場をあとにした。

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