3.屯所へ(後編)

 琉菜は近藤と土方を見た。2人とも少し暗い顔で琉菜を見ていた。


 やがて、土方が口を開いた。


「お前、未来のこと、洗いざらい話せ。それで信じてやる」

「おいトシ!」


 近藤が土方を制した。


「そんなことして何になる!我らは上様に尽くし、国のために働く!それでいいじゃないか!」

「近藤さん。きれい事言ってる場合じゃねえぞ。あんたは怖いんだろ。日本がこの先異国に乗っ取られるって聞いちまうのが。それに、長州の動きを先読みできりゃあ、こっちに分があるんだ」

「怖いものか!だがなトシ、今お前がやろうとしてることは、士道に背くことなんじゃないか?」


 土方はハッと口をつぐんだ。


「すみません、琉菜さん。今のは聞かなかったことにしてください」近藤が優しく言った。

「はぁ…」


 琉菜は一連のやりとりについていけてなかったが、とりあえず何もしなくていいようだった。


 土方は琉菜に小銭を投げて返した。


「足手まといになるなよ」


 琉菜は受け取った小銭を手にしたまま土方を見た。しばらくしてそれが許可を示すセリフだということに気づいた。


「いいんですか?」

「土方さんも意地っ張りだなぁ」

「黙れ総司。近藤さん、あんたは」

「ああ。もちろんだ。しかしどうしてまた急に?」


 土方は近藤をじっと見た。


「このままこいつを追い出して、ふらふらしてる所を長州のやつらに取られたらどうするんだ。あいつらなら、汚い手も使ってこいつから情報を得るかもしれねえ。もしこいつが未来の事実を吐き出したらそれこそ向こうに分があるってもんじゃねぇか」

「ははっ、なるほどな。確かにそうだ」近藤は面白そうに笑った。


 琉菜はそんな2人を見ておそるおそる切り出した。


「あのー…チョウシュウってなんですか?あと、ジョーイ?っていうのは…」

「お前…知らないのか?長州も攘夷も?」土方が信じられないといったように琉菜を見た。


 琉菜がこくりと頷くと、土方は文字通り頭を抱えた。


「本っ当に未来から来たのか?」

「はい」

「じゃあなんで知らねえんだ。お前にとっちゃ過去のことなんだから知ってるはずだろ!」

「あたし歴史苦手なんです。毎回赤点を取らないで済むことだけ考えてたくらいですから」


 言ってから、内容の半分も伝わらないであろうことに琉菜は気づいた。


「近藤さん、前言撤回だ。こいつ追い出すぞ」

「おいおい、武士に二言はなしだろう」


 土方は悔しそうに舌打ちした。


「で…あの、チョウシュウとジョーイって?」

「長州は敵、攘夷は異国打ち払い!」土方はイライラと答えた。


 琉菜はなんとなくわかったようなわからないような微妙な気持ちになっていたが、これ以上追求しても無駄だというオーラが土方から出ていたので黙りこくった。


「まあとにかく琉菜さん。仕事はお鈴さんによく教わって、がんばって下さい」近藤が朗らかに言った。

「すぐ慣れますよ」沖田が続いた。


「ありがとうございます。精一杯働かせてもらいます」


 琉菜は鈴の方に向き直った。


「お鈴さん、よろしくお願いします」

「へぇ、こちらこそよろしゅうな」


「で、隊のやつらには何て言う?」土方が切り出した。

「そうなんだよなぁ。未来から来たと言っても全員が信じるとも思えないし」近藤が首を傾げた。

「信じる信じないはやつらの勝手だ。だがな、信じないやつが『そんな話を信じるなんて』と局長への不信感を抱いたら危ない。1人2人ならまだしも10人20人となってくると隊の結束に関わる」土方は眉間にシワを寄せた。


「中富さんですよ」沖田が口を出した。

「中富さんにだけ事情を話して、生き別れたお兄さんってことにして。琉菜さんは最初からこの時代の人だってことにしましょうよ」


 土方は沖田を見て、不敵な笑みを浮かべた。


「まったく、悪知恵だけは働くやつだな。近藤さん、どうだ」

「それでいいだろう。総司、ちょっと中富くんを呼んで来てくれ」

「承知」


 沖田はスッと立ち上がると、部屋を出た。やがて足音が遠ざかり、部屋の中は静かになった。


「近藤さん、他のやつには知らせるか」

「そうだな。試衛館の仲間には話しておくかな」


 琉菜はそんな近藤と土方のやり取りをぼんやり見つめていた。

 トントン拍子に進んだ今の出来事を振り返る。


 賄い…か。

 ちゃんとできるかなぁ。

 それより何より、あたし、本当に幕末にいるんだなぁ。


 琉菜は目の前に置いてあるスマホや財布を見た。

 中学の時からの愛用品は、今この場所で見るととても奇妙なものに見えた。


「先生、中富さんを連れてきました」


 沖田の声に琉菜はハッと我に返った。


 中富さん……

 どんな人なんだろう。

 あたしの、ご先祖さま…


「入りなさい」


 近藤の合図で障子が開いた。


「失礼します」


 沖田ではない声がした。琉菜はその声に聞き覚えがあった。


 沖田が入り、先程より少し琉菜寄りに座った。

 そして次に、声の主が部屋に入ってきた。


 琉菜は目を見張った。


 中富は、あまりにも瓜二つだった。琉菜はまるで鏡を見ているような気分になった。


 琉菜が同じ髪型にしたら見分けはつかないだろう。


 そして途端に琉菜は声の正体がわかった。

 それは彼女自身が発している声。

 自分で聞く自分の声は、外に発しているそれと微妙に異なる。

 それゆえに、すぐには気づかなかった。だが、つまり近藤らにとっては2人はまるきり同じ声だということになる。



 総髪を髷に結った少年は、同じく琉菜を見て目を丸くした。


 2人の唯一違う所と言えば目くらいだった。


 恐らく今までにいくらか死線をくぐってきたのだろう。中富の目は琉菜にはない鋭さを宿していた。


「中富くん、まずは座りなさい」


 近藤に言われ、中富はぎこちなく近藤と沖田の間に座った。


 沖田が琉菜に目を向けた。


「琉菜さん、こちらは一番隊隊士の中富新次郎さん。中富さん、こちらは琉菜さん。一応、今日から新選組の賄い方…なんですけど」

「なんですけどって、なんなんですか!?この女…」中富はまじまじと琉菜を見た。


「お前の孫の孫みてえなもんだ」土方がぶっきらぼうに言った。


「は!?」

「つまりですよ、未来から来た中富さんの子孫の方…というわけで」沖田が言いにくそうに言った。

「沖田先生、言ってる意味が全っ然わかんないんですけど」

「あはは、ですよねぇ」


 沖田は先程近藤らに説明したのと同じように語って聞かせた。中富は口をぽかんと開け、最終的にはあんぐりと言った方が近いくらい開いた。


「こいつが…?オレの、し、子孫?」

「まあ、なかなか信じがたいと思いますけど…」沖田は苦笑いした。


「中富さんは、今日から琉菜さんの生き別れたお兄さんってことで」

「はい!?」


 土方が口を開いた。


「全員に未来がどうのという話をする気はない。それなりに事情がねえ限り女を入れるわけにもいかねえし。こいつは訳あって身よりがなくなり、唯一の肉親である兄を頼ってここまで来た。どうだ?」

「どうだって…」

「お願いしますよ中富さん」沖田がすがるように言った。

「お願いします!」


 全員が琉菜を見た。琉菜は頭を下げた。


「あたし、他に行くところがないんです。中富さんの協力が必要なんです!」


 中富は琉菜を見、しばらく黙り込んだ。


 そしてふぅ、と息をついた。


「しょうがねえなあ」


「いいんですか!?」琉菜はパッと顔を上げた。

「これで賄い当番もあんまり回ってこなくなるだろうしな」


「中富くん、よろしく頼むぞ」近藤が言った。

「承知」


 琉菜はじっと中富を見つめた。


 ありがとうございます。

 それと、よろしくお願いします、お兄ちゃん。







 その後、全員で口裏合わせの打ち合わせをし、近藤、土方、沖田、中富は部屋を出ていった。


「ほな、琉菜ちゃんはここでゆっくりしたってや。うちは夕飯の支度せなあかんて」


 鈴が立ち上がった。


「はい…すいません、役立たずで」


 琉菜は小さくなって鈴を見た。身なりを整えて正式に紹介するまでは他の隊士に見つかるなと土方や中富から厳しく言いつけられたのだ。


「気にせんでええし。あとで着物の着方教えたるね。それと、明日髪結いはんが来る日やから、琉菜ちゃんも結ってもらおうな」

「はい、ありがとうございます。」

「ほな、また後でな」


 鈴はにこりと微笑み、部屋を出た。琉菜は遠くなっていく鈴の足音を聞きながら、ぼんやりと鈴がいたあたりを見た。


 足音が消えると、琉菜は大きく息をついた。

 今までピンと張っていた何かがぷつりと切れたようだった。


 琉菜は畳に置いたスマホや財布を1つ1つ鞄にしまいながら、今起きたことを反芻した。


 マジで幕末ってことか…

 どうすんのこれから…

 賄いったって、ご飯炊くのもキャンプ式だよね?炊飯器なんかあるわけないし。


 琉菜はスマホを見た。


 電波はもちろん圏外。

 時計も電波で調整されているので、電波の"で"の字もないこの世界では当然止まっている。


 4月7日 08:15


 入学式…終わっちゃったかもなぁ…

 ありえない。

 でも、これ現実なんだよね。

 夢にしてはリアルすぎるし、長すぎるし。

 あっちの世界はどうなってるんだろ…


 考えれば考えるほど、琉菜は言いようのない不安に襲われた。

 向こうの世界がどうなっているのかも全くわからない。

 帰り方すらわからない以上、しばらくはこの世界でうまくやっていくしかないのだ。


 琉菜はパタンと携帯を閉じた。


 今悩んだって答えは出ないんだ。

 とりあえず、あたしは今から幕末で生きてかなきゃいけないんだ。


 琉菜は自分にそう言い聞かせ、現代文明の利器を視界の外に追いやった。


「やってやろうじゃん」


 そう呟いたそばから、琉菜は無意識に一筋の涙を流していた。




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