第13話 メイド服と機関銃

「誕生日おめでとう!」


 かけ声と共に大きな音が鳴り響く。お祝い事にはかかせないアイテムの破裂音が。


 目の前にはロウソクの刺さったケーキや、湯気の立つ豪勢な料理が存在。そのどれもが食欲をそそる好物ばかりだった。


「いやぁ、おめでたいね」


「耳元でクラッカー鳴らすのやめてくれ。鼓膜が破れちゃう」


「あぁ、ごめんごめん」


「うりゃっ!」


「ぎゃあっ!?」


 ハシャぐ香織に注意を促す。同じ方法で仕返ししながら。


 今日は自分が18歳を迎える節目の日。この家族になってから何度目かになる1年に一度だけの記念日だった。


「ほい」


「ありがとう。何これ?」


 続けて彼女から大きめの袋を受け取る。中を確認するとブロックを組み立てて遊ぶ小学生用の玩具を見つけた。


「どうどう? 結構高かったんだからね」


「どうしてこれ選んだの…」


「ん? 前に好きって言ってなかったっけ?」


「子供の頃はね。今はもうこういうので遊ぶ歳じゃないよ」


「あら……ひょっとしてやらかしちった?」


「ここに対象年齢は6歳から12歳って書いてある」


「嘘!?」


 2人して箱の一部に注目する。誤って飲み込まないようにとか、踏んで怪我をしないようにと書かれた注意書きに。


「まさかこの歳になってこういう物を貰う事になるとは思わなかった」


「あは、あはは……ゴメンね」


「良いよ良いよ。後で童心に戻った気分で遊んでみるさ」


 中身はともかく行為が素直に嬉しい。ジャラジャラと鳴る箱をテーブルの下に置くと再び料理に手をつけ始めた。


「まーくんも18か。私と2歳差になっちゃったね」


「でもまたすぐ1歳差に戻るじゃん。半年もしないうちに」


「そだね。なんかマラソンしてるみたいだ」


「一生差が縮まらないマラソンだね」


「まーくんがリタイアしてくれたら私が追い付けるけど?」


「つまり死ねって事か」


 母親には事前に食べたい物のリクエストをされていたので中華料理と回答。父親からは誕生日プレゼントとして服一式を貰った。


 お祝い事だからか皆テンションが高い。ただ約1名だけが有り得ない表情で隣に佇んでいた。


「うぅ……私なんかの為にありがどうごじゃいます」


「も、もう良いから。泣いてばかりだと楽しめないでしょ。ね?」


「はいぃ…」


 母親に諭された華恋が両目を擦る。目尻から垂れる雫を拭うように何度も。


「ううぅ、ぐす…」


「泣くのやめようよ。早く食べないと料理冷めちゃうって」


「だって、だっでぇ…」


「お礼とか良いからさ。楽しもう?」


「……んぐっ、はぁ」


 最初に彼女が泣き出した時、いつもの嘘泣きなんだと思った。しかし鼻水をすするほどの勢いで嗚咽を始めたので本当なんだと判断。


 知り合って長い月日が経過したがこうしてお互いの誕生日をお祝いするのは今日が初めて。自分達がいかに異質な環境で育ってきたかを思い知らされた。


「うわああぁぁぁんっ!!」


「ぎゃーーっ!? ちょ、ちょっと!」


 慰めていると彼女が倒れ込んでくる。シャツに顔を埋める勢いで。


「ううぅ…」


「は、離れてくれよ! 何やってるのさ」


 家族の見てる手前恥ずかしい。もたれかかってくる体を力ずくで剥がした。


「うわぁ…」


 攻撃を喰らった箇所を見ると涙と鼻水で悲惨な状態に。風呂に入って着替えたばかりなのにもうベトベト。


「はぁ…」


 華恋も両親からプレゼントを受取済みだった。中身は恐らく自分と同じ衣類だろう。


 香織からも何かを受け取っていたが内容までは分からない。気にはなるが尋ねるのも無粋なので干渉しないと決めていた。


「く、苦しい…」


「私もギブアップ…」


 それから5人で次から次に料理へと手をつける。胃袋を満たすように。


 耳に残るのは家族の笑い声。久しぶりにハシャいだ記憶と共に自分と華恋の誕生日を祝う食事会は終了した。



「いつまで泣いてるのさ」


「だって、だって…」


 自室に戻って来ると貰ったブロックを組み立てる。ドアの前に座っている双子の妹に話しかけながら。


「泣きっぱなしで全然食べてなかったじゃん。お腹空かないの?」


「それは大丈夫だけど…」


「けど?」


「……う、うわあぁあぁあぁぁっ!!」


 情緒不安定なのか唐突に絶叫。階下にまで聞こえるような大声で喚き始めた。


「泣くなら自分の部屋で泣いてくれよ。やかましいんだって」


「うえぇぇ……んぐっ」


「しかし凄い顔だ。妖怪みたいな面になってる」


「うぅう、酷い…」


 身内だけのパーティーだというのに彼女はバッチリメイク。そのせいで目の周りは真っ黒で口周りは朱色に。とても見ていられない顔がそこにはあった。


「洗ってきなよ。悲惨な事になってる」


「……そんなに?」


「こっち向いて。写真撮っておいてあげるから」


「やぁだあぁぁ!」


 ケータイを向けると必死で顔を隠してくる。隙を見て1枚だけ撮影した。


「そんなに嬉しかったんだ。パーティー開いてもらった事」


「……うん。今まであんまりお祝いされた事とかなかったし」


「そっか…」


 彼女がこれまでどんな誕生日を過ごしていたのかは知らない。ただ家族と離れ離れだった生活を考えると、ある程度の予想は出来た。


「……さっきから何してるの?」


「ご覧の通り。お城作ってる」


「それは見れば分かるけどさぁ…」


 図面を見ながら様々な形をしたパーツを組み合わせていく。単調な遊びと高を括っていたが意外に夢中に。


「……楽しい?」


「楽しいよ。一緒にやる?」


「うん…」


 華恋が床にペタペタと手を突いて接近。ハイハイする赤ちゃんのような動作で近付いてきた。


「どうやるの、これ?」


「ここに書いてあるパーツと同じ形のブロックを探して、後は繋げていくだけ」


「……面倒くさそう。予め作っておいてくれたら良かったのに」


「最初から完成してたら楽しみが無くなるじゃないか。組み立てていく過程が醍醐味なんだよ」


「ふ~ん…」


 性別のせいか意見のすれ違いが発生。思い返してみれば女の子向けの商品にプラモデルのような制作式の商品は無かった。


「これ?」


「え~と、これこれ。あともう1つ同じ形のあるから探して」


「分かった」


 ガチャガチャと音を立てて様々な色のブロックを組み立てていく。紛失しないように気を付けながら。


「ん? 何?」


「……プッ」


「は?」


「わははははははっ!」


「ちょっ…」


「近くで見ると益々酷いや。ははははは」


「わ、笑うなぁ…」


 流れで間近に迫った妹の顔を直視。思わず吹き出してしまった。


「ブロック作ってるより華恋を見てる方が楽しい」


「そこまで言う事ないじゃん。せっかくおめかししたのにさ」


「鏡見てきな。本当に酷いから」


「あぁ、もう! 分かったわよ。洗ってくれば良いんでしょ!」


「い、いてら」


 立ち上がった彼女が部屋を出て行く。怒りを露にして。


 しばらくすると一階から悲鳴にも近い叫び声が反響。ガラスでも割ってしまいそうな声量だった。


「もう18かぁ…」


 その実感は湧かない。数字の上だけでのイベントなので。


 ただ無意識にこれまで歩んできた人生を想起。中でも一番色濃く浮かんできたのはその大半を別々に過ごしてきた双子の妹だった。



「雅人は何か欲しい物ないの?」


「ん?」


 誕生日の翌日。部屋までやって来た華恋がプレゼントのリクエストを尋ねてきた。


「欲しい物ねぇ。まぁ色々あるけどさ」


「例えば?」


「主に漫画」


「そういうんじゃなくってさ、もっとこう貰ってありがたみのある物にしなさいよ」


「どうして? 何か買ってくれるの?」


「……うん。せっかくの貴重な誕生日なんだし」


 彼女が顔を赤らめる。照れくさそうに頬をポリポリと掻きながら。


「でも誕生日のお祝いは2人で旅行に行くって話だったんじゃ…」


「それはそれ。やっぱり別でプレゼントしたいじゃん。形に残る物として」


「なるほど…」


 何かをくれるというなら貰えるに越した事はない。ただその場合、自分も贈り物を用意しなくてはならなかった。


「で、欲しい物あるの?」


「あるよ」


「何?」


「可愛い可愛い彼女」


「……あ?」


 適当に思い付いた言葉を口にする。直後に対話相手の目尻がピクピクと痙攣した。


 また拳で殴られるかもしれない。そう予想して身構えたが攻撃は飛んで来なかった。


「ノート1冊借りるわよ」


「え? あ、うん」


 代わりに近付いてきて机を漁り出す。ペンとノートを手に持ったかと思えば椅子に座った。


「一応、アンタの希望を聞いてあげるわ。どんな子が好みなの?」


「え? 何の話?」


「だ~ぁから、雅人が付き合ってみたい女の子のタイプよ」


「はぁ?」


 意味の分からない質問が飛んでくる。思考回路を全力で混乱に陥れてくる内容の台詞が。


「アンタ、彼女欲しいんでしょ? だからどんな子が良いのか聞いてあげるって言ってんの」


「聞いてどうするの? その希望に見合った子を紹介してくれるの?」


「まぁね。雅人のリクエスト通りの子が知り合いにいればだけど」


「え、えぇ!?」


 衝撃と動揺が止まらない。彼女は椅子の上に片足を乗せると豪快に口でキャップを外した。


「年齢は? 年上か年下か」


「年下かな。ただ上でも下でも2歳差までで」


「ロリコンじゃなかったのか。ちっ」


「あ、当たり前じゃないか。あと理想は同い年ね」


 冗談かと思ったが本当にアンケートがスタートする。細かな性癖を調べる調査が。


「性格はおとなしめか派手か」


「大人しい子で。やかましい女の子は苦手です」


「なら智沙は違うか…」


「智沙はやめてくれ。向こうだって僕なんか嫌だろうに」


「おしとやかな性格と寡黙な子ならどっちよ?」


「う~ん、難しいなぁ。でもずっと黙りこくってる子も苦手かも」


「なるほど」


 返事を聞いた華恋がスラスラとノートに記入。勉強中の時でも見た事がない程の真面目な顔付きだった。


「つまり口数が少ない子の方が良いけど、意図的に喋らない子は苦手って事ね?」


「そうだね。会話が出来ないと意志の疎通が図れないわけだし」


「ふ~む…」


 更に眉間にシワを寄せて唸り始める。どうやら本気で検討してくれているらしい。


「理想の髪型は?」


「これといって特には。その人に似合ってるなら何でも良いです」


「ロングかショートならどっち?」


「ロングで。短いより長い方が女の子っぽいかなぁと」


「ほう」


 なのでこちらも真摯に対応。一瞬、華恋の口元が綻んだ気がした。


「じゃあ胸の大きさは?」


「そこまで聞くの? てかそれ関係あるの?」


「いいから答えて」


「えぇ…」


 どう告げるべきか悩む。だがやはり今回も正直に答える事に。


「お、大きい方でお願いします」


「はあぁっ!?」


「ダ、ダメなんですか。やっぱり」


「男のクセにバストの大きさを気にするとか生意気なのよ。相手に合わせなさい、相手に!」


「……自分から聞いてきたんじゃないか」


 彼女が怒りを露わにしながら睨み付けてきた。ペンの端をガリガリと噛みながら。


 相変わらずの暴君っぷり。理不尽を感じずにはいられなかった。


「恋人と妹が断崖絶壁の崖にぶら下がっています。2人は今にも手を離して落ちてしまいそうです。アナタはどちらを助けますか?」


「それ好み関係あるの!?」


「道端で女の子がうずくまって泣いていました。しかしアナタは会社に遅刻ギリギリの状態です。さぁどうしますか?」


「ねぇ、これ心理テストになってない?」


「アナタの目の前には柵が立っています。その柵の高さは何メートルありますか?」


「もう女の子すら出てこなくなったね」


 意味不明な問い掛けの連続。そしてそんな無駄なやり取りを数十回繰り返した後、華恋が大きく口を開いた。


「よし、出来た」


 手の甲でノートをパシンと叩く。どうやら調査が終了したらしい。


「どうだった。知り合いに僕に合いそうな子いそう?」


「う~ん…」


「自分で答えといてなんだけど理想が高かったかも…」


「あれ? これ私じゃね?」


「はぁ?」


 期待と緊張感を膨らませていると彼女が口から酷すぎる台詞を吐き出した。意見を無理やりねじ曲げて生み出した悪回答を。


「ど、どうしてそうなるのさ!」


「何よ。文句あんの?」


「僕の答えと全然違うじゃないか!」


 間違いだらけの分析結果。再審査を申し込まずにはいられない。


「私、大人しいじゃん。おしとやかじゃん」


「学校ではね。家だと暴れん坊将軍じゃないか」


「髪だって長いし。胸だってバイーンだし」


「曲解っていうんだよ、そういうのは。納得出来ないって、こんな結果」


「雅人の理想の女の子は私以外にいません。はい、残念~」


「……ブス」


「あ?」


 つい口から悪態が漏れる。その瞬間、顔面目掛けてハイキックが飛んできた。


「うぉっと!?」


「くっ!」


「あぶね~、ギリギリセーフ」


 反射的に両腕でガードする。見事と自画自賛したくなるレベルで。


「ぐぎゃああぁぁぁっ!?」


 しかし悦に入っている所に第二撃が飛来。ボールペンで頭頂部を刺されてしまった。


「アンタ、今何て言った!?」


「いっつうぅ…」


「口にして良い事と悪い事があるでしょうが。人が傷つくような発言はやめなさいよ!」


「やって良い事と悪い事の区別がついてない奴に言われたくない…」


 血が出てるんじゃないかと思うぐらいの激痛が走る。どうやら本気で刺しにきたらしい。


「せっかく人が厚意でプレゼント用意してあげようとしてたのにさ……バカ」


「さっきの診断結果だとプレゼントはどうなるの? 華恋になるの?」


「そっ、私がプレゼント」


「い、いらない…」


 服を脱いで全身にリボンを巻いている妹の姿を想像。どう考えても危ない人だった。


「雅人は私に何くれるの? 初めての誕生日なんだからプレゼント頂戴よ」


「プレゼントは今ないが、代わりに良い事を教えといてあげる」


「は? 何よ」


 怪我が無い事を確認すると頭から手を離す。そのまま自信に満ち溢れた顔を指差した。


「僕がなびかない最大の理由は、その暴力的な性格が原因なんだよ!」


「え?」


「前から言おう言おうと思ってて、ずっと我慢してきたけど…」


「ど、どうしたの? 急に…」


「何かあるとすぐ暴力。文句言うとすぐ暴力。口答えするとすぐ暴力。くっ付いてこようとする前にまずそれを直してくれよ」


 日頃から溜め込んでいた不満をぶつける。戸惑う彼女のリアクションを無視して糾弾した。


「そういう性格してるうちは一生好きになんかならないからね。女に殴られて喜ぶなんて一部の変態だけだし」


「私はそんなつもりじゃ…」


「独裁政治で自分にしたがわせる。そんなワガママが貫き通せると思わないでくれよ!」


「ち、違…」


「華恋、さっき言ったよね。相手に合わせろって。その言葉そっくりそのまま返すから」


「うっ…」


「いつもいつも迷惑してるんだよ、この暴力女っ!」


 反論すらさせない勢いでまくし立てる。ディベート中の話し手のように。


「……あ」


 けれど言い終わったタイミングで言葉が詰まった。すぐ目の前にある表情が予想以上に雲ってしまったので。


「と、とにかく僕の言いたい事はもっと女性らしく振る舞ってくれって事だよ」


「む…」


「見た目は悪くないんだからさ、その荒々しい性格を直そうよ。ね?」


「ん…」


「すぐに手を出したら自分だって痛いし、彼氏が出来ても別れる原因に…」


「……バカ」


「は?」


 犯人を宥めるような説得を開始する。その途中で彼女は暴言を吐いて廊下へと出ていってしまった。


「怒らせちゃったか…」


 部屋に1人で残される。久々となる喧嘩が原因で。ただいつもと違うのは自分が華恋を言い負かしてしまったという点。


「ん?」


 ふと机の上に置かれたノートが目についた。先程、アンケートに利用していた筆記用具が。


「何じゃこりゃ…」


 手に取って中身を確認してみる。そこには殴り書きした数多くの単語が存在。更に最後には雅人と華恋という名前の相合い傘が記されていた。




「行ってきます…」


 翌日、両親と朝食を食べると単独で自宅を出発する。険悪な雰囲気を味わいたくないという理由から。


「おはよ」


「はよ、かおちゃん達は?」


「まだ家にいる。先に行っちゃおう」


「はぁ?」


 そして駅にやって来ると智沙と合流。彼女と共にいつもより早い電車へと乗り込んだ。


「どうして2人を置いて来ちゃったのよ。アンタ、今日って日直?」


「違うよ。ただ華恋と顔合わせたくなかっただけ」


「またケンカしたのか。相変わらず仲良いわね」


「本当に仲が良かったら頻繁に争いなんてしないと思うけど」


 車内はそれほど混雑していない。けれど席がほとんど埋まっていたので立つ事に。


「喧嘩の原因は?」


「誕生日プレゼント」


「あぁ、そういえばもう18になったんだったわね。おめでとう」


「サンキュー」


 会話中にお祝いの言葉が飛んでくる。照れくさくなって視線を窓の外に逸らした。


「んで、顛末は?」


「華恋が『プレゼントは私』とか言い出してさ」


「……さすがに冗談よね?」


 答えに対して怪訝な表情が返ってくる。明らかに信用していない反応が。


「それで泣かしてしまったという訳さ」


「おう。お前が悪い」


「いやいや…」


「普通の兄妹なら距離を置きたがる年頃なんだけどね。アタシ達ぐらいの年代で男女が一緒にいたらカップルにしか見えないもん」


「うん……だからずっと側にいるのは嫌なんだよ」


 流れで昨夜の出来事を説明。駅に着く度に乗客が少しずつ増えていった。


「何かのショックで記憶喪失にでもならない限り変わらないかも。ずっと雅人の後を追っかけてそう」


「ひいぃっ…」


「しっかし妹にストーカーされるとか……面白すぎ、ププッ」


「笑い事じゃないんだってば。前に僕が彼女を自宅に連れて来るって例え話をしたら、その子を刺すとか言い放ったんだよ?」


「キャーーッ、怖い」


「絶対、他人事だと思って楽しんでるでしょ?」


「うん」


「はぁ…」


 友人がニヤけ面で大ハシャぎ。とはいえ他にこの愚痴をこぼせる相手がいないから困っていた。


「てか雅人はどういう状況になるのが理想なのよ?」


「ん~、華恋が僕に付きまとわなくなって、ヤキモチ妬かなくて、自分に彼女が出来たら良いなぁと」


「最後のはアンタ自身が努力するしかないとして、残り2つはあの子が心を入れ替えない限り無理じゃん」


「なんだよね。この障害をどうやって乗り越えるかが問題だ」


「華恋の理想的展開は雅人と一緒にいられる事なんでしょ? アンタ達の希望が真っ向から対立してんじゃない」


「……確かに」


「頑張んなさいよ、お兄さん」


「心が折れそう…」


 まずは泣かせてしまった事を謝るべきなのかもしれない。しかしそれだと振り出しに戻ってしまうだけ。どうしようか悩んでいると彼女の方から先に接触してきた。




「……何すか、これ」


「あ、あの…」


 休日の昼間。訪問者が部屋の入口で立ち竦んでいる。ただし違和感バリバリの格好で。


 黒いドレスに白いフリフリのレース。頭部には可愛らしいカチューシャが存在。それはまるでアニメに登場するキャラクターのような衣装だった。


「なぜメイド服着てるのさ……それ、メイド服だよね?」


「あ、うん。買ってみたんだけど……どうかな?」


「どうって聞かれても、どうしたんだとしか言いようがない」


「やっぱり変?」


「いや、それは…」


 彼女が衣類の裾をつまんで持ち上げる。極端に短いスカートを。


「自分で買ってきたの?」


「うん。高かったけど可愛かったから奮発しちゃった」


「いかがわしいバイトとか出来そうな衣装だ。それで何で急に?」


「んんっ、え~と…」


 状況が理解出来ない。説明を求めると小さな咳払いが響き渡った。


「きょ、今日1日だけはアナタの忠実な下部です。何なりと御命令くださいませ、ご主人様」


「……は?」


「だから今日は雅人のメイドさんで…」


「え、え……え?」


「何でも言う事聞きますので宜しくお願いします」


 続けて彼女が頭を下げてくる。目上の人にお辞儀でもするかのように。


「えぇ…」


 その言動で思考回路の混乱はますます加速。テレビのドッキリ企画に出演しているような心境だった。


「……あの、聞いてる?」


「いや、待って待って。何ごっこなの、これ?」


「ん~、ご主人様とメイドさんごっこ?」


「なるほど……じゃなくてどうしてこんな事してる訳!?」


「わ、私がやりたかったから。せっかくの誕生日だし」


「……もしかして前に言ってた誕プレの件?」


「うん」


「やっぱり…」


 質問に対して彼女の頭が上下に動く。そこで初めて行動の真意を把握した。


「意味が分からないよ。何を考えていきなりそんなふざけた真似を…」


「べ、別にふざけてないもん。真面目だし」


「これのどこが真面目なのさ。どこからどう見ても頭おかしいって」


「……そこまで言う事ないじゃん。これでも私なりに一生懸命考えたんだからさ」


「一生懸命考えて何故メイドになろうとする答えに行き着くんですかねぇ…」


 自分達は喧嘩していたハズだった。些細ないざこざが原因で。だから余計に目の前の光景が受け入れられなかった。いつもの華恋なら報復に来るハズだから。


「雅……ご主人様の身の周りのお世話を何でもやります。だからお側にいる事を許可してください」


「キャラ定まってないなら無理しなくても。今、名前で呼ぼうとしたでしょ?」


「す、すみません。これからは気をつけます」


「いや、だから無理してキャラ作るのをやめなと…」


「ごめんなさい。どんな仕打ちでも受けますからお許しを」


「えぇ…」


 追及の言葉に対して再び頭を下げてくる。鹿威しのように幾度にも渡って。


「何でも言う事を聞くって、つまりどんな命令をしても構わないって事?」


「はい。私に出来る事なら何だっていたします」


「じゃあ着替えろって言ったら黙って着替える訳?」


「……私の着替えがご覧になりたいのですか?」


「違うって! 普段着に戻ってくれって意味だよ!」


 メイドの口からとんでもない勘違い発言が炸裂。思わず怒鳴り散らしてしまうスケベな台詞が飛び出した。


「申し訳ないですがそれは出来ません。ご主人様の前ではキチンと正装でいなければならないので」


「別にご主人様とか呼ばなくて良いし。いつも通りに戻ってくれて構わないから」


「今日1日だけは雅人様のお世話をすると決めたんです。これだけは譲れないんです」


「1人で勝手に決めないで。許可した覚えない」


「服を脱げと言われれば裸にだってなります。だからどうかお付き合いください」


「尽くそうとする前にまずそのエロ思考どうにかしようよ!」


 脱げないと言ったり脱ぐと言い出したり。主張がハチャメチャだった。


「頼むから変な真似事は勘弁してくれ。僕まで白い目で見られちゃう」


「私は笑われたって構いません。その覚悟は既に出来ています」


「そっちにはあっても、こっちには無いから。こんなプレゼントいらないし!」


「……どうしてもダメですか?」


「ダメです」


「今日1日だけ。1日だけで良いから付き合ってはもらえませんか?」


「しつこいなぁ。ダメって言ったらダメなんだってば」


「そうですか…」


 頑なに拒否の姿勢を貫く。さすがにこんな荒唐無稽な状況を受け入れる訳にはいかないから。


「ちょ……何する気?」


「……脱ぐ」


「へ? どうしていきなり。やめようよ」


 やりかけの宿題に手をつけようとしていると彼女の口調が変化。腰回りに付いている帯をほどき始めてしまった。


「やっ、離してよ!」


「ストリッパーかっての。どうして兄貴の部屋で素っ裸になろうとしてるのさ」


「だって似合わないって言われたもん。さっさと着替えろって言ったもん」


「いや、似合わないとまでは言ってないけど…」


 その行動を阻止しようと腕を掴む。狭い室内で奇妙な押し問答を展開。


「せっかくさ、雅人に喜んでもらおうとしたのにさ、見向きもしてくんないんだもん…」


「何の前触れもなく家族がこんな格好で現れたら誰だって戸惑うし。華恋は僕がいきなり水着姿で部屋に現れたら正常でいられるの?」


「そうだとしても邪険に扱う事ないじゃん。少しぐらい誉めてくれたって良いのに…」


「誉めたらまた調子に乗るじゃないか。だからだよ」


「似合うかなぁって思ったのに。それで思い切って買ってみたのに……なのに、さ」


「ちょっ…」


 揉めている途中で彼女がグズり始めた。芝居とは思えない態度で。


「ちっとも喜んでぐんないし、それどころか否定ばっかしてぐるし…」


「否定っていうか、つまりその…」


「雅人が気に入らないって言うなら脱ぐ。こんな衣装ビリビリに破り捨ててやる」


「いやいや、せっかく買ったのに勿体ないじゃないか」


「別に良いもん。こんなのいらない!」


「分かったよ。もう文句は言わないから落ち着いてくれ」


「え?」


 仕方ないので妥協する事に。口にした言葉に反応して目元を擦る動作が止まった。


「その遊びに付き合ってあげる。だから衣装破くのはやめよ」


「……ホント?」


「本当本当。たった今、気が変わったから」


「えへへ、やった」


「でも今日1日だけだよ。日付変わったら中止だからね?」


「は~い、分かりましたぁ」


「ふぅ…」


 目の前にあった泣き顔は途端に笑顔へ。先程のぐずり声が演技なのではと疑ってしまう程の変わりよう。ただここで叫ばれるのは勘弁だった。隣の部屋ではまだ香織が寝ていたから。


「ねぇ、どうどう?」


「ん~、可愛いんじゃないかな」


「本当!? やった!」


 メイドがその場でクルクルと回転する。丈が短いスカートを翻すように。そのせいでフワリと捲れ上がったレースの下から下着がチラチラ見えていた。


「やっぱり買って良かった。さっきまで凄く後悔してたもん」


「良いリアクションしてくれなかったから?」


「うん。予想ではスカートの下の絶対領域に見とれると思ってたし」


「だから太ももを露出するような衣装にしたのか…」


「えへへ、ちょっぴり恥ずかしかったけどね」


 計算してミニを選んでいたなんて。まんまとその策略に引っかかってしまった思考が情けない。


「……あ」


「ん?」


「あ、あの……ごめんなさい。ご主人様にタメ口を利いてしまって」


「いや、別に構わないから」


「自分で今日1日メイドに徹すると宣言したばかりなのに。本当に申し訳ありません」


「だから気にしてないってば」


 会話の最中に彼女の陽気なテンションが急降下する。再び申し訳なさそうに頭を下げてきた。


「えっと、まずは何をすれば良いですか?」


「特にこれといって無いかな。お腹も空いてないし」


「ではお部屋のお掃除とかは…」


「別に良いよ、散らかってないし。ていうか普段から華恋が掃除機かけてくれてるじゃないか」 


「そんな……なら私はどうすれば?」


「やる事ないから好きにしててくだせぇ」


「えぇ…」


 無許可で部屋に侵入して掃除。食事の用意をしてくれるし、洗濯だってこなしてくれている。よくよく考えれば華恋の日常がメイドそのものだった。


「め、命令があるまでここで待機しています」


「……どうぞご勝手に」


 解放宣言を出すが床に正座してしまう。仕方ないので無視してやりかけの宿題に手をつける事に。


「ん…」


 シャーペンを手に持ちノートに文字を記入。難解な数式を解きながら。しかしその集中力はそう長くは持続しなかった。


「……何ですか?」


「視線が気になって集中出来ない。やっぱり部屋から出てってくんない?」


「そんな……今日1日はずっと旦那様のお側にいると決めたので、それは出来ません」


「僕の言う事なら何でも聞くって言ったじゃないか。あと呼び方がコロコロ変わりすぎ」


「出ていけという命令以外なら何でも聞きます。だからここにいさせてください」


「側にいられるのが困るんだけどな…」


 振り返ると目が合う。部屋の隅で頑なに籠城を決行している不審者と。


「華恋は宿題やらなくて良いの?」


「明日やります。だから心配してくれなくても大丈夫ですよ」


「……そっか」


 どうにかして部屋から追い出す方法を画策。意識は完全に別の方向に持っていかれていた。


「今、漫画読んでなかった?」


「い、いえ。読んでないですよ」


「そうかな…」


 再び振り返って彼女に話しかける。不自然な物音がしたので。


「やっぱり出て行ってくれ。集中出来ない」


「す、すいません! もう邪魔したりしませんから」


「漫画読んでも良いからリビングか自分の部屋に移動してよ。黙ってそこにいられると気になって仕方ない」


「もう読むのやめます。やめますからお許しください」


「読んでた事を認めるんだね?」


「……あ」


 ペンを握るがまたしても不自然な音が反響。カマをかけるとまんまと引っ掛かってくれた。


「ごめんなさい。つい魔が差してしまいまして」


「どうだった? それ面白かったでしょ?」


「あ、はい。まだ序盤しか読んでませんけど」


「三巻から盛り上がるよ。トーナメント始まるんだ」


「それは楽しみですね。ワクワクします」


「……もう君、帰って良いや。召使いの才能ないわ」


「ごめんなさいぃぃぃぃ! もうサボったりしませんからぁっ!」


 コソコソ動き回ったり、喚いてきたり。邪魔以外の何物でもない。そして集中力を奪われながらも何とか宿題を完了させる事に成功した。



「んーーっ、終わったぁ」


「お疲れ様です。肩でも揉みましょうか?」


「いや、大丈夫。それよか小腹が空いちゃった」


「ならご飯を用意しましょう! 何でも作りますよ」


 時計を確認すると正午過ぎと判明。空腹感を意識する時間だった。


「じゃあ頼もうかな。香織もそろそろ起きてるかも」


「私の分も合わせて3人分作れば良いんですね」


「ん、お願い。てか食事中もその格好なの?」


「え? それはもちろん。当然じゃないですか」


「……恥ずかしくないのかい?」


 もう1人の妹の名前を出す。そうすれば着替えてくれると思ったのに期待は大ハズレ。


 とりあえず一階へと下りる事に。2人してリビングに移動した。




「ぐわあぁあぁぁっ!?」


「おはよ」


「いつつ……ねぇ、背中にアザ出来てない?」


「あぁ、あるね。龍の形をしたアザが」


 しばらくすると全身傷だらけの義妹も登場する。彼女は挨拶を交わすとそのまま奥のキッチンへと突入した。


「華恋さん、その格好どうしたの。可愛い!」


「ふふ、ありがと。ちょっと派手かなぁと思ったんだけど」


「そんな事ないって。似合ってる似合ってる」


「香織ちゃんにも今度貸してあげるね。あ、でもサイズが違うか」


「私じゃユルユルになっちゃう。それに似合わないし…」


 2人が何事もなく会話を繰り広げる。ツッコミも戸惑いも無しで。


「えぇ…」


 自分がおかしいのかと考えたくなるようなやり取り。結局、そのよく分からない状況のまま3人で昼食をとった。


「んじゃ、リエちゃんちに行って来る」


「……今日は家に残らない?」


「どうして? 私がいなくなると不都合な事でもあるの?」


「ま、まぁ…」


 食事後に外出しようとする香織を見送りに玄関までやって来る。彼女が出掛けてしまえばまたメイドと2人きりに。その展開だけは何としても避けたいので引き留めた。


「そんなに心配なら一緒に出かける?」


「え? 良いの?」


「冗談だってば。まーくん連れてったら皆が驚いちゃう」


「で、ですよね…」


 有り得ない提案にすら食い付こうとしてしまう。その言動で自身の狼狽具合を確認。


「いや、やっぱり出かける! 1人ででもどこか遊びに行ってやる」


「……好きにすれば良いと思うよ。私はもう行くからね」


「とうっ!」


 玄関から出て行く義妹を背に階段を駆け上がって二階へ。自室で貴重品を装備した後は転ばないように一階へと戻ってきた。


「じゃあ出かけてくる」


 そして逃げ出すように靴を履く。外出を意味する台詞を吐いて。


「うぐあっ!?」


「ダメッ!」


「は、離し…」


「ダメッ!」


「出かけるんだって。だから離してくれよ」


「ダメぇぇぇぇぇぇーーッ!!」


 だが扉を開ける前に妨害の手が介入。背後から強烈なタックルを喰らってしまった。


「ずっと勉強してたから気分転換したいんだよ。外出させてくれ」


「やだ! 雅人が行っちゃったら1人になっちゃう」


「好きなコスプレ出来て楽しいじゃないか。どんな格好したって誰にも文句言われないんだし」


「今日はずっと一緒にいるって決めたんだもん。絶対に行かせないんだから!」


「ぐ、ぐぬぬっ!」


 脱出を試みるが体に絡み付く腕が離れない。やはり力では適わないらしい。


「待って待って、家の中が汚れる」


「んんっ、んんーーっ!!」


「分かったよ。もう出かけないから離してくれ」


「……ホント?」


 無理やり引きずられた事で靴の裏があちらこちらに接地。仕方ないので予定を断念した。


「あ~あ、廊下が土まみれ」


「ごめんね。すぐ掃除するから」


「いや、自分でやるから良いけどさ…」


 2人でフローリングの床に屈み込む。ほうきとチリチリを使って共同作業を始めた。


「良かった、残ってくれて」


「あんな状況でどうやって出掛けられるのさ。観念するしかないじゃないか」


「だって1人で残されるの嫌だったんだもん…」


「家にいてもやる事ないんだけど。残ったは良いけど何するの?」


 ついでに絨毯についた埃も払い落とす事に。両手で持って大きく揺らした。


「……ごめん。ただ淋しかったからつい」


「その泣きそうになる反応やめようよ。それされると何も反論出来なくなっちゃう」


「ごめんなさい…」


「はぁ…」


 こんな弱々しい華恋を見るのは久しぶり。転校を決意した時以来の出現。


「まだ着替える気はないの? そろそろ飽きてきたでしょ」


「ううん、全然。楽しいよ」


「でもまた口調が戻ってるし」


「……あ、ごめんなさい。つい忘れてしまいました」


「ツンデレドジっ娘甘えん坊メイド?」


「えへへ…」


 彼女が照れくささを隠すように頭を掻きだす。はにかんだその顔に不覚にもドキリとさせられてしまった。




「……あの、くっつきすぎ」


「ご主人様と離れるのは淋しいのでこのままでいさせてください」


「それより一緒にやろうよ。1人だと退屈」


「いいえ、私はご主人様がプレイしてる姿を見守っています。私の事は無視してどうぞ楽しんでください」


「そんな事言われてもなぁ…」


 リビングに引き返した後はテレビゲームを起動させる。ただし片腕を拘束された状態で。


「ずっと見られてると恥ずかしいんですが」


「ただ眺めてるだけですから大丈夫ですよ」


「そんな事言っても気になるんだって。横目にチラチラ入ってくるし」


 二の腕に当たっている胸だけではない。注がれる視線や、すぐ側で吐き出される吐息。その全てがゲームに対する集中力を削いできた。


「それは私が邪魔という事ですか?」


「そうじゃなくて、ジッと見られてるのが困る訳よ」


「ご主人様は……華恋の事がお嫌いなんですか?」


「どうしてそうなるのさ。こっちを見ないでテレビ画面の方を向いててくれれば良いんだってば」


「それは華恋の事が嫌いだから消えていなくなれという事なんですね……そうなんですね」


「変な解釈の仕方をしないでくれよぉ…」


 イライラするけど強く引き離せない。泣き真似をされては毅然とした態度がとれなくなるから。


「大人しくしているんでこのまま隣にいる事をお許しくださいぃぃ!」


「もう良いよ、好きにしてくれ。今日はいつもよりしぶといね」


「ごめんなさい。でも決して悪気はないんです。ただ尽くしたいだけで…」


「召使いにしてはワガママすぎやしない? これだと立場が逆な気がするんだが」


 命令をする側とされる側が正反対。いつも折れるのは自分の方だった。


「そう言われたらそうか。確かにメイド失格ですね」


「え?」


「ちょっと待っててください」


 引っ付いていた彼女が唐突に離れる。そのまま立ち上がり廊下へと移動。そして1分もしないうちに引き返してきた。


「さっ、どうぞ」


「……何が?」


「耳掃除してあげます。今までやった事ないよ……ですよね?」


「耳掃除?」


「定番じゃないですか。そういう専用のお店まであるぐらいですし」


「えぇ…」


 更に隣に腰掛けながら足を叩く。大きく露出した太ももを。


「ほら、早く」


「いえ、結構です。そんなに気持ち悪くないので」


「遠慮なんてなさらなくても良いのに。ささっ」


「本当に間に合ってますんで。大丈夫ですから」


「そんな……なら片方だけでもお願いします」


「いや、本当に結構。てか勘弁…」


 新聞の勧誘のようなやり取りを展開。身の安全を守る為に必死に抵抗を試みた。


「こんのっ…」


「うわっ、やめてくれ!」


 しかし言い訳も虚しく強引に引き寄せられてしまう。シャツの襟首を掴まれる形で。


「やだやだ、嫌だ!」


「ちょっと動かないで! 暴れないでくださいよ」


「自分でやるから良いってば! 離してくれよ」


「すぐに終わるから大丈夫。それに動いたら怪我しちゃいますよ?」


「だからそれが怖いんだってば!」


 体勢を変えても意見は衝突。互いに妥協をしなかった。


「お願いします! 耳掃除やらせてください」


「そんな頼み方されても嫌なものは嫌だよ。大人しく諦めてくれ」


「ではどうしたらやらせてくれますか?」


「死んで屍になった後なら良いかな。あと80年ぐらい待ってて」


「そんな……悲しい事言わないでください」


「冗談だってば。はぁ…」


 ただ攻防に終焉が見えないので観念する事に。溜め息と共に全身の力を抜いた。


「……頼むから痛くしないでね」


「あ、なんかそれエッチっぽいです」


「う、うるさいなぁ」


 心臓をドキドキさせながら横になり続ける。不安な気持ちの表れか両手を強く握り締めていた。


「じゃあ始めるよ」


「うおぉ、やっぱ緊張する」


「大丈夫だってば……じゃなくて大丈夫ですってば」


「せ、せめて綿棒に変えない? 耳掻き怖いんだけど」


「ダメダメ。綿棒って耳垢を奥に押し込んじゃうらしいですよ」


「そうなの? 知らなかった」


「だからちゃんと耳掻き使った方が良いんです」


 人に自慢出来るか微妙な無駄知識を得る。あまり芳しくない状況の中で。


「はい、終わり」


「え? もう?」


「じゃあ向き変えて。反対側やるから」


「いや、片方だけで良いです…」


「良いから、ホラッ」


「うわっ!?」


 しばらくすると作業が完了。立ち上がろうとしたが強制的に体を転がされてしまった。


「あ、あの…」


「動かないで。刺しちゃう」


「いや、そうじゃなくて…」


 視界いっぱいにヒラヒラのレースが広がっている。ついでに柔らかい太股も。


 さっきはそこまで意識していなかったがこの体勢は結構際どい。スカートの奥にあるソレにどうしても意識を奪われてしまった。


「はい、お終い」


「うおぉぉぉーーっ!!」


 理性と葛藤しているとようやく待ち望んでいた時間が訪れる。聞こえた台詞に反応して素早く上半身を起こした。


「どう? スッキリしましたか?」


「ま、まぁ…」


「ふふふ、気持ち良かったでしょ。幸せな気分になれますよね」


「そうね。確かに幸せな気分を味わえたかも…」


 もちろんそれは耳掃除のせいだけではない。なんて言葉は口が裂けても言えやしなかった。


「良かったらこれからもやってあげますけど」


「……気が向いたらね」


「あのぉ…」


「ん?」


「ご褒美くれませんか?」


「は?」


 聴覚の確認をしているとメイドから要望が出される。労働に対する対価の申請が。


「せっかく頑張ったので何かしてもらえたら嬉しいかなぁと…」


「ご褒美…」


「ダメ……ですかね?」


「今度は僕が耳掃除すれば良いの?」


「いえ、そうじゃなくて。え~と…」


「また変な事? そうなんでしょ?」


 質問に対して彼女が瞼をシャットダウン。両手を太ももに挟みながら。何を言うかと身構えていたら顔を真っ直ぐこちらに突き出してきた。


「えぇ…」


 その仕草で思い出す。数日前、うちに颯太がやってきた日の事を。不意打ちを喰らって唇と唇を重ねてしまった出来事を。


 もちろんあのアクシデントを再現するなんて出来ない。だからソッと手を伸ばして頭を撫でた。


「あ…」


「久しぶりかな。こういう事するのも」


「そ、そうですね」


 安堵したように彼女が微笑む。ゆっくりと目を開けながら。


「ねぇ」


「はい?」


「どうしてこんな事しようと思ったの? 恥ずかしい思いまでして」


「だから誕生日プレゼントの代わりで…」


「それは分かってるんだけど、こんな真似しなくても良くない? 我慢して敬語まで使ったり」


「え、えと…」


 いつもの華恋ならコスプレを見せびらかしにきて、無反応の自分にヘッドロックかビンタ。無理やりごっこ遊びに付き合わせて自己満足して終了。


 それが今日の彼女は一切暴力を振るってこない。相変わらずワガママし放題だが、決して上から目線で物を言ってこなかった。


「しかもこの前、口論になったじゃん? あの日からメチャクチャ機嫌悪くなかったっけ?」


「……悪かったです」


「でしょ? だから余計おかしいなぁと」


「も、もうその事は忘れて!」


「ん?」


 核心に迫る質問をぶつける。その言葉を否定するように両手を大きく振ってきた。


「もう怒ってないから忘れて……じゃなくて、えっと」


「何々…」


「あ、あれは私が悪かったから。だからごめんなさい…」


「はぁ…」


 更に口調がタメ口に戻る。態度もいつも通りに変化。


「雅人に言われた事が正しいかなぁって後から考えて気付いたの。やっぱり私が間違えてたんだって」


「それは良かった…」


「確かに女の子がすぐに手を出したらマズいよね。男に引かれて当然だよ」


「ま、まぁそういう性癖がある人以外は嫌だろうね。暴力振るってくる女なんて」


「色々な事を考えて忠告してくれたのに私ったら逆上して、八つ当たりして…」


「いや、あの時は自分も言い過ぎたなぁと後から後悔したよ……ゴメン」


 同時に頭を下げ合った。漫画のギャグシーンみたいにぶつけそうになりながら。


「雅人は悪くないよ! 悪いのは全部、私」


「そんな事ないって。お互い様だよ」


「ううん、違う違う。そもそもはこの荒っぽい性格が原因なんだし」


「だからそれは…」


「もう二度と暴力を振るったりしない。暴れたりもしない。喋り方だって直すよ」


 彼女が真剣な様子で語り始める。自身を必要以上に責め立てるように。


「これからはもっと尽くすし、優しくだってする。気に入らない部分があったらどんどん指摘してくれて良い」


「……華恋」


「だから、あの…」


「ん…」


「き、嫌いにならないでほしい」


「へ?」


「あ……じゃなくて嫌いにならないでください」


「いや、え……え?」


 その独演会は意味不明な場所に不時着。告白を想起させる台詞を浴びせられた。


「うぅ…」


「嫌いってどういう事? 何の話?」


「え? この前、雅人が言ってたヤツだよ。暴力振るうから嫌いなんだってヤツ」


「あぁ…」


 指摘されて思い出す。数日前に行った説教を。


 確かに暴力に関しての否定はした。だがそれは性格を注意したのであって自分の華恋に対する感情はどうでも良い話だった。


「あの時はつい頭にきて部屋から出て行っちゃったけど……よくよく考えたら私バカすぎた」


「えっとさ、もしかして僕に嫌われたくないからこんな真似したの?」


「それは…」


 問いかけに対して彼女が言葉を詰まらせる。図星を指されたかのごとく。


「やっぱりなぁ、ずっと変だとは思ってたんだよ。いつもなら力付くで制圧してくるのに今日は泣き脅しで頼み込んでくるから」


「泣き脅しって、アレは別に芝居じゃ…」


「正直に答えて。今日、何回心の中で僕に手を出そうと思った?」


「そ、そんな事考えないよ! 一度だって思わない」


「怒らないから教えてよ。何回?」


「えっと…」


 真相を聞けたタイミングで更なる追及を開始。目の前にある手から2本の指が動いた。


「2回か…」


「……この衣装を変って言われた時と、勝手に出かけようとした時」


「なるほど。穏やかそうに見えて内心怒り爆発だった訳ね」


「だ、だってぇ…」


 気付かないうちに2回もボスキャラの攻撃を回避していたらしい。その事実に尋常じゃない焦りが込み上げてきた。


「別に雅人の事が嫌いだとかそういう訳じゃないからね! ただ、その…」


「拗ねたって事?」


「ま、まぁ…」


「嫉妬の塊みたいな人はちょっと」


「えぇ、そんなぁ…」


「ひょっとして無理やり出掛けようとかしたら刺される訳? 包丁とかでズブーッと」


「そ、そんな危ない事しないよ! 絶対にしないから」


「けどなぁ…」


 本心を聞いた現状で言葉を鵜呑みには出来ない。全力で猜疑心に苛まれていた。


「怒らないって言うから正直に答えたのに」


「怒りはしないけど距離を置きたくはなった」


「うぅ、酷い…」


「とりあえずこんな真似した事情は分かったからもうやめても良いよね?」


「あっ!」


 話し合いを強制的に中断する。両膝に手を突くと立ち上がってソファを離れた。


「ま、待って」


「何?」


「私の事嫌い? まだ嫌い?」


「はぁ? なに言ってるの?」


「もし今のがムカついたなら殴ってくれて良いよ。だから嫌いにならないで」


「ちょっ…」


 しかし彼女もすぐに急接近。腰回りに絡みついてきた。


「離れてくれ。重い!」


「どんな仕打ちにも耐えます。靴を舐めろと言われたら舐めますから!」


「どこの意地悪社長なのさ。舐めなくても良いからその体を離してくれ」


「嫌ぁぁぁぁぁっ、嫌わないでぇっ!」


「しつこいぃぃぃっ!」


 頭を押さえて強制的に剥がす。そのせいでズルズルどズボンが下がってきた。


「だから別に嫌いではないんだってば」


「……ホント?」


「本当本当。華恋を殴りたいとも思ってないし、ムカつくとかそういう感情はないから」


 取り乱したメイドをソファに座らせる。発生している勘違いを1つずつ軌道修正していく事に。


「だから泣きついたりするのやめてくれ」


「でもこの前は私の事が嫌いだって…」


「あ、あれはついカッとなって言ってしまったっていうか……ゴメン」


「ならさっき黙って出掛けようとしたのは?」


「恥ずかしかったんだよ。華恋とこういう遊びをするのが」


「私の事が嫌いだから逃げたかった訳じゃ…」


「違う違う。照れくさかっただけなんだってば」


 緊張感が解きほぐされた影響なのだろう。彼女は両目にうっすらと涙を浮かべていた。


「もう戻って良いからさ。いつも通りになろ。ね?」


「……でも今までの私の性格は嫌なんだよね?」


「ま、まぁ。もう少しお淑やかなら良いなぁとは常々考えてるよ」


「ならやっぱりこのままでいる。頑張って克服してみせるから」


「すぐ手を出す短気な性格を?」


「うん…」


 問い掛けに対して頭を上下させる。肯定の意志を示すように。


「華恋がそうしたいなら止めないけど疲れると思うよ。主に精神的に」


「別に平気だもん。雅人に嫌われる方が困るから」


「あのさ、前から聞こうと思ってたんだけど何でそこまで僕に付きまとうの?」


「だって好きだから…」


「兄貴として?」


 今度は横に移動。勢いよくブンブンと振ってきた。


「……なら男として?」


「うん。雅人以外の男には興味がない」


「それちょっとおかしいよ。もう兄妹だと分かってから何ヶ月経ってるのさ」


「おかしいとか言わないでよ……私が病気みたいじゃん」


「充分、病気って言えるレベルだって。普通は有り得ない」


 立ち直りが遅い自分ですら数日で考え方を変えられたのに。目の前の人物は未だに昔の出来事をズルズルと引きずっていた。


 そもそもこの家を出たのはその時の感情を忘れる為だったハズ。なのに消し去るどころかパワーアップしていた。


「いい加減気付こうよ。僕達は血を分けた双子なんだってば」


「そんなの分かってるよ。でも好きなんだからしょうがないじゃん」


「もしこういうのが父さん達にバレたらマズいから。それぐらい分かるでしょ?」


「で、でも兄妹で付き合ったり結婚したりする話はあるよ。近親相姦とか」


「それは漫画やゲームの世界の話じゃないか。リアルにそんな真似したら大騒ぎになっちゃう」


 物語ならショックを受ければそれで済む。だが現実はその先に進む事は許されない。人生のエンディングは恋が成就した時ではなく命を落とした時だからだ。


「じゃあ私は一生、雅人とそういう関係になれないの? キスしたりエッチしたりとか」


「あ、当たり前じゃないか! 何を言い出してるのさ」


「そんなの嫌っ! おかしいよ!」


「おかしいのは華恋の方だって。ワガママばっかり」


「兄妹だって家族だって好きになっても良いじゃない。どうして勝手にダメって決めちゃうわけ?」


「そりゃ、いろいろ不都合があるからだよ。近い親等の組み合わせで産まれた子供は障害が発生しやすいとか何とか」


「それは確率的に通常の男女より少し上がるだけで、実際の所は大した影響は起きないって誰かが言ってたよ」


「そんな事知らないよ。国が作った法律がダメって言ってるんだからダメなんだってば!」


 いつの間にかお互いに声を荒げた状態に。隣近所にまで響いていそうなレベルの口論が勃発。


「世間にバレなきゃ良いじゃん。2人でどこかに隠れてひっそりと暮らせば」


「どうして結婚する事が前提になってるのさ。そんな事したってごまかせる訳ないし」


「そもそも私達、名字が違うんだからバレないって。婚姻を役所が認めてくれなくても、雅人と2人で暮らせれば私は幸せだから」


「華恋1人だけだよ、それで幸せなのは…」


 反論していたが彼女の意見を真っ向から否定は出来ない。関係性が家族ではなく他人だったらどんなに良かった事か。そう考えた回数は一度や二度ではなかった。


「もし私と無人島で2人っきりで取り残されたとしても、やっぱり妹だからって理由で拒絶するの?」


「その状況になってみないと分からないけどさ。まず無人島に2人だけで取り残されるまでの過程が想像出来ない」


「なら確率はゼロじゃないんだよね? もしかしたらまた私の事を女の子として見てくれるかもって事だよね?」


「それは…」


「少しでも可能性があるなら諦めないよ。絶対に振り向かせてやるんだから」


 半ベソかきながら彼女が力強い宣言を掲げる。ひょっとして周りにいる女性全てを抹殺でもする気なのだろうか。そう考えてしまう程、見つめてくる眼差しが怖かった。


「もう暴力振るったりしない。女の子らしくない喋り方もしない。雅人の言う事なら何でも聞く」


「それプラス、僕が他の女の子と仲良くしてても食いかかってこない事」


「え、えぇ……それはちょっと」


「出来ないの? なら華恋に振り向く事は一生ないね」


「わーーっ、わーーっ! 分かりました。謝るから許してください」


「ふふふ、どうしよっかなぁ」


 慌てふためく彼女に悪戯な笑みを浮かべ返す。今までと立場が逆転していた状況に喜びながら。


 この関係を利用すれば悩みを解決出来るかもしれない。卑怯だが妹を普通の女性へと導くにはこの方法しかないと悟っていた。


「もし僕に彼女が出来て、その子に喧嘩を売るような真似したら一生口利いてあげないからね」


「その場合は首を吊るか校舎から飛び降りるから、どのみち口は利けなくなっちゃうよ」


「や、やめてくれよ。そういう脅しをかけるの」


「嫌われたくないから色々な事を我慢するけど、私にだって耐えられない事はあるんだからね?」


「……はい。肝に銘じておきます」


 だが制約の言葉は自身に跳ね返ってきてしまう。深く踏み込みすぎた事が原因で。


 駆け引きの難しさだけを強烈に痛感。作戦は開始早々に座礁してしまった。


「はぁ…」


 2人で迎えた初めての誕生日。その記憶はメイド服と禁断の兄妹愛で埋め尽くされていった。

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