2.屯所へ(前編)

 新鮮グミ?じゃないよね…


 でもどっかで聞いたことある。確か…


 琉菜はハッとした。

 引っ越しで京都に着いたあと、裕子と共に市内観光に出かけた時のことを思い出した。

 あれは清水寺でのこと。寺へと続く参道には様々な土産物屋が立ち並んでいるのだが、いろいろと店先を眺めた琉菜は裕子に尋ねた。


「ねぇお母さん、あれ何?」

「あれって?」

「ほら、水色に下にギザギザ模様があって、誠って書いてあるやつ。なんかさっきからよく見るけど…」

「あれは水色にギザギザじゃなくて浅葱にだんだらっていうのよ。新選組の旗なの」

「新鮮グミ?」

「あんた、食べ物じゃないわよ」


 裕子はコホンと咳払いすると説明を始めた。


「新選組っていうのはね、幕末…幕末ってわかる?江戸時代の終わりのことね。その幕末に京都で活躍した警備隊のことなの。今でいうと警察みたいなものかしらね。初めて聞いたって顔ね。まあ仕方ないか。たぶん歴史の教科書には出てないから」

「なんで?」

「要するにマイナーなの。歴史の裏舞台の人たちって感じかな。でもかっこいい隊士がいっぱいいるからファンは多いのよ。お母さんは土方歳三が好きだなー。すっごいイケメンなんだから」


 最後の一言を軽く流し、琉菜は改めて"浅葱にだんだら"を見た。




 新選組かぁ…



 ってことは、ここは幕末?

 ってことは、この人たち警察?

 なら嘘を見抜くとか人を疑うとか慣れてるわけだ。


「こっちは新選組の一番隊組長の沖田総司はん。今日は買い物の手伝いしてもろてるんや」


 琉菜は米俵を見、沖田と呼ばれた男を見た。


「本当に…新選組の人なんですか?」

「嘘ついてどうするんですか。あなたじゃあるまいし」

「沖田はん!」


 じゃあ…あたし、本当にタイムスリップしちゃったんだ…

 ここは幕末で…江戸時代で…


 さっき止んだ涙がまた流れ出た。

 15歳の少女が受け止めるには重すぎる現実。


 会えないんだ。

 現代の人たちにはもう会えないんだ。

 帰れないんだ。

 一生、こんなところにいなくちゃいけないの?


「る、琉菜ちゃん?どないしたん?」鈴が琉菜の顔を覗き込んだ。


「…うちでよければ話聞かしてくれへんやろか」


 琉菜は鈴を見た。


 信じてくれるだろうか?

 自分は未来から…異世界から来たのだと。


 話せば少し楽になれるかもしれない。

 理解してくれる人ができたら救われるかもしれない。


 信じてくれないかもしれないけど、話すだけ話してみようかな。

 今度は本当の話なわけだし。


「じゃあ…信じてもらえないかもしれませんけど」


 琉菜は木陰に腰を下ろした。鈴はその横、沖田はその向かいに座った。


「沖田さんが言った通り、今までの話は全部嘘です」


 沖田が「ほら」と言わんばかりに鈴を見た。


「あたしは…確かに異人ですけど…外国から来た異人じゃなくて…違う世界から来た異人なんです」


 鈴も沖田もキョトンとしていた。琉菜は続けた。


「あたしは未来から来ました。100年以上先の世界から来たんです」


 二の句をつげない様子の2人に対し、琉菜は事実を話した。

 入学式がどうのこうのという話はカットし、祠に入ったらここにいた、この格好が向こうの正装であることを伝えた。そして、帰り方がわからないことも。


「沖田はん…うちにはこっちの方がよっぽど嘘に聞こえるんやけど…」


 鈴に話しかけられても、沖田は黙って琉菜を見ていた。そして、少し考え込んだあと、ようやく口を開いた。


「いや…こっちは本当だと思いますよ」


 鈴は目を丸くした。


「沖田はん?」

「だって…普通こんな嘘つけないじゃないですか。それと、さっきから思ってたんですが、この方、誰かに似てるような…」


 沖田はしばらく考え込んだ。


「中富さんだ!そうだ…もしかしたら中富さんは琉菜さんのご先祖かもしれませんよ」

「そういうたらそうやわ!」

「信じて…くれるんですか?」


 沖田はこくりと頷いた。その時浮かべた微笑みは今までのそれとは違うように見えた。


「せやけど…琉菜ちゃんこれからどないするん?帰り方わからへんならしばらくこっちにおるしか…」


 鈴はハッと何かを思いついたような顔をした。


「琉菜ちゃんもうちと新選組で賄いやればええんや!」

「え?」


 思わぬ展開に琉菜は戸惑った。だが、とにかく当座の居場所は確保できるかもしれない。


「い、いいんですか?」

「へぇ。うちは構しまへんえ」

「お、お鈴さんが構わなくても近藤先生や土方さんにはどう説明つけるんですか!?」沖田が口を挟んだ。

「近藤はんはきっと信じてくれはります。その近藤はんのお言葉なら土方はんかて問題あらへんどっしゃろ?」


 沖田は少し考え込むように黙り込んだ。そしてふぅ、と息をついた。


「じゃあ、とにかく屯所に行きましょう。どっちにしても、こんな格好した人に町をうろうろさせるわけにもいきませんし」


 沖田は再び米俵を背負った。あまりにも軽々と持ち上げたので、琉菜は本当に中身が入っているのかと思った。


 そういえば、さっきこの河原に来た時も、文句いう割には全然息切れとか疲れた顔してなかったよね…

 沖田さんって、やっぱりただ者じゃないのかも?


「急ぎましょう。あまり多くの人に見られないうちに」









 先ほどのおしのと平吉が噂を広めたのだろうか。町にはあまり人通りがなかった。

 改めて見ると、当然のことながら現代ではあり得ない景色が続くことに琉菜は戸惑った。

 建物は木造、地面は土。


 エコだなぁなんて感心してる場合じゃないんだよね。

 あたし、本当に幕末に来ちゃったんだ。

 帰る方法…わかんないけど、とりあえず、新選組の屯所においてもらって、ゆっくり探すしかないな。


「あ、ここですよ」


 沖田の声に、琉菜は我に返った。


 目の前には大きな門。奥にはこれまた大きな家のような屋敷のような。


 琉菜は門の横の看板に目をやった。


『京都守護職会津藩御預新選組屯所』


 中国語…?


 沖田は門の中へと入り、軽くあたりを見回した。


「とりあえず誰もいないみたいですね。今のうちに見つからないようにお鈴さんの部屋まで行って下さい。私は近藤先生たちを呼んできます」


 そう言って沖田は足早に去っていった。


「行こう、琉菜ちゃん」


 鈴に言われ、琉菜は小さく頷いて中に入った。









 少し奥まで行ったところで、鈴は立ち止まった。


「ここや」


 障子を開け、琉菜を招き入れた。

 こじんまりとした6畳か7畳くらいの部屋だった。見た目は普通の和室とほとんど同じだったが、電灯はなく、部屋の明るさは上からの電気ではなく横から入ってくる日光によって保たれていた。


 ほどなくして、「お鈴さん、琉菜さん、入りますよ」と沖田の声がした。

 鈴が「へぇ」と返事をすると、障子が開き、沖田が入ってきた。後ろには琉菜の見たことのない男が2人いた。


 2人の男は琉菜と鈴の前に座り、沖田は障子の前に座った。


「琉菜さん、紹介しますね。右が土方歳三さん。新選組の副長です」


 土方さん…って、お母さんが好きだって言ってた人!?

 なるほど、ちょっとイケメンかもしれない。


 琉菜は土方の目を見た。全てを見透かすような鋭い目に、琉菜は思わず俯いた。


「で、左が近藤勇先生。新選組の局長です」


 近藤は微笑みを浮かべ、わずかに会釈した。琉菜もおずおずと返した。


「で?総司、なんだこいつは」土方が言った。

「琉菜さんです」沖田はにべもなく答えた。

「バカ、そういう話じゃねぇだろ」

「うーん、話すと長くなるんですよねぇ」

「いいから話せ」


 沖田はやれやれという風に説明を始めた。

 近藤は驚いたように、土方は胡散臭いと言わんばかりに、それぞれ黙って話を聞いていた。


「まあそういうかくかくしかじかな事情でして。伊藤さんたちも来たばかりで何かと賄いも手が足りなくなってくるでしょう。だから賄い方をもう1人雇うのもいいかなーなんて」


 沖田は取り繕うように笑いかけた。


「お前はその話を信じたのか?」土方が言った。

「だって、普通そんな嘘思いつかないじゃないですか」

「まあ、総司の話も一理ある」近藤が初めてしゃべった。深い落ち着いた声だった。

「でも近藤さん、証拠もないのに、こんな女」


 土方は琉菜を見て言葉を中断した。


「似てる…誰かに…」

「中富さんですよ。ほら、私の隊で一番若いあの人」沖田が説明した。


 近藤もよく見ようと琉菜な目を向けた。


「本当だ。瓜二つだ」

「でしょ?たぶん琉菜さんは中富さんの子孫なんですよ」


 土方は少し悔しそうに沖田を見ると、琉菜を見た。


「おい、お前なんか証拠見せろ」

「証拠?」


 琉菜は久しぶりに声を出したので少しうわずってしまった。


「未来から来たってんなら、証明しろ」


 どうしよう、ここで何か証明しないと。

 下手したら、追い出される。


 琉菜はすがるように持ってきていたバッグを開けて、中を見た。そして、順番に中身を出した。


「これはスマホ…財布…ペンケース…」


 全てを出し終わり、琉菜はどうだとばかりに土方を見た。


「見たことないものばっかりだと思います。そうそう、これがあっちのお金」


 琉菜は財布から千円札と小銭を出した。小銭を一枚ずつ、近藤と土方に渡す。


「よく見て下さい。平成何年とか昭和何年って書いてあるはずです。それはこの先の年号なんです。それから」琉菜は千円札を掲げた。

「これは野口英世。何した人かは忘れましたけど、スッゴい偉い人なんです。歴史に残る有名人です。でも見たことないですよね?今から50年くらい後の人だからです」


「はっ、こんなでっち上げ」土方は眉間にしわを寄せて小銭を見つめた。

「これがお金なのですか?それも?」近藤は小銭を見、琉菜の持っていた千円札を見た。

「そうです。」琉菜は千円札を近藤に手渡した。

「こんな紙っぺらが金だと?バカも休み休み言え」土方が食ってかかった。


「いや、あながちバカでもないぞ」近藤が千円札を裏返した。

「メリケンではこういう紙が金として使われてると聞いたことがある。これから西洋の文化を受け入れて進んでいけば、こういう未来もあり得るぞ」

「ってことは…日本は開国するのか?攘夷が上手くいきゃあ、こんなことにはならないはずだ」


 その場の空気がピンと張りつめた気がした。

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