第10話 決断と決別

「何か食べる?」


「……ん~」


「ジュースばっかりだとお腹空いちゃうでしょ? ご飯食べようよ」


「どうもねぇ、食欲が湧かないんだよねぇ」


 地元の駅にあるファミレスに入店する。雨が予想以上に降ってきてしまったので避難する為に。


 グラスに刺さったストローを吸ってはみたものの口に流れ込んできたのは底に溜まった水だけ。立ち上がって新しいドリンクを補充してくる気力すら無かった。


「私、お腹空いてきちゃったんだけど」


「なら何か注文すると良いよ。ステーキでもパスタでも好きな物を頼むといいさ」


「むぅ……けど1人だけ食べるのは嫌だし」


 華恋がメニュー本を何度も開く。ドリンクバーだけで粘る事、約30分。何もせずただ座り続けているだけ。


「ふにゃあぁ…」


 そして空腹が限界にきたのか彼女はヘナヘナと机に突っ伏してしまった。熱で溶けたバターのように。


「我慢しないで何か食べなって。別に気を遣わなくても良いからさ」


「う~ん、でもなぁ…」


「無理なダイエットは体に悪いよ」


 どうやら1人だけ食事を始める事に抵抗があるらしい。たまに見せる優しさの表れだった。


「……腹ペコぉ」


「ねぇ、どうして付いて来てたの?」


「え?」


 落ち着いたタイミングで本題を切り出す。目の前にあるオデコを指で突っつきながら。


「ずっと尾行してたんだよね? 家からなの?」


「は、はい…」


「あんな変装してまで僕の行動を調べたかったのか」


「……えへへ」


 追及の言葉に対して彼女が照れくさそうに笑った。反省のまるで見えない態度で。


「どうしてるかな…」


 視線を窓の外に移す。車が激しい水しぶきをあげている道路へと。


 走り去ってしまってからの彼らの行方を知らない。鬼頭くんはもちろん、優奈ちゃんからも音沙汰がなかった。


 ファミレスに来てから一度だけメッセージを送信。しかし返事は無し。まだ家に帰り着いていないのか、それとも単純に無視しているのかは不明だが。向こうから連絡が来ないのなら何をしても結果は同じだろう。残された選択肢は待機だけだった。


「だあぁあぁぁっ、もう無理!」


「何々。どうしたのさ、急に?」


「お腹空いた。肉食う」


「そ、そっか…」


 考え込んでいると華恋が起き上がる。怪獣のような低い声で喚きながら。


「これとこれと、それからこれと」


 そして店員さんを呼ぶと次から次へと指差し注文。よほどお腹が空いていたのか普段では考えられない程の数を頼んでいた。


「ちょ……こんなにたくさん大丈夫なの?」


「大丈夫じゃないに決まってんじゃん。私1人で食べれる量だと思ってんの?」


「ならどうしてそんなに注文したのさ」


「雅人の分も頼んであげたんじゃない。さっきからずっと暗い顔してさ」


「いや、だって…」


「空腹だとやる気出ないわよ。いっぱい食べて元気出しなさい」


「……ん」


 子供を諭す母親のような一言が飛んでくる。気を遣ってくれている事が窺える台詞が。


 しばらくすると注文したメニューを持った店員さんが登場。2人分だとしても多すぎる程の品数でテーブルが埋め尽くされた。


「……これヤバくない?」


「だね。残すともったいないから頑張って消費しなさいよ」


「うへぇ…」


 視覚だけで満腹中枢を刺激される。咀嚼もしていないのに食欲が激減してしまった。


「……ねぇ、怒ってる?」


「え? 何が?」


「さっきの……無理やり割り込んじゃった事」


「あぁ…」


 ポテトを口に入れていると彼女が話しかけてくる。しおらしい態度で。


「ん~、特に怒ってはいないかな」


「ほ、本当!?」


「暴力が許される行為とは思わないけど、悪気があった訳ではないだろうし」


 もしあの場で華恋が飛び出してこなかったら鬼頭くんに殴られていたかもしれない。助けてくれた恩人を責め立てるのは間違えていた。


「な~んだ。なら心配して損した」


「ただし尾行してた事に関しては別! あれはダメだよ!」


「す、すんません…」


 帽子にサングラスという古典的な変装に呆れる。それを行動に移そうと考えた思考にも。


「しかし華恋の本性バレちゃったね、あの2人に」


「……別にいいもん。他の誰に嫌われたって構わないし」


「でも僕に嫌いって言われると?」


「やだあぁぁっ!」


「……ってなるんだよね」


 2人で顔を見合わせて苦笑した。漫才のようなやり取りがおかしくて。


「ふぅ…」


 鬼頭くんと口論になってしまった事は心苦しい。少しずつ打ち解けてきたのにたった一瞬で崩壊してしまったから。けれど心のどこかで安堵している自分がいた。


 彼は走り去ってしまった妹を追跡。仮に追いつけなかったとしても2人が帰る家は同じ。もし許しを乞おうとするなら考えられる行動は1つだったからだ。


「んむ、んむっ」


 怒られる不安から解放されたからか華恋の食欲は旺盛に。まだ口に唐揚げが入っている状態でピザを頬張っていた。


「美味しい?」


「んん、おいひぃ~」


「よく噛まないで食べると消化に悪いよ。あと過剰なカロリー摂取は脂肪になるから」


「たまに贅沢したぐらいじゃ大丈夫だわよ。平気、平気」


「しかしこれがキッカケで大食いファイターへと転身する華恋」


「ふ、太ったとしても嫌わないよね? 今まで通り接してくれるよね?」


「いや、ポッチャリしすぎた人は女性としての魅力が激減するよ。兄貴より重たい妹とか嫌だなぁ」


「……え」


 和んできた場でジョークを投下。その言葉がショックだったのか目の前の人物は呆然としたまま手に持っていたピザを皿に落としてしまった。


「うぇえ~ん」


「んっ、むっ…」


 それから顔を押さえて泣き出した相方の代わりに孤軍奮闘する羽目に。いくら心配して出た台詞とはいえ失言だったと激しく後悔。無理やり口の中に押し込んで食べきった。


「うっぷ…」


 食事を済ませた後は満腹になった体を休ませる為に休憩。そして雨が小降りになってきた所でコンビニで傘を買って帰った。




「く、苦しい…」


 お腹を押さえてベッドに寝転がる。激しい嘔吐感と格闘しながら。


 明日の夜まで何も口に入れずに過ごせるかもしれない。それぐらい胃の中に食べ物が溜まっていた。


「……連絡なし」


 ケータイを確認するが未だメッセージも着信もゼロ。さすがにこんな長時間に渡って見ないなんて事は有り得ないだろう。


 ついでにSNSサイトにアクセス。もちろん彼女の動向をチェックする為。しかし案の定、何かを更新した形跡は見られなかった。


「う~ん…」


 このまま音信不通が続いたらどうすればいいのか。明日はバイトで顔を合わせるというのに。


 せめて一言ぐらい返事がほしい。今の状態では気まずいだけだった。




「おはようございます…」


 そして予想通り連絡が来ないまま翌日を迎える事に。電車に乗ると重たい足取りで喫茶店に向かった。


「あっ、おはよう赤井くん。やっと来てくれた」


「あれ? 瑞穂さんって今日シフト入ってましたっけ?」


「優奈ちゃんが休んじゃったから私が臨時で呼ばれたのよ。お客さんたくさん来てるから早く入って」


「あ、はいはい」


 上着を脱ぎながら更衣室へ。エプロンを身に付けた後は慌ててフロアに移動した。


「……休み?」


 まさかとは思ったが欠勤とは。顔を合わせたらどんな対応をしようか散々シミュレーションしてきたのに。気まずい空気を味わわずに済んだのは幸運だが、避けられてしまったショックの方が大きかった。


「ねぇ。私、夕方から用事あるんだけど帰っても良いかな?」


「えぇ……僕1人でフロア回すんですか?」


「ダメかな? やっぱりキツい?」


「ま、まぁ…」


 忙しいランチタイムを切り抜けたタイミングで瑞穂さんに話しかけられる。どうやら一足先に上がりたいらしい。


「う~ん…」


 渋ってみせたが彼女は元々今日のシフトに入っていなかったハズの人物。せっかくの休日を潰してまで足を運んでくれていた。ここで帰ってしまったとしても誰も文句は言えないだろう。


「あの、やっぱり1人で頑張るんで帰っても大丈夫ですよ」


「え? でも大変じゃないかな?」


「平気です。何とかなると思いますんで」


「……そっか」


 不安要素はあるが提案を受諾する。やる気を示すように笑ってみせた。


「よし。じゃあ私も最後まで頑張ろっかな」


「え? けど用事があるんじゃ…」


「あぁ、平気平気。別にどうしても今日やらなくちゃいけないって訳でもないから」


「そ、そうですか…」


 ホッと胸を撫で下ろす。強がってはみたものの日曜日に1人だけで取り残される状況は不安だったから。


「可愛い後輩が気合い見せてんのに先に帰るのも気が引けるしね」


「可愛い…」


「優奈ちゃんが休んで私までいなくなったら泣いちゃうかもしれないし」


「な、泣きませんって」


「しっしっしっ」


 嬉しさと恥ずかしさで呂律が上手く回らない。からかわれる行為には何歳になっても慣れなかった。


「そういえばいつから下の名前で呼んでたんですか? 優奈ちゃんの事」


「ん? 赤井くんがそう呼んでたから私も真似してみただけ」


「なるほど…」


「それよか私は君達がいつから急接近したのか気になるんだけど」


「え~と…」


 興味津々の顔を向けられてしまう。特に暴露という程の出来事ではないので正直に打ち明けた。


「名字があまり好きじゃないんで下の名前で呼ぶ事になりました」


「ふ~ん……なら私も赤井くんの事、下の名前で呼んであげよっか?」


「す、好きにしてください…」


「雅人く~ん」


「ひぃいぃぃっ!」


 伸ばしてきた手に頭を撫でられる。クシャクシャにする勢いで。


 彼女は女性にしては背が高い。165センチしかない自分より僅かに大きかった。




「ダメか…」


 帰宅後、一縷の期待を込めて電話をかけてみる。しかし相変わらずコール音が鳴り続けるだけ。


 さすがに体調不良という理由は有り得なかった。真面目な性格を考えたら多少気分が悪くても連絡をよこしてくれるハズだから。


「まさか…」


 ある考えが脳裏をよぎる。鬼頭くんにケータイを没収されて部屋に監禁されている後輩の姿が。


「うわああぁあぁぁぁっ!!」


 一度イメージしてしまうと妄想は止まらない。ベッドの上で頭を抱えて転がった。


「そ、そうだ。電話して確認しないと…」


 慌てて番号を呼び出す。震える指で画面を激しく操作した。


「……いやいや、連絡が取れないから困ってるんじゃないか」


 けれど直後に気付く。その行動の無意味さに。


「う~ん…」


 こんな時間から自宅にお邪魔する訳にも行かない。そもそも住所を知らないし。


 SNSの更新も停滞状態を維持。結局この日も音信不通のまま1日が終わってしまった。




「はあぁ…」


 翌日は重たい足取りで通学路を歩く。バイト先に向かう時よりも大きな緊張感を抱きながら。


 鬼頭くんとは顔を合わせたくない。だけど会わなければ新しい情報が得られない。辛い気持ちを堪えてでも話を聞かなければならなかった。


「あ…」


 そして教室へとやって来るとすぐに本人を見つける。席に座って頬杖をついている姿を。


「行こ、雅人」


「……うん」


 目が合ったがそれも一瞬だけ。華恋に促されたので席へと移った。


「ふぅ…」


 今日も放課後はバイトがある為、話をするなら休み時間中しかない。妹を連れて行くとまた喧嘩になりそうなので1人で行くしかなかった。




「え~と……今、時間あるかな」


「……ん」


「廊下……いい?」


 そして1時限目の終わりに彼に声をかける。教室の外を指差すと2人で移動。人が少ない中庭へとやって来た。


「一昨日はごめんね。変な事になっちゃって」


「どうして謝るの?」


「どうしてって…」


 話し合い早々に睨み合いを開始する。険悪なムードの中で。


「謝らなくちゃいけないのは俺の方だよ。また赤井くんに迷惑かけちゃった」


「え?」


「どうもダメなんだよな。感情のコントロールが苦手というか、下手くそというか」


「あ、あの…」


「本当は話し合うつもりだったのに。やっぱダメだわ、すぐ頭に血が上ってしまう」


「はぁ…」


 怯んでいたら予想外の展開に発展。対話相手の口からは謝罪の意志を示した言葉が飛び出した。


「いや、こっちこそ突き飛ばしたりしてごめんね」


「アレは掴みかかった俺が悪いよ。殴られて当然だわ」


「そんな…」


「あ~あ、何やってんだよ全く」


「はは…」


 どうやら彼は口論する気は無いらしい。ずっと抱いていた緊張感は瞬時に崩壊した。


「顔は大丈夫だった?」


「あぁ、平気平気。あれぐらい何て事ないから」


「怪我とかさせたらどうしようかと思ってたよ」


「う~ん……殴られた痛みより驚きの方が大きかったかな」


「た、確かに…」


 いきなり乱入してきた女に拳を振るわれたら驚きもするだろう。それが恋い焦がれている相手なら余計に。


「ちなみにあの人ってお友達?」


「へ?」


「声から予想するに女性っぽい気がしたんだけど。なかなか強い人だったね」


「え、えっと…」


「あの人にも謝らないとな。申し訳ありませんでしたって伝えておいてくれないかな」


「……うん」


 しかし彼の口からは理解不能な言葉が飛び出す。ワザとなのか天然なのか分からない台詞が。


「ただどこかで見た事あるんだよな、あの女性。赤井くんのお姉ちゃん?」


「いや、姉はいないよ。妹ならいるけど」


「じゃあ彼女?」


「それはないね」


 どうやら本当に気付いていない様子。嬉しい誤算が発生していた。


「そういえば優奈ちゃんってどうしてるの?」


「え?」


 砕けた雰囲気になってきた所で話題を切り替える。ずっと気になっていた喧嘩の進展具合に。


「う~む、アイツか…」


「あれから一度も連絡取ってないからどうしたのかなと思って」


「実は俺もあれから口を利いていない」


「えぇ…」


「ずっと無視されててさ。話しかけてもスルーされちゃうんだよね」


「そんな…」


 話を聞くとまだ仲直りしていないとの事。距離を置かせる為の嘘という可能性もあるが。


「嫌われちゃったかもしれないぜ。多分だけど」


「……あはは」


「どうしよう、俺?」


「さ、さぁ…」


「弱ったなぁ。絶縁状態のままってのは耐え難いし」


 彼が顎に手を当てて思案を開始。それは芝居とは思えないような態度だった。


「しばらく放置してみたらどうかな。積極的に関わろうとすればする程、避けられる気がする」


「しばらくってどれぐらいの間?」


「1週間とか?」


「あっ、無理」


「そ、そう…」


 2人が元通りになる為の方法を提案する。けれどその意見に対してアッサリとした否定の言葉が返ってきた。


「ふぅ…」


 過剰なシスコンっぷりはともかく話し合いは平穏無事に終了。相変わらず仲は悪いみたいだが深刻な事態にはなっていないみたいで一安心。


 教室に戻ってくると華恋にも仲直りした事を報告する。『あっそ』という素っ気ない台詞だけが返ってきた。



「昨日はズル休みっすか?」


「……ズル休みっす」


 更に放課後のバイトで後輩とも顔を合わせる事に。駅前で別れて以来の再会。声を聞くのも生存確認するのも2日ぶりだった。


「何してたの? どこかに出掛けてたの?」


「まさか。大人しく家で病人のフリしてましたよ」


「そうなんだ。てっきり友達と外で遊んでたかと思ってたのに」


「見つかったらヤバいですよ。うち、ここから近いんですから」


「あ、そっか」


 気兼ねなく言葉を交わす。今朝までの落ち着かない気持ちは何だったのかと思える距離感で。


「お兄ちゃんを無視してるって本当?」


「まぁ…」


「仲直りしてあげないの?」


「ん…」


「やっぱりまだ怒ってるんだ?」


「決めたんです。もう二度と口利いてあげないって」


「ええぇ…」


 どうやら鬼頭くんの語っていた話は真実らしい。すぐ隣には唇を尖らせた不機嫌面が存在していた。


「そ、そこまで嫌わなくても…」


「先輩だって見てたじゃないですか。あのアホの軽率な行動を」


「でも今日、謝ってくれたよ。反省してるみたいだった」


「今だけですよ。またすぐ暴走しますって。昔からそうだし」


「へ、へぇ…」


 思っていたよりも短気な性格なのかもしれない。根は悪い人ではないと理解しているが。


「あの、先輩」


「ん?」


「今日この後……は時間がないからダメか。明日の放課後、暇ですか?」


「へ? 何で?」


「大事な話があるんです。良かったらスケジュール空けといてもらえませんか?」


「まぁ……いいけども」


「ありがとうございます」


 翌日は店が休み。ついでに夕方の予定は埋まっていない。


 話し合った結果、槍山女学園近くのファミレスで落ち合う事で決定。バイトが終わった後はいつものように駅での解散となった。




「ぬおおぉおぉぉっ!!」


 帰宅後は自室に籠もる。枕を抱きしめながらベッドの上で悶絶。


 まさか放課後に女の子からの呼び出しを受けるなんて。しかも大事な話があるという条件付き。


 具体的にどんな内容を告げられるかは知らない。ただ頭の中ではとてつもなく都合のいい妄想が広がっていた。


「ふっふっふっ」


 更に起き上がって枕に何度も拳を振り下ろす。瓦割りをする空手家のように。


「ん?」


 喜びに浸っていたらドンという大きな音が反響。隣の部屋で何かが壁にぶつかった音だった。


「いけね、暴れすぎちゃったか…」


 騒ぎすぎて迷惑をかけてしまったかもしれない。今の自分はいつになく気分が高ぶっているから。


 謝罪をする為に部屋を出て廊下に出る。そしてノックをしないままノブを捻った。


「あのさ…」


「ぬおおぉおぉぉっ!!」


 しかし扉を開けた瞬間に異様な光景が飛び込んでくる。床に転がる謎の物体が。


「えぇ…」


 そこには抱き枕にしがみついて悶えている義妹が存在。ただし描かれているのは濃いヒゲの生えたオジサンだった。


「……うん」


 どうやら謎の衝突音の原因はコレらしい。趣味は人それぞれなので深入りはしない。何も見なかった事にしてゆっくりと扉を閉めた。




「雅人、帰ろ」


「え?」


 翌日、放課後に教室を出ようとしたタイミングで声をかけられる。満面の笑みを浮かべた華恋に。


「ごめん、今日は一緒に帰れないんだよ」


「何で? バイトないハズだよね?」


「ど、どうしてそれを…」


「ふっふっふっ、アンタの予定や情報は全て私の頭の中にインプットされてるのよ」


「ひえぇーーっ!?」


 恐るべきストーカー思考。かつてない恐怖に戦慄が走った。


「んで、用事って何?」


「そ、颯太と遊ぶ約束があって…」


「ふ~ん…」


 言い訳に対して疑いの眼差しを向けられる。明らかに信用していない反応を。


「華恋、ちょっと目つむって」


「え? 何で」


「いいから」


 仕方ないのですぐさま別の作戦を決行。彼女は戸惑いながらも指示に従ってくれた。


「少しの間だけその状態でお願い」


「え~、何々。気になるんだけど」


「とにかくそのままで。良いって言うまで開けたらダメだよ?」


「な、何か恥ずかしいな……へへへ」


 目を閉じながら薄ら笑いを浮かべている。一体どんな期待をしている事やら。気にはなったが尋ねるのが怖かった。


「あの、黙ってここに立っててくれないかな?」


「え? ここ?」


「うん。何もしなくて良いから」


「……分かった」


 ついでに近くにいた鬼頭くんを呼び出す。彼は腑に落ちない表情を浮かべたが一応は協力してくれる事に。


「ねぇ、まだ?」


「ダメ。絶対に良いって言うまで開けないでね?」


「むぅ…」


 状況を理解していない2人が向かい合う形で狼狽。最後に手刀のような形で謝罪をすると鞄を持って教室を飛び出した。


「ふうぅ…」


 帰ったら叱られるかもしれない。それでも約束を果たせないよりはマシというもの。それにああしておけば鬼頭くんも追いかけては来ないだろう。仲直りしたとはいえ彼はまだ脅威を感じる存在だった。




「え~と…」


 学校を出た後は普段は利用する事のない道路を進む。地元よりも栄えている住宅街を。


「あ、あれ……どこだろ」


 そして息を切らしながらも槍山女学園に到着。だがその入口である校門には待ち合わせ相手の姿がなかった。


「あ…」


 女子生徒達から不審な目を向けられながら辺りを散策する。電話でもかけてみようかと考えていると反対側の歩道で大きく手を振っている後輩の姿を発見した。


「ひぃっ、ひぃっ…」


「お疲れ様です」


「まさかもう道路を渡り終えていたとは」


「お店の前で待ち合わせって言いませんでしたっけ? 校門前って言いましたっけ、私?」


「どうだったかな。どっちでも良いや」


 歩道橋を使って彼女の元へ。学校を出てから動きっぱなしなので息切れが酷かった。


「タバコ吸う?」


「……吸いませんよ」


「なら禁煙席で」


 呼吸を整えながらもファミレスへと入る。店員さんに案内された4人がけのテーブルに向かい合わせで座った。


「えっと、何か食べる?」


「そうですね。デザートぐらいならいけます」


「お腹空いてないならドリンクバーだけにしておけば?」


「それはお店に悪いですよ。たまにいますよね、用もないのにドリンクバーだけで長時間粘る人」


「ご、ごめんなさい…」


「はい?」


 その行為をつい先日したばかり。あの時は後から料理を注文したからセーフだろうか。


 彼女がチーズケーキを頼むと言うので自分もアイスを注文する。通路を挟んだ隣の席では目の前の後輩と同じ制服を来た女子生徒が3人で座っていた。


「わざわざスイマセン。こんな遠い所まで足を運んでもらって」


「いや、平気だよ。自分からここに来るって提案したんだし」


「やっぱり自転車持ってる私がそっちに行くべきでしたね」


「だから平気だって。そういえば自転車はどうしたの?」


「そこに停めてありますよ」


「あぁ、あれか」


 窓の外の駐輪場に視線を移す。彼女が一足先にファミレスの前まで来ていた理由に納得。


「そっちの学校って勉強難しい?」


「どうでしょう。あんまり変わらないんじゃないですかね」


「やっぱり教科書に落書きとかする人っていないのかな」


「先輩は大事な教科書に落書きするような人なんですか?」


「え……た、たまに」


 質問に対して凍りつくような冷たい視線を向けられてしまった。軽蔑全開の眼差しを。


「ダメじゃないですか。大切な教材にイタズラしたら」


「面目ないです…」


「まぁ私もよくしてますけどね」


「あっ、やっぱり? 絵を描くの好きなの?」


「そうですね。文字を書いてるよりは楽しいですよ」


 他愛ない話題で盛り上がる。そうこうしているうちに注文品を持った店員さんが登場した。


「ところで話って何だったの?」


「え~と、先輩に謝らなくちゃいけない事がありまして」


「謝る? 何を?」


「今までずっと騙していた事をです」


「騙す…」


 彼女の言葉が理解出来ない。まるで心当たりが無かったので。


「先輩は私に付き合ってよく遊んでくれましたよね?」


「え? か、かな?」


「漫画を貸してくれたり、夜に電話をかけてお話してくれたり。小さな女の子が好きという趣味も暴露してくれました」


「だからアレは違うんだって…」


「いっつもニコニコした顔で返事してくれて、なんて優しい人なんだろうって思ってました」


「……そりゃどうも」


 誉められた事が照れくさい。その全てが過大評価だった。


「あぁ、この人が同じクラスの人間だったら良いのにって何度か考えましたよ」


「さすがに女子校に通うのはちょっと…」


「学校の友達でもここまで気が合う人はいません。先輩はレアでした」


「そ、そうなんだ」


 戸惑う心境を無視して対話相手が言葉を紡いでいく。1つだけ気になったのは口調が何かを訴えかけるような物だという事。


「あの、昨日……というか結構前にお兄ちゃんとのトラブルを相談しましたよね?」


「うん」


「ずっと考えてたんです。あのシスコン馬鹿を懲らしめるにはどうすれば良いのかって」


「ふむ…」


 彼女がテーブルに置かれたグラスを手に取った。氷とジュースが入った透明な容器を。


「一番嫌がっていたのは私が男の人と関わる事でした」


「あはは…」


「だから考えたんです」


「何を?」


「ワザと男の人と親しくしてやろうって。そうすれば最高の仕返しになるじゃないですか」


「あぁ、前に言ってたみたいに反抗してみるって事か」


「はい。そしてそれを思い付いたのが2ヶ月ぐらい前の事でした」


「え?」


 アイスに突き刺したスプーンの動きが途中で止まる。意識的にではなく無意識に。


「ど、どういう事…」


「……今、言った通りです」


「え、え…」


 彼女が今打ち明けた作戦は昨日今日考えた物だと思っていた。だからその為にこうして男子と仲良くしてるフリを鬼頭くんに見せつけるのだとばかり。


 妄想と現実にズレが生じてくる。抱いていた期待が全て困惑へと変わってしまった。


「でもうちの学校はご存知の通り女子しかいないし、仲の良い男子もいないから頼める人がいなくて」


「じゃ、じゃあ…」


「先輩しかいなかったんです。私の周りにいる同世代の男の子が」


「あ…」


 ここ数日に起きた出来事を振り返ってみる。目の前にいる人物と2人きりで遊んだ時の思い出を。


 何も不自然な点は無い。自分の目が節穴でなければ。


「けどお兄ちゃんと先輩が同じクラスになったのは誤算でした。まさか知り合いになってしまうなんて」


「……僕も驚いたよ。同じ名字の人を見つけた時はまだ半信半疑だったし」


「2人が仲の良い友達にならなければいいなぁと思いながら遊んだりしていました」


「ん…」


「ごめんなさい。今まで先輩と仲良くしてたのは、くだらない兄妹喧嘩の仕返しの為だったんです」


 混乱していると彼女が口から謝罪の言葉を放出。同時に額をテーブルにくっ付けてしまいそうな勢いで体を折り曲げた。


「えぇ…」


 意味が分からない。これまで仲良くしていたのは鬼頭くんに見せつける為で、自分はただその作戦に利用されただけ。暴露してくれた話を整理するとこういう事だ。


 理屈では理解出来る。だが心の中の感情がその事実を受け入れる事に猛反発していた。


「やっぱりビックリしますよね。いきなりそんな話を聞かされたら」


「……そうだね」


「悪かったとは思っています。本当にごめんなさい」


「はぁ…」


 変だとは思っていた。いつも簡単に誘いに乗っかってきてくれるから。言われてみたら納得する動機でしかない。元々彼女はこんな男になんか興味を持っていなかったのだから。


「ちなみにどうして急にその話を打ち明けようと思ったの?」


「この前、お兄ちゃんが先輩に掴みかかってるのを見てこれじゃダメだって考えたんです」


「駅での喧嘩の事だね…」


「はい。自分の仕返しの為に先輩とお兄ちゃんの仲を悪くするのは間違えているので」


「……もう少し早くそれに気付いてほしかったかな」


 追及の言葉に対して再び目の前の体が前傾姿勢になる。反省を表した台詞と共に。


 同時に持っていたスプーンが手元から落下。皿に当たって鳴り響く金属音に反応して隣にいた女子高生達が振り向いた。


「あの、やっぱり怒ってますか?」


「どうだろう…」


 もしこの作戦を事前に打ち明けられていたら喜んで協力していたかもしれない。例えフリだとしても女の子と親密になれるのだから。


 打診が先か告白が後かで答えが変化。自分が何に対して不満を抱いているのかが分からなくなっていた。


「1つだけ教えてほしいんだけど…」


「はい?」


「今まで僕といる時は嫌々だったの?」


「そ、それは違います。先輩と一緒にいて不快だと感じた事なんて一度だってありません」


「そっか…」


 質問に対して彼女が慌てたように両手を振る。その仕草に一安心。


 もし肯定で返されていたら二重にショックを受けていただろう。ただ今の答えも嘘なんじゃないかという疑いも止まらなかった。


「あの、実はもう1つ伝えなくちゃいけない事があって」


「……何?」


「私、バイトを辞めようかと考えてるんです」


「え!?」


 頭を押さえて悩んでいると追撃の言葉が飛んでくる。あまりにもショッキングすぎる内容の台詞が。


「先輩にもいろいろ迷惑かけちゃったし、これ以上顔を合わせるのも悪いかなぁと…」


「迷惑…」


「バイトを辞めて学業に専念するのも良いかなって思いました」


「ん…」


 彼女がグラスに口を付けながら笑い出した。どこか淋しさを纏った表情で。


 話し合いが終わると気まずい空気を吸いたくないので別れる事に。駅まで送って行くという優しい提案を断り、1人淋しく帰路に就いた。


「はぁ…」


 どこをどういうルートで帰ったのかは覚えていない。気が付けば海城高校近くの駅へと到着。


 このまま電車に乗ってどこか遠くへ行きたい気分だった。海が見える浜辺か、深夜でも明るい繁華街か。そう考えてはみたものの実践する勇気もないので真っ直ぐ家へと帰った。




「ちょっとどういう事よ、コラッ!」


「……え?」


「訳分かんない事してくれちゃって!」


「な、何…」


「とぼけんなあぁぁっ!!」


 部屋に引きこもっていると華恋が乗り込んでくる。激しい罵声と共に。


「あの後の気まずかった雰囲気どうしてくれる!」


「……あ」


「顔を真っ赤にして逃げ出して来たんだからね。このクソバカ雅人!」


 彼女のお叱りの言葉で記憶が甦ってきた。放課後の教室に置き去りにしていた出来事が。


 どうやら鬼頭くん相手に甘ったるい声を出し続けていたらしい。想像したら異様な光景だった。


「わ、悪い。もうしないから…」


「当たり前だああぁぁっ!!」


 伸ばしてきた手に思い切り胸倉を掴まれる。女子とは思えない握力で。


「アンタ……何か元気なくない?」


「そ、そうでもないけど」


「怒鳴りすぎちゃったかな。ゴメン」


「いや、華恋のせいじゃないから……気にしなくていいよ」


「ほらやっぱり何かあったんだ。嘘つき」


「うっ…」


 そして距離を詰めてきた瞬間に彼女が態度の不自然さを指摘。安心させようと優しい言葉をかけたが裏目に出てしまった。


「どうしたっていうのよ。誰かとケンカでもしたの?」


「本当に何でもないから……本当に」


「今のアンタに黙秘権があると思ってんのか!」


「ないです…」


 脅迫紛いの尋問に即効で降参する。誰かに愚痴を聞いてもらいたい気分も混ざってか不思議なくらいスラスラ暴露してしまった。


「……何、その女。ムカつく」


「でも悪気があった訳ではなさそうなんだよね」


「あるでしょうが、雅人を利用してたんだよ!? 最低じゃん」


「まぁ…」


 利用されていたといえばそうなる。だけど彼女の目的はあくまでも兄である鬼頭くんを欺く事。


「ケータイ貸して」


「え? 何で?」


「そのバカ女に電話かける。直接文句言ってやらないと気が済まない」


「えぇ!?」


 落ち込んでいると興奮した華恋が真っ直ぐ手を差し出してきた。威圧感満載の態度で。


「で、電話はかけられない…」


「何でよ?」


「さっき連絡先を削除しちゃったから」


「はぁ?」


 咄嗟に嘘をつく。経緯や経過はどうあれ争いだけは避けなくてはならなかった。


「くそっ、一発ブン殴ってやりたいな」


「やめてくれ。警察沙汰になる」


「そいつの学校どこよ?」


「聞いてどうするつもりさ。教える訳がないし」


 他校に殴り込みとかどこの番長なのか。しかも女子が女子校を襲撃とか前代未聞でしかない。


「はぁ…」


 華恋がいなくなった後は部屋で1人物思いにふける。今回の件で思考の浅はかさを思い知らされた。世の中はそんなに上手くはいかないという事を。


「……ん」


 本来なら怒るべき事態なのかもしれない。だけど不思議と嫌悪感は湧き出してこなかった。それは相手が悪人ではないと理解していたから。




「おはよう…」


「おはようございます」


 そして翌日もその翌日も何事もなかったような後輩と顔を合わせる事に。向こうが今まで通りのコミュニケーションを望んでいるようなので普通に対応。


 とりあえず彼女が騙そうとしていた人物は兄である鬼頭くんで自分自身は嫌われてはいない。それだけ分かれば充分だった。




「ん?」


「あ……先輩」


「どうしてここにいるの? ビックリした」


「こんにちは」


 バイトのない放課後に華恋を置き去りにして教室を出てくる。そして校門付近までやって来ると自転車と共に並ぶ後輩の姿を発見した。


「お兄ちゃん迎えに来たの?」


「違います」


「なら友達待ってるとか」


「……いえ」


「そっか」


 よく分からないが知り合いを捜しに来たわけではないらしい。ただ頭の中には1つの状況が浮かんでいた。


「授業終わってすぐ来たの?」


「はい。割と早く解散になったので自転車に乗って来ました」


「この学校って来るの初めて?」


「そうですね。この辺りを通った事はありますが、この学校に来るのが目的というのは今日が初めてです」


「へぇ」


 すぐ周りを多くの生徒達が行き交う。他校の人間が珍しいのか好奇の眼差しを向けてきた。


「あ、あの…」


「何?」


「実はまだ言ってなかったんですけど……私、昨日で最後だったんです。バイト」


「え?」


「だからもうあそこのお店で会う事はなくて、それだけ伝えておこうと思って…」


「……そうなんだ」


 意識を対話相手に戻すと衝撃的な発言を告げられてしまう。過去形の告白を。


「先輩には色々お世話になりましたね」


「いや、どっちかっていうとこっちがお世話になってたような」


「そうですよ。よく分かってるじゃないですか」


「うっ…」


 しんみりとした場にブラックジョークが炸裂。互いに声を出して笑い合った。


「あと急に人が減ると迷惑がかかると思ったので代わりの子を見つけてきました」


「代わりの子?」


「はい。同じ学校の子でバイトを探してる友達がいたので、あのお店を紹介してあげたんです」


「ほうほう」


「もう面接も終わってるんで明日から働き始めるそうですよ」


「いつの間に…」


 そんな情報まだ誰からも聞いていない。同僚の瑞穂さん達はおろか店長からも。


「おっちょこちょいな子ですけど宜しくお願いします」


「任せて……と胸を張っては言えないけど、任せといて」


「え~と…」


「お?」


「その……前に一緒にタワー行こうって約束してたのに結局行けなくてごめんなさい」


 拳で胸部を叩いていると彼女が急に口ごもり始める。自転車を支えたまま頭を下げてきた。


「あぁ、テレビ塔ね」


「はい。先輩、楽しみにしていたのに台無しにしちゃって」


「いや、あれは優奈ちゃんのせいじゃ…」


「私があんな馬鹿な事を考えてなかったらケンカになんかならなかったのに」


 励まそうとするも本人によってその言葉を遮られる。自虐的な雰囲気と共に。


「えっと……今日はバイトを辞めた報告の為に来てくれたの?」


「え?」


「もしこの後ヒマならさ、どこか遊びに行かない?」


 少しだけ期待していた。わざわざこんな場所まで顔を出しに来てくれた事を。


「あの……違います」


「へ?」


「私がここに来たのは、その…」


 だが目の前にいる人物からは予想を裏切る答えが返ってくる。否定を意味した台詞が。


「私が呼んだのよ」


「え?」


「……ふんっ!」


「か、華恋!」


「その女を呼び出したのは私。残念だけど雅人に会いに来た訳じゃないからね、そいつは」


「ど、どういう事? 突然、何言い出してるのさ」


 動揺していると背後から聞き覚えのある声が聞こえてきた。振り向いた先にいたのは教室で別れたハズの妹。不機嫌面の華恋だった。


「よく逃げずに来たじゃない。てっきりバックレるかと思ってたのに」


「こんにちは…」


「え、え…」


「驚いた? 雅人に内緒で連絡取り合ってたの」


「一体どうやって…」


 2人が言葉を交わす。他意を孕んだ口調で。


「呼び出すって言っても華恋は優奈ちゃんの連絡先知らないじゃん」


「さぁ、どういう魔法を使ったでしょうか」


「まさか僕のケータイから…」


 彼女ならそれぐらいやりかねない。人の物を勝手に持ち出していくぐらいなのだから。


「先輩、違います」


「え?」


「言っとくけどアンタからデータ盗んだりなんかしてないからね。ちゃんと正攻法で連絡とったわよ」


「正攻法って…」


「ネットって便利じゃん?」


「……あ」


 両サイドから不正解を言い渡された瞬間に思い出した。2人が同じサイトに登録していた事を。


「用件は分かってるわよね? どうしてこんな所まで呼び出されたか」


「はい。私が先輩を……アナタのお兄さんを傷つけてしまったからです」


「正解。ならこれから私がアンタに何するか分かる?」


「そ、それは…」


 戸惑っている間に華恋が前に踏み出す。指の関節を鳴らしながら距離を詰めた。


「ちょっ……何する気さ!?」


「うっさい、止めんな! 一発ブン殴ってやんないと気が収まらないのよ!」


「だ、だからってこんな場所で暴力沙汰はマズいって」


 すぐさま肩を掴んで進行を阻止する。騒ぎ始めた影響ですれ違う生徒達の視線を更に集めてしまう状態に。


 それにこのままでは校舎から出てくる鬼頭くんにいつ遭遇してもおかしくない。駅前広場での二の舞は御免だった。


「とりあえずここから離れよう。場所を変えて話し合いを…」


「その前にこの小娘に一発喰らわせたるっ!」


「退学になりたいの? 頼むから大人しく言うこと聞いてくれ」


「ぬがあああぁっ!!」


 興奮する華恋を後ろから羽交い締めにする。後輩にも目配せするとその場を離れた。


「んっ…」


 トラブルを回避するなら逃がしてあげるべきなのかもしれない。だがそんな事をしても再び呼び出しが行われるだけ。自分のいない場所で2人が口論するぐらいなら今日中にケジメを付けた方がマシだった。


「じゃあ早速さっきの続き始めるわよ」


 そして15分ほど歩くと住宅街にある川沿いの公園へと辿り着く。到着した瞬間に妹の鞄が宙を舞ってベンチに落下した。


「待って待って、暴力は無し。華恋がしに来たのは喧嘩じゃなく話し合いでしょ?」


「喧嘩よ。私は喧嘩しに来たの、コイツと」


「えぇ…」


 もはや彼女の思考は正常ではない。コントロールを失った乗用車のように暴走していた。


「暴れたくなる気持ちも分かるけどこの件についてはもう解決したんだよ。だから大人しく身を引いてくれないかな?」


「何でよ。アンタ悔しくないの? 良いように利用されてたんだよ? 私ならブチ切れるわ」


「そりゃあ何とも思ってないって言ったら嘘になるけどさ。今さら責め立てようなんて考えてないし、それに…」


「それに?」


「楽しかったのは事実なんだから別に良いよ」


 過去の全てを否定したくない。そんな真似をしても虚しくなるだけだから。


「この女が好きだって事?」


「いや、違う…」


「相変わらず嘘付くの下手すぎ。バカ正直なんだから」


「ど、どういう意味さ」


 華恋に鼻で笑われる。体を押さえていた手はアッサリと振り払われてしまった。


「あの、本当にごめんなさい!」


「え?」


 兄妹間で揉めていると傍観していた後輩が頭を下げる。大きな謝罪の言葉と共に。


「妹さんの仰る通りです。悪いのは私で、先輩を傷つけてしまったのも事実です。だからその罰を受けるのは当然だと思います」


「ほ~ら、本人もこう言ってる」


「いやいや、だからもう気にしてないんだってば。僕が許したんだから蒸し返す必要ないじゃん」


「いえ、先輩が我慢出来たとしても妹さんが納得出来ないのであれば解決になってません。だから気の済むまで殴ってくれて結構です」


「本当に何しても文句言わないわね?」


「はい…」


「よ~し…」


 意見を合致させた女性陣が再び正面から対立。場の空気は最悪だった。


「や、やめてくれって!」


「本人が覚悟してんだから良いじゃん」


「さっきからダメだって言ってるじゃないか。もし手を出したら一生口利いてやらないからね?」


「ど、どうしてそうなるのよ!」


「いいから離れよう。殴ったら華恋だって痛い思いするんだし」


「ぐっ…」


 すぐさま2人の間に割って入り込む。経緯はどうあれ暴力だけは看過出来ないので。


「分かった、殴るのは我慢してあげる。でもこのまま大人しく引き下がるのだけは死んでも嫌」


「え?」


「アンタさ、雅人の事どう思ってる訳?」


「どうって…」


「ただのバイト仲間だと思ってんの? それとも遊びに誘えばホイホイ付いて来る都合のいい男とか考えてる?」


「そ、それは…」


 脅迫の言葉が効いたのか華恋の動作が停止。代わりに詰問のような台詞を敵と認識した相手に吐き出した。


「ハッキリ答えなさいよ。言っとくけど適当な嘘ついて逃れようとか考えても無駄だからね」


「……私は」


「ふんっ!」


「私にとって先輩は…」


 緊張した場に暖かい空気が流れ込む。周りにある大きな木々を揺らすように。


「……ただの都合の良い男性です」


「えっ!?」


「ん…」


「ど、どうしてそんな嘘をつくのさ…」


「嘘なんかじゃ、嘘では…」


「だってこの前…」


 無言で立ち尽くしていると有り得ない回答が意識の中に進入。それは以前に聞いた物と真逆の内容だった。


「ふ~ん、つまり異性としての好意は持ってないって事?」


「そうです…」


「あぁ、良かった。もし好きですとか言い出してたら髪の毛掴んで引きずり回してやるとこだったわ」


 俯いた後輩を華恋が上から睨み付けている。腰に手を当てた姿勢で。


「これで安心したわ。雅人も聞いたでしょ? この女、そういう風にアンタの事を見てたのよ」


「違うよ」


「はぁ? 何が違うってのよ」


「今の嘘だよね? だって前に言ってたじゃん。僕と一緒にいて不快だと感じた事なんか無いって。一緒に遊んでて楽しかったって」


 そんな状況を受け入れる訳にはいかない。すぐさま反論を開始した。


「アンタ、まだボケてんの? 全部芝居に決まってんでしょうが。いい加減、気付きなさいよ」


「今までの思い出が全部偽りだったなんて思えない。だってそうでしょ? もし本当に都合の良い男として見てるなら、僕が鬼頭くんに殴られそうになった時に止めるハズないじゃん」


「それは…」


「僕の事を心配してくれたからだよね? だからずっと隠してた事も打ち明けてくれたんでしょ?」


 思い付く気持ちを次々とぶつける。遠慮を付加させずに。


「さ、さっきから違うって言ってるじゃないですか。それは先輩の勘違いで…」


「違わないよ。この意見が正しい」


「……間違えてます。見当違いも甚だしいです」


「ならどうして泣いてるのさ」


 場に上擦った声が反響。それは目の前にいる人物から聞こえていた。


「べ、別に泣いてなんか…」


「だったらその手をどけてみてよ。泣いてないなら見せられるよね?」


「んっ…」


 意地悪な駆け引きを展開する。結果の決まっている勝負を。


「……ねぇ、もう良いでしょ? これ以上続けたって可哀想なだけだよ」


「ふんっ!」


「華恋だって満足したでしょ。今のこの姿が優奈ちゃんの答えだよ」


「ん…」


「だからもう話はここで…」


「やだ」


「え?」


 振り返って口論の中止を提案。しかし力強い言葉によって即座に否定されてしまった。


「ちょ……何するつもりなのさ!」


「アンタさ、自分の兄貴に嫌気が差したから雅人を利用したんだって?」


「……え?」


「別の男を使って兄貴の意識をその男の方に向けようって、そういう魂胆だったんでしょ?」


 優奈ちゃんに歩み寄った華恋が右腕を掴む。瞳をこする動きを制限するかのように。


「そ、それは…」


「そうなんでしょ? ねぇ?」


「……ごめんなさい」


 その威圧に負けたのか謝罪の言葉が飛び出した。震えるような声での返答が。


「げっ!?」


「ふざけんなぁっ!!」


 直後に妹が腕を振り回すモーションが視界に入ってくる。対話相手の頬を平手で殴打する動作が。


「待って待って。ストップ!」


「アンタ、自分がどんだけワガママな事言ってるか分かってんの!?」


「落ち着いて。暴力はマズいから!」


「自分の兄貴に可愛がってもらっといて、それがウザイとか何様のつもりよ!」


「分かったから暴れないで」


「心配してもらったらありがとうでしょうが! それが嫌なら家出て1人で暮らせっ!」


「いてっ!?」


 すぐに近付いて羽交い締めに。だが振り回した肘が思い切り顔に当たってしまった。


「世の中にはね、助けてくれる家族がいない人だってたくさんいるのよ!」


「華恋!」


「ずっと離れ離れで、やっと再会出来たっていうのに……ロクに妹の心配もしないバカ兄貴だっているんだからね!」


「あ…」


 そしていつしか話題が移り変わって行く。身に覚えのある内容に。


「最初はあんなに優しかったのに、私の事を好きって言ってくれたのに。それなのに…」


「ん…」


「別れてからずっと会うのを楽しみにしてたのに、帰って来てからも全然構ってくれないし…」


「……もう良いから」


「それどころか他の女に夢中になってるとか……どうしたら良いのよ、このやり場のない気持ち」


「説教する側が泣いてどうするのさ」


 腕を掴んでいた手を肩に移動。そのまま慰めるように優しく添えた。


「うっ、ぐっ…」


「ごめん。あんまり構ってあげられなくて」


「うぁあぁっ…」


「別に興味がなくなったとか嫌いになった訳じゃないんだけどさ」


 謝罪の言葉を口にする。もたれかかってくる頭を撫でながら。


「落ち着いた?」


「……まぁ、ちょっとは」


「しかし久しぶりに泣いちゃったね」


「うっさいなぁ、バカ」


「いでっ!?」


 しばらくはその体勢を維持。距離を置いた後は威力のない右ストレートを胸元に喰らった。


「あ、あの…」


「ん?」


 濡れた制服を確認していると隣から弱々しい声が飛んでくる。話し合いに介入する台詞が。


「アナタの言う通りです、私が間違えてました」


「……ふん」


「確かに心配されている事がお節介だなんて身勝手だと思います。大切に思ってくれている人の存在が当たり前なんだと勘違いしていました」


「そうかもね…」


 女性陣が再び意見の交換を開始。ただし喧嘩ではなく皮肉と反省を込めた会話だった。


「自分のワガママにアナタのお兄さんを巻き込んでしまった私が馬鹿でした。ごめんなさい」


「……もうごめんなさいは聞き飽きた」


「これからは二度とアナタのお兄さんに近付いたりしません。絶対に」


「え…」


 そしてその流れは予定外の場所に漂着。最悪な結末へと。


「ま、待ってよ」


「はい?」


「もう会わないってどういう事?」


「ですから、私がいると先輩達の邪魔になってしまうから…」


「邪魔なんかじゃないよ。誰もそんな事言ってない」


「あ…」


 思わず身を乗り出す。伸ばした手で華奢な腕を掴んだ。


「別に兄妹喧嘩に巻き込まれたからってムカつくとか思ってないし。例えフリだったとしても一緒に遊んだり出来たのは楽しかったから」


「ちょっと雅人」


「だからもう会わないなんて悲しい事は言わないで」


「雅人!」


 背後から聞こえてくる声は全て無視。意識を向けるのは前方にいる相手だけ。


「これからも一緒に遊びに行こうよ。ずっと仲の良い友達で…」


「こんのっ…」


「いって!?」


「アンタ、何考えてんのよ! せっかくの話し合いをふりだしに戻したりなんかして」


 説得の言葉をぶつけていると後ろから腕を引っ張られる。華恋に動きを制限されてしまった。


「だってこのまま会えなくなるなんて淋しいじゃないか。引き留めて何が悪い」


「ちょっとはこの子の気持ちも考えろ、馬鹿!」


「優奈ちゃんの気持ち?」


「そうよ。まさか気付いてないで引き留めようとしてるの?」


「ど、どういう事さ?」


 意味が分からなかった。質問の答えではなくそれを聞いてきた行為が。


 こんな状況に追い込まれた人間の感情なんか決まっている。傷心か憤怒のどちらかだからだ。


「そんなの言われなくても分かってるよ。ずっと見てたんだし」


「嘘だ。アンタ、全然分かってない」


「いや、人の心ぐらい何となく理解出来るって」


「……クソ鈍感男が」


「はぁ?」


 華恋が不機嫌そうに舌打ちを飛ばしてくる。掴んでいた腕を乱暴に振り払いながら。


「この子が言わないから私が代わりに言ってあげる。アンタ、一生気付きそうにないし」


「ん?」


「あ、あの……やめてください!」


「何さ…」


「この子はね、雅人の事が好きなのよ!」


 そしてそのまま大声で何かを宣言。それは意識の中に入っていなかった単語だった。


「え?」


「アンタの事が好きだから、ずっと騙してた事が申し訳なくなって大人しく身を引こうとしてんじゃないのよ」


「……僕の為?」


「そうよ。バイトを辞めたのも、大人しく呼び出しに応じたのも、二度と会わないって言ったのも、全部雅人の為じゃない」


「そんな…」


 感情が激しく渦巻いていく。見えない力で圧迫されているかのように。


「で、でもならどうして消えようとするのさ。おかしいじゃん」


「だから好きだから罪悪感を感じて一緒にいられなくなったんでしょうが!」


「けど僕はもう気にしてない。怒ってもないし恨んでもいない。なのにいなくなろうとするのは辻褄が合わないよ」


「それはアンタの都合でしょうが。騙してた側からしたら申し訳ない気持ちでいっぱいなのよ」


「……じゃあ、僕が許したって言ったとしても」


「自分自身が納得出来ないでしょうね。私がその子の立場なら」


「えぇ…」


 どうやら気を遣ってかけていた言葉は全て無意味だったらしい。近付こうとすればする程、相手を傷付けているだけだった。


「ごめん……余計に引っ掻き回すような事しちゃって」


「い、いえ。元はと言えば私が先輩をたぶらかすような真似をしてしまった事が原因ですし」


「もっと早くに気付くべきだった。どうして言われるまで分からなかったんだろう」


「ん…」


 振り返って頭を下げる。謝罪の言葉を口にしながら。


「今の雅人に出来る事はさ、大人しく引き下がってあげる事なんじゃないの? それがこの子の為でもあるんだから」


「……何か悲しいね、それ」


「男らしくスパッと諦めなさい。ほら、行くわよ」


 続けて華恋が側に接近。慰めの台詞と共に腕を叩いてきた。


「さぁ、帰るわよ。いつまでもここにいたってしょうがないし」


「……そうだね」


「元気出せ。今度はアンタが泣き出すのか?」


 彼女の言葉で自然と解散する流れになる。鞄を回収する為にベンチへと移動。公園の出口では後輩が停めていた自転車を押して歩き出そうとしていた。


「あ、あの…」


「……え」


「今までありがとうね。いろいろ教えてもらって」


「先輩…」


「一緒に遊べて楽しかったよ。ゲームやったり漫画について語り合ったり」


 その後ろ姿に向かって話しかける。引き留める為ではなく伝えたい事があったから。


「優奈ちゃんに教えてもらったサイト、これからも使い続けるから」


「……ん」


「それから一緒に行こうって言ってたタワー、楽しみにしてる」


「あ…」


「前は雨が降って中止になっちゃったけどさ。もう一度、今度はちゃんと天気の良い日に行こう」


 そして無意識に遡っていた。目の前にいる女の子と紡いできたやり取りを。


 初対面の印象は小さな子供だった。どう見ても高校生とは思えず、あまりにも幼い容姿に仰天。


 だがその頼りない見た目とは裏腹に彼女は難しい仕事をそつなくこなしていた。ただ狼狽えるだけしか出来ない自分に声をかけてくれたり、失敗して怒られた後に励ましてくれたり。


 年上だらけの厳しい環境の中で唯一年下だった彼女の存在は拠り所へと変化していた。歳が近い事もあってか次第に仲良くなり、毎日一緒に並んで帰る事が日常に。


 家に招待したり、長電話したり、お互いの日記にコメントを書いたり。振り返ってみたらほんの数ヶ月分しかない短い思い出ばかり。


 だけどその関係性の全てを断ち切りたくはない。反故してしまうには貴重すぎる体験ばかりだったから。


「またね!」


 最後に声を振り絞って大きく叫ぶ。視界の先では見慣れた後ろ姿が小さくなっていった。

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