4.初仕事

「いったーーい!」

「辛抱しなはれ。ただでさえあんたはん髪が短こうてやりづらいんやから」


 琉菜は顔をひきつらせ、唇をぎゅっと結んだ。


「お鈴はん、この子なんなんどす?15にもなればもう何寸も長いはずやないん?」


 琉菜がタイムスリップして一夜明けた。

 新選組の屯所にやってきた鈴の馴染みの髪結いは訝しげな顔でそう言い、琉菜の髪を引っ張った。

 髪結いがそう言うのも無理はない。

 琉菜の髪は現代でいうミディアムヘア。肩程までの長さしかない。

 髪を切るのは罰を受ける時か出家する時と決まっていたこの時代の女性にとって、琉菜の髪型は奇怪としかいえなかった。


「お小夜はん、すんまへんなぁ。せやけど、この子にもいろいろ事情があるんどす…」鈴はまさか琉菜が未来人だとは言えず、言葉を濁した。

「そう言うたらそうやわ。せやなかったら新選組なんか来ぃひんもんなぁ」


 琉菜は引っ張られた髪がきつく持ち上げられ、縛られるのを感じた。


「あの…髪短くても…いたっ…なんとかなりますか?」今度は何かが刺さるような感触に顔をしかめながら、琉菜は尋ねた。

「そこは任せとき。うちに結えない髪はあらへん」


 昨日の着付けも大分つらかったけど、こっちに比べたらマシかも…


 琉菜は思い出してげんなりした。

 昨晩、鈴の着物を借りて一通り着付けを習ったが、浴衣すらろくに着付けられない琉菜にとっては初めてのことだらけで、かなり夜遅くまでかかってしまったのだ。

 これから毎日着物を着ると考えるだけで、琉菜は憂鬱な気持ちになった。


「ほな、できたで」


 琉菜はようやく痛みから解放され、ほっと一息ついた。だがまだひっぱられるような感覚は残っていて、なんだか顔の皮膚までつり上がっているような気分だった。


「琉菜ちゃん、可愛らしゅうできたえ」鈴がにっこり微笑み、琉菜に鏡を手渡した。


 琉菜は自分の姿をまじまじと見た。時代劇さながらの身なりで、自分が自分ではないような気がした。


 まあこんな格好、女優さんでもない限りできないし…


 琉菜はまんざらでもなさそうに微笑み、鏡を返した。


「ええやないの!」鈴が改めて感心したように言った。

「なんとか様になって良かったわ。これから髪ものびるやろし、そしたら痛うなくなるからな」


 小夜の言葉に、琉菜は髪が伸びるまでのことを考え、二重にげんなりした。










 身支度だけですでに疲れはてていたが、もっとハードなことが琉菜を待っていた。


「次は朝餉やね」


 鈴について琉菜は台所へと向かった。

 外はまだ薄暗かった。琉菜は眠気を思い出したようにあくびした。


 今何時なんだろ…

 ここにいるとなんか時間の感覚ないけど…たぶんあたし相当早起きしたんだろうなぁ…


 台所に着くと、鈴は「まずは火おこさな」と手探りで棚から火打ち石を取り出すと、慣れた手つきで火をおこし、ろうそくや行灯に明かりをつけていった。琉菜はボンヤリと、ただただ感心してそれを見守った。


 たちまち、台所が明るくなった。

 さすがに蛍光灯には負けるが、手元を見るには充分な明るさだった。


 琉菜は改めて台所を見回した。歴史の教科書の挿し絵で見たような光景だった。

 竈が3つ。向かって左には棚、右には調理台。奥の方には薪が積み上げてあり、そのそばに数個の桶。さらに反対の角には昨日沖田が背負っていた米俵が置いてあった。


 鈴は火種を竈に投げ入れた。


「琉菜ちゃん、早よ!」

「はい!?」


 鈴は竹の棒を琉菜に投げ渡した。


 これって、あれ?

 フーフーするやつ?

 …と、とりあえずやるっきゃない。


 琉菜は鈴のそばに行って、しゃがみこんだ。

 鈴がフーッと息を吹きかけると、くべてあった薪に火が燃え移った。

 琉菜は顔面を舐めるような熱気に顔をしかめた。


「ちょっとええ?」鈴に言われ、琉菜は一歩下がると鈴は薪に少し火をつけ、隣の竈に移した。

 2人はしばらくフーフーとやっていたが、ふと鈴は手を止めた。


「琉菜ちゃん、もしかして火おこししたことあらへん?」

「はい…はぁ…はぁ、未来にはこういうのがないので」

「あらへんやて?ほな、どうやって」

「ガスで」

「がす…?あ、琉菜ちゃん、火!」


 琉菜は慌てて竈を見た。火がさっきより弱くなっている。


「ごめんなぁ、邪魔してしもたね」

「いえ…」


 再び果てしないフーフーが始まり、ガスの話もそれきりとなった。

 何分経ったのかわからないが、ようやくすべての竈の火が燃え上がった時には、琉菜は体中の空気を使い果たしたのではないかと思った。









 なんとか料理の方は終了し、大部屋にすべての食事を運び終えると、琉菜はへたりと大鍋の横に座り込んだ。


「琉菜ちゃん、うちは離れの方に行って、伊藤はんたちにお出しするさかい、しばらくこっち頼むえ」鈴は部屋の外から琉菜に呼びかけ、障子を閉めるとパタパタと足音を立てて行ってしまった。

「わっかりましたぁ…」琉菜は鈴がいたあたりをじっと見つめ、弱々しく言った。


 給食のおばさんみたいだなあたし…っていうか絶対それよりキツいし…

 あたしが来る前は隊士が交代で手伝ってたっていうけど、それでもお鈴さん1人でこれをこなしてたなんて、ありえない…


 隊士たちはそろそろ朝稽古を終えてこの広間にやってくる。そうしたら1人1人にご飯と味噌汁を配るのだ。

 そしていよいよ、琉菜は他の隊士と対面することになる。


 すると、ガラリと障子が開き、中富が入ってきた。


「中富さん、おはようございます」

「おい、忘れんなよ、みんなの前では『兄上』だからな。そろそろみんな来るから、心の準備しとけ」


 言うが早いか、外が騒がしくなってきた。


「それでよ、こないだの巡察でさぁ…」


 他愛もない話をしながら、隊士たちが1人、また1人と入ってきた。


「おう中富、今日はお前が一番か。チビのくせに腹はそれなりに減るんだな」

「うるせえ!チビって言うなって何回言ったらわかるんだ!?」


 中富が食ってかかると、からかった隊士はぴたりと動きを止め、中富の向こう側に目をやった。琉菜は彼と目があい、申し訳程度に会釈した。


「誰だ?」

「あとでまとめて説明するから」中富はぶっきらぼうに言った。

「おい、早く進めよ、みんな腹減ってんだから」障子の向こうから声がし、急かされるように隊士は部屋に入り、席についた。続く隊士らも怪訝そうに琉菜を見つめつつ、それぞれ席についた。


 やがて近藤、土方、沖田、それに琉菜の知らない顔が数名、幹部と思われる男たちが部屋に入り、上座に座った。


 近藤が立ち上がると、それまでざわついていたのが静かになった。


「みんな、稽古ご苦労だった!今日は大事な知らせがある!」


 近藤は琉菜に立ち上がるよう促し、自分も立った。


「こちら、今日から新しく賄い方に入ることになった琉菜さんだ」


 近藤が一言言うと、部屋中がざわめきだした。


「気づいた者もいるだろうが、琉菜さんは中富くんの妹にあたる」

「えええーーーーっ!!??」


 ざわめきが一層大きくなり、全員の視線が琉菜に集まった。

 琉菜はちらりと近藤を見た。近藤は微笑みながら小さく頷いた。


 琉菜は正座し、手をついて頭を下げた。


「初めまして。ご紹介に預かりました、琉菜と申します。幼きころ家の事情で兄と生き別れ、江戸の商家に引き取られて過ごしておりました。ですが店が潰れてしまい、私にはただ1人の肉親である兄しかもう頼れる人がいなかったのです。ですから兄を探し、京の都に参りました次第でございます。皆様のお役に立てるよう精進致しますので、どうか私を兄の側に置いていただきたく。よろしくお願いいたします」


 琉菜は昨晩土方に仕込まれた通りの台詞を言い切り、小さく安堵の息をもらした。


 マジで時代劇みたい…


「そういうわけだ、皆、よろしく頼む。さあ、せっかくの朝餉が冷めてしまう。早く食べて、今日も一日がんばろうじゃないか」


 近藤がそう言っても、ポカンと口を開けたまま、誰1人、身動き1つしなかった。

 すると、沖田がすっと立ち上がり、空のお椀を琉菜の前に差し出した。


「琉菜さんの初仕事、私が一番乗りです」沖田はうれしそうにそう言った。


 琉菜はハッと自分の仕事を思い出し、慌てて沖田のお椀に味噌汁を注いだ。


「ありがとうございます。おいしそうですね。みなさんいらないみたいですから私が全部もらっちゃいましょうか」


 隊士らは突然空腹を思い出したようで、ガバッと立ち上がると、我先にと琉菜のもとへとやってきた。


「ふふっ、よろしくお願いしますね、賄い方さん」沖田はニッと笑うと、後ろの隊士に場所を譲った。


 琉菜は次々と隊士らに味噌汁を注ぎ、中富の番になった。


「はい、兄上」琉菜はにこりと微笑んで味噌汁を手渡した。


 中富は少し照れたように「おう」と答え受け取った。


「まさか中富に妹がいたとはなぁ」

「ほんっとに瓜二つだな」

「おい中富、妹がいたならもっと早くそう言ってくれりゃあ良かったのに」


 それからずっと、部屋を飛び交う台詞はそんなものばかりで、琉菜は耳にタコができそうだった。



 あたしが言うのもなんだけど、ホントに中富さんってあたしにそっくり。

 お兄ちゃんっていうより、双子みたい。


 琉菜は中富の方を見た。

 味噌汁を片手に他の隊士と談笑している。


 おじいちゃんのおじいちゃんの、そのまたおじいちゃんくらいなのかな?


「あのー…」


 呼びかけられて琉菜はハッとした。

 ぼんやりしている間に琉菜の前には行列ができていた。


「はい、どうぞ」


 琉菜は慌てて味噌汁を手渡した。


 あたし、賄い方なんて…大丈夫なのかな。


 ふと、再び中富の方に視線をやった。

 すると、目が合い、中富は口の端を少し上げて笑うような顔を見せた。

 琉菜はにこりと微笑んだ。


「はい、次の人、どうぞ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る