第5話 尾行と追跡
「ねぇ、ゴメンってば」
「ん…」
「悪かったからもう怒んないで」
「……うるさいなぁ」
「反省してるから許してよ? ね?」
「やだ」
自室で宿題に取り組む。シャツの袖を引っ張ってくる華恋の言動を退けながら。
「なんでぇ? こんなに謝ってんのに」
「謝ってすむ問題じゃないし。華恋が変な事したせいで優奈ちゃんに嫌われちゃったかもしれないんだよ?」
「ご、ごめん…」
「もういいから出てってくれって。今は1人になりたいの」
「……むぅ」
よく殺人事件を起こした場合、計画的か突発的かで刑の重さが変わると言われていた。今回の場合はどう考えても前者。だから彼女の罪は重かった。
「まったく…」
「やっぱりやり過ぎだった?」
「当たり前だよ。度が過ぎてるって」
「だって雅人を取られたくなかったんだもん…」
「……あの子とはそういう関係じゃないから。ただの友達だし」
「本当に?」
「まぁ、うん」
優奈ちゃんにそういう相手がいるのかは分からない。誰かと付き合ってるか、それとも片思いしてる人がいるのかは。ただ少なくとも自分と彼女とでは恋人と呼べる間柄からは程遠かった。
「ならどうして家に呼んだの?」
「一緒にゲームやろうかっていう話になって、後はその場のノリ」
「一緒に遊ぼうって言い出したのはどっち?」
「……わ、私でございます」
恐る恐る手を上げる。向けられる威圧感に戦きながら。
「ほ~ん…」
「べ、別に普通でしょ。友達を家に誘うぐらい」
「友達なら隠し事するのはいけないわよね?」
「いやいや、何でもさらけ出せば良いってものでもないじゃん。隠しておかなくちゃいけない事だってあるよ」
「ともかくもう終わった事を気にしてクヨクヨしたって仕方ないってば。元気だしなよ」
「華恋がそれ言うの!?」
数分前と発言内容が一転。彼女の顔からは反省の色が全く見て取れなかった。
「そういえば香織ちゃん遅くない? まだ友達と遊んでるのかな」
「恐らくデートしてると思われ」
「デート? 誰と?」
「そういえばまだ言ってなかったっけ。華恋がいない間にさ、彼氏作ったんだよ」
「え、えぇーーっ!?」
部屋中に甲高い声がこだまする。一切の遠慮が無い雄叫びが。
「マ、マジなの、それ!?」
「多分。はっきりと確認したわけではないけど」
「誰々、どんな人なの?」
「いや、分からないよ。会った事ないし」
「同級生? それとも年上?」
「だから分からないんだってば。彼氏がいるってのも僕の勝手な憶測だから」
「はぁ? どういう事よ」
彼女が訝しげな表情で睨みつけてきた。腰に手を当てながら。
「ケータイ見ながらニヤニヤしてる事多いし、最近やたらオシャレするようになったし」
「それから?」
「出掛ける時に冗談で『彼氏とデート?』って聞いたらテンパってた」
「それは……確かに怪しいわね」
「でしょ?」
以前は常にスッピンだったのに最近は化粧をして外出。着ていく服も派手になったし、何かしら心境の変化があったとしか思えなかった。
「だから帰って来るのが遅いのか…」
「晩飯いらないって言う事も珍しくないからなぁ」
「今頃はその彼氏と手を繋いでイチャイチャしてたりするわけね」
「……やめてくれ。言葉にしたら想像しちゃうじゃないか」
頭の中で香織が見知らぬ男と手を繋いでいる姿をイメージする。自分より背が高くて少女漫画に出てきそうな爽やかイケメンと。
「やっぱりショック? 妹が他の男と仲良くしてるって知ったら」
「ショックっていうか……変な気持ち」
「ズーンて感じ? 心が沈むみたいな」
「まぁ…」
「ならショック受けてんじゃないのよ。残念だったわね、自分になびいてくれなくて」
「別にそういうのは平気なんだけどさぁ…」
身内を誰かに取られてしまったという嫉妬より、先に恋人を作ってしまった部分にショックを受けていた。心のどこかで彼氏なんか作るハズがないと楽観視していたのかもしれない。
「でも気になるわね、その相手」
「あっ、やっぱり?」
「顔ぐらいは確認したいかな。どんな感じなのか」
「もしイケメンだったらどうするの?」
「おぉーって驚く」
「イケメンじゃなかったら?」
「あぁ……って落胆する」
「君はあの子のオカンですか」
勉強嫌いな彼女も色恋沙汰には興味津々らしい。いつもより目がキラキラ輝いていた。
「私が聞いたら教えてくれるかな? 彼氏出来たのって」
「どうかな。意外に口堅いよ、こういう事には」
「男の雅人には言えなかったけど、女の私には教えてくれるかも。なんたって私と香織ちゃんは本物の姉妹も同然なんだから」
「ふ~ん…」
傲岸不遜な態度が返ってくる。親密度の高さをアピールするような言動が。
「じゃあ聞いてみなよ。教えてくれないに1票」
「なに、賭けんの? なら私は当然打ち明けてくれるに1票」
「えらく強気だね。そんな自信に満ち溢れてるんだ」
「当たり前じゃん。アンタと私とじゃ立場が違うのよ」
「そ、そっか」
仲が良いのは素敵な事だと思った。同世代の女の子同士で暮らしているのだからギスギスした関係にだってなっていたかもしれないのに。
「で、具体的に何を賭けるの?」
「え? う~ん…」
「負けた方が3日間の宿題を2人分やるっていうのはどう?」
「ん? 学校から出されたヤツ?」
「そうそう。勝ったら楽出来るじゃん」
「まぁ、華恋がそれで良いなら…」
頭を捻っていると彼女の方から提案を持ちかけられる。予想に反してまともな内容のご褒美を。
「おっけ、なら決まりね」
「いつ聞くの? 登校中?」
「うぅん、この後すぐ。気になるから少しでも早く知りたいし」
「せっかちだなぁ」
とりあえず彼女が単独で聞き込みに向かう事に。自分はこのまま部屋で待機する事で決定。
1人になると再びペンを握った。賭けの対象になった物を処理しようと。
「……入っていい?」
「ん?」
宿題を終わらせたタイミングで扉をノックする音が聞こえてくる。振り返った瞬間に落胆している華恋と目が合った。
「どうだった? 聞けた?」
「うぅん…」
「やっぱりダメだったか」
「なんでぇ……私、それなりに信頼されてると思ってたのに」
「恥ずかしいんだよ、きっと。そういう年頃なのさ」
「ふぇ~ん」
問い掛けに対して彼女が首を横に振る。話題を振ってみたが適当にはぐらかされてしまったのだろう。部屋に入ってくると腰回りに抱きついてきた。
「ショックだわぁ。どうしてなのよぉ…」
「見事に自信を打ち砕かれちゃったね」
「ガーン、ガーン」
「じゃあ賭けは僕の勝ちって事かな」
「げっ!」
ハッキリと勝敗の結果を口にする。直後に引っ付いていた体が素早く離れた。
「や、やっぱりダメ? 2人分やらなくちゃ」
「言い出しっぺは誰なのさ…」
「えぇ……だって負けるだなんて思ってなかったし」
「うん、分かる分かる」
自らペナルティを持ち出すぐらいなのだから相当自信に満ち溢れていたに違いない。だが失敗後の想定をしないで張るのは無鉄砲なギャンブラーの思考だった。
「え~と……じゃあ違う事してあげるから宿題は勘弁してくれない?」
「違う事って?」
「お、おっぱい触らせてあげるとか」
「卑猥…」
耳に入ってきた台詞に絶句する。軽蔑の意味を最大限に込めて睨みつけた。
「ねぇ、良いでしょ? こんな大サービスなかなかしてあげないよ?」
「もう良いから、宿題は終わらせたし。だからこの勝負は無かった事に」
「へ?」
「自分の分だけやれば良いよ。やっぱり罰ゲームとはいえ人にやらせるのはよくない」
「や、やっぱりそうだよね。自力でやらないとダメだよね、うんうん」
「調子いい奴…」
提案を白紙にする。家族にセクハラする変態にはなりたくないので。
その後、華恋は部屋に撤退。しばらくすると宿題を見せてほしいという情けないメッセージを送ってきた。
「……なかなか現れないわね」
「もう出ちゃった後かな」
「でもまだ下駄箱に靴あるから中にいるわよ」
「それもそうか」
翌日、放課後に昇降口で上履きを履いたまま待機する。去年まで自分達が使っていた下駄箱を華恋と監視していた。
「ていうか2人で行動したらマズくない?」
「はぁ? 何でよ?」
「揃ってこんな所をウロウロしてたら目立ってしょうがないんだが…」
近くの壁に隠れるように身を隠す。周りを行き交う生徒達の突き刺さるような視線に耐えながら。
「むしろ私がいる事に感謝なさい」
「いや、意味わかんないし」
「あのね、男子が女子高生の後をコソコソつけ回してごらんなさい。その光景を見てる周りの人達はなんて思う?」
「……ストーカー?」
「はい、正解」
「なるほど…」
指摘されて気付いたが確かにその通り。1人で誰かの後ろを歩き回っている方が怪しい。家族だとしても周りの人達にはそんな事情は伝わらないわけだから。
「にしても遅くない? ホームルームが終わってから20分は経ってる」
「本当だ。何やってるんだろ」
「もしかして教室でイチャついてるとか…」
「まさか」
「ならどうしていつまで経っても下りて来ないのよ。変じゃない」
「そ、それは…」
時計を確認するとこの場所に来てから結構な時間が経過している事が判明。廊下には生徒が疎らに立っているだけだった。
「見に行ってみる?」
「え? 教室まで?」
「うん。もしかしたら相手の顔を拝めるかもしれないし」
「でも鉢合わせする可能性も…」
「サッと行ってサッと戻ってくる」
「ちょっと!」
華恋が一方的な作戦を取り決める。引き留める声も無視して廊下へと飛び出して行った。
「やっばっ! 来ちゃった」
「うん?」
しかしすぐに引き返してくる。焦り気味の表情で。
「こらっ、見つかっちゃうでしょうが!」
「ぐえっ!?」
何が起きたのかを確認。その瞬間に襟首を強く掴まれてしまった。
「ゲホッ、ゲホッ!」
「顔出しなさんな。見られちゃったらどうすんのよ」
「だ、だからって首を引っ張らなくても……あぁ、苦しかった」
喉元を押さえて咳払い。一瞬しか見えなかったが、こことは反対側の階段から女子が数人下りて来ている姿が確認出来た。
ただその中にターゲットがいるかどうかは分からない。彼女達が昇降口から出て行くのを見送ると下駄箱の方に歩み寄った。
「どう?」
「アレだ、アレ。あそこにいる」
「なんだ。友達とお喋りしてただけか」
「だから言ったじゃん。香織に限ってそんな訳ないって」
「……のわりにはホッとした顔してるのは何故?」
「き、気のせいっす」
前方に見える後ろ姿を指差す。靴が履き替えられているかを確かめる前に本人を発見した。
「じゃあ追いかけるわよ」
「え? どうして?」
「どうしてって彼氏を突き止めるからに決まってんでしょうが。この後どこかで密会するかもしんないでしょ」
「あっ、なるほど」
てっきりこのまま友達と遊びに行くと思っていたのに。言われてみたら相手が同じ学校の生徒とは限らない。他校の人間の可能性だってあった。
「ほら、ボサッとしてないでさっさと行くわよ」
「う、うん」
上履きから靴に履き替え外へと移動する。前を歩いている女子集団の視界に入らないように気をつけながら。
「楽しそうだなぁ」
「あの中に混ざりたいとか思ってる?」
「ま、まぁ…」
「それは混ざったら楽しそうだから? それとも女の子の集団に飛び込みたいだけ?」
「どっちも」
女子高生のグループなんて眩しくて仕方ない。頬の筋肉を緩めていると隣から伸びてきた手に思い切りつねられた。
「いててててっ!?」
「正直なのは良い事ね。ただもう少し用心という言葉を覚えた方が良いかも」
「どうしていつもこういう話になるとすぐ暴力振るうのさ! お茶目なジョークじゃないか」
「ジョークでも許さん。例え冗談だとしても許さん」
「えぇ…」
ヒリヒリする左頬をこする。そうこうしてる間に女子生徒の集団は駅構内へと突入していった。
「電車に乗るみたい。私達も行くわよ」
「よっしゃ」
ICカードを使って改札をくぐる。定期にも使っている便利品を。
「あれ? 家の方角と違う」
「どこかに遊びに行くんだよ。どうするの? まだ尾行するの?」
「当たり前じゃん。最後まで追うわよ」
「へ~い」
主従関係がハッキリしていた。自分が助手で華恋が探偵。
「こっちの方角って何があったっけ?」
「水族館にショッピングセンターに工場地帯」
「こんな時間から水族館は無いし、やっぱりショッピングセンターかな」
「いや、友達と仲良く工場見学かもしれない」
「はいはい」
「……ツッコミ無しは淋しいよ」
ターゲットに見つからないように違う車両に乗り込む。しばらくすると彼女達はショッピングセンターのある駅で下車した。
「ほらね。だから言ったじゃん」
「くっ、絶対に工場だと踏んでたのに…」
「男と会うなら友達と別れた後かな。解散した後にひっそりと顔を合わせるとか」
「はっ!? もしかして相手は工場勤務の男とか!」
「私達も降りるわよ。ほら、早く早く」
「あの……今の聞いてました? ボケたんですけど」
「知らん。聞いてない」
「そ、そんな…」
間隔を空けて再び尾行を開始する。空しい気分に苛まれながら。
「今日は腕繋がないの?」
「繋いでほしいの?」
「い、いや…」
頭を振って相方と半歩距離を置いた。春休み中にここでバイト先の後輩に出くわしてしまった時の記憶が甦ってきたので。
「今から遊んで行くんでしょうね。人が多いから見失わないように気をつけなくちゃ」
「まだ続けるの? もう正直どうでもよくなってきたんだけど」
「なら私とのデートに変更する?」
「嫌です」
「なんでよっ!!」
「ぎゃっ!?」
追跡中止の申し立ても早々に却下されてしまった。耳を引っ張る手洗い攻撃と共に。
その後は100均やファンシーショップを徘徊する。彼女達はお店で買ったアイスを片手にずっと歩き回っていた。
買う気も無い場所によく堂々と入り浸れるなと感心したが、一番驚いたのは学校から一度も会話が途切れていなかったという点。見た目が若いだけでやっている事は大阪のおばちゃんと変わらない。将来の姿の片鱗を垣間見た気がした。
「あっ、メールだ」
「お~い、音切っといてくれよ」
「悪い悪い。忘れてたわ」
尾行を続けるとフードコートへと辿り着く。その瞬間に華恋のポケットから受信音が反響した。
「誰?」
「香織ちゃん。今日も外食してくるから晩御飯いらないってさ」
「ここで食べていくって事かな」
彼女達の方を見るとファーストフード店付近をウロウロしている。並んでいるのか立ち話をしているだけなのか判断が難しい微妙な距離で。
「どうする? もう帰る?」
「そうね。ここで食事していくのならしばらく動かないだろうし」
「こんな時間から男とデートしようだなんて思わないでしょ」
週末ならともかく明日はいつも通りの平日。夜遊びする可能性は低かった。
「はぁ~あ、収穫なしかぁ」
ターゲットと鉢合わせしないように一足先に帰宅する。乗客がそこそこいる電車に揺られながら。
「今日はたまたま会う約束してなかったのかな」
「どうだろ。平日だからじゃない?」
「なるほど。週末にしか会わないとかそういう可能性もあるわね」
「住んでる場所が遠くてさ、頻繁には会えないとか」
今はネットを通じて見知らぬ人間とも知り合う事が出来る時代。接点の無い相手とも親しくなれた。
「なら今日私達がしてた事ってまるっきり無意味じゃない」
「いや、相手が遠くに住んでるってのは僕の勝手な憶測だから。華恋の言った通り、今日はたまたま会わなかっただけかもしれないし」
「ならまた明日尾行してみましょ。同じ学校の生徒ならさすがに1週間で一度も接触しないなんて事は無いハズだもん」
「いや、明日は無理だよ」
「どうして?」
「バイト」
明日だけでなく明後日も。毎日監視を続けるというのは不可能だった。
「あぁ、くそっ……忘れてたわ」
「ごめん。さすがにこんな理由で休むわけにはいかないし」
「う~ん……1人でやるのは嫌だしなぁ」
「颯太は? 基本的に放課後はヒマだから付き合ってくれると思うよ」
「嫌だ、死んでも嫌だ」
「……そこまで力強く拒否しなくても」
あまりにも酷すぎる台詞が炸裂する。友人に同情せずにはいられない言葉が。
「アイツにお願いするぐらいなら女子に頼む」
「智沙はダメだよ。放課後は忙しいから」
「そういえば智沙ってグラウンドの方をボーっと眺めてる事あるけど、あれ何してるの?」
「さぁ、何だろうね」
理由を知っているがバラしたくない。触れられてほしくない部分は誰にだってあるだろうから。
「あ~あ、一緒に付き合ってくれる人がいないなら明日は諦めようかなぁ」
「女子1人なら付きまとっても怪しまれないと思うけど」
「嫌よ。だって淋しいじゃない」
「前から思ってたけどさ、華恋って案外淋しがりやだよね」
「……うっさいなぁ。誰かさんも同じでしょうが」
「うん。同じだ」
なんやかんやで今日付き合ってくれたのも助かっていた。1人だったらやっぱり心細かったハズ。
家に帰って来ると先に帰宅していた両親と遭遇する羽目に。予め連絡を入れておかなかった事を咎められたが、そこまで遅い時間ではないので怒られはしなかった。
それからは不在の妹を除いて4人で食事。冷蔵庫の余り物で作った野菜炒めを食べた。
「ん?」
食後は自室に戻って漫画を読みふける。没頭していたが途中で隣から聞こえてくる激しい衝突音が意識の中に進入してきた。
「何を暴れてるんだ…」
リビングで顔を合わせたので帰って来ているのは知っていた。何も食べずに部屋に籠ってしまった事も。
「……うるさいなぁ」
無視していたが騒音は鳴り止まない。階下にまで響いてそうなボリュームだった。
「お~い、うるさいよ」
我慢が出来ずに文句をつけに行く。廊下に出て乱暴にドアをノックした。
「……な、何?」
「プロレスでもやってるの? やかましいんだけど」
「あっ、ごめん。うるさかった?」
「父さん達が起きてきちゃう。もう11時だよ?」
「うわぁ……やらかしちゃったかなぁ」
僅かに生まれた隙間から部屋主が顔を出してくる。気まずさ全開の表情で。
「ちょ……どしたの!?」
「いや、何やってるのかなぁと思って」
「な、ななな何にもやってないよ! だから入って来ないで」
「ほう」
こっそり中を覗くと慌てふためいた態度が返ってきた。怪しさ満載のリアクションが。
「とうっ!」
「ちょ、ちょっと! 足どけてよ」
「いででっ、挟まってる!」
刑事ドラマのように隙間に足を突っ込む。しかし扉を閉められた影響でダメージが発生した。
「あっ、ごめん」
「ぐううぅ……骨が折れるかと思った」
「大丈夫?」
「ヤバそう。ヒビ入ったかもしれない…」
廊下で足を押さえてうずくまる。芝居ではなく本気で。
「えぇ!? 大変!」
「隙ありっ!」
「え?」
その様子を見て相手が油断。隙を窺って足元から素早くダイブした。
「あだっ!?」
「おっと、悪い」
「ぐっ…」
「だ、大丈夫?」
彼女が顔面から床に倒れ込む。侵入者を踏まないように避けたせいで悲惨な転倒をする結果に。
「……何じゃこりゃ」
だがシャチホコ体勢になった妹以上に部屋の様子がおかしかった。辺り一面に広がっているのは無機質な視線の数々。壁という壁にアニメキャラがプリントされたポスターが貼られていたのだ。
問題はそのジャンル。描かれているのはどう見ても若者には見えない中年男性ばかり。中には上半身裸で見つめ合っているいかがわしい物まであった。
「いつつ…」
異質な状況に困惑していると廊下の物体が動く。床に手を突きながらゆっくりと。
「悪い。大丈夫だった?」
「おでこ打った。いてて……ん?」
「お?」
彼女と目が合った。まるで時間が止まったかのような空間の中で。
「あ…」
「み、見ちゃった」
「うわああああぁぁっ!!」
「……るせっ!」
直後に大声で叫び始めた。死体と遭遇した第一発見者のように。
「で、出てってぇ!」
「ちょ…」
「出てって、出てって!」
「もう手遅れだよ。見ちゃったんだから」
「いいから出てってよぉ!」
「せいっ!」
腕を掴むと力強くグイグイ引っ張ってくる。仕方ないので力業に出る事に。喚く彼女の口を塞ぎながら反対側の手で体を掴んだ。
「もごもごっ…」
「うりゃーーっ!」
「ぎゃああぁあぁぁっ!?」
そのまま上半身を回転させて雑に放り投げる。宙を舞う体はベッドの上に見事着地した。
「……いつつ」
「もう夜遅いんだから騒ぐのやめようよ」
「だからってブン投げる事ないじゃん……いったぁ」
「頭と腰、どっちが痛い?」
「どっちもだよ!」
彼女が八つ当たりするように怒鳴ってくる。髪をボサボサにして。
ふとデジャヴに襲われた。1年近く前に華恋のコスプレ姿を目撃してしまった日の記憶が甦ってきた。
「しっかし凄い事になってるなぁ…」
「あぁ、もう……隠しておくハズだったのに」
「だから最近部屋に入れてくれなかったのか。こりゃ人に見せられないもんね」
「うぅ…」
再び辺り一面を見回す。カオスな空間を確かめる為に。
「これ好きなの?」
「ま、まぁ…」
「ふ~ん」
よく見るとポスターは全て同じ作品。机には箱入りのフィギュアも並べられていた。
「いつからハマってたの。これ」
「3ヶ月ぐらい前かな。友達に勧められて」
「その友達ってのは学校の?」
「そだよ。同じクラスの子達」
「オジサンがブームなのかな…」
もしかしたら今日一緒に行動していた子達かもしれない。グッズを漁りに行っていたとか。
「皆には言わないでね。内緒にしておきたいから」
「なんで?」
「何でって……そりゃ恥ずかしいし」
「別に気にしなくても。バカにしたりしないよ」
「本当!?」
「3000円で手を打とう」
「最低、最低、最低!」
3本の指を立てた手をかざす。得意気な笑みを浮かべながら。
「やっぱり驚いた? 私がこういう物に夢中になってる事に」
「割と。今年一番の衝撃だった」
「まーくんも見てみる?」
「え、遠慮しておきます…」
手を振りながら提案を拒否。ジャンルがジャンルなので興味が湧かなかった。
「あれ?」
壁を凝視していると一部分に異変を察知する。刺さっているハズの金具が大きく外側に飛び出しているのを見つけた。
「これ釘じゃないの?」
「そだよ。画鋲ないからそれで刺したの」
「ポスターを釘で止めるとか何考えてるのさ…」
「画期的かと思ったんだけどダメかな?」
「ダメだよ」
金槌で壁にガンガン打ち付けていたらしい。謎の騒音の正体が判明した。
「画鋲ないなら買って来ればいいのに。今日、100均に行ってたじゃないか」
「あれ? どうして知ってるの?」
「い、いや……100均に行ったような予感がして」
「もしかしてあそこにいたの? なら声かけてくれれば良かったのに」
「だね…」
愛想笑いでごまかす。尾行していた事を悟られないように。
「あのさ、最近化粧して出かけたりする事が多いけど何で?」
「ん? 声優さんのイベントとか行ったりするからだよ」
「そっか。なら誰かとデートしたりとかは?」
「しないよ、するわけないじゃん。ゲームの中でなら頻繁にしてるけど」
「ん? どゆ事?」
彼女がポケットからケータイを取り出して見せつけてきた。画面をアプリに切り替えて。
「へぇ、こんなのまで配信されてるんだ」
「これで無料って凄くない? しかも声まで聞けちゃうんだよ」
「ふむ……どうやって利益出してるんだろ」
キャラクターと疑似デート出来るとの事。普段やらないジャンルなので新鮮だった。
それから30分以上にも渡ってこのアプリや声優さんについて協議を展開。彼女の様子が変だったのは新しい趣味が原因だったらしい。
つまり自分達が今日行っていた行動は意味なし。無駄骨だった。
「今度ね、お金貯めて抱き枕カバー買おうかと思ってるんだ」
「そ、そっか」
「でもお店で買うのは恥ずかしいから通販かな。口座作らないと」
「ちなみにその枕は買ってどうするの?」
「ん? もちろん抱きついてハァハァする為だよ」
「……変人が増えていく」
質問に対して不気味な笑顔が返ってくる。安堵するのと同時に目の前の人物の将来が不安になってきた。
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