第7話 叱咤と嫉妬

「なんでお兄さんいる事もっと早くに教えてくれなかったのさ?」


『あっ、バレちゃいましたか』


「……バレちゃいましたかって、君」


 日没後に自室で電話を使って喋る。最近、生意気になってきたバイト先の後輩と。


「意地悪しないで教えてくれれば良かったのに」


『すいません。でも別に意地悪で隠そうと思っていたわけじゃありませんよ』


「どういう事?」


『先輩とお兄ちゃんが同じクラスかどうかなんて私には分からないし、もし2人が学校で知り合いだとしたなら先輩の方から聞いてくるかなぁと思って』


「あぁ…」


『何も言ってこないって事は先輩達は学校での繋がりがないんだと解釈してました』


「なるほど…」


 どことなく言いくるめられた感はあるが一応は納得出来た。即席の言い訳を。


『あとですね…』


「ん? まだ何かあるの?」


『私、お兄ちゃんの事嫌いなんです』


「えぇ…」


 頷いていると耳に衝撃的な言葉が入ってくる。家族の存在を否定するような台詞が。


『嫌いっていうと語弊がありますね。苦手なんですよ』


「例えばどういう所が?」


『主にシスコンな所が』


「……納得」


 掃除の時間に鬼頭くんと交わした会話内容を思い出した。妹の話題になった瞬間に異常に殺気立った言動の数々を。


『まぁ悪い人ではないんですけどね。過保護すぎるというか』


「それだけ心配なんだよ、優奈ちゃんの事が。優しい人なのさ」


『ありがとうございます。もし良かったら貰ってやってください、兄の事』


「いや、いらないよ……受け取らないし」


 無意識に嫌な状況が浮かんできてしまった。男2人で抱き合っている光景が。


『先輩も妹さんに対しては過保護ですよね?』


「いや、うちは逆だよ。向こうが過剰にスキンシップとろうとしてくる」


『確か毎日一緒にお風呂入ってるんでしたっけ?』


「違ぁあぁあぁぁう!!」


 ベッドに手を突くと体を起こす。大声で叫びながら。


『あれ? でも以前にそんな話を聞いた覚えが』


「だからあれは嘘っぱちだと説明したじゃないかぁ…」


『いやぁ、禁断の兄妹愛とかドキドキしますね』


「やめてやめて」


 彼女がうちに遊びに来た翌日、華恋の語ったエピソードが嘘だと話した。どうやら最初から信じてはいなかったみたいで説得はあっさりと終了。ただその作り話がよっぽど面白かったのか時折こうしてネタとしてからかってきていた。


『良いじゃないですか、妹さんと一緒にお風呂入っても』


「やだよ。なら優奈ちゃんはお兄ちゃんと一緒に入ったりしてるの?」


『入るわけないじゃないですか。水着を着たとしてもお断りです』


「でも小さい頃は一緒に入ってたんでしょ?」


『いいえ』


「え?」


 口から驚きを表した声が漏れる。ケータイを持ち替える動きと共に。


『一度も入った事なんかありませんよ。少なくとも私の意識の中では』


「小学生の時は一緒に入ったりするもんなんじゃないの? お父さんとか」


『私はいつもお母さんと入ってましたから。お父さんやお兄ちゃんと入った記憶はありません』


「……そうなんだ」


 よく女子が何歳ぐらいまで父親と入浴していたかの議論で盛り上がってるのを耳にした事があった。だから小学生の時は一緒に入っていて当たり前なのだと思っていた。


 今でこそ共に暮らしているが華恋や香織とは元々は別々の環境で生活。そのせいで世間一般の家族兄妹がどんなスキンシップをとりながら育っていたのかが分からなかった。


『もしや先輩は私とお兄ちゃんが一緒にお風呂入ってる仲良し兄妹だと思っていましたか?』


「ち、小さい頃は」


『残念ながらそんな良いもんじゃないです』


「カルチャーショック…」


 理想の兄妹像が打ち砕かれてしまう。それと同時に妹に避けられている鬼頭くんに対して哀れみが発生した。


『多分、うちが普通だと思います。先輩と妹さんが仲良すぎるんですよ』


「やっぱりそうなのかなぁ…」


『兄妹で手を繋いだり腕を組んだりはしないんじゃないですかね。仲が良い事は素晴らしいと思いますけど』


「あれは僕の意志じゃなく華恋が勝手にやってきてだね…」


 電話を持つ手とは逆の手で頭を掻きむしる。焦りをごまかそうと。


『妹さんの事好きじゃないんですか?』


「好きじゃないよ。いつも引っ付いてきてちょっとウザいもん」


『きっと先輩を愛してるんですよ。良かったですね、モテモテで』


「妹に懐かれても嬉しくない。どうせなら普通の女の子と親しくなりたいなぁ」


『そんな事言ったら妹さん泣いちゃいますよ? 可哀想じゃないですか』


「いいよ、いいよ。勝手に泣いてれば良いさ」


 調子に乗って思ってもみない暴言を連発。風呂上がりなせいかハイテンションだった。


「おわっ!?」


 同じ体勢がキツくなったので体の向きを変える。その瞬間にドアの隙間から中を覗いている華恋の姿を捉えた。


「え……え、何?」


 小さな声で話しかけてみる。しかし問い掛けに対する返事は無し。彼女はこちらを見ながら不気味な笑顔を浮かべていた。


『どうしました?』


「な、何でもない。悪いけど用事が出来ちゃったから切るね」


『あ、はい。ではまた明日』


 挨拶を聞き終わる前に通話を切断する。その様子を見て覗き魔が部屋の中へと入ってきた。


「誰と電話してたの?」


「優奈ちゃん…」


「ふ~ん、随分と楽しそうに喋ってたじゃない」


「え? そうかな」


 ベッドの端に腰掛けると彼女も隣に座る。肌と肌が触れ合う程の密着状態で。


「何の話してたの?」


「バイト先や学校の事を…」


「へぇ。妹がどうとか言ってたからゲームか漫画の話なのかと思った」


「あ、ゲームや漫画の話もしてたかな……はは」


 慌てて喋ろうとした影響が声が上擦ってしまった。しゃっくりでも発生したかのように。


「何の漫画? 私も知ってるヤツ?」


「いや、多分知らないんじゃないかな。多分、華恋は知らないよ、多分」


「タイトルだけ教えて。分かるかもしれないし」


「多分、言っても分からないよ。あんまり有名じゃないから、多分」


「……ふ~ん」


「ははは…」


「ちぇ~」


 彼女が不満を垂らすように唇を尖らせる。足を前後にバタバタと動かしながら。


「……ん」


 もしかしたら先程の会話を聞かれていなかったのかもしれない。命拾いしたような気分で安堵した。


「ち、ちなみにいつ頃からいたの? 部屋の入口に」


「え? 何でお兄さんいる事黙ってたのってとこら辺」


「げっ…」


 けれどその静的はすぐに消滅。油断大敵の良い例が到来してしまった。


「ねぇ。妹がウザイとか聞こえたけど、あれ誰の事なの?」


「さ、さぁ……覚えてないや」


「雅人の妹って2人いるけど私と香織ちゃん、どっちの事を言ってたのかな?」


「え~っと…」


 もう今さら漫画の話だなんてごまかしは通用しない。彼女は会話の内容をほぼ全て盗み聞きしていたのだから。


「華恋の話をしていました」


「え? 私?」


「華恋の事が好きすぎて嫌われたりウザイと思われても構わないから、腕を繋いで歩いたり一緒にお風呂入りたいなぁというような話をしていましたっ!」


「やっだぁ、恥ずかしい」


「いった!?」


 照れくささを隠す行動なのか肩を叩かれてしまう。いつものように力強く。


「そんなに私の事が好きなら良い物あげるね」


「へ?」


「……歯ぁ食いしばれ。じゃないと舌噛むかもしれんぞ」


「え、えぇーーっ!?」


 そして立ち上がった彼女が隣から正面に移動。続けざまにとんでもない台詞を口にした。


「ふふふふ…」


「ま、ままま待ってくれ。何する気さっ!」


「だから素敵なプレゼントだってば。可愛い妹からお兄ちゃんへのささやかな贈り物」


「い、いらないいらない。いらないからやめてぇっ!」


 指の関節を鳴らしながら迫ってくる。恐ろしい表情も付け加えて。


「手どけないと危ないわよ。指に当たったら痛いかも」


「いや、違うんです。別に華恋の事が嫌いとかそういうんじゃなく、ただ単に女の子とお喋りしててテンションが上がりすぎただけというか…」


「おらぁっ!!」


「ぎゃぁーーっ!?」


 必死の懇願も虚しく暴力を振るわれる結果に。顔面に凄まじい破壊力の拳が飛んできてしまった。


「いててて…」


「ふんっ!」


 激しい痛みが残る頬を手で擦る。少しでもダメージを緩和しようと。


 まさか悪態をつく現場を目撃されていたなんて。部屋を一瞥した華恋は乱暴にドアを閉めて出て行った。




「どうしたの? さっきからずっと顔を押さえてるけど」


「……ちょっと肌荒れが気になって」


 翌日の朝、隣に座っていた香織からふいに声をかけられる。頬に何度も触れる行動が気になったらしく。


 喋っていたのは彼女だけで父親も母親も華恋も無言。誰も食事中の会話に混ざろうとしていなかった。


「ちゃんと顔洗いなって。肌が乾燥してるよ」


「そうだね。後でクリーム付けて洗顔してくるかな」


「男の子だからってそういう部分は気をつけないと。じゃなきゃ私みたいな美人になれないからね」


「え!?」


 ボケなのか本気なのか分からない台詞が飛んでくる。ツッこむ気力も無いのでとりあえずスルーしておいた。


「ん…」


 朝から華恋は一言も口を利いてくれていない。よっぽど昨夜の出来事が気に入らなかったらしい。そして通学途中も学校に着いてからもその険悪な状況は続いた。




「あ、あの…」


「ん?」


「お昼のお弁当は…」


「無い」


「えっ!?」


「……ふんっ!」


 昼休みに恐る恐る声をかける。勇気を振り絞って


「今日は弁当なしか…」


 だが返ってきたのは素っ気ない態度。別々に昼食をとる事になってしまった。


「はぁ…」


 1人になると廊下を歩き出す。足の裏を床で擦るように。


 食堂に到着した後は大好物のカレーライスを注文。水の入ったグラスを持って椅子に座った。


「おっす」


「いてっ!?」


 壁際を陣取っていると側頭部に軽い衝撃が走る。何者かによる攻撃を喰らったせいで。


「珍しいじゃん、雅人が学食利用してるって。1人?」


「そうだよ。智沙は?」


「アンタと一緒」


 振り向いた先にはショートヘアの女子生徒が存在。どうやらトレイをぶつけてきたらしい。彼女はうどんをテーブルに置くと隣に腰掛けた。


「分身は?」


「……用事があるって言ってた。だから別々」


「ふ~ん、フラれたんだ」


「う、うるさいなぁ…」


 口の中にご飯をかきいれる。湧き上がってくる羞恥心を打ち消すかのように。


「そのカレー美味しそう。貰っていい?」


「ダメだよ。カレーだけ取られたらご飯とのバランスが悪くなる」


「ケチ。せっかくカレーうどん作ろうと思ったのに」


「食べたいなら追加注文してきなよ。ご飯抜きで」


「そんな頼み方もったいなくて出来るか、馬鹿!」


「えぇ…」


 意見に対して彼女が激怒。正論を言ったハズなのに何故か怒られてしまった。


「ちょ……食べるの早くない?」


「のんびり食べてたら椅子に座れない人達が可哀想じゃん。だからだよ」


「アタシ、まだ食べ始めたばっかなんだけど」


「ごちそうさま。じゃあね」


 辺りを見回すと既にほとんどの場所が満席に。パーティー会場を彷彿とさせるぐらいの混雑具合だった。


「ちょっと、アタシが食べ終わるまで待っててよ。ね?」


「やだ。もう教室戻る」


「うわ、冷たっ!」


 立ち上がった瞬間に隣から手が伸びてくる。面倒くさいので素早く振り払って対応。食器を落とさないように注意しながら返却口へと直行した。


「ふぅ、お腹いっぱい」


 廊下に出た後は下腹部を押さえる。パンパンに詰まった胃袋を確認しようと。


 ぞんざいに扱ってしまったが智沙には感謝していた。1人きりでの食事は割と抵抗があるから。


 せっかく友達になれた丸山くんも昼休みになるとフラリとどこかに消失。恐らく去年のクラスメートと過ごしているのではないかと予想していた。


「……あ」


 教室へと戻る為に廊下を歩く。その途中で窓の外に意識を奪われる光景を発見。


 中庭のベンチに座ってお弁当を食べている華恋がいた。しかし彼女は1人ではない。その隣には昨日初めてまともに会話をした鬼頭くんがいた。


「どうして2人が一緒に…」


 立ち止まって窓に手をかける。会話が聞けるかもしれないと開けてみたが声は届いてこなかった。


 この位置から分かるのは2人の仕草だけ。彼らは親しげにお喋りしながら箸を動かしていた。


「ん…」


 自分が学食に行った後に合流したのだろう。事前に約束をしていたとは思えないから鬼頭くんの方から声をかけたと予測。


 それでも断る事は出来たハズだ。なのに揃ってあの場所にいるという事は彼女も誘いを承諾したという証拠。


「……戻るか」


 止めていた足を再び動かす。途中、窓を閉め忘れた事を思い出したが引き返さなかった。そこから見える光景を視界に入れたくなかったから。


 教室に戻って来てからは大人しく席に着席。そして昼休みが終わる頃に再び立ち上がった。


「あ…」


「ふんっ!」


 清掃場所へと向かう途中に華恋とすれ違う。だがお互いに目を合わせただけで口を利く事は無し。


「……えぇ」


 まさかここまで本気で避けられる事になるなんて。確かに昨夜は彼女を怒らせるような発言をした。けれどその罰はしっかりと受けたわけで。


 朝になったら元通りになっていると思っていたのに。彼女の様子を見る限り不機嫌に拍車がかかっていた。


「はぁ…」


 下駄箱で靴に履き替えると駐輪場へとやって来る。そこで既に来ていた鬼頭くんと合流した。


「うぅっす」


「あ……うん」


「どうしたの? 元気なくない?」


「そ、そうかな?」


 態度の不自然さを指摘されたがごまかす。まさか本人を目の前に原因を打ち明ける訳にもいかないので。


 しばらくすると丸山くんと女子2人も登場。班のメンバー全員揃いはしたが相変わらず男子3人だけの掃除となった。


「バイトって楽しい?」


「楽しくはないかな。お客さんにも店長にも怒られるから大変だよ」


「優奈もよく怒られてんの?」


「いや、あんまり。僕が失敗ばかりしてるから注意されてるだけ」


「ははは、大変じゃん」


 鬼頭くんが頻繁に話しかけてくる。誰かと性格が入れ替わったのではないかと思えるぐらいの饒舌っぷりで。


「一度ぐらいその喫茶店に行ってみたいと思うんだけどさぁ、優奈が来るなって反発してくんだよね」


「恥ずかしいんだよ。働いてる姿を見られるのが」


「今度こっそり言っちゃおうかな。変装して」


「や、やめとこうよ。それは…」


 彼女がいるという事はかなりの確率で自分も存在。クラスメートにバイト先での失態なんか見せられなかった。


「俺もどっかでバイトしてみよっかな。妹が働いてるのに兄貴が休みにゴロゴロしてるのは格好悪い気がする」


「鬼頭くんはバイト経験ないの?」


「ないよ。何かやってみようかな。どんなのが良いかな」


「とりあえずうちの店はやめておいた方が良いかも。男にはあまり向かない仕事場だし」


「分かってるって。やろうとしても優奈に止められるもん」


「あぁ、だよね」


 2人で顔を見合わせて笑い合う。会話が弾んでいたせいで清掃活動は停滞状態に。手よりも口ばかり動かしていた。


「ふぅ…」


 鬼頭くんとは仲良くなれたが妹とは相変わらず険悪状態を維持。バイトがあったとはいえ、放課後に教室を出るタイミングはバラバラ。帰ってからも会話はゼロ。彼女はこれでもかというぐらい徹底的に無視してきた。


 そんな一方的な行動に驚きよりも戸惑いが発生。あれだけ過剰に付きまとっていたのに手のひらを返したように冷たい対応を連発。原因がハッキリしているだけに余計にその様変わりが受け入れられなかった。



「……あ」


 更に翌日の昼休み。学食から戻って来る途中で再び華恋と鬼頭くんが食事している姿を見つける。


 また一緒にいるのではないかと予想していたからあまり驚きはしない。ただ1つだけ意外だったのは2人が食べていた物が同じだったという事。


「あれって…」


 見覚えのある紺色の容器が目についた。自分がいつも使っている弁当箱が。


「む…」


 恐らく彼女が渡したのだろう。それならばお揃いの物を持っている光景も納得出来る。思い返せば昨日も同じ物を食べていた気がした。


 相変わらずこの位置には2人の声が届いてこない。だが彼らの表情を見ていれば楽しそうな雰囲気が嫌というほど伝わってきた。


「……放課後どうしよっかな」


 静かにその場を立ち去る。誰にも聞いてもらえない独り言を呟きながら。何かを考えようとしていたのに思考はまともに動いていなかった。




「赤井くんって今日バイトある?」


「ううん、休みだよ」


「本当? なら今から暇?」


「え、何で?」


 帰りのホームルームが終わると鬼頭くんが話しかけてくる。軽快な口調で。


「予定ないなら一緒に遊びに行こうよ。カラオケとかどう?」


「う~ん、どうしようかな…」


「他に用事あった? 友達と遊ぶ約束があったとか」


「え~と…」


 特に予定という予定はない。むしろ何をして時間を潰そうかと考えていたぐらいだった。


「良いよ、暇だし。行くよ」


「おぉ。やったぜ」


「他に誰か来るの?」


「ん? あぁ、実はもう誘ってあるから」


「げっ!」


 悩んだ末に誘いを受ける事に。しかし彼の背後にはしかめっ面のケンカ相手が存在していた。


「……や、やっぱりやめとこうかな。行くの」


「え? 何で?」


「2人の邪魔しちゃ悪いかなぁと…」


 すぐに意見を覆す。鬼頭くんの体を利用して威圧感な視線を遮断しながら。


「別に気を遣ってくれなくて良いから行こうよ」


「いや、やっぱり遠慮しておく。風邪を引いたのか喉か痛いし」


「う~ん、弱ったなぁ…」


「どうしたの?」


「白鷺さんをカラオケに誘ったらさ、赤井くんが一緒だったら良いって言うんだよね」


「そ、そうなんだ」


 もう一度体を横にズラして華恋の顔を確認。そこには不満を爆発させたような険しい表情があった。


「ん…」


 彼女の心情が理解出来ない。どうしてそんな台詞を口にしたのかが。


 断って帰ってしまうのが一番楽な道だろう。ただ後でグチグチ文句を言われるのも嫌なので付いて行く事にした。


「な、ならちょっとだけ…」


「よ~し、決まりだ」


 上機嫌になった鬼頭くんに肩を叩かれる。3人で廊下に出ると靴に履き替え外へ。自転車を押して歩く彼の先導の元、大通り沿いのカラオケ店を目指した。


「白鷺さんは歌とか得意な方?」


「え~っと、歌うのは好きなんですけど得意かと聞かれたら微妙ですね」


 2人が親しげに会話している姿を後ろから眺める。邪魔者にならないように無言で。


 それから15分ほど歩いて目的地に到着。人で賑わう店内に突入すると2時間の予定で部屋へと入った。


「俺、あんまりカラオケとか来ないから緊張するわ」


「そ、そうなんだ…」


「赤井くんはどう?」


「僕はたまに来るよ。最近はめっきりだけど」


「へぇ」


 鬼頭くんが椅子に座って頬を叩く。気合いでも注入するかのように。


「さて、誰から歌おうか」


「……ん」


 そのままこちらに目配せをしてきた。けれどその問い掛けに対する返事は無し。


「むぅ…」


 当然といえば当然だった。彼と親しくなったの2日前だし、自分と華恋は喧嘩中。こんな異質な状況で進んで歌い出す勇者なんて存在していなかった。


「ジャ、ジャンケンで決めよう…」


 しばしの沈黙の後、このままではいけないと感じた鬼頭くんが口を開く。彼が提案したのは定番中の定番意見。


 無意識に体が動いてしまうのは染み付いた習慣のせいなのかもしれない。ごく自然な流れで各々が決まり手を出した。


「あ…」


 3人しかいないので一発で勝敗が決定する。自分と鬼頭くんが5本の指を伸ばし、華恋だけが握り拳の状態。


「じゃあ白鷺さんからという事で」


「……えぇ」


 彼女が自分の手をまじまじと見つめていた。やっちまったという焦りを醸し出した表情で。


「1番手、行かせてもらいまぁす…」


 覚悟を決めると機械を使って曲を送信。マイクを握りながらゆっくりと立ち上がった。


「おぉ…」


 画面が知らない街並みに切り替わる。タイトルやアーティスト名と共に。


 それはテレビを見ている人なら必ず耳にした事があるCMとのタイアップ曲。アニソンではなく一般曲もカバーしている事に驚いたがもっと意外だったのは華恋の歌唱力だ。


 自分はお世辞にも歌が上手いとはいえないし、ましてや人の評価なんて出来る器ではない。それでも彼女の歌声がプロレベルなんだと判断出来た。


「……ふぅ」


 歌唱終了と同時にマイクがテーブルの上に置かれる。電源をオフにした状態で。


「な、なんかごめんなさい…」


 直後に歌った本人の謝罪が炸裂。気まずい空気が蔓延していった。


「ん…」


 彼女は何故こうなったのかを理解していないのだろう。当事者にもかかわらず。


 もし歌唱力が人並みだったなら普通に拍手で済んだ。和やかな雰囲気で。けれどこんな歌声を聴かされた後ではとても熱唱してやろうという気持ちになんかなれなかった。


「しまった…」


 こうなるんだったら最初に名乗り出ていた方がまだマシだったハズ。ジャンケンで勝ち手を出してしまった事を後悔した。


 案の定、後発組の男子はレベルの差を思い知らされる羽目に。自信喪失したままで歌唱。歌っている最中も恥ずかしいのだが、曲が終わった後の沈黙がキツかった。


「……はぁ」


 2人に見えないよう静かに溜め息をつく。ガックリと肩を落としながら。しかしすぐ隣には自分以上に落胆している人物がいた。


「んん…」


 鬼頭くんの体から覇気が失われている。試合で燃え尽きたボクサーのように。


 これが2人っきりだったならまだ良かった。お互いに歌っていない間は曲を選ぶフリをすれば済むから。3人というトライアングルが絶妙に気まずい空気を作り出していた。


「ちょっとトイレ行ってくる」


「あ、うん」


 入室から1時間近くが経過した頃、歌い終わった鬼頭くんがドアを開けて部屋を出ていく。演歌調のBGMが流れている廊下へと。


「飲み過ぎかな…」


 彼は既に3杯以上の烏龍茶を注文。緊張しているのかガブ飲みしていた。


「ん?」


 次の曲を選んでいると部屋が静かになっていく。歌うハズの人物が演奏停止ボタンを押したので。


「ふんっ!」


 彼女は持っていたマイクをテーブルの上に置いてグラスを鷲掴み。ふんぞり返って足を組み始めた。


「……いつまで黙ってんのよ」


「ご、ごめん」


 そのまま高圧的な態度を放出。グラスに刺さったストローを口にくわえながら。


「楽しい? カラオケ」


「まぁ、そこそこに」


「ふ~ん…」


 2人で会話を開始。部外者がいなくなったからか口調が荒かった。


「で?」


「でって……何が?」


「それだけ?」


「んん?」


「だからそれだけかって聞いてんのよ!」


「な、何がさ。怒り出す意味が分からないよ」


 突然、彼女がグラスをテーブルの上に叩き付ける。割ってしまいそうな勢いで。


「私に何か言いたい事あるんじゃないの?」


「言いたい事?」


「そう。あるでしょ?」


「ん~…」


 口元に手を当てて思考を巡らせてみた。ここ数日に起きた出来事を振り返るように。


「……あの強力なパンチ力はどこで身に付けたの?」


「それじゃねぇーーっ!!」


「いってっ!?」


 両足のスネに強烈なダメージが発生。蹴られたテーブルの角がモロに直撃してしまった。


「あっ、ごめん。痛かった?」


「つぅぅ…」


「悪い悪い、ついカッとなっちゃって」


「……テーブル壊す気? コップの中身もこぼれてるじないか」


「あぁ、もうっ!」


 辺りにオレンジ色の液体が散布している。近くの椅子や床にも。


「カラオケにまで来て暴れないでくれよ」


「元はといえばアンタのせいでしょうが、あぁ!?」


「いてててっ、何するのさ!」


 ナプキンで抜き取っていると作業が途中で中断。制服の襟を掴まれ引き寄せられた。


「離してくれ、苦しいっ!」


「昨日も今日もどこで…」


「は?」


「……くそっ!」


 喉元を圧迫する力のせいで上手く声が出せない。体勢も元に戻せない。


「ん? どうしたの?」


 至近距離で睨みあっていると入口のドアが開く。トイレに行っていた鬼頭くんが戻って来た。


「え~と、ジュースこぼしちゃって…」


「あらら。マジか」


「私が手を滑らせちゃったの。ごめんね、雅人」


 その瞬間に制服を掴む指が離れる。ハンカチを持つ反対側の手と入れ替わるように。


 どうやら今のやり取りをなかった事にしたいらしい。3人でこぼれたジュースの処理を行った。


「ふぅ…」


 片付けた後は再びカラオケに逆戻り。華恋からのローテーションで再開。また同じ展開になったらどうしよかと怯えていたが一度も鬼頭くんが席を外す事なく予定時刻を迎えた。


「んーーっ、楽しかったぁ。喉ガラガラになっちゃったけど」


「あはは…」


 精算を済ませると店の外に出る。すっかり日が沈んで暗くなってしまった大通りへと。


「じゃあ俺こっからチャリだから。2人は電車だっけ?」


「あ、うん」


「ならここでお別れだね。バイバイ」


 鬼頭くんが自転車のカゴに鞄を放り投げて走行開始。立ち漕ぎで走り去る後ろ姿を無言で眺め続けた。


「……帰る?」


「帰らないでどこ行くっていうのよ」


「いや、僕達も電車に乗るって意味で聞いたんだが」


 そして2人きりになったタイミングで話しかける。不機嫌全開な妹に向かって。


「おんぶして、疲れた」


「電車来るよ。とりあえず駅に行こ」


「コラッ、無視すんな!」


 ブツブツと垂れ流される文句を無視して歩き出した。後ろから何度も背中を小突かれたが全てスルー。車内は微妙に混雑していたが、座席が埋まっているだけで人はあまりいなかった。


「で、さっき言ってた話ってどういう意味?」


 鞄を床に置くとドア付近に立つ。2人して向かい合う形で。


「もう良い…」


「え? 何で?」


「もう良い。さっきの事は忘れて」


「そんな…」


 一方的に質問してきて一方的にキレてきたのに。もう過ぎた事だから忘れろと言いたいらしい。


「さっきの話はもうお終い。お終いったらお終い」


「……分かったよ。そっちがそう言うならこれ以上は聞かない」


「は?」


 不満は残っているがしつこく追及するような真似はしなかった。せっかく会話してくれるようになったのに再び機嫌を損ねられても困るから。


「どうしてそう簡単に引き下がんのよ。もっと粘りなさいよね!」


「え、えぇ!?」


「ここは肩をガシッと掴んで問い詰める所でしょうが、バカ!」


「バカってそんな…」


 しかし彼女の口からは決定を覆させるような台詞が炸裂する。諦めろと言ったり問い詰めろと主張したり意味が分からなかった。


「いくじなし、へたれ、根性なし」


「痛いって、やめてくれよ」


「バカバカバカバカばぁ~か」


「一体何なのさ…」


 更に持っていた学生鞄を何度も足にぶつけてくる。小学生レベルの悪態をつきながら。


「……さっきの話の続きを教えてください。お願いします」


「やだ」


「怒られた理由を知りたいんです、先生」


「ん~、どうしても聞きたいの?」


「はい。どうしてもです」


「しょうがないなぁ。そこまで言われちゃ教えてあげない訳にはいかないわよね」


 人をおだてるのは苦手だがモヤモヤした気持ちを残したまま行動するのはもっと苦手。不満を堪えて下手に出る作戦を開始した。


「アンタさぁ、私に口利いてもらえなくてどんな気持ちだった?」


「ん? そりゃあ嫌だったよ」


「具体的にはどんな風に?」


「どんな風にって…」


「イライラしたとか、辛かったとか」


「あぁ」


 どちらかといえば虚無感や孤独感の方が強かっただろう。ストレスも感じていたがショックの方が大きかった。


「淋しかった……かな」


「なら何でそう言わなかったのよ」


「いや、だって僕が喋りかけても答えてくれなかったじゃないか」


「それでも話しかけ続けなさいよね。一度や二度無視されたぐらいで諦めるんじゃないわよ」


「……む」


 その理屈は分かる。けれど無視してる張本人から言われるのだけは納得がいかない。


「せっかくお弁当作って待ってたのに全然来ないんだもん」


「あれ? でも僕の分は無いって」


「そんな訳ないじゃん。昨日も今日もずっとベンチで待ってたんだよ」


「えぇ…」


 なら何故あんな嘘をついたのか。言動が理解不能だった。


「もうちょっと強気になりなさいよね。押しが弱い!」


「昔からこういう性格なんだってば」


「ダメって言われたらすぐ諦めるの? 粘ったら結果が変わるかもしれないでしょうが。頑張んなさいよ」


「んっ…」


 言い返そうとしたが言葉に詰まる。反論の余地が無い的確な指摘を受けたので。


「私から話しかけなかったらどうしてたのよ。ずっと無視?」


「華恋の方が口利いてくれないならそうなるのかな」


「ちっ…」


 問い掛けに答えた瞬間に彼女が舌打ち。眉もひそめてしまった。


「ならもし何度も話しかけたら答えてくれてたの?」


「さぁね」


「さぁって…」


「ただ1つ言える事は、私から話しかけてあげなかったらアンタは私と喋る事は無かったって事」


「それって華恋の一存じゃない?」


「当たり前じゃん。元はといえば雅人が怒らせるような発言したのが原因なんだし」


「……仰るとおりです」


 ぐうの音も出ない。追及の言葉にただただ萎縮。


「私、ショックで部屋に戻ってから泣いてたんだからね」


「ご、ごめん…」


「まぁ嘘なんだけどさ」


「……えぇ」


 ツッこむべきか迷ったが何も言わなかった。今の冗談の真偽はともかく傷付けてしまったのは事実だから。


「お昼ご飯とかどうしてたの?」


「学食。昨日はカレーで今日はカツ丼食べてた」


「うわっ、1人だけズルッ!」


「別にズルくはないと思うけど」


 駅に着くと後ろのドアが開く。誰も乗ってこない事を確認した後は再びもたれかかった。


「もしかして鬼頭くんが食べてたお弁当って僕の分だった?」


「あれ? アンタ、見てたの?」


「た、たまたま見つけちゃって…」


「うわぁ…」


 彼女が表情を曇らせながら額に手を当てる。どうやら観察されていた事に気付かなかったらしい。


「当たり?」


「……うん。残すのはもったいないかなぁと思ってあげちゃった」


「ならわざわざ鬼頭くんの為に作ってあげた訳じゃなかったんだね」


「当然でしょ。なんで私が雅人以外の男の為にお弁当用意しなくちゃいけないのよ」


「それはどうも…」


 視線を暗闇の広がる窓の外に移動。耳に入ってきた台詞に恥ずかしくなってきた。


「明日はどうすんの? お弁当いらない?」


「いや、いります。欲しいです」


「ほっほぉ~う」


「作ってくれますか?」


「まっ、今後の雅人の態度次第かなぁ」


 彼女がだんだんといつもの調子を取り戻していく。機嫌が良くなっていく様子が手に取るように分かった。


「もしや私が他の男と仲良くしてる事にヤキモチ妬いてたの?」


「……どうかな」


「妬いてたんでしょ? だから気にしてたんでしょ? ねぇ?」


「随分と嬉しそうだね」


「そりゃあだって……ねぇ?」


 続けていやらしい笑みを浮かべながら肘で突っついてくる。イタズラを思い付いた悪ガキのように。


「雅人のクセに可愛い。ヤキモチとか」


「ちょ……やめてくれ」


「んふふふふ」


 更には伸ばした手を頭の上に移動。撫でられたので乱暴に振り払った。


「ほら、降りるよ」


「あ、待って待って」


 困惑しているとタイミングよく地元の駅に到着する。開いたドアからホームに逃走した。


 暖房のせいなのか恥ずかしさのせいなのか制服の中は汗だくに。頬に当たる風が気持ち良く感じた。


「どうして雅人が話しかけてこなかったか分かったわ。悔しかったからなのね」


「違うってば」


「ま、それなら勘弁してあげようかしらね。私を誰かに取られちゃいそうで不安だったんでしょ?」


「誰もそんな事言って…」


「そうなんでしょ?」


「……はい」


 頭が上がらない。反論する気にも言い訳する気にもならない気分。


「あぁ、くそっ。そうと分かってればそれをネタにからかってやれたのになぁ」


「からかうってどんな風にさ」


「私、この人と付き合う事にしたからもう今までみたいにデートしてあげたり一緒にお弁当食べてあげたりは出来ません……とか?」


「それ普通じゃない? 別におかしくはないよね」


「はあぁ!?」


 返答に対して彼女が呆れたような声を出す。もの凄い剣幕の顔と共に。


「私が誰かに取られちゃうのよ! アンタそれ黙って受け入れちゃうの!?」


「だ、だって仕方ないじゃん。華恋がその人を選んだって事なんだから」


「だからさっきも言ったでしょうが! すぐに諦めるんじゃなくて粘りなさいよ。食らいつきなさいよ」


「なら颯太がまた付き合ってくださいって言ってきたらどうするのさ。その粘り強さを認めて付き合うの?」


「返り討ちにするに決まってんじゃん。二度と立ち上がって来れないようにその信念をへし折ってあげるわよ」


「……外道」


 人を勇気付けたいのか蹴落としたいのか分からない。だんだんと彼女が魔王か何かに思えてきた。


「私が誰かと手を繋いで歩いてたら、その相手を八つ裂きにするぐらいの気合いで向かってきなさい」


「そ、そんなの可哀想だよ。八つ裂きって…」


「ちったぁ根性見せなさいよ! 男でしょうが」


「嫉妬に狂って無実の男性を八つ裂きにするような奴が、果たして真の男と呼べるのだろうか…」


「黙って指をくわえてるよりマシじゃない。でしょ?」


「そういう場合はいさぎよく諦めるのが理想だと思います」


 華恋に恋人が出来た場合の対処についての議論が続く。架空のシチュエーションに対しての話し合いに意味があるのかは謎だったが、もっとも不思議だったのは本人が参加しているという事だった。


「私が誰かになびいちゃっても良いのか!?」


「君は双子の兄が恋人と殴り合いの喧嘩してるシーンとか見たいのかね。どこの昼ドラのヒロインですか」


「コイツは俺の物だ、誰にも渡さんって抱きついてくるぐらいの気合いを見せなさいよね」


「妄想を押し付けられても困る」


「んがあぁーーっ!!」


「いてっ!?」


 顔面にロケットパンチが飛んでくる。先日の怒りの鉄拳に負けないぐらいの威力の攻撃が。


「グチグチグチグチうるさい。アンタは私の言う通りにしてれば良いのっ!」


「なんでさ。どうして駒みたいに指示通りに行動しなくちゃならないんだよ」


「義務だから」


「そんな理不尽な義務、嫌だよ…」


 2人して静かな住宅街を歩いた。道を照らす住居や街灯の光を頼りに。


 周りに人がいなかったのがせめてもの救いだろう。こんな議論、知り合いになんかとても聞かせられない。


「帰ったら宿題見せてね」


「自力でやりなよ」


「あっそ。なら明日のお弁当は無しだから」


「そしたら学食に行けば済むし二度と宿題も写させてあげない」


「ぐっ…」


 仲直りしたばかりなのにもう喧嘩に発展。この不毛な言い争いは家に帰ってからもしばらく続いた。

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