第9話 時期

 携帯が鳴る。

 篠崎自慢のスマートホン、BlackBerry。今どき珍しいフルキーボード付きのスマートホンで、ガジェットマニアな篠崎のお気に入りアイテムだ。普段は手持無沙汰に画面をスライドさせてPCと同じ配列の小さなキーボードを出したり仕舞ったりしているが、今は凍り付いた面持ちで即座に電話に出る。「ワルキューレの騎行」の勇ましい着信音は県庁からのホットラインだ。

ちょっとすみません。と古川に軽く頭を下げて電話に出る。

「お疲れさまです。篠崎です。」

 トップは慌ててはならない。ひと呼吸おいて名乗った篠崎だったが、相手の言っていることが頭に入ってこない。俺が慌てている訳ではない。慌てているのは電話の向こう側、今日の日直を任せている営業戦略部長の方だった。県庁では職員の休日である土日祝日に不測の事態が発生した際、迅速に判断・指示を出せるように部長クラスの人間を日直として置くようにしているのだが、民間から中途採用した切れ者の営業戦略部長は、どうもこういう場面には弱いらしい。

 彼の持ち味である理路整然とは程遠いが、まずは聞いてみると突っ込みどころが満載だった。

 鉄道が止まっていて(それは鉄道会社の問題では?)、白い壁のようなものがあって(その白いのはどんな材質?高さは?幅は?どこに出現したの?)、国道50号バイパスの高架橋に飛行機が激突(おいおい、これは真っ先に言うべき話でしょ!?犠牲者は?どんな飛行機がぶつかったの?)、百里基地にゼロ戦が着陸して(そんなのどうでもいいじゃん。マニアな俺は気になるけどさ)、どうやら本物らしい(んな訳ないでしょ!どこの情報だよ。)

 まあとにかく、国道の高架橋に飛行機が激突したのは一大事だ。しかも国道50バイパスといったら県庁の目と鼻の先じゃないか。もし激突したのが旅客機だったら県消防本部で対応しきれないのではないか?

-とにかく飛行機が高架橋に激突したことは待ったなしだ。他は県庁に着いてから確認しても遅くはない。-

「飛行機事故について、被害状況を教えてください。」

篠崎は、はやる気持ちを抑え努めて声を落とす。一般市民からの119番通報で出動した消防隊が現地に到着したばかりで詳しい情報が入っていないという。

「飛行機事故だぞ!未経験の事故に消防も手一杯な筈だ。情報は取りにいかなければ駄目じゃないか。あ、休みで人手がないのは分かりますが、まあ、とにかく危機管理センターを開けてください。そして緊急メールで課長以上の捕まる人間を招集してください。私もすぐに向かいます。」

分かりました。という返事を確認すると、すみません。という言葉を耳の隅に捉えて電話を切る。緊急事態とはいえ、敬語を基本としてきたのに声を荒げ、相手の謝罪の言葉に向き合えなかった。

-後で声を掛けよう。とにかく今は一刻も早く県庁へ向かわねばならない-

「県庁まで同行させてもらえませんか?御迷惑にならないようにしますので、タイミングを見計らって取材します。いずれにしても記録は取るべきです。」

-自分から誘っておいてここに古川を置いていくわけにはいかない。しかし友部駅まで送ると言っても遠回りになるし、鉄道も止まっていると話していた。古川さんを乗せて県庁へ急行するのが最短か

「分かりました。到着したらロビーでお待ちいただくか、取材するのであれば御自身でタクシーを捕まえて現場へ行くなりしてください。私も危機管理センターに掛かりっきりになるかもしれません。こちらから誘っておいてすみません。」

 篠崎の車まで走った2人だったが、8月も半ばなのに大汗をかいていないことにも気付かず車を走らせた。買い換えたばかりの新型ジムニー、あらゆる進化が気に入っているが、こういうときは加速の悪さがもどかしい。燃費は格段に向上したが昔のターボ感ある加速が懐かしく思えた。

 茨城県庁。25階建てのこのビルの最上階は展望ロビーになっているが、ロビーの階下には危機管理センターがあることを知っている県民は僅かだ。

 地下駐車場に車を止め、正面玄関を古川に教えると、篠崎は通用口にIDカードをかざして足早に入館する。エレベータに駆け込み再度IDカードをかざすと、普段は反応しない24階のボタンを押した。

 友部から車を飛ばして30分。この間に何人のメンバーが集合できているかで初動が決まるな。篠崎は、車中で古川と想定していた発生事象と、それに対する行動のシミュレーションを頭に描きながら、分厚い扉の前でIDカードをかざした。

 窓もない無機質な自動ドアがゆっくりと開き、遮っていた喧噪を徐々に篠崎の耳に解放する。

 喧噪の主は防災・危機管理部長の川崎だった。充満する罵声と怒声。その音圧に応じるのは、市内在住の僅か3名の部下だ。小太りで某漫画のパン職人のような人懐こい丸顔。そのおちょぼ口からは想像がつかない口調で機関銃のように指示が飛び出している。

-訓練通りで大いに結構だが、最初からこの勢いでもつのかね。川崎部長も部下もー

 体制が整う前から絶好調。訓練通りに沸騰している川崎に、篠崎は片手を挙げて到着した挨拶を送る。川崎はパン職人のような笑顔を向けると、篠崎が使う対策本部長デスクの方に手の平を向けて丁寧に示す。本来の川崎は丁寧で優しい男だったことを思い出しながら、示された知事の場所、対策本部長のデスクへと向かう。本職の川崎部長に采配を引き継いだことで安心したのか、半ば放心状態の営業戦略部長が、篠崎に気付き駆け寄ってくる。軽く労いの言葉を掛けてさらに進む。叱るのは後だ。


 無機質なデスク、渋い焦げ茶色の木目がせめてもの救いのそこには、1枚の紙があった。A4サイズに適度に密集した箇条書き、それぞれに時刻と発信元が記されている。さすがは川崎部長、仕事が早くて明確だ。

 長時間の使用で不快にならぬ配慮からメッシュ状の生地で作られた椅子に深く腰掛ける。

「現在までの情報を一覧にしたものです。」

篠崎が席に着くのを待っていたかのように川崎が机上の紙を手で示す。

「ありがとうございます。では、打合せを始めましょう。このペーパーのデータを各部課長に送信しておいてください。部課長を除き連絡体制強化。と付け加えてください。」

 連絡体制強化とは、出勤する必要はないが、職場からの一報を即受け取れるようにしておくことである。あとは各部で今後必要な人員を招集すればいい。

 川崎は部下に送信を指示しながら篠崎のデスク越しに腰を降ろす。

「同時多発的に報告が入りましたが、緊急度で上から順にあげています。まずは国道50号バイパスの航空機事故です。少なくとも3機の航空機が大塚跨線橋に激突し、そのうちの1機が、

「えっ?3機?自衛隊ですか?あ、すみません。続けてください。」

予想もしていなかった言葉に川崎の話を折ってしまった篠崎は頭を下げて詫び、先を促す。

「それが自衛隊ではないんです。1機は大塚池に墜落しましたが、警察によると米軍の国籍マークが付いているそうです。被害は陸橋を通行していた車7台ですが直撃ではなかったため軽症者10名です。建物被害もありません。周囲が畑だったのが幸いでした。陸橋は点検中ですが崩落の心配はありません。下を走る鉄道も被害はないそうです。」

「飛行機から貰い事故、ですか。飛行機でも貰い事故って言うのかな。それにしても米軍機とは、」

予想より遥かに小さな損害に胸を撫でおろした篠崎の口から、思わず軽口がこぼれる。川崎の表情が1ミリも変化しないのを繕うように篠崎は言葉を続ける。

「米軍機が3機も激突して無事とは、跨線橋も随分と頑丈に出来てるんですね。防衛省から連絡はないですか?テレビ、ニュースは?」

「防衛省からはまだ連絡がなく、電話も繋がりません。テレビも御覧の通り、何も映らないんです。」

 テレビ番組も表示できる巨大モニターは黒く、チャンネル番号を隅に表示していなければ電源が入っていることに気付かない。

「滅多に使わない部屋ですからね、点検してもらいましょう。とにかく大きな事故にならずに良かったです。現地の写真はありませんか?」

それにしても肝心な時に使えないとは。年に一度の総合防災訓練で使っているだけじゃ維持できないな。月イチぐらいで訓練兼ねて使わなければ宝の持ち腐れだ。

「タブレットを御覧ください。現地の田中君がメールで送ってくれました。」

「流石ですね、助かります。」

 機材の管理はともかく、人手の少ない状況下でも、部下を現地に送り込んだ川崎の判断に素直に感謝しつつタブレットを操作した手が反射的に震えた。

「これは。」

水面に逆さまになった銀色に輝く機体、星を模した米軍の国籍マークは翼の前端から後端までいっぱいに広がる。敵機からの視認性を欺くために小さくモノトーン化された今時の国籍マークとは趣がまるで違う。しかも定規のように真っ直ぐな直線翼はプロペラ機であることを主張している。そして篠崎にとって何よりも信じがたかったのは、胴体の真下に突き出した座布団のような部品。これは紛れもなくあの機体、P-51Dムスタングのであることを示していた。

「これは。ありえない。絶対に。」

 篠崎は震えた手を気付かれないように庇う。

「どういうことでしょうか?米軍機に間違いはないですよね。」

 川崎の目が篠崎をなだめるように見つめる。だが口調はあくまでも部下の口調だ。

「いや、そうじゃない。あ、いや。そうなんですが、今のじゃない。」

「今のじゃない。と仰いますと。その旧式を米軍が飛ばしていたということでしょうか?まだ防衛省につながらないので確認ができておりませんが、」

「いや、違うんだ。違うんです。」

 冷静に分析しようとする川崎に「男ならあれを見て分らんのか。」という言葉を呑み込む。

「P-51Dムスタング。第二次世界大戦中の戦闘機です。大戦末期の傑作機。零戦も歯が立たない。」

-言葉に出すと案外冷静になるもんだな-

あまりの出来事に篠崎は、まるで自分がここに居ないかのような錯覚に陥る。

「それなら、マニアの所有機でしょうかね。レストアしたりとか。」

「いや、私もマニアのはしくれですが、日本国内には1機も存在しない。それが3機もいたんですよね?」

「はい。3機です。まさか、」

 部下を怒鳴りつけていても優しい川崎の目が、困惑に染まる。

「そのまさかかもしれない。だから防衛省と連絡が取れないんだ。」

 東日本大震災に関東・東北豪雨での鬼怒川氾濫。想定外の地震や水害に対応してきたこの危機管理センターは、いったいどこまで想定して作られているのだろうか。いや今度のこれも災害に入るのだろうか。

「知事、ホットラインです。百里基地の石山司令です。」

 全員の目が県知事である篠崎に集まる。

「はい、篠崎です。」

 電話の相手は、航空自衛隊 第七航空団 百里基地司令 石山栄一 空将補。マニアの篠崎にとっては、神のような存在だ。だが、今はそれどころではない。自衛隊から連絡があるということは【それなりの事態】を覚悟しなければならい。

「百里基地に零戦が着陸しました。52型です。」

「え、そんなまさか、いや、石山司令が見間違うことはあり得ませんね。あっ!」

 脳裏にあの零銭が浮かぶ。博物館を低空で飛び去った零戦、低く轟くエンジン音。あの日、美晴と竜ヶ崎で聞いた零戦のそれと同じ音だった。そして大塚池に墜落したP-51Dマスタング。

ゼロ戦の名で有名な零式艦上戦闘機、本来は略して零戦(レイセン)と呼ばれる旧日本海軍の戦闘機は、無敵神話を作ったデビューから次々と現れる敵の新型機に苦闘しながらも終戦まで様々なタイプが製造された。52型は戦争末期の主力だ。そしてP-51Dは、その頃の日本軍機を圧倒し、我が物顔で日本を蹂躙した航空機のひとつだった。

あり得ないすべてがつながる。

「石山司令、先ほど水戸の大塚池にP-51Dマスタングが3機墜落しました。国道50号線の高架橋に激突したそうです。」

「何とも表現しかねますが、先ほど真っ白に光った後、東京方面にF-2を出しました。利根川を境に正体不明の壁が千葉県と仕切るように連なり、その先は景色が一変していたそうです。成田空港も確認できませんでした。もしかしたら。」

 石山が言葉を区切る。

「成田空港は、確か昭和53年頃に開港でしたね。」

 父に連れられて行った成田空港の写真を思い浮かべる。弟を宿した母と写る篠崎は4歳だった。

「それが無いということは、少なくともそれ以前の。いやまさか。」

 石山は篠崎に答えを迫るように呟く。これは政治が判断すべきことだとわきまえている口調。

「零戦52型にムスタング、これらが共存する日本はいい時期でないことは確かですね。すみませんが、すぐに連絡官を県庁に派遣して頂けませんか?」

 篠崎は丁寧だが手短に礼を言うと電話を切り、声を張り上げる。

「この事案について災害対策本部を設置します。第三次配備体制。消防、警察、自衛隊、海上保安庁に連絡官の派遣を要請してください。」

 フロアが一気にざわつき活気に満ちる。その中には飛行機事故とはいえ、最大級の体制である第三次配備体制を敷くことへの疑問の声も混じる。飛行機事故、しかも犠牲者がパイロットだけの軍用機事故で休日に全職員の半数を参集させる意味が伝わっていなかった。


-そう、ただの飛行機事故じゃない。事態が明確になった時点で即応できる体制を取っておかなければ手遅れになる。とにかく人を集めておかなければ。-


-信じる信じないの問題ではない。とにかく目の前の事態に迅速に対応できるかが鍵だ-


篠崎は、部課長達に非常参集の指示は部下に任せ、集合するように伝えた。

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茨城政府 篠塚飛樹 @Tobuki

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