しっぽ高の腹ペコ狐

(1)


「そのお話がどうかしたんですかー?」

ぐすん、と鼻をすすりたい気分で疑問の声を上げた。

米粒一つ残さず綺麗に空っぽになった弁当箱を未練がましく眺めて、くうと鳴く腹の虫にますます落ち込んだ。次の授業は無いのだから外に買いに行っても良いのだが、せっかく朝早く起きて好みのおかずを詰め込んだ弁当が一口も食べられなかったとなればお腹は満たされても不満が残る。

宮手相(みやてあい)。国語教師一年目、新任二日目の悲劇だ。ついでに言ってしまえば教師になって初めてのお弁当である。鞄の中から取り出してその軽さにぎょっとし、開けてみたらこの惨状だ。同じ準備室が割り当てられている優しいおばあちゃん、といった風情の先輩教師に報告したらおむすびを一つ分け与えられて、何故か地元の民話を聞かされたところである。

四房が原とはこの高校の名前にもなっている。四房が原高校、そのまま略すとしぼうこうになって紛らわしいためか、しっぽ高などと可愛らしい愛称で呼ばれたりしている。

「ふふ、世の中不思議なことがあるわね、ってお話」

口元に手を当てて小首を傾げられて、相は顔いっぱいに慰問符を浮かべながら同じ方向に首を傾げた。


(2)


まさか、である。

確かにお弁当の中身だけがそっくり無くなっているのに、包みの結び目もそのまま、なんだったら鞄を開けた形跡もなく、財布なども手付かず。そもそもまとめて鍵がかかったロッカーに入っていて勿論こちらも鍵がかかったままとか軽く密室ミステリー、むしろ怪奇現象の領域だが、まさかこの現代の学校で狐の仕業ということはないだろう。

(民話……民俗学の類って苦手なのよね)

国語の教師になるくらいだ。本を読むのが好きで当然のように民話や民俗学の本にも目を通している。狐も狸も天狗も小さな子供の頃に絵本で読んで大好きな題材であったが。

(何か……微妙にホラーなのよ)

つい先ほど聞かされた民話も終わり方があっけらかんとしているが、途中はまるきり怪談だ。むしろそのあっけらかんとした終わり方が怖い。時代的に食料を盗まれるのは大ごとではないのだろうか?

そんなことを考えながら無人の廊下を歩く。右手の教室からは授業をしている講義の声が聞こえてくるが、とても静かに感じる。

四月の陽気と相まって転寝している生徒もいるのではなかろうか。

左手には生徒たちに割り当てられる鍵付きのロッカーが並んでいる。基本的に授業で使わないものは全てこのロッカーに入れておくことになっているらしい。

スマホ、パソコンの持ち込みも漫画もゲームも化粧品も制限されていないが、授業中に持っていたら没収だ。飲食は飲み物と飴だったら許容するが、トイレに行ったら閉め出しというのがこの学校の教師陣に共有された方針である。

自身の高校生時代を思い返すと物凄く緩く感じるが、そのうち慣れるだろう。

購買の菓子パンを一つ、持ってロッカーの上から覗く青い空を窓ガラス越しに見上げる。三十分ほどだが……外に出て食べようか。桜は早くも散ってしまったが、春の風に当たるのは良い気分になりそうだ。

そう思うだけで気持ちが浮上してにんまり口元で笑むと廊下の先へ視線を戻した。

足が止まる。

二、三度瞬きして目をこすり、確かにそこに存在すると認めて、相はそうっとそこに近寄った。

もふもふだ。

もふもふの黄色い何かがロッカーの扉から生えている。近寄ってまじまじと観察してみたが、ロッカーは鍵もかかっていて何処にも隙間はない。ライトグレーの金属の扉の真ん中から、直接生えていた。まるで動物の尻尾のような細かい毛の集まり……もふもふが。

丁度胸のあたりでふわふわと揺れるそれに誘われて、空いてる手でそれを掴んだ。

「……っ……!」

瞬間、くらっと来るほど極上のもふもふである。人間が触って心地いい感触全てをひとまとめにした存在がもふもふなのだ。仕方ない。もふもふは至高だ。

「って、そうじゃない」

はた、と口の中で呟いて理性を取り戻す。無心で手の中の感触を楽しみたい衝動に耐えながら引き抜くように力を込めた。

がた! 

ロッカーの中の荷物が扉にぶつかったのだろう。結構大きな音が響いた。

ぶらんとぶら下がったものを顔の高さまで持ち上げる。大きさの割に羽のように軽い。もふもふの根元は大きめの赤ん坊、のような人型の生き物だった。

ぱちぱちと瞬きする大きな栗色の瞳と視線が合う。

「きゃあ!?」

思わず甲高い声を上げてしまって、口を掌で塞ぐ。相が一歩後ずさってできた場所に落っこちたその生き物はころりと転がっておしりをついて座った状態になっている。鳴き声もあげず、どこかきょとんとした顔でなおこちらを見つめていた。

栗色の長めのざんばら髪を分けて、三角形の黄色い獣耳が生えている。

……なんていう生き物か、知っている。狐である。化ける種類の。

「どうしました?」

悲鳴を聞き咎めたのだろう、一番近くの教室のドアが開いてそこで授業をしていた教師が顔を覗かせている。黒ぶち眼鏡の四十代ぐらいの優し気な男性、手に持っている教材は生物のものだ。

「え、えっと……生き物が……」

「おや、猫でもいましたか?」

あいまいに、言葉を探しながら無難にそう言って、ロッカーから足元を指差したが、彼の廊下を見渡す視線は相の足元を素通りした。

アニメのような姿の生き物がそこで相の持つ菓子パンの匂いを嗅ぎ始めていたのに、だ。……見えてない。

そう判断して、こくりと頷く。

「もう逃げてしまったようですね」

にこりと微笑んだ生物教師は狐っ子の鼻を避けて胸に抱くように保護した菓子パンを見たか、スーツのポケットから個包装されたビスケットを出して、相に渡した。

「少ないですが差し上げます。手元から離してはダメですよ、お腹がすいているのかもしれませんからね」

……そのようです。

ビスケットが出てきた途端、嬉しそうに尻尾を振り始めた気配を感じながら、相はもう一度頷くと、相手が教室に入るのを見送ってこの場を立ち去る。

じゃれつくように黄色い尻尾が付いてくるのからは、努めて意識を逸らしながら。

(……何、コレ……?)


(3)


「おきつねさまだな!」

「……神社の稲荷狐とは違うみたいだけど」

「む、詳しそうだなー。でもちゃんと祠も持ってるぞ!」

ビスケットを粉まで口に注いでから相の疑問に胸を張って答えた自称おきつねさま――人の気配から遠ざかったところで、開口一番ビスケットを要求してきた時に“セン”と名乗った――は、半眼でそう言った相に不満そうに頬を膨らませた。

それこそ本の知識からの判断だが、少なくともお弁当を盗み食いする狐は神使ではないだろうと思う。

「……お弁当……」

思わず怨念を込めて呟いたが、全く悪びれない。

「おお、ありがとなー。一度貰った相手からはもう取らないぞー」

言ってにやっと笑う。

「あんたは見えるし触れるみたいだから、特別にお礼もしてやる。抱っこしていいぞ」

祠はあっち、と校舎裏の木が生い茂っている方を指差して、相に向けてふわふわと尻尾を振った。

「……くっ……ちくしょう……!」

「畜生だなー」

頬を撫でる毛先の感触に震えながら付いた悪態に、けらけらと笑い声が上がった。


(4)


我ながらこの事態を自然に受け止めすぎである。

明らかにもふもふに理性を溶かされているのだが、相はもう何も考えないことにした。次の授業に出れればいい。

(ん?)

丁度祠があると示されたあたり、まるで林のようになった一角で何人か動いてる。木々に虎の配色をされたロープを絡めて囲ってあり、何か工事をしているようだ。

ロープの外側で恰幅の良い男性がその作業を見守っている。その足元に古い毛布で包まれた一抱えほどの荷物と紙箱が置いてあるのが見えた。近づくと紙箱の中には白い小さなお皿や一輪挿し、お菓子と小さな人形だ。

お供え物みたい、という感想は腕の中でセンがその毛布の中身が祠だぞ、と言ったことで事実になった。

ばたばたと手足を動かしたので断腸の思いでもふもふを手放すと、跳ねるように走って祠らしい包みの上に腹ばいになって欠伸をする。昼寝でもするのだろうか。

「教頭先生、お疲れ様です」

「ああ、宮手先生でしたかな? お疲れ様です」

相に気のいい大型犬のようなたれ目の笑顔を向けた教頭は、工事の様子に視線を配りつつ穏やかに言葉をかける。

「どうですかな? 今日が初日の授業でしょう」

「何とか午前中は乗り切れました。お気遣いありがとうございます」

お昼休みからが大問題であるが。

誤魔化すように工事の方へ目を向ける。どうやら切り株を掘り起こす作業をしているようだ。大木だったのか、相が五人は入れそうな太さだが、中が大きく陥没している。

「大きな切り株ですね」

「ええ、創立以前からここにあった銀杏の木だったのですが、去年の冬に幹が割れましてね。調べてみたら中が空洞になってまして。これはもう枯れてしまうのではないか、と言い合っていたら案の定と言うべきか……寂しいですが、倒れれば三階の窓でも割りそうな大木だったので春休み中に切って、今日は切株を片付けているところです」

でも、新しい銀杏を植えるんですよ。と嬉しそうに目を細める。

「そこの……中身はこの地域に多く残っている石の祠なんですが、そちらも新しい銀杏の傍に移すことになってます」

「……狐の祠、ですか?」

「ひょっとしてもうお会いになられましたかな?」

面白そうに笑みを深めた教頭の前で眠そうな目を上げたセンがお前の弁当は凄い量だったな、と言う。盗ったのか。

「はあ……お話をお聞きしました。……魚を取られた男の話を。こういった話はたくさんあるんですか?」

「ええ、この学校の校史の編纂室にはいくつも採集されて残ってます」

「研究はされていないのですか?」

「いえ、このあたりは遺構の発掘などもありませんし、特に研究された話は残念ながら聞きませんね……興味がおありですか?」

「いえ、……」

ちらりと祠……正確にはその上に寝そべっているセンを見てため息をつく。こうして狐が実在する以上、無駄な心配だ。

「私、民俗学って苦手だったんですよ。可愛い座敷童が……間引かれた子供だったりするじゃないですか。調べれば調べるほど気が重くなることが多くて」

「……宮手先生はお優しいですね」

微笑む教頭の声を聞いていると、呆れたように相を見上げるセンと目があう。

呆れてる、というより変な顔と言うべきか。妙なことを考えてるな、という顔だ。

むっとしたが、まず教頭に見えていない様子であったのでここで話しかけるわけにはいかない。

視線を工事に戻すと、ざわりと騒がしくなった。

「……折角だからと連れてきちまったけど……悪かったな」

センの声がしたが振り向くわけにもいかない。先生方! と叫びながら近づいてくる作業員がいるからだ。じわっと嫌な予感が胸に広がった。

泥だらけになった顔をそれでもわかるほど青くした作業員が告げる。

「銀杏の根元から……小さい人骨が詰まった壺がでてきました……随分と古いもののようですが警察に連絡と確認をお願いします」

「……宮手先生、大丈夫ですか?」

笑い皺のある顔を険しくした教頭がそう言ってくるのに無言で頷く。

ふと祠の上を振り返ったが……黄色の、銀杏の色をした尻尾は見つからなかった。


(5)


民俗学なんて大嫌いである。

もふもふのいたずら狐も陽気なのんべえ狸も子供好きのあわてぼう天狗も掘り返すとひどく陰惨な由来が研究の結果として出てくるのだ。

本格的な調査が入って合わせて二十個以上の骨壺が見つかり、飢饉の時にでも大量に間引きでもしたか、などと学者が地元の新聞に載せていたりした。

“四房が原の狐”は集落から追い出された子供などが野盗になったものを、後ろめたさから狐の仕業として忘れようとしたのではないかとも。

(でも確かにセンが居たのよね……)

一体、この“四房が原の狐”の話はどれくらいがセンの話なのだろうか。

校史の編纂室に残っていた大量の資料を思い返して首を傾げる。

正体を知られた狐は人間の前から消えるというけれど、“四房が原の狐”として存在していたセンはそれ自体が正体になるのではないか。あれだけ頻繁に盗み食いをしていたら由来が逆転してしまっていそうだ。

授業中の校舎内を歩いて新しい祠と銀杏の木の見える場所に行く。

そこから見つかった壺は周りの土ごと最寄りの寺で供養され、地鎮祭をしてから計画通りに新しい銀杏が植えられた。祠も慰霊を兼ねて、ということかOBなどが寄付をして相の背丈ほどの小規模な社になっている。元の祠だった石は中に安置されているはずだ。

毎日話を知った生徒たちから食べ物が供えられている社の周りは初夏の緑に包まれて、なかなか居心地がよさそうである。

(ん?)

既視感に瞬きをする。

社の扉から、黄色のもふもふが生えていた。しばらくゆらゆらと揺れてから中に引っ込んだ。そして栗色の髪から黄色い三角形の獣耳を生やした子供の頭が出てくる。

機嫌良さそうに供え物の匂いを嗅いで、すっと相の方に視線が上がる。

にい、と笑った仔狐が手を振った。

(了)


参考資料


きさらづの民話/木更津の民話刊行会編(みずち書房/1984)

※主に“しぼっ原の狐”より前後の狐に関する民話も参考にしつつ、地名等の固有名詞、地形など改変削除してあります。

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