第18話 失踪と疾走
「いっつぅ…」
寝起き早々、違和感を覚える場所を手で押さえる。痛みのある首元を。
どうやら寝違えてしまったらしい。更に体にかけていたハズの布団まで床に落としていた。
「……やっぱり起こしに来なかったか」
時計で時間を確認。続けてドアの方に視線を移した。
夏休みに入ってからバイトがある日は、ほぼ必ず華恋が起こしに部屋へ登場。原因は自分の夜更かし。学校に行く時よりも起床時間が遅れる為、前日の深夜になかなか寝ようとしていなかったのだ。
けれどもそれは昨日までの話。もう妹に甘える生活とは決別したのだから。
「んっ…」
寝ている間に不思議な夢を見ていた気がする。知らない街で生活している内容の話を。
観光地なのか宿泊施設の先に海が存在。反対側には稜線がなだらかな山も。
それはまるで生前の意識を彷彿とさせる世界。記憶に無い場所なのにどこか懐かしかった。
「う、うわあぁあぁぁっ!?」
簡単な着替えを済ませるとバイトに行く為に部屋を出る。しかし途中の階段で足を滑らせ激しく転落。
「……いちちちち」
夏休みの緩い空気のせいなのか油断していた。久しぶりに痛い思いを経験する羽目に。
とはいえその激しい音を聞いても誰も駆けつけてくれないのが一番辛い。出勤してしまっている両親はもちろん、二階で寝ている香織も。更には客間にいるであろう華恋さえも心配しに来てはくれなかった。
「いただきます」
リビングにやって来ると朝食をとる。牛乳をかけたシリアスとヨーグルトをおかずに。
「行ってきま~す…」
そして食べ終えた後は歯磨きをして玄関へ。見送り無しの状態で自宅を出発した。
「先輩先輩、聞いてくださいよ!」
「え、何?」
「うちがカバは世界一可愛いって言ったら姉さんがサイの方がキュートとか言い出すんすよ。どう思いますか?」
「凄くどうでもいい…」
バイト中の暇な時間、紫緒さんが声をかけてくる。激しく下らない内容で。
「先輩も絶対カバの方が良いっすよね?」
「どっちもどっちかなぁ…」
「何でですか! バカなんですか!?」
「ダジャレ?」
今日は珍しく学生バイト組の3人が集結。夏休みに入ってパートの人達が忙しくなったのでシフトが大幅に変わっていた。
「サイの方が可愛いよねぇ~、雅人くん?」
「はい、そうですね」
「うわっ、先輩が姉さんに日和りやがった!」
「ふふふ。雅人くんは私の下僕だから何でも言う事を聞いてくれるのよ」
「酷いっ! 先輩はそんないい加減な男じゃないって信じてたのにぃぃ!」
「暇なら帰っても良いですか?」
店長が外出中なのを良い事に大ハシャぎ。紫緒さんだけではなく普段は真面目な瑞穂さんさえも。
「はぁ…」
仕事はさほど忙しくないがテンションが上がらない。自宅にいる泣き虫の存在が気掛かりだった。
「あ、ところで先輩。香織ちゃんの連絡先って分かりますか?」
「え? そりゃ家族だから知ってるけど」
「連絡先聞こうと思ったら連絡先を知らなかったんですよ。だから先輩から連絡先を聞いてから連絡先を聞こうと思って」
「……君、何を言ってるの」
楽しく談笑をしながら労働に勤しむ。前日の出来事を忘れるように。
バイトを終えた後は真っ直ぐ帰宅。夕方の涼しい空気の中を歩いて帰った。
「ただいまぁ」
「おかえり。外暑かったでしょ?」
「そだね。1日中クーラーの効いてる場所にいるから外に出た瞬間にムワッとしたよ」
リビングにやって来ると調理中の母親に出迎えられる。ソファに座っている父親と香織にも。
「こら、雅人! アンタまだ手洗ってきてないでしょ」
「後で洗うって。お腹空いてるから先に食べる」
「ダ~メ。先に洗ってらっしゃい。ほら、早く」
「ちぇっ…」
そのままテーブルに並べられた食料に有りつこうとしたが失敗。キッチンからお叱りの声が飛んできてしまった。
「あ、あれ……華恋は?」
仕方ないので洗面所で汗が染み付いた手と顔を洗浄する。ついでに二階で着替えて戻って来たのだが約1名の姿がどこにも見当たらない。
「華恋さんなら知り合いの家に泊まりに行くって言ってたよ。だから今日は帰らないって」
「泊まり…」
「友達とパジャマパーティーかな? 楽しそうだね」
自分以外の3人は既に椅子に着席。すぐにでも食事を始めそうな雰囲気だった。
「ねぇ、本当に友達の家だと思う?」
「ん? どういう事?」
「ひょっとして彼氏の家とか…」
「はぁ?」
「分かんないよぉ。夏ってのは人を大胆に変えちゃうからねぇ」
「有り得ない、有り得ない」
昨日、あれだけ涙を流していた人間が翌日に男の家にお泊まりとか。もしそれが出来るならよっぽどふてぶてしい心を持った悪女だろう。
誰か仲の良い友達の家に泊まり、失恋の愚痴でも聞いてもらっているに違いない。女同士でしか語り合えない話もあるハズだから。
「……カオス」
食事後に華恋の部屋へと立ち寄ってみた。壁にアニメやゲームのポスターが存在している空間へと。
「今日はいないのか…」
いつも聞いている騒がしい声が聞こえないのは淋しい。1日会わないだけなのに物足りなさを感じた。
「ただいま」
翌日もバイトに精を出して帰宅する。汗だくになりながら住宅街を歩いて。
「……あれ?」
玄関のドアノブに手をかけるが動かない。どうやら鍵がかかっているらしい。
「仕方ないな…」
不満を漏らしながら施錠を解除。扉を開けて中へと入った。
「ただいま~」
「お?」
洗面所で顔を洗ってると威勢の良い声が聞こえてくる。義妹の甲高い声が。
「おかえり。どこ行ってたの?」
「リエちゃん達と遊んでた。ファミレス行ってきたから晩御飯はいらないや」
「父さん達いないんだけど。今日って帰って来ないんだっけ?」
「昼過ぎまで家にいたから夜勤じゃない? あ~、楽しかった」
挨拶を済ませると彼女がすぐ横をすり抜け廊下へ。疲れた様子を見せずに階段を駆け上がっていった。
「……ご飯どうしよう」
母親不在の状況をどう乗り切ろうか悩む。デリバリーに頼るかコンビニに買いに行くかを。
帰ってきた華恋に頼んでも良いのだけれど、なるべくならそれはしたくない。なので素直に買い物に行く決意を固めた。
「ははは、この番組面白いね」
「……戦争記念特番で何笑ってんの」
「すいません…」
食事後はリビングで寛ぐ。母親がいないのを良い事に冷房やテレビのボリュームをガンガンにつけた状態で。
「ん…」
だが楽しかったのも途中まで。いつしか時計から目が離せなくなっていた。
「ね、ねぇ。もうすぐ12時になるんだけど…」
「ん? あぁ、本当だ。いつの間にかこんな時間になってたんだ」
「ちょっと遅くない? 電車だって止まっちゃうし」
「何が?」
「何がって…」
不安を共有するように話しかける。床に転がって漫画を読んでいた香織に。
「友達の家に泊まるって言ってたんでしょ。いつ帰って来るの?」
「あぁ、華恋さんの事か。そういえば遅いね」
「誰の家に遊びに行ってるのさ?」
「私に聞かれても知らないよ。同じクラスなんだからまーくんの方が詳しいんじゃないの?」
「……本当に知らないんだよね?」
嘘をついているとは思えない。それは素の人間の反応だった。
「今日もまた泊まってくるんじゃない?」
「2日続けて?」
「そうじゃないならとっくに帰って来てるでしょ? 連泊だって、絶対」
「それはマズいって…」
1人暮らしの社会人ならともかく自分達はまだ学生。外泊なんてしたらお世話になる相手だけでなく家族の人達にまで迷惑がかかってしまう。
「そんなに心配なら電話してみれば?」
「だね…」
言われてから気付いたがその通り。本人に直接確認してみればいいだけの話だった。
「……いや、ダメだ」
ケータイを取り出したがすぐに仕舞う。帰宅するよう催促したとしても今は既に深夜。こんな遅い時間に外を歩かせるなんて危険極まりない。
ならまだ友達の家で泊まらせてもらった方が安心だろう。連絡を取ろうとした意志をすぐに掻き消した。
「う~ん…」
居場所ぐらいは尋ねてみるべきかもしれない。けど華恋だって小さな子供ではない。何より彼女が帰って来ない原因は恐らく自分にあるわけで。過剰に心配して調子に乗られる方が面倒だった。
「ま、いっか」
明日にはひょっこり帰って来るハズ。帰宅を促す簡単なメッセージだけ送信して眠りについた。
「はぁ?」
翌日、彼女から届いていた返事に釘付けになる。開かれた画面には一言だけ『ヤダ』と書かれていた。
「子供じゃないんだから…」
スネているのだろう。泣かせてしまった事に対する仕返しという理由で。
辛い心情も分かるから怒りは湧いてこない。再び帰宅を促すメッセージを送るとバイト先に向かう為に外へと出た。
「……え」
そして電車に乗り込んだタイミングで返事を確認する。そこに記されていたのはまたしても意識を奪われるような文面。絵文字も顔文字もなく『バイバイ』とだけ綴られていた。
「ん、ん?」
こちらから送ったメッセージと繋がっていない。履歴を遡ってみたが誤送信や打ち間違いとも思えなかった。
「何なんだ、一体…」
まさか家出でもしたのだろうか。あまりにも失恋がショックすぎて。
香織の言っていた通り誰か友達の家に世話になってるならまだ良い。頭の中には出会い系やら援交やらの不謹慎なキーワードが多数浮かんできた。
「……いやいやいや、そんな馬鹿な」
彼女に限って有り得ない。3日後には一緒に旅行に行く約束をしているのだから。
「ん~」
考えられる可能性は2つ。からかっているか、本当に家を出たかだ。
もしからかっているとするなら取るべき対応はさほど難しくはない。冗談で返してお終い。
けれどもし本気で家出したとしたならどうすれば良いのか。散々突き放しておきながら今さら必要な人間だなんて言える訳がなかった。
「どしたんすか? 頭痛ですか?」
「う~ん…」
「眉間にシワ寄せて。顔怖いっすよ、先輩」
「う~~ん…」
「なんか考え事ですか? 良かったらうちが聞いてあげますけど」
「う~~~ん……」
「分かった! やっぱりカバ派に寝返りたいんだな!」
「違うってば…」
店に着いてからも頭を捻り続ける。話しかけてくる後輩の言動を無視して。
「カバはトロそうに扱われてますが実は獰猛な動物でして…」
「その話どうでもいいから…」
疎ましく感じるが強く突き放せない。悪い子ではないと理解していたから。
「実は妹が家出したかもしれない…」
「妹? 香織ちゃんですか?」
「いや、同い年の方」
「あぁ、師匠か。でもまた何で家出?」
「2日前から帰って来ないんだよ」
仕方ないので事情を暴露。深く触れないように気を付けつつ現状を打ち明けた。
「それってまさか誘拐じゃ! な、ならお巡りさんに連絡しないと」
「いや、本人にメールしたら返ってきたからそれは無いと思う」
「なんて返ってきたんですか? 家出しますって?」
「帰って来いって催促したら嫌だって。その後バイバイって送られてきた」
「どうしてまたそんな展開に。先輩が師匠を泣かせたんですか?」
「泣かせた……う~ん、泣かせたのかな」
お互いに割り切れたと思っていたのに。それはとんだ勘違い。双子のクセに妹の気持ちなんか全くもって理解していなかった。
「泣かしちゃった原因は? まさか暴力振るったとか」
「それはむしろこっちがやられてる」
「はい?」
それから集中力を欠いたままバイトを継続。終わった後はダッシュで帰宅。しかし予想通り華恋は不在だった。
「私物はここにある…」
いてもたってもいられず客間へと突撃する。そこには制服や趣味の小道具、数多くの私物が存在。
つまり遠くへ引っ越してしまったという訳ではない。大事にしていたコレクションを手放して消えてしまうなんて有り得ないから。
「むぅ…」
けどその有り得ないは絶対ではない。もしかしたら彼女は全てを投げ出して姿を消した可能性があるからだ。
「はぁ…」
翌日も午前中からバイト先に向かう。重たい足取りで。
家族や友人に打ち明けたいが出来ない。自分達の秘密まで知られてしまう可能性があるから。
華恋が姿を消してから3日目。最後にその顔を見てからは4日が経過していた。
「うわぁっ!?」
地面を見ながらフラフラと歩く。その道中で1台のスクーターが目の前で停止した。
「よう、雅人。元気か?」
「え? 君、誰?」
「ふざけんなっ! 俺だよ、俺!」
「いや本当に誰なのか分からなかったんだが」
立ち止まった瞬間に運転手と会話をする流れに。ヘルメットから顔を覗かせた人物は意外な相手だった。
「そ、颯太じゃん。どうしたのそのバイク」
「へっへ~。父ちゃんに買って貰ったんだよ。夏休み中に仕事を手伝う事を条件に」
「へぇ…」
どうやら免許を取得したらしい。新しく手にした宝物を見せびらかしに来たのだろう。
「雅人は何してんの? これからバイト?」
「……そうだよ。今から駅に行くとこ」
「送ってってやろうか? メットもう1つあるからニケツ出来るぜ」
「いや、いいよ。あんまり気分が乗らないし」
「ちぇっ、ノリ悪い奴だな。つか元気なくない?」
「まぁ…」
態度の不自然さを指摘される。的を射ているので否定のしようがなかった。
「もしかして華恋さんとケンカしたとか?」
「え、え~と…」
「分かった! うっかり着替え現場に突撃して怒られたんだろ!?」
「違うから…」
「何色の下着だった? 内緒にするからこっそり教えてくれ」
「発想が変質者だよ…」
お節介な友人が事情聴取を始める。本人の意向を無視して。
強がっていたが心のどこかでは不安が限界にきていたのかもしれない。ここ数日に起きた出来事を全て話した。
「……それで華恋が帰って来なくなっちゃった」
「おいおいおい、大馬鹿野郎か!」
「え?」
路肩にスクーターを寄せた颯太がにじり寄って来る。眉を吊り上げながら。
「お前、華恋さんと付き合ってるんだろ!? それなのにどうして他の女の子と遊びに行く約束取り付けてんだよ」
「ち、違……それは颯太の勘違いで」
「華恋さんが怒るのも当たり前だわ。当然だろうが!」
「話を聞いてくれ。てか首絞めないで…」
「言い訳すんなっ! 二股とか羨ましすぎるぞ!」
「どこに感情を剥き出しにしてるのさ!」
怒りを表した咆哮が炸裂。近所迷惑も考えずに喚き散らしてきた。
「雅人と華恋さんがどういう付き合い方してたか俺は知らん。そのバイトの後輩の子とどういう関係だったかも。けど1つ言える事は軽率すぎる」
「ん…」
「華恋さんが自分の事を想ってくれてるって分かっていながらどうして違う女の子に手を出したんだよ?」
「別に手を出そうと思った訳じゃ…」
「雅人の話を聞いてると、華恋さんを蹴落とす為にその後輩の子と親しくしてるように思えたんだけど」
「……見せしめって事?」
「そうかもな。自分には別の女がいるから諦めろってよ」
彼の意見はあながち間違えてはいないのかもしれない。誰かを求めたのは華恋では満たされなさい溝を埋める為だった。
「んで、これからどうするんだ? このまま黙って指くわえて大人しく過ごしてるのか?」
「そ、それは…」
華恋に戻って来てほしい。今まで通りの生活がしたい。祝福されない関係だとしても隣にいてほしい。
「失った物を取り戻したいなら探しに行こうぜ」
「え?」
「それしかないじゃん」
「ま、まぁ…」
葛藤している意識の中に積極的な意見が混ざり込んでくる。率直で的確なアドバイスが。
「俺さ、いつも雅人に迷惑かけてばっかりだろ?」
「え?」
「ノート写させてくれとか、デートの約束を取り付けてくれとか」
「そう……だね」
「だから今日は俺がお願いを叶える番。雅人のワガママを何でも聞いてやる」
「……颯太」
目の前にあるのは普段あまり見られない真面目な顔。同時に誰よりも頼もしい存在だった。
「分かった。ならそうするよ」
「おう。んで具体的にはどうする?」
「とりあえず智沙の家かな。いそうな場所を手当たり次第に巡ってみるよ」
ポケットからケータイを取り出し店長に電話。休みの紫緒さんにも代わりにシフトに入ってもらった。
「さ~て、行くとしますか」
「あ、ちょい待ち」
「ん?」
「ほら。これ被れよ」
「うわわわっと!?」
歩き出そうとした瞬間に呼び止められる。飛んできた赤いヘルメットを空中でキャッチした。
「乗せてってやるよ。歩いて行くより早いだろ?」
「……マジで?」
「さっさと乗った乗った。事態は一刻を争うんだろうが!」
「怖いな、2人乗りか…」
拒否したいが確かに指摘された通り。怯えながらもシートに腰掛けた。
「よーし、んじゃ出発すんぞ」
「ちなみに免許っていつ取ったの?」
「昨日」
「え!?」
「ヒャッホォーーイ」
「う、うわあああぁぁぁぁぁぁっ!」
颯太がハンドルを思い切り握る。アクセルを全開にしたせいで車体の前輪が一瞬浮き上がった。
「んんっ…」
今までずっと家族を失う事を恐れていた。大切な人達と離れ離れになってしまう生活を。けどその現実が今まさに起こってしまっている。手遅れにならないうちに何とかしたかった。
「着いたぞ、ホラ」
「こ、怖かった…」
不安定な姿勢で街中を走行する。団地に着いた後はスクーターを駐輪場へ。階段を上がって友人の家へと足を運んだ。
「……何しに来たの。2人揃って」
「警察です、家宅捜索に来ました。令状はありませんが任意で調べさせてもらいます」
「はぁ?」
「お宅で少女を1人かくまっている可能性がありましてね。悪いですが調べさせてもらいますよ」
「カエレ」
颯太がポケットから取り出した生徒手帳をチラつかせる。目の前にいる女子に向かって。
「隠そうとするとは益々怪しい。さては華恋さんをかくまっているな、貴様!」
「何わけ分かんない事ほざいてんのよ。さっさと邪魔な足どけろ、馬鹿!」
「閉められてたまるか! ぐぬぬぬぬっ…」
直後に住人がドアを閉扉。だが負けじと颯太が隙間に靴を突っ込んだ。
「おらぁっ!!」
「ぶほぉっ!?」
「人様の玄関で何しとんじゃ!」
「いてっ、いててっ!?」
「こんな騒いで何がしたいんじゃ、ちったぁ迷惑も考えんかい、このアンポンタン!」
「ぎゃああぁぁっ!! 死ぬぅぅぅぅ!」
目の前で意味不明なコントが繰り広げられる。くだらなすぎる茶番が。
本気か冗談か分からないビンタ攻撃は幾度目かによる颯太のギブアップ宣言で終了。その後、滞在許可を貰えたので中へと入った。
「もう何やってるんだよ! こんな事しにわざわざ来た訳じゃないから」
「だ、だってこの女が…」
「刑事ごっこしたいならまた今度にしてよ。今は華恋を捜したいんだからさ」
「分かってるってば。いってぇ…」
「……昼間っから人んちの前で騒ぎやがって、まったく。んでアンタ達は何しにうちまで来たのよ?」
「あ、うん。ここに華恋来てない?」
「華恋?」
彼女にも簡単に事情を説明する。些細な兄妹喧嘩が原因で家族が1人欠けている状況を。
「ふ~ん、また家庭内トラブルが起きたんだ」
「という訳で何か知らない? 連絡とか貰ってないかな?」
「来てないわよ。華恋が家出した事を初めて知ったぐらいだから」
「そっか…」
念の為、部屋のあちこちを視認。人が隠れられそうなスペースは押し入れぐらいだがどう考えてもいそうになかった。
「しっかし家出とはまた大胆な行動に出たわねぇ。今ごろ半ベソかいて泣きじゃくってんのかしら」
「ねぇ、他の友達にも連絡してみてくれない? 誰かの家に転がり込んでるかもしれないし」
「アタシと華恋の共通の? 別に構わないけどアタシ、去年のクラスメートの分しか分からないわよ」
「そうか、智沙は今年クラス違うもんね…」
自分が今のクラスメートで連絡が取れるのは男子生徒のみ。もし女子の所へ行っているなら確認のしようがない。
「とりあえず思い当たる子達にはメッセ送っといた。すぐには返事来ないと思うけど」
「サンキュー。助かる」
「でも多分いないと思うけどなぁ。こう言っちゃなんだけど、あの子と一番親しかったのアタシだからね。もし家出したなら真っ先にアタシを頼ってくるハズだもん」
「僕もそう思った。だからここに隠れてるんじゃないかと思ったんだけど」
「残念、ハズレ~。転がり込むどころか連絡の1つすら来てないわよ」
「う~ん…」
一番確率が高そうな場所は不発だったらしい。期待感が高かっただけに落胆の感情はごまかせなかった。
「とりあえず他を当たってみるよ。何か分かったら連絡お願い」
「ん、了解」
「颯太。次の場所に行こう」
「母ちゃん、今までごめんよ。そしてありがとう…」
「颯太!」
「……ん?」
隣で寝転がっていた親友に声をかける。しかし話しかけた彼の目は何故かうつろ。口から泡を吐き出して手足も痙攣していた。
「それじゃお邪魔しました」
「ちょっと待った」
「ん?」
場所を移動するため玄関に向かう。順番で靴を履いていると智沙が駆け寄ってきた。
「絶対に見つけてきなさいよ。皆で遊園地行くんだから」
「……そうだね。必ず捜しだしてくるよ」
「ん? 何の話?」
「うっさい。アンタには関係ない」
予定していたそれは華恋にとってどうでも良いものだった。皆でどこかへ出掛ける事より、好きな相手が女の子と遊びに行ってしまう事の方が重要だったのだろう。
けどまだ手遅れになった訳ではない。仕切り直せば良いだけの話だった。
「駅の近くに焼き肉屋があるから行ってみてくれないかな」
「華恋さんのバイト先だった所だっけ?」
「そうそう。もしかしたら誰か何か知ってるかも」
「よっしゃ」
彼女が労働先の人達とどういう繋がりだったかは知らない。更に退職してから半年以上が経過しているし。それでも思い当たる場所はこの目で全て確認しておきたかった。
「ほら、着いたぞ」
「行ってくる」
「ん」
ヘルメットを颯太に預け店内へと足を踏み入れる。けれどまだ開店前だったので入口で止められる事に。
バイトの学生らしき人に事情を説明。奥から出てきた責任者らしき人にも。その人は華恋の事を覚えていてくれたらしく、突然の質問にも快く答えてくれた。
「どうだった?」
「……ダメ。来てないって」
「そうか」
去年の退職以来、一度も姿を見ていないらしい。気の優しそうな人で話を聞いた後は本気で華恋の事を心配してくれた。
「次はどうする?」
「学校に行ってみようかな。ちょっと遠いけど」
「おっけ。ここからだとあそこの大通りに出て…」
「バイクで行くの? 電車でも構わないけど」
「いや、これ乗ってく。駅前に停めてくと金かかるし」
県内の主要道路を利用して通い慣れた場所を目指す。途中のコンビニで休憩を挟みながら。
「よ~し、着いたぞ。さぁ降りろ」
「暑ぃ…」
そしてヨロめきながら学校の敷地内へと進入。辺りではセミの鳴き声が響いていた。
「バイクって停めておいても大丈夫なの?」
「平気だろ。スクーター通学してる奴らもいるんだし」
「先生に許可とか貰ってるのかな。駐輪場に停めておいて怒られないか心配だ」
2人して校舎内を歩き回る。グラウンドで部活動に励んでいる野球部やサッカー部の姿を眺めつつ。日差しが照りつける屋外と違って中は涼しかった。
「学校に来たわ良いけどさ、どこにいるっていうんだよ」
「念のため来てみたかったんだけど、やっぱりダメかぁ…」
「華恋さんがいなくなったのって3日前なんだろ? 学校に3日も潜んでるとは思えないんだが」
「だよね……普通に考えて」
自販機でジュースを買って体力を回復。校内を1周した後は再び駐輪場へと戻った。
「今度はどこ行く?」
「う~ん、どうしようかな…」
必死に次の候補を考える。数日間も寝泊まり出来て、尚且つこの暑さを凌げそうな場所を。
3日間ずっと同じ所にいるとは限らない。いろいろな家や店を転々としている可能性もあるから。そうなったらもうお手上げ。資金が尽きて大人しく帰って来るのを待つほかなかった。
「この辺りブラ~っとしてみる?」
「そだね。華恋の行きそうなお店とか廻ってみようかな」
「案内任せるわ。んじゃ出発すんべ」
この街には颯太の下宿先と鬼頭くんの家がある。けどそれらの場所にいる可能性はゼロに等しい。
暑さと格闘しながらもスクーターで華恋の行きそうな行動範囲を散策。時間の潰せそうな図書館やショッピングセンターを。しかし収穫は無し。あちこち寄っているうちにいつの間に地元へと帰って来ていた。
「はぁ…」
気がつけば既に夕暮れ時。何時間も捜し回ってはみたが手掛かりすら見つけ出す事が叶わなかった。
「いないな、華恋さん」
「……うん」
ケータイも確認してみたが智沙からの連絡も来ていない。こちらから電話をかけてみたが結果は同じ。メッセージを送った友人宅にも華恋は姿を現していなかった。
ここにきて捜索が暗礁に乗り上げる。可能性をほぼ全て潰してしまったからだ。
「ならまた明日」
「バイバイ…」
日が暮れてきたので颯太と別れる。翌日も共に行動する事を約束して。
「あ~あ…」
本当どこに行ってしまったというのか。この世から消えてしまった訳じゃあるまいのに。
考えれば考えるほど嫌な光景が脳裏に浮かんでくる。本気で警察に捜索願いを出す事を考え始めていた。
「あ…」
リビングでテレビを見ていると意識の中に玄関が開く音が入ってくる。ソファから起き上がり弾かれるように廊下へと移動した。
「……なんだ、父さん達か」
「ただいま。アンタどうしたの? 暗い顔して」
「別に…」
しかし抱いた期待はあっさりと外れてしまう。帰って来た両親と共にリビングへと引き返した。
「雅人1人? 香織は?」
「部屋にいるよ。また昼寝でもしてるんじゃない?」
「……っとにあの子は。時間さえあれば寝てばっかりなんだから」
「誰の子なのさ、まったく」
「本当にね」
懇親のボケをぶつけるがスルーされる。母親は買い物してきたスーパーの袋を持ったままキッチンへと入っていった。
「そういえば華恋ちゃん、どうしてるかしらね」
「し、知らないよ。僕に聞かれても」
「向こうでも元気にやってるかしら。久しぶりの里帰りだもん。緊張してたりして」
「は? 里帰り?」
会話が妙な流れへになる。思わず強く食い付いた。
「1年ぶりかしらね。向こうの家に行くの」
「ま、待って。里帰りってどういう事。華恋の居場所知ってるの!?」
「居場所って、前にお世話になってた親戚の家でしょ?」
「親戚…」
どうやら1年ほど前まで住んでいた場所にいるとの事。姿をくらませたその日から。
「どうしてもっと早くに教えてくれなかったのさ!」
「なに言ってんのよ。雅人だって華恋ちゃんから聞かされてたんでしょ?」
「いや、知らないって。初耳だし」
よく考えたら当たり前。家族に一切の連絡も入れずに数日間も留守にするなんて有り得なかった。
「それでその親戚の人ってどこに住んでるの? 住所か電話番号は?」
「それが分からないのよ。華恋ちゃんがうちに来る時に、その親戚の方達も団地からマンションに引っ越したみたいで」
「引っ越し?」
「うん。住んでる街自体は同じなんだけど住所も電話番号も変わっちゃってて。だからゴメンね」
「そんな…」
せっかく手掛かりを掴んだのに再び頓挫。物事は上手く捗ってはくれない。
「とりあえずその街ってどこ?」
「熱海」
「熱海? 遠いなぁ…」
「それでもお母さんが入院してる病院からは一番近い親戚の家だったんだからね」
「あれ……最近どこかで聞いた覚えが」
頼りない記憶を遡ってみる。聞き覚えのある地名の情報を無理やり絞り出す為に。
「あ、丸山くんだ」
しばらくすると答えに到達。親しくしているクラスメートの地元だった。
「う~ん…」
ただ1つだけ解せない点がある。どうしてその親戚の家に行ってしまったのかという事。
理由は色々と付けられるがタイミングがおかしい。2日後には旅行に行くというのに。帰宅を信じてみようかと思ったが彼女が帰って来そうな予感がまるでしなかった。
「あの、僕も明日からしばらく家を空けていいかな?」
「あれ? 旅行って明日だったかしら?」
「ううん、違うよ。ただちょっと出掛けようかと思って」
待っているのが嫌なら捜しに行くしかない。例え迷惑がられようとも。
「良いでしょ? 華恋もやってるんだし」
「行くってどこに。友達の家?」
「ま、まぁそんなところ」
「あんまり向こうのお宅に迷惑かけるんじゃないわよ。夏休みだからってハシャいだりして」
「大丈夫だって。三面記事に載るような真似はしないからさ」
母親から許可を貰い、しばらく外泊する事に。父親は終始無言だったが、何も言ってこないところを見ると反対はしていないのだろう。
「行ってきます」
翌日になると自宅を出発する。数日分の着替えを詰めたバッグを持参して。
店長に電話してしばらくバイトの欠勤を申請。捜索に協力してくれた颯太にも1人旅に出る事を告げた。
丸山くんにも事情を説明すると地元を案内してくれる事に。知らない街を単独でウロつく事に不安があったから不幸中の幸い的展開。
そしてあと1人、大事な話があると元後輩を呼び出した。海城高校近くの駅へと。
「ゴメンね、朝早くからこんな所に来てもらっちゃって」
「いえ、大丈夫です。私もこっちに用事ありましたから」
2人して人気のない広場に佇む。夏休みだからか普段学生で賑わっている駅前は不気味なほど静かだった。
「今日も一段と暑いね。気温の記録また更新だってさ」
「ですね。汗ベットリです」
「熱中症で倒れないように気をつけないと」
「それで話って何ですか?」
「え~と…」
彼女が片手で自転車を支えている。夏らしくワンピースという出で立ちで。
「前にさ、一緒に海かプールに行こうって言ってたでしょ?」
「はい。それが?」
「あれ、行けなくなっちゃった」
「え?」
「自分から言い出しておいて申し訳ないんだけど本当にゴメン!」
重ね合わせた両手を目の前に移動。戸惑う反応を無視して謝った。
「大切な人がいるっていうか出来たっていうか」
「えと…」
「とりあえずその相手の子を大事にしたいから君とはもう2人っきりで遊んだり出来ない」
「……先輩?」
「身勝手な主張を振りかざしてごめんなさい」
意識が大きく揺らいでいる。たゆたうロウソクの炎のように。
「あの…」
「は、はい?」
「それはもう二度と先輩と会えなくなるという事でしょうか」
「えっと、どうだろ…」
朦朧としていると今度は話を黙って聞いていた後輩が言葉を発信。その口調は不気味なぐらいスローペースだった。
「遊びに行く約束がダメになってしまったというのは分かりました。つまりそれは振られてしまったという事ですかね」
「振られた…」
「……私はどうすれば良いでしょうか」
「ゴメンなさい…」
謝る事しか出来ない。ただ頭を下げ続ける事しか。
「好きな人がいるって事で良いんですよね?」
「ま、まぁ…」
「そしてその人の為に私とはもう会えないと、そういう訳ですか」
「……はい」
それはまるで別れ話でもしている恋人のようなやり取り。知らない人が聞いたら痴話喧嘩と思われそうな内容だった。
「もし私がその約束を拒んだらどうなりますか」
「え? 会うのやめるのを否定するって事?」
「はい。無理やり先輩に近付いたら」
「う~ん……ひたすら頭を下げ続けるかな。すいませんって」
彼女の存在は怖くないが周りは恐ろしい。ブラコンの妹とシスコンのお兄さんは。
「やっぱり優しいですね、先輩は。お人好しすぎます」
「そんな事はないと思うけど。むしろ自分勝手な気が」
「普通は追い返すと思いますよ。好きな人がいるのに別の女が迫って来たら」
「それはそうかもしれないけど…」
どうやら今の言葉は嘘だった様子。駆け引きを含んだ確認作業だった。
「もう良いです。私の事は放っておいて行ってください」
「え?」
「先輩の気持ちは分かりましたから。謝ってもらわなくて結構です」
「は、はぁ…」
「粘ったら迷惑ですもんね。これ以上嫌われるのも御免だし」
「べ、別に嫌いになった訳ではないのだが」
戸惑っていると状況が大きく変化する。理想的な流れへと。
「はぁ……こんな事ならあんな話、受けるんじゃなかった」
「え? 何の事?」
「今は先輩に関係ないです。いいからさっさと私の前から消えてください」
「うわっ!?」
続けて邪魔者を追っ払うような蹴りが飛んできた。当たるハズの無い攻撃が。
「早く行ってください。私、この後に大声で泣く予定ですから」
「え、えぇ!?」
「というのは冗談です。さすがにこれぐらいの事では取り乱したりしませんよ」
「いやいや…」
その言葉が嘘か本当かは分からない。ただ傷付けてしまった点だけは事実だった。
「ほれ、早く」
「じゃ、じゃあね…」
「……さよなら、先輩」
頭を下げてその場を離脱。申し訳ない気持ちはあったがいつまでも残っている訳にもいかないから。
去り際に少しだけ後ろに振り向く。小さな体は優しい微笑みと共に手を振ってくれていた。
「ごめん…」
もうこれで二度とあの子と会う事はない。傷付けてしまった事を謝る事も詫びる事も。それは自分の選択した人生の代償。何かを得る為に何かを失わなくてはならない瞬間だった。
「ふぅ…」
駅から改札をくぐると電車へと乗り込む。チャージしたICカードを使って。
「雅人っ!」
「ん?」
そして乗り換えの為に一度ホームへ移動。時刻表を確認していると誰かに名前を呼ばれた。
「え? 君、誰?」
「ふざけんなっ! 俺だよ、俺!」
「颯太じゃないか。それに紫緒さんも」
「ギリギリ間に合ったか。見つかって良かったぜ」
「ど、どうしてここにいるの? しかも2人揃って」
振り向いた先に珍しい組み合わせの人物達が存在している。昨日も顔を合わせた友人と、バイト中のハズの後輩が。
「華恋さん捜しに行くんだろ? 俺も行くよ」
「えぇ! だって場所遠いよ?」
「構わん。華恋さんに会う為なら例え火の中、水の中!」
「そ、そう…」
どうやら電車に乗って先回りしていたらしい。優奈ちゃんに別れを告げている間にここまでやって来たのだろう。
「うちも行きますぜ、先輩」
「な、何言ってるの。ていうかどうして颯太と一緒にいるわけ?」
「いえ、この人が勝手にうちの後をついて来たただけです」
「ふざけんな、おいっ!」
紫緒さんの肩には大きめのショルダーバッグが存在。近所に外出するには多すぎる荷物量だった。
「ていうか君、今日バイトでしょ。どうしてここに来ちゃってるの?」
「なに言ってんすか! 師匠がいなくなったってのに呑気に働いてる場合じゃないっすよ」
「それにしてもわざわざこんな所まで来てくれるなんて…」
「先輩が休んだらうちの労働量が増えるじゃないっすか!」
「君にはいろんな意味でガッカリだよ…」
外泊する気満々の状態で足を運んだ様子。彼女にもしばらく欠勤して熱海に行く事を告げていたので。
「来てくれたのは嬉しいけどさ、2人揃って休んだら皆に負担かけちゃう」
「大丈夫です。強力なピンチヒッターに代理を頼んでおきましたから」
「ピンチヒッター?」
「はい。だからお店の方は心配いらないっす」
その発言は疑わしい。けれど同罪の人間にこれ以上追求する権利はなかった。
「はぁ……仕方ないなぁ」
ここで2人を追い返す理由は無い。それに人捜しをするなら仲間が多いほど助かるのも事実。
「しかしまさかこんな所まで付いて来るなんて…」
「熱海って観光客がいっぱいいるんだろ?」
「ま、まぁ…」
「なら水着を着た可愛い子達もたくさんいる訳だな、ヌフフ」
「は?」
「上半身裸のイケメンも大勢いるに違いない、ゲヘヘ」
「……やっぱり帰ってくれないかな、君達」
動機が不純すぎる。呆れるのを通り越して笑ってしまいそうなぐらいに。
経緯はどうあれ妹捜索に新たな仲間が加わる事に。やって来た電車に3人で乗り込んだ。
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