第11話 手錠と鎖

「……疲れたぁ」


 自室の机にうつ伏せで倒れ込む。重力に押し潰されるかのように。


「お疲れ様。そんなに忙しかったんだ、今日のバイト」


「うん……週末は平日よりお客さん多いから」


「客商売の辛いところよね~。世間が休んでる時に大変な思いをしなくちゃいけないなんて」


「本当だよ…」


 帰宅してから何度溜め息をついたか分からない。ただでさえ忙しかったのに、新しく入って来た子の世話で普段の倍は疲労。


 食欲も湧かなかったので夜ご飯はお茶漬けだけ。水分補給で胃を満たしていた。


「はあぁ…」


 体全体が蓄熱した状態に。頬に当たるひんやりとした感触が気持ち良かった。


「新しく入った子って女の子だっけ?」


「そうだよ。基本、女性ばかりの職場だから」


「可愛い?」


「う~ん……普通かな。ちょい派手な感じ」


「私とならどっちが上?」


「……たぶん華恋」


「よし、なら許す」


「どうも…」


 背後に立つ妹が満足そうな表情を浮かべる。勝ち誇った笑顔を。


「うへぇ…」


 新人の子は自分と同じであまり要領が良くなかった。言われた事を頭と体で同時には理解出来ないタイプ。だから何か1つの動作を覚えさせるのに結構な時間を費やした。


 その反面、優奈ちゃんは1聞いて10理解するタイプの優等生。いなくなってしまった今、彼女がどれだけ貴重で優秀な人材だったのかを思い知らされた。


「あぁ、もうバイト辞めちゃおっかな…」


「急にどしたのよ。嫌な事でもあったの?」


「行くの面倒くさいというか、働きたくないというか」


 呼吸をするように愚痴を垂れ流す。常日頃から感じている仕事に対する不満を。


 毎日叱られ、お客さんに頭を下げるの繰り返し。カバーしてくれる優しい後輩のおかげでどうにか耐えていたが、その彼女も退職。唯一の希望が失われてしまった今となってはバイト先に出向く気力など皆無に等しくなっていた。


「辞めるのは良いけど新婚旅行代はどうするのよ」


「新婚旅行って……自分の分だけならもう確保出来てるから」


「私の分の費用は?」


「なんで僕が2人分を捻出しなくちゃならないのさ。自分の分ぐらい自分で働いて稼ぎなよ」


「あっそ。ならもうこれからは雅人の分の食事とか洗濯はやらなくても良いって事ね」


「あ、いや…」


「誰が身の回りの世話をやってあげてると思ってるの?」


「……すいません」


 強気な態度で発せられた台詞に怯む。言われてみたら家事全般を彼女1人に任せがちに。いつの間にかやってもらって当たり前の感覚で過ごしてしまっていた。


「そういや、この部屋片付けてたら私のアルバム見つけたから回収しといたわ」


「あぁ、そういえばまだ返してなかったね。忘れてた」


「ん……まぁ雅人にあげるつもりで置いてったから別に構わないんだけどさ」


「僕のアルバムも見たいとか言ってなかったっけ? 結局見ないでいなくなっちゃったけど」


「本当よ、まったく。せっかくだから今見せて」


「いや、それが…」


 自分でもどこにしまったのか不明に。部屋の本棚に並べておいたつもりでいたが、どこにも見あたらなかったのだ。


「何それ。無くしたの?」


「この家のどこかにはあると思うんだけど。間違えて捨ててしまうには大きすぎる代物だし」


「とか言って、実は私に見せたくないから隠してるだけなんでしょ?」


「ち、違うって。本当に行方不明なんだよ」


 確かに過去の自分を見られる事に抵抗はある。それでも家族を騙してまで隠蔽しようとはこれっぽっちも考えていなかった。


「まぁ、いいわ。そのうちどっかからひょっこり出てくるでしょうし」


「もし見つけたら教えてくれ。大切な物だから」


「大切な物なら無くさないようにしっかり管理しときなさいよ!」


「……仰る通りでございます」


 ぐうの音も出ない。いつの間にか物が消えてしまうのは何故なのか。神隠しの存在を疑わずにはいられなかった。


「とりあえず今日もお疲れ様。1日頑張ったね」


「あぁ、気持ち良い~。生き返る」


「明日はバイト無いんだっけ?」


「そうだよ。ゆっくり休めるわぁ」


 相変わらず机の上に突っ伏していると華恋が肩を揉んでくる。こっている意識はなかったがマッサージしてもらうと気持ちが良かった。気付かないうちに歳をとってしまったのかもしれない。


「……ねぇ」


「ん?」


「アンタってさ、あの子の事……好きだったの?」


「へ!?」


 悦に入っていると上から声が飛んでくる。脳の意識を覚醒してしまうような内容の台詞が。


「あの子…」


「どうなの?」


 聞き返すまでもなく誰の事を示しているかは理解出来た。公園で口論を繰り広げた喧嘩相手なのだと。


「ん~、分からないや」


「あんだけ仲良くしてたのに?」


「友達として見てたのかもしれないし、女の子として意識してたのかもしれないし」


「ハッキリしなさいよね」


「そう脅されてもなぁ…」


 心の中で自問自答を繰り返す。言い訳を模索するように。


「今まで誰かと付き合った経験とかないから分からないのかも」


「なら好きじゃなかったって結論で良いのね?」


「もし好きだったって言ったらどうするの?」


「このまま首絞めて息の根を止める」


「た、助けて。お巡りさん!」


 肩に置かれていた手がうなじに移動。恐ろしい圧力をかけられた。


「しかしよくあの場面であんな事言えたよね」


「何が?」


「この子はアンタの事が好きなのよ~ってヤツ」


「あぁ、アレか」


 あの代わりの告白は華恋にしてみればメリットが皆無。むしろお互いを結び付けてしまう可能性を考慮すれば損だけしかない。


「私さ、ああいう風にハッキリしない展開って嫌いなのよね」


「どういう事?」


「お互いに遠慮しあってていつまでも告白しないでウジウジしてるヤツ」


「は、はぁ…」


「あんまりにも見ててイライラしちゃったから、ついバラしちゃった」


「なるほど…」


 気の短い人間らしい考え方。理屈より感情が上回ってしまったのだろう。


 とはいえまさか自身にとって不利になる発言が出来るなんて。そういう部分は素直に凄いと思えた。


「華恋って結構いい奴だったんだね」


「ふふふ、もっと誉めてくれてもいいわよ」


「これで性格が大人しかったらなぁ。あと自力で宿題やってくれたら完璧なのに」


「うるさいっ!」


「いてっ!?」


 素直な感想を口にする。直後に肩に強烈な痛みが発生した。


「そういえば明日はどこにお出掛けしよう?」


「家で寝てる。疲れてるから休んでる」


「そんな事言わずにどこか行こうよ。せっかくの休みなんだし」


「あのさ、旅行に行く費用を貯めなくちゃいけないって言ってるのにどうして使う事ばかり考えてるわけ? 頻繁に遊んでたら消費する一方じゃないか」


「その分、雅人がたくさん働いて稼げば良いだけじゃん。でしょ?」


「えぇ…」


 春休み明けに決めた予定を理由に反論を開始する。けれど頭上から飛んできたのは無慈悲すぎる意見だった。


「それに私と遊ぶ以外にお金の使い道ないんだしケチケチするんじゃないわよ」


「か、悲しい事を言わないでくれ…」


「ストレス解消に協力してあげてんじゃん。だからどっか遊びに行こ。ね?」


「……前言撤回。やっぱいい奴じゃないや」


「あぁ!?」


「ギャァァーーッ!!?」


 本音を漏らした瞬間に再び肩に激痛が走る。マッサージ師の暴挙ともとれる行動のせいで。


「いぢぢ…」


 彼女がいなければもっと貯金を増やせていたのは事実。無理やり連れ出したり、欲しい物をねだってきたり。ただの金食い虫でしかなかった。


「文句言うな! アンタだって一緒に出かけられて喜んでたでしょうが」


「行きたくもない場所に連れて行かれて、買いたくもない物を買わされて何が楽しいっていうのさ」


「黙らっしゃい! この肩の骨を打ち砕くわよ」


「や、やめて…」


 あまりにも理不尽すぎる展開。これでは何の為に辛い思いをして働いているのかが分からない。


「主張があんならハッキリしなさい。さっきも言ったけど私、ウジウジしてるのとか嫌いだから」


「こ、こんな状況で逆らえる訳ないし。脅迫しながら聞いてくるのやめてくれよ」


「あぁ、くそっ!」


 華恋が不機嫌さを露わにした舌打ちをする。暴れ出すかと思ったがドアを開けて出て行ってしまった。


「……つぅ」


 違和感の残る肩を擦る。ダメージを緩和するように。


 マッサージがいつの間に拷問へと変貌。疲れを余計に蓄積してしまっていた。


「な、なんすか…」


「手、出して」


「え? どうして?」


「いいからっ!」


「ひえっ!?」


 しばらくすると暴れん坊が再び部屋へと入って来る。威圧感なオーラを放ちながら。


「ん」


「ちょ、ちょっと! 何これ」


「手錠。見れば分かるでしょ」


「いや、聞きたいのはそういう事じゃなくてだね…」


 戸惑っている間に手首に銀色の輪っかが装着。それはドラマ等で何度も目にしてきた拘束具だった。


「これオモチャ?」


「ん~ん、本物」


「うえぇ!?」


「なわけないでしょ。偽物よ、偽物」


「だ、だよね」


「コスプレ衣装扱ってるお店に売ってたから買っちゃった。ムチやロウソクと一緒に」


「……趣味がおかしな所に行ってない?」


 作り物にしてはなかなかリアルな作品。警察官ならともかく一般人なら騙せてしまうレベルの贋作だった。


「ほい、完成」


「なにが?」


「何って見れば分かるでしょ? お互いの腕を繋いだのよ」


「は、はぁ…」


 更に華恋が反対側の輪っかを左手首に付ける。手慣れた様子で。


 もしかしたら決闘でもする気なのかもしれない。お互いに動きを制限して殴り合うとか。


 ただそれだと利き手である右側が塞がれてしまった自分の方が不利。しかも男女の差があるとはいえ明らかにパンチ力は対戦相手の方が上だった。


「で、どうするのコレ?」


「別にどうも。このままで過ごすだけ」


「いや、意味が分からないよ」


「漫画とかでよくあるじゃん。うっかり手錠かけたら鍵を無くして外せなくなっちゃったって展開」


「それでその2人が1日中行動を共にするってヤツ?」


「そうそう。前から一度やってみたいと思ってたのよねぇ」


「えぇ…」


 目的が酷すぎる。手段も動機も。


「でもこういうのって偶然発生するものでしょ。意図的にやったら意味なくない?」


「だって自力で起こさないとこういう風にならないじゃん」


「誰が好き好んで2人っきりで体育倉庫に閉じ込められるような真似するのさ。離してくれよ」


「やだ」


「あっ!?」


 持っていた鍵を奪おうと拘束されていない手を彼女の方に移動。だが掴むより先にシャツの中へと落下してしまった。


「何やってるのさ。早く出しなって!」


「ひっひぃ~、これで取り出せなくなったでしょ」


「ふざけてる場合じゃないし。いい加減にしないと怒るよ?」


「そんなに欲しいなら力尽くで奪ってみなさい」


「分かった。ならそうする」


「え?」


 怪盗のような姑息な手段に呆れる。本来なら手出し出来ない状況だが家族なので遠慮はしない。


「ちょっと、何すんのよスケベ!」


「そっちがやれって言ったんじゃないか。今さら文句言うなし」


 指先を彼女の腰元へ。そのまま捲り上げる勢いでシャツを持ち上げた。


「お兄ちゃん、乱暴はやめて!」


「うっ…」


「やるなら優しくして……無理やりは嫌だよ」


「でもここで本当に引っ込んだら?」


「もっとグイグイ来なさいよ、へたれ」


「はい」


 甘えた声で反論してくる。しかしすぐに芝居だと判明した。


「嫌ぁぁぁっ、ケダモノに襲われるぅ!」


「ちょっ……変なこと叫ばないでくれよ!」


 夜間なのに大暴れ。近所迷惑を考えずに騒いでいると扉をノックする音が聞こえてきた。


「……やば、ハシャぎ過ぎたか」


「ねぇ、さっきからうるさいよ。何を暴れてるの?」


「悪い。つい調子に乗っちゃった」


 ドアを開けた義妹が中の様子を窺ってくる。手錠の存在がバレないように腕を背後に回して隠蔽した。


「2人して何やってたの? またプロレスごっこ?」


「そんなところ。次から気をつけるから」


「ん~、私は別に良いんだけどさ。あんまり騒ぎすぎるとお母さん達が起きてきちゃう」


「あぁ、確かに」


「ごめんね」


 華恋と2人して頭を下げて謝る。その行動で納得してくれたのか乱入者は大人しく隣の部屋へと戻っていった。


「ほら、怒られちゃったじゃないか。まったく…」


「私だけのせいにすんな。アンタも共犯でしょうか」


「早く鍵出してくれよ。見つかったらマズいから、コレ」


 動きが制限されている右手を上げる。解放を訴え出ながら。


「ダメ~、雅人が生意気だからお仕置き」


「どこが生意気なのさ。お仕置きってのも意味が分からない」


「私のありがたみを分かってないみたいだから、こうして教えてあげてんでしょうが」


「相変わらず行動の理由が謎だらけ」


 腕を動かす度に彼女の腕も移動。お互いに不自由でしかない状況だった。


「いつまで続けるの? まさか寝るまでとか言わないよね?」


「そうね。24時間ぐらいやろうかしら」


「はぁ? トイレとかお風呂とかどうするのさ?」


「その時だけ外す。雅人が一緒に入りたいって言うならそれでも構わないけど」


「ますます何がしたいのか分からないよ…」


 いつでも取り外せるなら繋ぐ意味がない。ただ不便なだけ。


 可愛い女の子とならこういうシチュエーションも悪くないだろう。何よりも相手が不服だった。


「四六時中ずっと隣にいれば私の良さも分かるってもんでしょ」


「……恐怖しか湧いてこない」


「どうしても解放してほしかったら胸に手を突っ込んで鍵を奪ってみなさい」


「は?」


「ま、アンタにそんな事する度胸があればの話だけど」


「その前に隠すような谷間なんかあるの?」


 上から目線の言葉に対して悪態で反論。その瞬間に目にも止まらぬ速さの右手が顔面に飛んできた。


「んんんむむっ!?」


「失礼な事言うなし! 90センチのFカップ、ナメんなああぁっ!」


「んーーっ、んんーーっ!」


 唇を力強く引っ張られる。千切れるんじゃないかと思えるぐらいの勢いで。


「うおぉおぉぉっ、痛いぃいぃぃっ!」


「信用出来ないっていうなら見せるけど」


「いえ、結構です」


「もしまた次に同じような事を言ったらお仕置きするからね」


「え? い、今のこれは!?」


 恐る恐る顔のパーツを確認。しっかりと無事な位置に配置されていた。


「アンタ、お風呂は入らないの?」


「疲れてるからパス。このまま寝ようかと思ってる」


「ん~、やっぱり入った方が良いって。少し匂う」


「ちょっ……嗅がないでくれよ。1日中動き回ってたんだから当然じゃないか」


 彼女が胸元に接近してくる。犬のようにクンクンと鼻を動かしながら。


「ほら、着替え用意して。シャワー浴びるぐらいなら疲れてても出来るでしょ?」


「いや、その気力すら残って無い。お願いだからこのまま寝かせてください」


「パンツ、これで良い?」


「何を勝手に取り出してるのさ。ていうかどうして中身を把握してるの!?」


「だってたまに雅人の洗濯物ここまで仕舞いにきてるし」


「あざっす…」


 疲労を理由に欠席を希望。けれどその言い分は一蹴され、タンスを漁られてしまった。


「ほい、着替え」


「ねぇ、本当に入らなくちゃダメ? 明日休みなんだから1日ぐらい良いでしょ?」


「ダ~メ。そうやってサボるとすぐクセになっちゃう」


「でもなぁ…」


「私が背中流してあげるからさ。それなら良いでしょ?」


「言うと思った」


 結局、彼女の目的は別にあったらしい。口実をつけて自分が楽しみたいだけ。それでもこちらには拒否する権利があった。


「華恋はもう入ったんでしょ? 二度目になっちゃうじゃん」


「私は別に構わないわよ」


「それにまた着替えなくちゃいけなくなるじゃないか。洗濯物が2着あったら母さん達に何かあったのか聞かれるって」


「あ、そっか」


「はぁ…」


 そもそも同時に入浴するという意味を理解しているのだろうか。お互いに裸を見られるという状況なのに。


 様々な反論を試みたものの強制的に一階へと拉致。そこでようやく鬱陶しい手枷から解放された。


「あ、あの……そこにいると脱げないんですが」


「あぁ、私の事は気にしなくていいから。サッサと入ってらっしゃいよ」


「いやいやいや…」


 脱衣場へとやって来るが見張りが健在している。分離したとしても隣に本人がいたのでは意味がない。二階にいる香織に助けを乞おうとしたが断念した。きっとまた2人で遊んでると思われてお終いだろうから。


「雅人が出てくるまでここで待っててあげる。ちゃんと体中に染み着いた汗、洗い落としてきなさいよ」


「だから見られてると服が脱げないんだってば」


「あっち向いててあげる。それなら良いでしょ?」


「そうやって油断させておきながら途中で振り向く気じゃん。頼むから出てって」


「ちっ…」


 彼女の背中を押すと無理やり追い出す。他に誰もいないリビングへと。


「……生き返る」


 服を脱いだ後は逃げ出すようにバスルームへと突入。シャワーで汗を洗い流すだけのつもりが浴槽へと浸かっていた。


「ちょっとまだぁ?」


「うん。今、とても幸せな気分なんだ」


「もう20分近く経ってるわよ。すぐに出てくるって言ったじゃない」


「気が変わった。先に部屋に戻って寝てていいよ」


 リラックスしている途中でドアの向こう側から声が聞こえてくる。幸せを妨害する者の台詞が。


「な~に自分だけの世界に浸ってんのよ」


「う、うわぁ!?」


「溺れてるわけじゃなかったのね。良かった良かった」


「ちゃんと返事したじゃないか!」


 その直後に本人が中へと侵入。躊躇いもせず思い切りドアを開けてきた。


「ほうほう」


「な、何さ…」


「髪の毛濡れてるといつもと違う感じに見えるね。そういうのも良いじゃん」


「アホな事言ってないで、ほら早く! そこにいたら上がれない」


「ひゃ~」


 目が合った彼女がいやらしい笑みを浮かべる。お湯をかけるモーションで追い払った。


「ふいぃ…」


 油断も隙もない。覗き魔がいない事を確認すると慎重に外へと出た。


「あぁ、サッパリした」


「おかえり~。だから言ったでしょ、汚れ洗い落とした方が気持ちいいって」


「だね。入って正解でしたわ」


 濡れた頭をタオルで擦りながらリビングへとやって来る。テレビも点いていない無音の空間へと。


「あぁ。私、やったげるよ。貸して」


「へ?」


「ほら、正面向く」


 ドライヤーを手に鏡台に着席。同時にソファから立ち上がった華恋が背後に近付いて来た。


「気持ちいい~」


「でしょ。自分でやるより効率は悪くなっちゃうけどね」


「いやいや、たまにはこういうのも良いかも」


 頭上から冷風と温風を交互に送ってくれる。眠気を誘う繊細な手つきも付け加えて。


「はい、終わり」


「サンキュー。助かっちゃった」


「お代は5000円になりま~す」


「髪の毛乾かしただけなのにぼったくりじゃないか」


 指先で毛先の濡れ具合を確認。作業が丁寧だったおかげか綺麗に乾燥していた。


「ま、またやるのコレ?」


「当たり前じゃん。24時間って約束でしょ」


「もしかしてこのまま一緒に寝る流れ?」


「当然。さっ、雅人の部屋行こ」


「えぇ…」


 冷蔵庫から取り出したジュースを飲んでいると彼女がポケットから銀色の輪っかを取り出す。どうやらまた拘束されるらしい。


 戸締まりを確認した後は並んで階段に移動。本物の犯罪者のように連行されてしまった。


「あぁ、2人っきりで寝るの久しぶり。こっちに帰って来てからは初めてだよね?」


「か、かな?」


「ドキドキする。緊張してきちゃった」


「はぁ…」


 もしこの現場を家族に見られたら何と言われるか。面倒な説教が待っているかもしれない。


「あっ、パジャマに着替えてない」


「別にそのままで良いじゃん」


「そのままで良いって、そんな……やだ、恥ずかしい」


「……ポジティブだね」


 相方が妙な勘違いをしながら頬を赤らめる。芝居なのか本気なのか分からない仕草で肩を叩いてきた。


「気になるなら部屋に行って着替えてきなよ。待っててあげるからさ」


「やだ。アンタ、先に寝ちゃうかもしれないし」


「大丈夫だってば。てか自分の部屋に戻るならそのまま寝たら?」


「それもそうか。なら今日は我慢しようっと」


「うわっ!?」


 油断していると腕を強く引っ張っぱられてしまう。その影響で2人してベッドに倒れ込んだ。


「フカフカのベッドたん、モフモフ~」


「ねぇ、やっぱりコレ外さない? 窮屈なだけだよ」


「明日まで外さないって言ってるじゃん。1日で終わる遊びなんだから我慢しなさいよね」


「でもなぁ…」


 無理やり鍵を奪いたい所だが時間が遅いので先程のように暴れる訳にはいかない。それにバイトの疲れが蓄積されているせいもあってか少しでも早く眠りにつきたかった。


「電気消すよ」


「うぃ~」


 華恋が髪に付けていたヘアゴムを外す。ついでにリモコンを使って照明をオフに。


「何?」


「いや、別に」


「私の顔に何か付いてた?」


「目と鼻と口が付いてた」


「何言ってんのよ。当たり前じゃん」


 2人して1枚の布団を被った。枕も1人前しか無い為、半分ずつ使う羽目に。首を動かすと有り得ないぐらいの至近距離に華恋の顔があった。


「眠れないから面白い話して。それか子守歌か」


「歌は苦手だしなぁ。身の毛もよだつ怪談話ならしてあげても良いけど」


「やめてよっ! 私がそういうの苦手だって知ってて言ってるでしょうが」


「当然」


「くっ…」


「いててててっ!? 肉が千切れる!」


 ワガママに対して嫌味で反論する。その報いか太ももにダメージが発生。


「もう子守歌とか良いから楽しい話しましょ。昔やらかした失敗談とか」


「失敗談て……パジャマのまま登校しちゃったとか?」


「そうそう、そんな感じの。つかパジャマで学校行った事あんの?」


「僕はないけどクラスメートがあるよ。その姿を皆に見られて笑われてたっけ」


「ふ~ん…」


 ふと懐かしい記憶が甦ってきた。声変わりする前の思い出が。


「遠足って楽しかった?」


「もちろん。授業潰れるし遊びに行けるし」


「私も。お母さんの作ってくれたお弁当美味しかったな」


「羨ましい。一度で良いから食べたかったよ」


「へっへっへ」


 その時の状況を想像する。もう二度と経験する事は無いであろうやり取りを。


「でも高学年になる頃には入院しちゃってさ。それどころじゃなくなっちゃって」


「親戚の人は作ってくれなかったの?」


「作ってはくれたんだけど仕事で運動会とか見に来られなくて。だからいつも1人で過ごしてた」


「……そうなんだ」


「気を遣って先生が教室で一緒に食べてくれてたんだけどね。やっぱり窮屈だったなぁ」


「ん…」


 どうやら似たような生活を送っていたらしい。離れ離れで暮らしていたハズなのに妙な連帯感が芽生えてきてしまった。


「それで智沙がさ…」


「……すぅ」


「ありゃ、寝ちゃったか」


 思い出話で盛り上がっている途中で異変に気付く。隣の相方がいつの間にか瞼を閉じている事に。ハシャぎすぎて疲れてしまったのだろう。自然と会話はそこで打ち止めとなった。


「いてっ!?」


 自分も眠りにつこうと寝返りを打つ。その瞬間に右手首に小さな衝撃が発生。


「はぁ…」


 ずっと同じ姿勢を保っていた為にすっかり忘れていた。邪魔なアイテムの存在を。


「……ん」


 同時にある事に気付く。鍵の持ち主が寝ている状況に。


「寝た?」


 小さな声で話しかけてみるが返事は無し。彼女は完全に夢の世界へとダイブしていた。


「よっしゃ」


 布団の中で拘束されていない方の手を動かす。先程は失敗した鍵強奪作戦を実行しようと。


「いやいやいや…」


 けれど途中で断念。1人ツッコミを入れながら。


 いくら妹とはいえ仮にも生物学上は女な訳だし、今でこそ普通に接しているが一時期は憧れだった相手。いくら鍵を奪うという大義名分があるとはいえセクハラ紛いの事をするのはどうなのか。


「う~ん…」


 とはいえこのままでは寝辛いのも事実。ミッションを実行する意思を固めた。


「……ん」


「おぉっと!」


 再びシャツに触れようとすると微かな息漏れが聞こえてくる。小さな寝返りと共に。


「お、起きた?」


 再度問い掛けるが無反応。ただの寝言だった。


「ふぅ…」


 こんな姿を見られたら何を言われるか分かったものじゃない。本人はおろか家族にも。


「よ、ようし…」


 緊張感を押し殺すように固唾を呑む。手を伸ばして腰元からシャツと体の隙間に突っ込んだ。


「少しの間、大人しくしててくれよぉ」


「んんっ…」


 指先が肌に触れる度に呼吸が聞こえてくる。普段と違う色っぽい声色が。理性と葛藤しながらも捜索を続行。しかし目的のブツはなかなか見つけられなかった。


「どこにあるんだろう…」


 もしかしたら違う場所に移したのかもしれない。入浴している間は彼女から目を離していたので。だとしたら今やってる行為は全くの無駄になってしまう。傍から見たらただの変態だった。


「お?」


 暗闇で泥棒ごっこを繰り広げていると中指の爪先が何かにぶつかる。プリンのような弾力のある物体に。


「こ、これは…」


 その正体は瞬時に理解。女性にだけ備わっているアレだろう。いけないとは分かりつつも欲望に負けてもう一度だけ突っついてみた。


「……ぁんっ」


「ひいいぃっ!?」


 ブラに触れた瞬間に小さな喘ぎ声が発生する。罪悪感に駆られて進撃していた手を素早く引っ込めた。


「大きい…」


 普段はあまり意識していないが自分には無い2つの膨らみがそこにはある。襟元から覗かせる柔らかそうな谷間が。


「女の子なんだなぁ…」


 しみじみと性別の差を実感。本来の目的を見失い始めていた。


「あ~あ…」


 まだ全てを探し終えた訳ではないけれどここには無い気がする。ずっと服の中に入れていたらスルリと抜け落ちてしまうハズだから。


「あ、あれ?」


 諦め気分で手錠に触れると形状が変化。輪っかの部分が広がってアッサリと腕が抜けてしまった。


「……嘘だ」


 あんなに苦労して堪え忍んでいたというのに。どうやら鍵なんか無くても取り外しが可能だったらしい。


 考えてみたら当然。本物の拘束具ではないのだから仕組みまでリアルに作る必要は無かった。


「よっと」


 起き上がってベッドから出る。やや痛みの残る右手首を押さえて。


「おやすみ」


 ついでに安らかな寝顔を浮かべている妹に向かって就寝の挨拶をした。一階の押し入れから毛布を取り出した後はソファの上で眠りについた。




「ふぁあ…」


 翌日。目を覚ますのと同時に違和感を覚える。あからさまな重力の変化を。


「お目覚めかしら、お兄様」


「……何やってんの、そんな所で」


 視線を自身の体に移動。そこにはお腹を跨ぐようにして座っている華恋がいた。


「もうお昼よ。いつまで寝てるつもり?」


「あれ? もうそんな時間か。熟睡してたのかな」


「あとさっきイビキかいてた。疲れが溜まってるんじゃないの?」


「げっ! それは良くないなぁ…」


 壁にかけられた時計で時間を確認する。既に正午過ぎ。休日とはいえ、いい加減目を覚まさないといけない時間帯だった。


「父さん達は?」


「買い物。ちなみに香織ちゃんもお出掛け」


「……という事はつまり現在この家にいるのは」


「そっ、私とアンタだけという事になるわね」


「しまった…」


 もう少し早くに起きる予定だったのに。これでは鬱陶しい手枷から逃げ出した意味がない。


「ほ~ら、起きて起きて」


「分かった分かった。起きるから動かないで」


 彼女がお腹の上でポンポンと飛び跳ねる。肺が圧迫されて苦しかった。


「勝手に抜け出してこんな所で寝てるなんて……まったく」


「あの手錠、簡単に外せたんだね。全然気付かなかったよ」


「あ~あ、本当なら今日もずっと繋がってる予定だったのに」


「も、もう勘弁してください」


 さすがにあの拷問を再現したくない。精神的にも肉体的にも。


「あれ? 誰だろ」


「宅配便かな。私、出てくるね」


「ん、お願い」


 毛布を畳んでいるとインターホンの音が鳴る。華恋が小走りで廊下へと駆けて行った。


「あぁあぁああぁーーっ!!?」


「ん?」


 直後に玄関で叫びだす。しかも1人ではなく誰かの声を付け加えて。


「何々、どしたのさ?」


 状況を確認する為に素早く移動。洗面所へ向けていた足を廊下へと方向転換した。


「ま、雅人…」


「え? 君、誰?」


「ふざけんなっ! 俺だよ、俺!」


「あぁ、なんだ。颯太か」


 華恋が口をパクパクさせながら指を伸ばしている。その先には私服姿の友人が存在。


「今日って遊ぶ約束してたっけ?」


「いや、してないけど……じゃなくて!」


「ん?」


「どうして華恋さんがいるの!?」


 会話を始めた早々に彼が動揺した様子を露呈してきた。妹と向かい合う形で。


「え~と、ちょい前にこっちに帰って来てね」


「し、知らんかった…」


「ごめん。そういえば報告するの忘れてた」


「えぇ、えぇ……えぇ」


 そのまま文句をつけるように睨み付けてくる。肩からは大きなショルダーバッグをブラ下げていた。


「お、お久しぶりです」


「……どうも」


 2人がどぎまぎした様子で挨拶する。微妙な緊張感も交えながら。


「ところで何しに来たの? 遊びに?」


「まぁな。さっきから何回も電話してるのに出てくれないから直接家に来ちゃった」


「あ、そうなんだ。実は今まで寝てたんだよ」


「華恋さんと添い寝か。羨ましい」


「いや、違う……と言えないのが悔しい」


「ん?」


 就寝中は音楽も振動も鳴らないように設定。今回はその行動が裏目に出てしまったらしい。玄関で立ち話をする訳にもいかないので中に上がってもらう事にした。


「今っておじさん達いないの?」


「いないよ。ついでに香織も」


「ならゲームやろうぜ。ソフト何本か持って来たからよ」


「おっけぇ。やろうやろう」


「爆乳な姉物と、女子校転入物と、監獄陵辱物と…」


「ごめん。やっぱり帰ってくれる?」


 リビングに戻って来ると出しっぱなしの毛布を片付ける。友人にソファへ座るよう促しながら。


「へぇ、もうこっちの学校に通ってるんだ」


「はい、そうです」


「何の話してるの?」


 ついでにトイレと洗顔を済ませ2人の元に帰還。盛り上がっていたので割り込ませてもらった。


「華恋さんについて。2人共、同じクラスなんだって?」


「うん。教科書の貸し借りが出来ないのが不便だけど」


「いつこっちに戻って来たの? まだ最近?」


「いつだっけ?」


 質問を受け流すように隣に視線を移す。やや萎縮している妹の方へと。


「えっと、春休みの時です」


「ならもう2ヶ月近く前じゃないか!」


「そ、そうだね」


「もっと早くに教えてくれたら良かったのに。どうして黙ってたんだよ、雅人?」


「いや…」


 固く口止めされていたなんて言えやしない。張本人がいるこの場では。


「あっ、何か飲む? 喉乾かない?」


「そうだな。じゃあサラダ油頼むわ」


「逆ダイエットでもしてるの?」


 意識を逸らそうとすかさず別の話題を提供。立ち上がってキッチンへと入った。


「ちょっと、なんでいきなりアイツが来てんのよ」


「知らないよ。僕だって事前に連絡もらってなかったんだから」


「……ったく、面倒くさ」


 後を付いてきた華恋が耳元で愚痴を囁く。客人には聞こえない大きさの声で。表面には出さないがやはり不満を爆発させていたらしい。眉間に凄まじいシワを寄せていた。


「サンキュー」


「お茶で良いよね。ゲームやる?」


「おう。とりあえず団地人妻異世界ファンタジー触手物にしようかと思ってるんだが」


「ごめん。やっぱり帰ってくれる?」


 リビングに引き返して来ると颯太がバッグからゲーム機と数本のソフトを取り出す。その場の流れで3人で人生ゲームをプレイする事に。


「やったぜ。また子供が産まれたぞ」


「これで13人目だよ。一体何人作る気なのさ」


「……あぁ。ただ離婚も7回、リストラも15回経験しちゃってるんだけどな」


「波乱万丈すぎるよ」


 予想外の人物がいた事に友人のテンションは最高潮。普段以上に饒舌になっていた。


「お腹空いたぁ…」


 しばらくすると空腹感に襲われ始める。昨夜からほとんど食事をしていないので。


「そういえば飯まだなんだっけ?」


「うん。颯太は?」


「俺は来る前に家でトンカツとカツサンドとカツカレー食べて来たけど」


「メニュー被りすぎじゃない?」


 彼を連れてどこかで外食もアリかと考えたが既に食事を済ませてきたとの事。昼過ぎという時間帯を考えたら当然だった。


「華恋は?」


「私も空いちゃったかな。まだお昼ご飯食べてないし」


「だよねぇ。どうしよう…」


 後ろに座っている人物にも意見を伺ってみる。クッションを抱きかかえながらコントローラーを握っている妹にも。


「どっか食べに行く? 駅前とか」


「え? でも颯太はもう昼飯済ませたんじゃ…」


「別に良いって。2人がお腹空いてるならカツ丼屋とか行こうぜ」


「味覚どうなってるの?」


 その提案はありがたいが無駄にお金を使わせては申し訳ない。どうするか考えていると華恋がゆっくりと立ち上がった。


「私がコンビニ行って何か買って来ようか?」


「え? 良いの?」


「うん。何食べる? パスタ系?」


「麺類ならどれでも良いや。あとジュース買ってきて」


「はいはい」


 思わぬ提案に意気込んで乗っかる。恐らく彼女自身もこの場を離れたいだろうから。


「颯太さんも欲しい物ありますか?」


「え!? い、いや……特に無いです」


「そうですか。なら行ってきますね」


 そのまま出掛けると思っていたが去り際に友人にも意見を傾聴。返事を聞き終わると貴重品を持ってリビングを後にした。


「俺……今、下の名前で呼ばれたんだけど」


「あぁ、そういえば」


「何で?」


「さ、さぁ…」


 2人揃って軽くパニックに陥る。すごろくが回転しているテレビ画面を見つめながら。


「もしかしてフラグ立った?」


「どう……かな」


「よ~し、頑張って好感度上げるぞぉ!」


「エロゲみたいな展開は期待しない方が良いかもよ…」


 肯定は出来ないが否定も出来ない。状況が不透明すぎて。


「……あ」


「どうした?」


「ごめん、ちょっと迎えに行ってくる。しばらく1人でやってて」


 届いていたメッセージを確認するとリビングを離脱。貴重品を持つのと同時に。


 どうやら財布を忘れたので迎えに来てほしいらしい。相変わらずオッチョコチョイだった。


「あ、あれ?」


「ん?」


「財布忘れたんじゃないの?」


「んな訳ないでしょ。私、そこまで間抜けじゃないし」


「ならどうして呼んだのさ…」


 しかし目的地に着く前に本人と出くわしてしまう。白い袋を携えた妹と。


「アイツのいない所で話したかったからに決まってんでしょうが。サッサと追い返しなさいよね!」


「別に良いじゃん。チョッカイ出してきてる訳じゃないんだし」


「良くない! アイツいるだけで迷惑。伸び伸び出来ない」


「そこまで言わなくても…」


 メッセージ内容が嘘だったと判明。まんまと計略に引っ掛かってしまった。


「そういえばさっきどうして下の名前で呼んだの?」


「あ、えっと……アイツ、名字なんだったっけ?」


「は?」


「ど忘れしちゃったのよね。何となくなら覚えてるんだけどなぁ」


「えぇ…」


 続けて衝撃的な言葉を告げられる。呆れずにはいられない内容の台詞を。


「木下だよ。忘れてあげないで」


「あぁ、それそれ。思い出したわ」


「でもこれからはもう名字を使うのやめた方が良いよ」


「はぁ? 何でさ?」


「今から呼び方戻したら不自然じゃないか。どうせまた忘れるんだから颯太って呼んであげなよ」


「ちっ……面倒な奴」


 本人はすっかりその呼称に大喜び。例え勘違いだとしても落胆させたくはなかった。


「昼飯サンキューね。お金はどうしよう?」


「これぐらいで金取ったりなんかしないわよ。奢りにしといてあげる」


「やっほい。なら帰って食べよっか」


 話もうやむやにしたまま2人で帰路に就く。来た道を並んで引き返した。


「ただいま」


「おう、おかえり」


「ゲームどうなった?」


「たった今、自己破産の手続きが済んだ所だよ」


「……ムチャクチャだね」


 リビングに戻って来ると1人で黙々とゲームを続けている友人の姿が飛び込んでくる。ついでにデカデカと表示された破産という文字も。


「いやぁ、楽しいですね。華恋さん」


「そ、そうですね…」


 それからレンジで温めたパスタで昼食を開始。一足先に食べ終えた妹には颯太の対戦相手を務めてもらった。


 楽しそうに話しかける友人に対して彼女は明らかに顔が引きつり気味。趣味は合うハズなのに生理的に受け付けないらしい。


「華恋さんは交際してる男子とかいないんですか?」


「え……急に何ですか?」


「いや、ちょっと気になったんで。いるんですか?」


「んん…」


 CPUの行動中に2人が興味深い話を始める。色恋沙汰についての話題を。


「い、いません…」


「本当に? いやぁ、そうなんだ」


「……はい」


 華恋からの返事を聞いた颯太が大喜び。きっと下の名前で呼ばれたから好意を寄せられていると勘違いしたのだろう。


「挽き肉おいしいな…」


 彼女の転校する日に告白して玉砕したハズなのに。意識の中ではビンタされた過去も照れ隠しな行動として美化されているのかもしれない。


「俺、今までに誰かと付き合った事ないんすよね」


「そ、そうなんですか…」


「華恋さんは彼氏いた事ありますか?」


「え?」


 颯太が調子に乗ってプライベートな質問を連発。2人のテンションの差は傍から見て笑えるぐらい滑稽なものだった。


「……言って良い?」


「な、何を?」


 問い掛けに対する答えを何故か華恋がこちらに振ってくる。意味深な目付きも付け加えて。


「まさか…」


 すぐさまその真意を理解。同時に嫌な予感が心の中を覆い尽くした。


「……私は今までに男性と付き合った事が一度だけあります」


「え?」


「去年の話です。前にこの家に住んでいた時に…」


「待って待って、ストーーップ!」


「ん…」


「一体、何を言うつもりなのさ!?」


 思わず立ち上がって叫ぶ。緊急事態を防ごうと。


「別に。ただ質問に答えようとしただけ」


「へ、変な事言わないよね?」


「変な事って?」


「いや、だから…」


 問い詰めようとしたが慌てて口を塞いだ。自分でバラしてしまっては意味がないので。


「な、何々。なんなの…」


 間に挟まれていた友人もパニック状態へと陥る。視線を左右に何度も動かしていた。


「私が付き合っていた方は颯太さんとも顔見知りの方で、今も仲良くさせてもらっています」


「ちょ…」


「いろいろあって別れてしまった事になっていますが、私は今この瞬間もその人の事を愛しています」


「や、やめてくれ!」


「私が付き合っていたのは……そこにいる雅人くんです!」


 必死に言い訳を繰り広げるが間に合わず。隠し事が水泡に帰す瞬間が到来してしまった。


「……は?」


「今まで黙っていてごめんなさい。私達、ずっと付き合っていたんです」


「ひいいぃ!」


「さっきは交際してる男性はいないと嘘をつきましたが、本当は今でも特別な関係なんです。少なくとも私の中では」


「や、やめてくれぇ…」


 自分でも情けないと思うような声が口から漏れる。不良にカツアゲされているイジメられっ子のような弁明が。


「もう良いよねバラしちゃっても。ずっと内緒にしておくなんて良くないし」


「な、何言ってるのさ。バラすも何もそんな事実なかったじゃないか。嘘つかないでくれよ」


「嘘じゃないもん。ちゃんと告白もされたし、デートもしたし、ほっぺにキスだってしたもん」


「う、うわああぁあぁぁ!!」


 両手で頭を押さえて喚いた。本心を表した台詞を。


「あ、あの……今、華恋が言った事は全部嘘っぱちだからね」


「へ?」


「僕達が付き合ってる訳ないじゃん。だって兄妹なんだし」


 怒鳴り付けようと考えたが別の行動をとる。友人に対する言い訳を。


「はぁ? 兄妹?」


「……あ」


「兄妹ってどういう事だよ。雅人と華恋さんは親戚同士なんじゃ…」


「いや、そうじゃなくて…」


 だがその行動は新たな誤解を生む羽目に。自分で自分の首を絞めてしまっていた。


「兄妹みたいに仲の良い恋人同士って意味だよ。ね? 雅人」


「だ、だから違うんだってば。頼むからこれ以上、混乱させるような発言はやめてくれ」


「なんでよ。私は事実を有りのままに述べてるだけじゃない」


「どこがさ!」


 説明中に華恋が横から割り込んでくる。虚偽を助長しようと。


「颯太、実は今まで内緒にしていた事があるんだ」


「え?」


「僕と華恋は親戚ではなく、血の繋が…」


「せいっ!」


「ぐっほ!?」


 まずは双子だという関係性をバラしてしまった方が良いかもしれない。その意見を実行ようとしたが強烈なミドルキックが腹部に飛んできてしまった。


「ゲホッ、ゲホッ!」


「ちょっと、それはまだ内緒にしておくって約束でしょ。次の誕生日を迎えてから皆に言うって決めたじゃない」


「はぁ?」


「私達が結婚するって発表はダメだよ。バラすには早すぎるってば」


「い、いきなり何を言いだしてるの!?」


「あっ、いっけな~い。私、自らバラしちゃった」


 華恋が頬を手で押さえながら赤らめる。棒読みな台詞と共に。どこからどう見てもそれは芝居でしかない。けれど彼女の発言を真に受けている人物が約1名存在していた。


「け、けけけけ結婚!?」


「はい。私達は昔から婚約を定められた許嫁だったんです」


 友人が大声で発狂する。奇形な絵画のように歪みまくった表情で。


「ち、違うから。今のは冗談だから」


「ふぇ? 冗談?」


「当たり前じゃん。まだ高校生なのに結婚とか有り得ないよ」


「むぅ、確かに…」


「ね? 華恋?」


 話題を正しい方向へと軌道修正。しかし声をかけた本人は不満タラタラの顔をしていた。


「……どうしてそんな嘘つくのよ」


「う、嘘じゃないし!」


「全部ホントの事だもん! 付き合ってる事もデートやキスの事も結婚の約束の事だって」


「さっきから大丈夫? ちょっとハシャぎすぎだよ」


 意見を真っ向から対立させる。それぞれハッタリと真実を武器に。


「そんなに認めたくないの? 私達が付き合ってる事」


「当たり前じゃん」


「絶対の絶対?」


「しつこいよ。何回聞いても答えは同じ」


「なら思い出させてあげる」


「え?」


 突然、彼女が目の前まで近付いてきた。視界を覆い尽くす勢いで。何をするかと思えば首に腕を回してくる。そのまま顔と顔を急接近させてきた。


「……っ!?」


 全身が硬直する。唇に違和感が発生したせいで。


「な、何するのさ!」


「きゃっ!?」


 咄嗟に肩を強く突き飛ばした。大声で叫びながら。


「ちょっと押す事ないじゃない!」


「だって!」


「ふっふ~ん、しちゃった。唇と唇のキス」


「うっ…」


 必死で口元を拭う。今のトラブルを無かった事にするように。


「もうこれで言い逃れ出来ないわね。決定的証拠を見られちゃったんだもん」


「どうしてこんな…」


「まだ言い訳すんの? 男のクセにみっともないわよ」


「気持ち悪い…」


 なぜ妹とキスなんかしなくてはならないのか。家族間での恋愛行為は世間的にタブーのハズだった。


「……気持ち悪い」


「あ、いや…」


「……うっ」


「あの…」


 不満をぶつけるように犯人の顔を睨みつける。ただその表情はみるみるうちに歪んだ物へと変化していった。


「あっ、あぁ…」


「待って待って」


「ああぁ……うわああぁぁぁぁぁ!」


「う、うるさっ…」


「あああぁぁぁん、やだぁぁぁぁ!!」


 更には両手で顔を覆い大声で喚き始めた。スーパーで駄々をこねる子供のように。


「気持ち悪いって言われたぁぁぁぁ!」


「ちょっ…」


「雅人に言われた、気持ち悪いって!」


「静かにしてくれぇ…」


 つんざくような叫び声に思わず耳を押さえる。口を塞ごうと手を伸ばすが振り払われてしまった。


「うわあぁぁ、うああぁあぁっ!」


「ひぃ~、うるせ…」


「あぐっ、うあぅっ…」


「ごめん。気持ち悪いなんて言って悪かったです」


 戸惑いながらも必死に宥める。場を収束に向かわせようと。


 ついでに華恋の背中越しに友人の姿を確認。そこにはショックで固まっている無表情があった。


「ああぁぁぁ、うあぁっ!」


「ご、ごめん。言い過ぎたよ」


「うぇえっ、ひぐっ…」


「気持ち悪いってのは嘘です。だから泣くのをやめてください」


「うぁ…」


 颯太に言い訳しようとしたが今はそれどころではない。優先順位を妹への謝罪に切り替えて行動開始した。


「……あとでコロす」


「へ?」


 頭でも撫でようかと考えているとドスの利いた呟きが耳に入ってきた。耳を疑うような台詞が。


「んん?」


 恐る恐る彼女の顔を覗き込む。その瞳からは涙の一滴すら流れてはいなかった。


「えぇ…」


 どうやらまた騙されていたらしい。卑怯とも思える手口によって。


「ぐっ…」


 泣きたいのはむしろこっちの方だった。妹にキスされ、その現場を親友に見られ、反論したら黙殺されて。


 動揺も悲しみも止まらない。手錠のような作り物の鎖が比べものならない程、強力な権力で縛り付けられた気分だった。

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