第12話 人見知りと核弾頭娘

「んしょっ…」


 昼休み後の清掃時間、ガムテープを何度も床に張り付けて剥がす。カーペットに付着したゴミを集めていた。


「あそこってどうやって先に進むの?」


「あれ、中に入れないんだよね。ただの扉らしい」


「え? あんな意味ありげな場所に設置されてるのに!?」


「うん。だから無視しちゃって構わないよ」


 丸山くんと作業とは無関係の話題で盛り上がる。趣味全開の内容で。


 現在の担当場所は音楽室だった。月が変わって席替えしても班は変わらないのでメンバーは同じ。


 鬼頭くんは委員会の用事で遅刻なのでいない。女子2人はピアノを演奏して遊んでいた為、2人だけでの清掃活動となっていた。


「アイテムコンプは1周じゃ無理なんだっけ?」


「だね。2周目じゃないと出現しない物もあるから」


「うひぃ、しんどそう……そこまでやり込むのキツいなぁ」


 最近は休み時間になる度にクラスメート達とゲームに没頭している。彼以外にも趣味が近い人間が何人かいたので皆で集まって対戦やら共同プレイ。


 華恋も女友達を作ったので別行動が多い。リア充グループからは程遠いオタクな毎日を過ごしていた。


「そういえばバイトどう? 楽しい?」


「……うっ」


「どうしたの?」


「い、いや……別に」


「そう?」


 脳内でゲーム映像をリプレイしていると無関係の話題が飛んでくる。あまり思い出したくない放課後の予定についての質問が。


「やだなぁ…」


 時間が過ぎ去るのが億劫で仕方ない。その原因はバイト先の新人の子。顔を合わせるのが嫌なので店に向かう足取りが重くなっていた。


「悩みがあるなら聞くけど」


「え~と、丸山くんってバイトした事ある?」


「ん? ないよ」


「そっか…」


 労働経験が無いなら彼からの共感は得られないかもしれない。ただ優しい言葉をかけてくれただけでも感謝をしたくなった。




「……今日は何時までかな」


 学校を出るといつも通りバイト先に向かう。すっかり見慣れてしまった住宅街を歩いて。


「ちぃっす」


「あ…」


 その道中で自転車に乗っている女子高生に遭遇。セミロングの女の子が後ろからベルを鳴らしてきた。


「ど、どうも」


「今日暑いっすね。汗かいちゃった」


「そうかな。割と涼しい気がするけど」


「あ~、腹減った。ここ来る前に何か食べてくれば良かったわ」


「……頑張って」


 微妙に成立していない会話を交わす。どっちが目上の人間かが分からないやり取りを。


「おはようございま~す」


 合流した後は挨拶をしながら2人して裏口から入店。鞄をロッカーに突っ込んでエプロンを身に付けた。


「今日は何やるんすか?」


「基本的にはこの前と一緒かな。お客さんが来たら席まで案内して、注文した物をテーブルまで運んで、帰ったら後片付け」


「了解っす」


 元気良く返事をする新人の子と一緒にフロアへと飛び出す。そこそこに人がいる現場へと。


「雅人、紫緒しおちゃんの世話よろしくね」


「……は~い」


 同時に店長からの指令を受ける事に。乗り気ではないが当たり障りのない返事をした。


「先輩、よろしくどうも」


「あ、うん。こちらこそ」


 仕事をこなしながら後輩への指示も出すのが最近の日課となっている。一応は先輩という括りになるので。


 紫緒さんは言われた通りに動いてくれるのだが動作が全体的にやや遅め。まだ不慣れだから仕方ないのだが少々やる気がない様にも感じ取れた。


「先輩、言われたテーブル片付けてきました」


「あぁ……じゃあ他のテーブルもお願い」


「もう全部片付けましたよ。食器置きっぱなしの席、もう無いっす」


「……あ、そう。ならそこの棚に砂糖入ってるからテーブル回って補充しておいて」


「了解~」


 本棚の前に立つとバラバラに並べられた雑誌を整頓する。相棒の動作に目を配りながら。


「んんっ…」


 やはりどうも俊敏さが感じられない。移動中も地面を擦るように歩いているし、声に宿る覇気も皆無。


 彼女も優奈ちゃん同様に先輩と呼んできた。ただその呼称からは年上に対する敬愛さは微塵も感じられなかった。


「先輩、砂糖の補充終わりました」


「お疲れ様。今は他にやる事ないからその辺で休憩してて」


「は~い」


 待機命令を出すと紫緒さんがその身を翻す。小さく手を振るリアクションと共に。


「はぁ…」


 悪い子ではないのだけれど前回の後輩と比較せずにはいられない。態度から器量から何から何まで。そして一番キツいのが彼女が最も苦手とするタイプという点だった。


「……あれ?」


 雑務を終えると店内を見回す。そこに本来いるハズの人物がどこにも見当たらない。


 トイレにでも行っているのだろうか。そう思いカウンターの方へ戻ろうとしたら意外な場所で遭遇してしまった。


「ちょ、ちょっと!」


「はい?」


「こんな所で何やってんの!?」


 空席に座っている紫緒さんを発見。ついでにのんびりと寛ぎながらケータイを弄っている姿も。


「友達からメッセージ来てたんで返信を」


「サボってるのはマズいよ。こんな現場を店長に見つかったら怒られちゃう」


「でもさっき先輩が休憩してろって言ったじゃないすか」


「いや、そういう意味で言ったんじゃなくてさ…」


 解釈が酷すぎる。知能指数を疑ってしまうレベルで。


 周りの人間に気付かれないように内緒話を開始。彼女を立たせた後は強制的に入口近くのカウンターへと動かした。


「やっぱり仕事中にメールとかやったらいけないもんなんすか?」


「そりゃ当然だよ。お客さんへの印象が悪くしちゃうもん」


「ならアプリは?」


「ケータイを弄るの自体アウト」


「ちぇ……つまんないの」


「えぇ…」


 説教に対して不服さを表した舌打ちを浴びせられる。隠す様子を微塵も感じさせる事なく。


「はぁ…」


 それから2時間近くこんな状態が続く事に。あまり戦力にならないパートナーとフロアを駆けずり回った。


「お疲れさんっした!」


 シフトが終わると紫緒さんが店を出て行く。威勢のいい挨拶を付け加えながら。


「雅人。アンタ、明日も来れる?」


「え? どうしてですか?」


「瑞穂ちゃん、急用入っちゃったの。だからアンタ明日も来てくれない?」


「は、はぁ……そういう事なら」


 入れ違いに店長からシフト変更の要望が飛んできた。さすがにフロアを新人の子1人に負担させる訳にはいかないのでしぶしぶ承諾。


 貴重な自由時間が潰れてしまうが仕方ない。元々、休みを多く貰っているので文句なんか言えやしなかった。




「ただいま」


 労働が終わると自宅に帰還する。暗い夜道をタラタラと歩いて。


「おかえり。アンタ、ご飯は?」


「食欲ないからいらない。帰りにコンビニのおにぎり食べたから良いや」


「ちゃんと食べないと体壊すわよ。まったく…」


 母親の注意から逃げ出すようにリビングを移動。そのまま洗面所へとやって来た。


 遅い時間なのに両親揃って香織と一緒にテレビを視聴中。明日は仕事が休みなのかもしれない。


「ん?」


「……フンフンフ~ン」


 洗顔しているとバスルームの方から鼻歌が聞こえてくる。消去法で華恋であるとすぐに判明。磨り硝子の向こう側に肌色のシルエットを見つけてしまった。


「うぐっ…」


 更にカゴの中に彼女の着替えを発見。しかも白いブラジャーが無防備に垂れ下がっているというオマケ付き。


 ごまかすように視線を逸らす。急いで顔を洗うと慌てて洗面所を飛び出した。


「……あぁ、もう」


 どうも最近調子がおかしい。華恋を女の子として意識してしまっている。その原因は先日のアクシデントだろう。


 家族として接する為に距離を置いていたのに力ずくで唇を奪ってくるなんて。戸惑いばかりが溢れてきた。


 そしてそれは颯太も同じ。あの場に居合わせた彼の心は破滅寸前に。


 そのせいで自分達が双子であるという真実は告げていない。キス現場を見られた今となっては隠しておかなくてはいけない極秘事項となってしまったからだ。


「疲れた…」


 自室にやって来ると刀で斬られた侍のようにベッドに倒れ込む。着替えが面倒なので制服姿のままで。


「はぁ…」


 無地の壁に向かって溜め息を吐いた。同時に頭の中に1人の人物の姿を思い浮かべる。心に発生したモヤモヤを解消する為にポケットからケータイを取り出した。


「……どうしてるだろ」


 あの日から一度も連絡を取っていない。バイトも辞めてしまったから顔を合わせる機会がゼロに。


 SNSの日記も更新が停止中。無論、自分のページにも足跡すら付いていない。以前の宣言通りに連絡を断とうとしているように感じられた。


「嫌われちゃったかな…」


 最後にあんな別れ方をしたのだから仕方ない。けれど自分には彼女を忘れられない理由が存在した。


 1つは兄である鬼頭くん。もう1つは去り際に残してくれたバイト先の新人の子。翌日もその後輩と共にバイトに精を出す事になった。



「ヒマ、ヒマ、ヒマ…」


 ふてくされている紫緒さんが何度も独り言を呟いている。両手でトレイを持ち、貧乏揺すりを繰り返しながら。


「先輩、やる事ないんで帰って良いですか?」


「ダ、ダメだよ。もう少ししたら忙しくなるんだから我慢我慢」


「でもどっちかっていうと忙しくなる前に帰りたいんですけど。大変なの嫌いなんで」


「……僕だって嫌いだよ」


 怱怱たる時間帯だからこそ人手が必要なのに。働く意欲がまるで感じられない発言に呆れてしまった。


「前から思ってたけど先輩って人見知りするタイプですよね」


「へ?」


「だっていつもキョドってるし。目を合わせてもすぐ逸らされるし」


「ぐっ…」


「消極的な性格でどうして客商売なんかやろうと考えたんすか?」


「う、うるさいな。人の勝手じゃないか!」


 突然の指摘に焦りが発生する。内容が見事に的を射ていたので。


 苦手なのにこの仕事を続けているのは弱点克服の為。対人恐怖症を治そうと目論んだ上での荒療治だった。


「いらっしゃいませ~」


 雑談していると女性2人が入店して来る。その出来事がキッカケで休憩モードから仕事モードへと移行。忙しい時間帯へ突入した。


「ありがとうございましたぁ!」


 精算を済ませたお客さんに紫緒さんがエネルギッシュな挨拶を飛ばす。相手を怯ませるかの如く。


 暇な時はタラタラ動き、忙しい時は機敏に行動。もしかしたら臨機応変タイプなのかもしれない。


 言動はやや生意気だったが人見知りや失敗を気にせずガンガン突撃。そんなアクティブな性格は素直に尊敬出来た。


「あっ!」


 仕事に没頭しているとガシャンという音が店中に鳴り響く。悲鳴にも近い声と共に。


「こら、危ないじゃないか」


「くっそ…」


 すぐに食器が割れたんだと察知。振り向いた先には後輩と恰幅のいい中年男性が向かい合う形で立っていた。


「おいおい、ぶつかっておいて一言も無しか。もう少しで服にかかるとこだったんだぞ」


「はぁ? アンタが急に通路に飛び出して来るからこうなったんじゃん。ちゃんと周り見てよね」


「何ぃ!?」


 紫緒さんが屈んで破片を拾い始める。そんな彼女を男性が上から威圧していた。


「すみません。申し訳ないです」


「お?」


「紫緒さん、ここやっとくからお客さんに謝って」


「何でですか。悪いのはこのオジサンですよ」


「ちょっ…」


 咄嗟に間に割り込んで仲裁に入る。しかし要求に対して返ってきたのは反発的な意見だった。


「おぉい、ここの店員は客に頭も下げないのか。どうなっとるんだ」


「ほ、ほら」


「オッサン。アンタ、ぶつかっておいてゴメンナサイも言えないのか。歳いくつだ」


「あぁ!?」


「紫緒さん!」


 続けて腰を上げた後輩が暴言とも取れる発言を放つ。店員にあるまじき態度で。


「アンタのせいでこっちはグラス割っちゃってんの。片付けてんのに邪魔するな」


「ふざけるな! こっちは客だぞ、金を払ってる側の人間だ。だったらその動きを予測して避けるのがプロの店員だろうが」


「うち、プロじゃねーし。ただのバイトだし」


「生意気言うなクソ餓鬼が。さっさと謝らんかっ!」


 2人が激しい口論を開始。トラブル発生から僅か数秒で修羅場を迎えていた。


 しばらくすると騒ぎを聞きつけた店長が奥から登場。男性に平謝りをし、その場はなんとか収まった。



「……どうしてうちが怒られなくちゃならないんすか。悪いのはあのオッサンなのに」


「そりゃ怒られるよ。お客さんにあんな態度とったら」


「だって向こうが悪いんですよ。歩いてたらいきなり飛び出してきて」


「それでもとりあえず謝らないと。しかもオッサン呼ばわりはマズすぎ」


「つい頭にきちゃって。それに片付けするのが先決かなぁと」


「まぁね…」


 男性がいなくなった後は割れた破片を回収する。目の前で垂れ流される不満を耳に入れながら。


「優奈ちゃんはね、ちゃんと謝ってたよ」


「え?」


「例え相手が悪くても自分から頭下げてた」


「むぅ…」


「小学生じゃないんだからさ、どっちが悪いとか主張するのやめようよ」


 優秀だった共通の人物を引き合いに出して比較。説教の言葉に紫緒さんが黙り込んでしまった。


 言った後に少しキツすぎたかと後悔。けれどその気持ちはすぐに消え失せた。


「……こんなバイトやるんじゃなかった」


「え?」


 当てつけのような発言をぶつけられる。知り合ってから初めて見る暗いトーンで。その台詞が心理に深く踏み込みすぎていたので何も言い返す事が出来なかった。




「ふぅ…」


 バイトが終わった後は1人淋しく帰路に就く。途中で立ち寄ったコンビニで購入したサンドイッチを食べながら。


「父さん」


「お?」


「今って暇?」


「何だ。久しぶりに相撲でもとりたいのか?」


「いや、違うよ。ていうか相撲なんかやった事ないじゃん」


 そして帰宅後は家族のいるリビングに突撃。ニヤけ面でケータイを弄っている父親に声をかけた。


「相談あるんだけど良い?」


「珍しいな、雅人が話なんて。相撲の事についてか?」


「違うよ。どうして今日はそんなに相撲に執着してるのさ」


「久しぶりにテレビで取組を見て熱くなってな。並々ならぬ国技愛が父さんの心の中に溢れてきたんだ」


「あっそ…」


 呆れながらも今日あった出来事を簡潔に話す。自分なりの解釈を付け加えながらも。


「う~ん……なかなか気難しいお客さんだったんだな」


「相手の態度が悪いってのはこの際置いておいて、そんな行動をとった女の子についてどう思う?」


「その現場を見た訳ではないからハッキリ言えないが、あまり良い対応ではないよな」


「でしょ? しかもそれを指摘した僕にまで八つ当たりしてきたんだよ」


「ふむ…」


 直接文句を言われた訳ではないが最後の方は露骨に無視。険悪なムードのままで働き続けていた。


「どう注意したんだ?」


「例え自分が悪いとしても謝らなくちゃダメって。威圧したら喧嘩に発展しちゃうから」


「その通りだな。間違えた事は言ってない」


「あとどちらが悪いかを主張するのは小学生みたいだとも言った」


「そうか…」


 誰かに教わった訳ではないが理解は出来る。今までの人生で培った経験則から。


「父さんって仕事中に腹の立つお客さんが来る時ってある?」


「ん? まぁ人の話を聞かない患者さんはいるけど、基本的にはこっちの指示に従ってくれる人ばかりだな」


「へぇ。いいね、それ」


「病院はお店じゃないからな。患者さんにサービスする為に働いてるわけじゃないし」


「なるほど」


 医者に刃向かう愚か者がいるなら見てみたい。自身の生命に関わる事だから突っかかる人も多くはないのだろうけど。


「それで雅人はどうしたいんだ。その子を何とかしてあげたいのか?」


「いや、特には。ただ愚痴を聞いてほしかっただけ」


「なんだ。父さんはてっきり仲直りしたいから相談してきたと思ってたのに」


「それが出来たら良いんだけどね」


「可愛い子か?」


「ど、どうかな…」


 性格が苦手なせいで容姿にすら興味を惹かれない。ただ主観を捨てれば整った人物であるという評価は出来た。


「多分だけど今月中に辞めちゃうと思う。長続きしそうにないんだよね」


「人には向き不向きがある。合わないなら無理に続ける必要もない」


「なんだよなぁ。ただ辞めたらシフト入らなくちゃいけない日が増えるのが悩みなんだよねぇ…」


「なら色々と教えてあげれば良い。先輩の雅人がな」


「先輩…」


 耳に入ってきた単語に意識を奪われる。脳を強く揺さぶられたかのように。


 海城高校に入学してからまともに部活動に参加した事がない。中学生時代も赤井くんという呼称オンリー。だから誰かに先輩と呼ばれる機会がほとんど無かった。


 バイトを始めてから優奈ちゃんに呼ばれたが元々働き始めたのは彼女の方が先。だから紫緒さんを前に人生で初めて指導者という立場に立たされていた。


「最初は誰だって失敗するものさ。やった事のない物に挑戦するのは中々に難しい」


「僕も初めは怒られてばかりだったっけ。毎日注意されてたなぁ」


「その後輩の子が雅人から見て未熟だと思うなら成長させてあげれば良い。だろ?」


「うん…」


 父親の語りかける言葉が身に染みてくる。心の奥底に眠っていた何かを呼び起こしてくれるかのように。


「話はこれで終わりか?」


「あぁ、うん。ありがとうね。スッキリしたよ」


「そうか」


 相談相手が正しかったんだと実感。普段の言動は心許ないが、いざとなったら頼もしかった。


「ところでケータイで何やってたの?」


「ふふふ、何だと思う?」


「ニュースとかチェックしてるのかな。それか株とか」


「いや、恋愛シミュレーションゲーム」


「えぇ…」


 しかしその認識は瞬時に崩壊する。僅か数秒で。


 去り際に父親の端末の画面を覗き見。そこには水着姿の可愛らしい女の子キャラが映し出されていた。




「お、おはよう」


「……っす」


 翌日も放課後は真っ直ぐ喫茶店に向かう。フロアには既に紫緒さんがいたので軽く会釈をしながら挨拶した。


「今日は忙しい?」


「……まだ来たばっかだから分かんないです」


「あ、そっか。え~と……いつもサボらずにちゃんと来てるから偉いよね」


「サボるタイプに見えるんですか? うち」


「そ、そういう意味で言ったんじゃなくて…」


 誉めて伸ばそうと考えたのだが失敗に。言葉を違う角度で捉えられてしまった。


「紫緒さんっていっつも元気良いよね」


「は?」


「僕もその明るさを見習いたいなぁ」


「どうも。けど今日、貧血で体育欠席したんすけどね」


「そ、そうすか…」


 話題を変えたがまたしても不発に終わる。運の無さを痛感するのと同時に。


「槍山ってお嬢様学校なんだよね?」


「は?」


「そんな所に入れるなんて凄いなぁ。やっぱり賢いんだろうなぁ」


「去年、赤点を取りまくった挙げ句に夏休みは補習させられまくりましたけど何か?」


「ご、ごめんなさい…」


 事態は最低最悪。会話の全てが空回りしていた。


「……ありがとうございましたぁ」


 退店するお客さんに対してローテンションの挨拶を飛ばす。後輩ではなくやる気のない先輩が。


 あれから何度かスキンシップを試みたものの冷たくあしらわれる始末。あえなく自分の心が先に折れてしまった。


 昨夜はあれだけ年上らしい振る舞いをしようと息巻いていたのに。頭の中の妄想と現実はズレまくり。


 話が噛み合わないだけならまだ良い。精神的ダメージを負ったせいか何度もミスを連発。あまりにも失敗を繰り返すので店長に心配されてしまった程だ。


「あ~あ…」


 一刻も早く帰りたい。彼女と同じ空間にいたくない。もう立派な先輩になんかなれなくても良いから今日は姿を消したかった。


「先輩、ポケット出てますよ」


「え? え?」


 指摘に反応して上半身を捻る。ズボンの後ろから布地が飛び出していた。


「いけね、財布出した時かな」


「ププッ!」


「は?」


「……っと」


 紫緒さんが口に手を当てながら息を吐き出す。目が合うとバツが悪そうに奥へと逃走した。


「小娘が…」


 教えてくれたのは有り難いが笑う事は無いだろうに。どうも彼女には年上として意識されていないらしい。


 怒りと羞恥心を堪えながらポケットを直す。何故か中には輪ゴムが入っていた。


「あっつ!?」


「ん?」


 カウンターの中に入ろうとするとフロアから悲鳴が聞こえてくる。ついでに食器が割れる音も。


「げっ…」


 すぐに昨日と同じアクシデントが発生したと察知。後輩と中年女性が事件現場で向かい合っていた。


「危ないわね。ちゃんと運びなさいよ」


「す、すみません」


 2人の元に近付いて頭を下げる。床には散乱したコーヒーカップが存在。そのまま屈み込んで割れた破片を回収し始めた。相変わらず無愛想な後輩の足を肘で突っつきながら。


「……つぅ」


 けれど謝るよう促しても彼女は口を開こうとしない。ずっと無言の状態を維持。


「もう少しで火傷するところだったじゃない! どうしてくれるのよ」


「申し訳ありません」


「まったく、もう…」


 いかにもPTAといったタイプの女性が更に怒り出す。運悪く前日の男性と同じタイプの客と判明。


 ただ女性が怒るのも無理はない。詳しい経緯は不明だが衝突した店員が頭を下げようともしないのだから。


「ん?」


 イライラをぶつけるように視線を頭上に移行。その瞬間にある異変に気付いた。


「……もしかして火傷したの?」


「ぐぅっ…」


 紫緒さんが苦悶の表情を浮かべている。左手の人差し指を押さえながら。


「だ、大丈夫?」


「早く片付けてよ。危ないじゃない」


「すみません、後でやりますんで…」


「後じゃなくて今やって頂戴。他のお客さんにも迷惑でしょうが」


「……はい」


 様子を窺ったが横から妨害の台詞が炸裂。それは気遣いを排除した一方通行な意見だった。


「水道の水で冷やそう」


「でも片付け…」


「カップの事は良いから。早く奥に行って」


 紫緒さんにカウンターに戻るよう促す。なのに彼女は頑なに拒否。いっちょ前に後始末をしなくてはいけない使命感に駆られているらしい。


「大した事ないクセに大袈裟に痛がるんじゃないわよ」


「え?」


「最近の若い子ってこんな事ぐらいで弱音を吐くの? 情けない…」


「ちょっ…」


「だから学生のバイトは嫌なのよ。身勝手な振る舞いばかりでさ」


 説得を続けるすぐ横では中年女性が不満を次々に放出。何故か怒りの攻撃がこちらにまで飛び火していた。


「ほら、早く片付けなさい。自分の尻拭いは自分でするの」


「……うるさいなぁ」


「は?」


「こっちは怪我してんだよ。黙ってろ、クソババァ!!」


「なっ!?」


 堤防で塞き止めていた本音を露にする。溜まりに溜まっていた不満を発散するように。


「こっち」


「え? え?」


「冷やして、早く」


「あ……はい」


 紫緒さんの腕を掴むと奥の厨房へ。水道の蛇口を捻って赤く腫れ上がった指先を突っ込ませた。


「んっ!」


 彼女が苦しそうな声を出す。歯を食い縛る表情と共に。


 キッチンに入ってきた自分達とは入れ違いに店長がフロアへと移動。その直後に聞こえてきたのは女性の怒鳴り散らす声だった。


 冷静になると自分もすぐに外へ飛び出して平謝り。しかし当たり前だが許してはもらえず。その後、女性は言いたい事を散々ぶちまけて退店。店長の『お代は結構です』という言葉に対し『金なんか払うか』と言い放ったのが印象的だった。


 紫緒さんが戻ってきた後は2人で割れたカップの後片付け。そしてバイト後は店長のありがたくないお説教を受ける羽目になった。




「お疲れ様でしたぁ…」


 テンションだだ下がりの状態で店を出る。かつてない程の疲弊感に苛まれなから。


「あ~あ…」


 説教されている間、本気でバイトを辞めてやろうかと画策。ただ立て続けに従業員が減っては瑞穂さんやその他のパートの方々に迷惑がかかってしまうのでグッと堪えた。


「あ…」


「ど、どうも」


「……まだ帰ってなかったんだ」


 店を出て歩くと交差点で赤い制服を着た女子高生に遭遇する。一足先に退店したハズの後輩に。


「さっきはスイマセンでした。うちのミスなのに」


「いや、別に。怒られたのは自分のせいだし」


「でも…」


 騒動の発端は目の前にいる人物。けれどそれ以降の失敗は自身の行動が原因だった。


「手は大丈夫だった?」


「あぁ、はい。水膨れになってますけど平気っす」


「それ平気っていうのかな…」


「痛いけどまぁ何とか。怪我とか慣れてるんで」


 2人して掲げられた左手に注目する。バンドエイドが貼られた痛々しい指に。


「もしや今までずっと叱られてました?」


「そうだよ。お客様に対してババァとは何事だって怒鳴られてた」


「あはは、やっぱり聞かれてたんすね」


「笑い事じゃないよ。あぁあ……どうしてあんな事叫んじゃったんだろう」


 今までの人生で目上の人間に逆らった経験は無い。例えどんな理不尽な要求を突き付けられた時でも。それがまさか初対面の人に暴言を吐いてしまうなんて。悔やんでも悔やみきれない失態だった。


「先輩って地味そうに見えて案外大胆なんですね」


「そうでもないよ、今日がおかしかっただけ。いつもはもっと真面目だから」


「自分で真面目て……ププッ!」


「わ、笑う事ないじゃん」


 対話相手が口元を手で押さえて息を漏らす。その仕草にイライラが加速した。


「わざわざ謝る為に残ってたの?」


「違いますよ。そこで立ち読みしてたんです」


「そ、そうなんだ…」


 質問に対して彼女が1軒の店を指差す。暗がりの住宅街を照らすコンビニを。


「あっ、もしかしてうちが先輩をここで待ってたと思いましたか? ププッ!」


「うるさいな! こんな状況なら誰だってそう思うじゃないか」


「先輩って純情少年ですね。すぐ詐欺とかに引っかかりそう」


「くっ…」


 恥ずかしいせいか顔が熱い。やり取りの全てが恥の上塗りになっていた。


「はい、コレ」


「ん? 何?」


「チョコバーです。美味いっすよ」


「は、はぁ……くれるの?」


 目の前に茶色い袋の菓子を差し出される。コンビニで買ったであろう商品を。


 せっかくなので受け取る事に。袋を開けて棒状の物体にかぶりついた。


「おいひぃでしょ?」


「まぁ…」


「今日のお礼です。助けてもらった」


「……お礼ねぇ。でも水道で冷やしただけだし」


「そっちじゃなくて、その前のですよ」


「ん?」


 往来の場でたむろする。乗用車の邪魔にならないように駐車場にズレながら。


「あのオバサンに叫んだ台詞。うるせえババァって」


「あぁ、アレか…」


「いやぁ、スカッとしましたわ。うちにはとても真似出来ないっす」


「やめてくれ……自分でもメチャクチャ後悔してるんだから」


 不快な記憶が鮮明に復活。せっかく忘れようとしていたのに上書きしてしまった。


「正直、昨日まで先輩に嫌われてると思ってたんですよね。だから庇ってくれた時は嬉しかったっす」


「別に嫌いではないよ。ただ苦手ではあったかな」


「うちがですか?」


「うん」


 問い掛けに対して首を縦に振って答える。口からポロポロと菓子の破片をこぼしながら。


「えぇ……友達からは親しみやすいって言われるんだけどな」


「男女の違いだよ。あとやかましい人が苦手っていうか」


「やかましくはないと思いますけど。先輩、なかなか失礼な事をズバズバ言いますね」


「いや、それこっちの台詞だから」


 漫才のような応酬を展開。お互いの言動にツッコミを入れ続けた。


「紫緒さんってどこに住んでるの?」


「うちの家に遊びに来る気ですか? 先輩、スケベですね」


「違うよ! そうじゃなくてもう帰るから君の帰宅ルートを聞いただけ」


「あぁ、なるほど。そこの駅から電車乗ります」


 食べ終えた後は再び帰路に就く。どうやら同じ電車通学らしいので駅まで同行する流れに。


「そういえば自転車は?」


「店に置かせてもらってます。駅から喫茶店に行って、チャリに乗って学校に」


「で、帰りは店に自転車置いて駅まで徒歩?」


「そうっす」


「そんな面倒くさい事しなくても駅から直接自転車を使ったら?」


「だって駅の駐輪場有料なんすもん。バイト先に停めさせてもらえばタダだし」


「ちゃっかりしてるなぁ…」


 会話を交わすが気まずい空気感は無い。昨日までの関係が嘘のような距離感だった。


「まだ食べますか?」


「いや、もういらない」


 先ほど食べたばかりの菓子を再び差し出される。本人は歩行中も常に口の中へと吸収していた。


「紫緒さんはどっち方面?」


「あっちです」


「うわぁ、一緒か」


「そこまで喜ばなくても。うち、照れますがな」


「……天然?」


 駅に着くと改札をくぐってホームへ。進行方向も同じだったので同じ車両へと乗り込んだ。


「チョコバーうめぇ」


「いくつ食べる気なんだ…」


「これ大好きなんで金と時間に余裕があったらひたすら食べ続けられますよ?」


「気持ち悪くならない?」


「あぁ。253本食べた時はさすがに吐きました」


「やべぇ、狂ってるタイプの人間だ…」


 席は空いていたがドア付近に立ち続ける。吊革を利用しながら。


 まさか降りる駅まで同じじゃなかろうか。そう心配していたが同乗者は途中で下車してしまった。


「んじゃ、先輩。また明日」


「あ、うん。気を付けて帰ってね」


「今度、連絡先交換しましょうね。絶対っすよ!」


「はいはい…」


 ホームに出ていく後ろ姿を車内から見送る。小さく手を振って。


「怪我の功名ってやつかな…」


 仲良くなってみたら意外に話しかけやすい子なのかもしれない。このやり取りが今日限定でなければ。


「ふぅ…」


 1人になった後は椅子へと着席。不思議と全身が清々しい気分に包まれていた。

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