第4話 WGIP

 航空護衛艦『かが』の広大な飛行甲板、その中央を20名程度の招待客が一列になるでもなく、だらだらと艦橋へ向かって歩く。決してだらだらとしているつもりではないのだが、彼らの傍らを案内しながら歩く陸、海、空様々な色の制服の広報官や、募集事務所の隊員の職業柄きびきびとした歩調と背筋の良さが、一般市民に比べたら一線を画する筈の立場の招待客の歩みをだらしないものに演出する。

 艦の先端から末端まで滑走路のように障害物の無い、いわゆる「全通甲板」と呼ばれる飛行甲板の長さは250m近くもあり、幅も40m弱ある。その右側中央にバランス良く見えていた艦橋に近付くにつれ、一行は、その大きさを改めて実感させられる。遠目には平たい艦の右端に申し訳程度に載せられていた艦橋は実は巨大なのだと。そして、それだけこの艦が巨大だということを思い知らされる。

 それは、篠崎達招待客を案内している自衛官も同じだった。特に濃緑色のスラックスを履いた陸上自衛官と濃紺の航空自衛官は、その口調と艦橋を仰ぎ見る姿から驚きが伝わって来る。

 一行は、艦橋に沿って飛行甲板を艦尾方向に進み、艦橋の後ろ側に出ると、15m程の巨大な四角形の白線の枠の中に入るように案内される。

 その15m四方の枠が、そのままゆっくりと降下すると、あまりにも静かな機械音で何が起こっているのか一瞬戸惑った一同は、それがエレベーターであることに気付き驚きの混じった歓声を上げる。その四角形は、舷側つまり、船体の側面に沿って昇降する、いわゆるデッキサイド式エレベータとなっており、ここに航空機を載せて艦内の格納庫と艦上の飛行甲板の間を行き来させる。もちろん県知事という立場でこの場にいるため「ただのマニア」が剥き出しにならないように我慢を続ける篠崎にとっても初めての体験ではあるが、この四角形がエレベーターになっている事は知っていた。驚きはしないが、感動はひとしおだ。この常陸那珂港を擁する「ひたちなか市長」が隣にいるが、彼はいちいち感動していて、篠崎はマニア特有の「説明したい欲求」をくすぐる。

 そしてエレベーターが下り、舷側に開いた格納庫の巨大な入口を目にした時の一行は歓声を上げた。エレベーターが止まって、乗組員から合図を受けた『かが』の副長の純白の制服に続いて格納庫内に入ると、明るさの変化に目が慣れる間もなく篠崎は感動の声を上げそうになる。

-F35B!-

 多くのステルス戦闘機が電波の吸収を優先し、黒や灰色の塗装を施しているのに対して、目の前の海上自衛隊機は濃淡織り交ぜたネイビーブルーによる洋上迷彩を身にまとい、ステルス性よりも活躍の場を主張している。

-やっぱコレだよな-

 先日、百里基地で偶然見かけた青森県三沢基地所属の航空自衛隊所属のF-35Aのステルス塗装とどうしても比べてしまう。実機を目の前にすると迫力の差は段違いだ。

 それもそのはずで、篠崎は、どれも変わり映えのしない、無機質なステルス塗装よりも従来型の戦闘機の塗装の方がより実戦的な機能美を主張していて好きだ。と思っている。実際、同じ機種を採用していても、国によって塗装が違う。用途や環境で運用する国の特色がそこから読み取れるのである。そもそもその違いこそがマニア心をくすぐるのだ。機能美云々を語るなら、その塗料さえも隠密性の機能に直結するステルス塗装こそ実戦的と言うべきところだが、篠崎のような古いマニアの心を震わせることはできないようだ。


 壁一面の大きな液晶ディスプレーが三面並び、その前には演台が置かれている。演台の前面に描かれた漆黒の丸いエンブレムが気品すら感じさせる。それもそのはずで、このエンブレムは「かが」にちなんだ加賀藩の名産である金箔や加賀友禅をイメージしたもので、漆黒の左周に沿って梅を筆頭に、日本を代表する四季の花々を配置し、それらを結ぶ蔦(ツタ)は、日本海の波しぶきと、加賀を吹き抜ける風をイメージ。そして中央の海鳥はヘリコプターが力強く飛び立つ姿を示しているそうだ。ま、それは発案された当時の話で、現在の海鳥は轟音を発し、ミサイルを放つ艦上戦闘機F-35Bだ。エンブレムを彩る花には、花言葉を通してこの艦への期待が込められている。ちなみにそれぞれの花ことばを通して自衛官としての心構えに含みを持たせている。

 梅の花ことばは「fidelity 忠実」で自衛官としての「使命の自覚」を表わし、桜は「a good education 優れた教育」で「個人の充実」、牡丹は「compassion 思いやり」で「責任の遂行」、桔梗は「honesty 誠実」で「規律の厳守」、コスモスは「harmony 調和」で「団結の強化」を意味している。

 奥の深いこのエンブレムは、一般公募で選ばれた当時大学生だった若者の作なのだから驚きだ。


 航空護衛艦『かが』。その巨大な艦内の多目的室で自治体や港湾関係者、マニアック系のマスコミ関係者を招待し行われている交流会。まるで祝賀会のように壁一面に紅白幕を張った会場で自分でもガッカリするくらい月並みな挨拶を終えた篠崎は、肩の荷が降りた余裕からか、エンブレムのうんちくを思い浮かべる。とはいっても、艦長が冒頭の挨拶で言っていた事の受け売りだが、最初からこのネタを知っていれば、それに絡めてもっと気の利いた話を出来たかもしれない。

-まあ、いい。-

 どうせ、このような場で自治体の長の話をまじめに聞いている人間なんていない。得る物が何もないからだ。今挨拶をしている「ひたちなか市長」の話を熱心に聴いている人間もいない。そもそも、スピーチする我々の側だって得る物は何もない。自衛艦に乗っている彼らの選挙権は、彼らの乗る艦が母港とする市町村に属する。つまり、自衛艦の母港のない茨城県にとっては、県在住の広報・採用担当の自衛官を除いて茨城県の政治家にメリットのある有権者はここにはいない。この場に選挙云々を持ち込むような人間はいないだろうが、自然と力を抜いてしまうものだ。もっとも「世のため、人のため」を座右の銘としている篠崎にとっては、選挙時期でもない今は、そういう損得勘定に疎い。ただひたすらに自衛隊の日頃の活躍を称賛し、労う内容の挨拶でマニアックな知識を抑えたのが彼にとっての「月並み」で「がっかり」だったのだ。

-もしかしたら-

 ここにいる人間の心をいちばん掴むスピーチをしたのは、この艦の艦長であり、そして最も来賓の挨拶を熱心に聴いているのもこの艦長なのかもしれない。

 だが、篠崎にとって、楽しみはこれからだった。立食形式で酒を酌み交わしながら談笑する。マニアとしていろいろな情報収集ができる。この県に海上自衛隊の設備はないし、予定もない。もしかしたら災害時や、さらに踏み込んで戦時の手続きや協定の話しぐらいはあるかもしれない。県知事としての仕事はこの程度の話しで済むだろう。

 まずは挨拶を交わすであろう艦長と、県募集事務所の所長と立ち話をして、飛行隊長や航海長とも話しをしたい。まさに趣味と実益を兼ねた仕事。と思っていた。しかし今日、ここを訪れていちばん話を聞きたい人物が変更になった。

 閉じた手帳を膝に置き、ひたちなか市長の話を聴いている中年の男性。

-古川 悟-

 大手新聞記者から独立して、ミリタリー系のフリージャーナリストとして世界の紛争地帯で活動、尖閣事件における捨て身の取材で名を上げた。その後、豊富な知識と経験を活かしてノンフィクション作家として成功し、最近では、ノンフィクション作品の執筆の傍らで主に太平洋戦争に関するif戦記も手掛けるようになった。

 尖閣事件の真相に興味を持った篠崎は、その後、彼の著書を買い続けている。特に最近のif戦記は緻密な調査に基づいた背景と展開に、物語としてだけでなく資料性も高く、マニアには興味深い内容となっている。要するに篠崎は個人として、作家 古川 悟のファンなのだ。公務で参加している以上、古川との話は後回しにしなければならないが、この機会にぜひ交流を持っておきたい。というのが篠崎の本音だ。


 いちばん公務に関係しそうな話は、災害派遣時の港湾施設の適用拡大と臨時ヘリポートの整備。相手が海上自衛隊だから視点がこれまでとは違う。首都圏に隣接していることから高速道路のパーキングエリアを災害発生時に自衛隊等の前線基地とする整備は完了していたが、海と空については、新たな切り口だった。臨時ヘリポート整備など、ヘリコプターの活用については、さすが航空護衛艦の艦長だな、と篠崎は素直に納得し前向きな検討を約束した。募集事務所や広報は相変わらず「県立高校での説明会を開催させてほしい。」ということや、自衛官募集活動への理解と協力の依頼。いずれも細大漏らさず手帳にメモをする。

 この歳になると立食形式には疲れを感じるが、話している最中に会話に加わる人、減る人があり、その数だけ内容が広がり、そして変わる。人脈づくり、情報収集には最適な会食の形だ。

 自衛隊関係者との話に自分の言葉を織り交ぜながら、自治体、港湾関係者と話をしているうちに、古川の方も自衛隊関係者のの会話がひと段落着いたのであろう、料理のテーブルへ向かった。タイミングを見計らっていた篠崎は、ひたちなか市長の話が終わったところで「では。」と軽く会釈をして料理を取りに向かった。

「古川先生。」

「茨城県知事をしている篠崎と申します。」

 足早に辿り着き掛けた声に振り向いた古川に続ける。今まで巻末の著者略歴にある小さな写真でしか見た事が無かった男が戸惑うようにテーブルに皿を置く。その様子を見て初めて篠崎は自分が手を差し出していた事に気付く。

-失礼な事をしてしまったか?-

 後悔がよぎろうとした時、目の前の男の顔がほころび、優しい笑顔になる。

「古川です。お会いできて光栄です。知事。」

 篠崎の手を両手で握り返す古川の手は堅く、それでいて優しさで溢れているように感じた。

「こちらこそ、感激の至りです。先生の本は何冊も読ませていただきました。」

 自分も更に左手を重ねて両手で握手をすると、

「そうなんですか。ありがとうございます。私も小山に住んでいた頃は、茨城によく行ってたんですよ。あちらで飲みませんか?」

 解いた手でお互い、小皿を取る。

「ぜひ、私、大ファンなんですよ。」

 ローストビーフを小皿に盛る篠崎は、感激のあまり、大皿の料理に唾を飛ばさないようにトーンを落とそうとするが、嬉しさは隠せない。

「いやいや、恐縮です。」

 サーモンのカルパッチョを小皿にとる横顔には素直に照れ笑いが浮かんでいる。

 

「そこまで読み込んでいらっしゃるとは、嬉しい限りです。それならなおさら篠崎さんは、この慰霊艦隊の寄港を心待ちにしてたんじゃないですか?」

 ビールからウィスキーの水割りに切り替えた古川が好奇心の目を向ける。知事だって人間でしょ?そう言っているようだ。さすがはジャーナリスト、といったところか。大好きな作家、その作品から人柄を知っているように感じ、親近感を覚える事は、錯覚なのかもしれない。変な記事を書かれたらさすがに困る。

「そうですね。供養、慰霊の気持ちはもちろん強いですし、そのつもりで知事として参加しましたが、『あきづき』に『あたご』、空母の艦名だったのに潜水艦になってしまいましたが『そうりゅう』、そして名実ともに空母だった先代の後継ともいうべき『かが』その他ゆかりの深い艦をよくぞ集めたな。という感激はあります。マニアですから。それに、そういった艦を通して過去を振り返り、想いを馳せる事も供養になると思うんですよね。」

-茨城県知事は供養よりも趣味優先の戦争マニア-

 などと記事にされたら大変な事になる。

-だが-

 政治家として言葉を選びながらも心のどこかでは、

-この作家に自分の事を知ってもらいたい-

 という気持ちを完全に抑える事ができない。

 頷きながら相槌をうつ古川の目が熱を帯びる。

「そうなんですよね。私もそう思いますよ。戦争犠牲者、特に軍人・軍属に対する供養というのは、命を落とした人を「かわいそう」と同情することだけで済ませてはいけない。と思うんですよ。

 交通事故や、犯罪で理不尽に命を奪われた犠牲者を「かわいそうに」と思うのとは訳が違う。なぜなら自ら死に向かって行ったのですから。だから「かわいそうに」の先にある理由を知らなければ本当の供養にならないと思うんです。言葉ではどう語っていても、誰もが本能的に死にたくはないはずです。でも死んでいった。なぜか?本能に逆らって自らの命を投げ出して戦った。その心の内を探るのは難しい。

 例えば、死を前に遺書や手紙を残した多くの特攻隊員。しかし、何でも検閲されるあの時代、その行間から彼らの想いを読み解かなければ、誤解さえ生まれてしまう。ならばどうするか?学び、理解するしかないと思うんです。彼らと家族の、そして日本が置かれた状況を、そうすれば、彼らが何を憂い、何を守るために命を投げ出して行ったか、その一縷の希望を誰に託したか、それが見えてくると思うんです。そのうえで、「かわいそうに」とか「ありがとう」という思いで手を合わせてあげるのが一番の供養になるんじゃないか、そう思っているんですよ。」

 古川はその想いを強めの語気で吐き出すと、水割りを呷るように口に含むと、一瞬の間を空けて飲み込む。その言葉にジャーナリストへの警戒が緩むと、篠崎は、ビールを一気に飲み干し言葉を継ぐ。

「そうですよね。子供の頃、戦艦大和や、零戦を本で見て、ただひたすらカッコいい。と思ってました。バンザイ突撃や特攻さえも勇敢だと思いました。国のために、みんなのために突っ込むなんてカッコいいじゃないですか、ま、子供ですからね。

 それが、中学に近付くにつれて、周りに批判する子が出始めました。「戦前の日本は悪い国だったのに。あんた戦争バカなんじゃないの?」って具合にね。それでも私は変わりませんでした。だってカッコいいもんはカッコいい。でもね、ある日、そう、祖父の家に泊りに行った晩でした。戦時中、陸軍の軍属として戦闘機の整備をしていた祖父は、飛行機好きの私に、よく飛行機の話をしてくれました。それで、晩酌をしている祖父に、いつもの調子でこう聞いたんです。

「特攻隊って、「天皇陛下万歳!」って言って突入したんだよね。」とね。

 いつも面白可笑しく話をしてくれる明るい祖父の表情が曇り、下を向いてしまったんです。そして、こう言ったんです。

「「天皇陛下万歳!」なんて言って突っ込んだ人はいない。」

 そんな思いつめたような、そして強い口調で語る祖父を初めて見ました。あの時の事が今でも強烈に焼きついています。

 後で祖父が語ってくれましたが、祖父の部隊は戦争末期、何度も特攻隊を送りだした部隊で、祖父が整備していた一式戦闘機「隼」も特攻機として九州へ飛び立っていったそうです。その中には悲しい切ない話もあって、私はカッコいい「けど」と思うようになり、カッコいいでは済まされない「あの時代」そのものへの興味を持つようになったんです。」

 篠崎は、時に大きく頷きながら熱心に話を聴いてくれている「聞き上手な」古川に、ジャーナリストという人種を感じながらも、古くからの友人と話しているような感覚が「憧れの作家」という距離感をいつのまにか消死去っていた。


「ところで、古川さんは、次にどんな作品をお考えですか?」

 会話も酒も進み、先生ではなく、古川と、知事と呼ばずに篠崎と読んで欲しい。という互いの希望が馴染んだ頃、篠崎は一番気になっていた事を切りだした。

「篠崎さんはWGIPって御存知ですか?」

「LGBTみたいなもんですか?これまた随分ジャンルを変えましたね。」

「性的少数派とか言うんでしたっけ?いやいや、それはいくらなんでも変わり過ぎですよ。」

 声を上げて笑った古川は真顔に戻ると、言葉を継いだ。

「War Guilt Information Program.

 つまり、戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画のことです。」

「どういう事ですか?」

 表情を切り替え、静かに語り出した古川に話しの続きを促す。

「GHQ、連合国軍最高司令官総司令部は御存知ですよね?

「もちろんです。」

 そんな事は昔から教科書に載っている。あのサングラスにコーンパイプで飛行機のタラップを降りるGHQ司令官マッカーサーの写真は有名だ。

「そのGHQが、太平洋戦争後の昭和20年からサンフランシスコ講和条約発効によって日本が主権を回復した昭和27年までの7年間に占領政策として行った「日本は悪だった。」という洗脳政策がWGIPなんです。」

 知らなかった。そんな計画があったなんて事を。

「いや、全く知りませんでした。」

 祖父の言葉以来、自分は、あの時代を知り尽くしてきたつもりだった。目につく限りのありとあらゆる本を読み漁り、ドキュメンタリーから映画までなんでも観た。だが、まだまだ知らない事があったとは。 唖然とした篠崎は、空になっているのも忘れグラスを呷る。

「まあ、無理もありません。」

 篠崎のグラスに瓶ビールを注ぐ古川はゆっくりと口を開いた。

「私だって、あの時代の戦記物を書くようになって知った事です。「もし、あの時に、こうしていれば」といったif戦記がメインですが、「if」だからこそ、その時代の背景、状況、人物を深く勉強しなければならない。知っているつもりでしたが、もう一度勉強しなおしたんです。その中でWGIPを知ったんです。」

 ビール瓶を戻した古川は、ビール瓶の結露で濡れた手の平をテーブルのおしぼりに撫でつける。

「日本人を「軍国主義者」と「国民」に分離し、この対立を潜在的に擦り込んでいくことによって、実際には日本と連合国、特に日本と米国とのあいだの戦いであった大戦を、現実には存在しなかった「軍国主義者」と「国民」とのあいだの戦いにすり替えようとしたものです。これで私はしっくりきました。戦後の自虐史観ともいえる歴史教育がね。」

 古川は、水割りをひと舐めすると、さらに続ける。

「東京裁判、正式には極東国際軍事裁判ですが、これが最たる例だと思うんです。あの裁判は、「平和に対する罪」をA級犯罪、捕虜虐待などの「通常の戦争犯罪」をB級犯罪、「人道に対する罪」をC級犯罪として日本人を一方的に裁きました。

 勝てば官軍という言葉の通り、勝者による敗者へのリンチ。復讐裁判などなど、その不公平さは後世まで語り継がれましたが、私は最近WGIPの存在を知った事で、その陰で真の目的が隠されていることに気付き、そして納得したんです。

 戦争はあってはならない事です。しかし、国を守る事さえ悪と断じてきた戦後日本、戦前の日本は悪だったと、謝罪し続ける日本。どうしてここまで戦後日本人は、誇りを失い。戦前の日本を軽蔑し、他国に対して自らを貶めることに躊躇しない「国を愛せない国民」になってしまったのか、

 A級戦犯つまり「平和に対する罪」が最たる例です。「平和に対する罪」は、事後法なんです。その戦時中は「平和に対する罪」という罪はなかったんです。

 例えば、今日から「自転車に乗るためには免許が必要になった。」としましょう。常識で言えば、今日から免許なく自転車に乗ると無免許で罰せられますよね。昨日までは無免許で自転車を運転していても咎められることは無い。

 しかし、A級戦犯で有罪になった人々は、「あなたは昨日まで免許がないのに自転車乗っていたから処罰する。」と言われているのと同じなんです。事後法で裁くというのはそういうことです。だから、本来ならば裁判は成り立たないのです。それでも日本はサンフランシスコ平和条約で、全てを受け入れてしまった。

 A級戦犯となった人々が訴えてきた大東亜戦争は「自存自衛のための戦争だった。」ことや「大東亜共栄圏」など、日本の正当性に関する訴えは全て闇に葬り去られてしまったのです。そしてアメリカによる東京大空襲などの都市への無差別爆撃や2度に及ぶ原爆投下など、民間人を狙った虐殺行為はどうなんだ。という声も響かない。」

 ここで言葉を切った古川は、水割りを飲みほした。

「なるほど、確かに客観的に戦後を振り返ると、日本人なのに日本を好きじゃない。戦前のような日本という国に対する一体感がない感じがしますね。

それに「大東亜戦争」という言葉は教科書には出てこない。太平洋戦争と習ってきましたよね。」

 篠崎の挟んだ言葉に古川は大きく頷いて後を続けた。

「そうなんです。古川さんの言う通り「大東亜戦争」なんて言葉は歴史のどこにも出てこない。ニュースや新聞でも太平洋戦争。と呼んでいますね。でも、「太平洋戦争」を戦った日本人は1人もいないんです。当時の日本人は「大東亜戦争」を戦ったのですから。そもそも戦後GHQによって「大東亜戦争」という呼び方が軍国主義と切り離せないという理由により使用が禁止されて強要されたのが「太平洋戦争」という呼称なんです。

 GHQ、連合国、東京裁判への批判や、大東亜共栄圏の宣伝の禁止など30項目に及ぶ禁止事項を定めたプレスコードなど、当時の日本は完全にGHQに言論統制されていたんです。もちろん原爆に対する記事も発禁処分になったそうです。もっと言えば、戦後日本人が誇りにしている平和憲法、あれだって大元は占領軍が作った憲法で、日本人が手を加えた後も、しっかりと占領軍の検閲が入ってるんです。全てが占領軍にコントロールされていた。」

 

 WGIPの話は、篠崎にはあまりにも衝撃的で興味深く話に引き込まれていった。戦後日本の歴史だけでなく、現代社会にまで影響を与える奥の深い内容のように思え、もっとじっくり話すべき内容だったが、ここへ招かれた知事という立場もある。ずっと古川と話しこんでいる訳にもいかない彼は、改めて話を聴きたいと申し出た。

 古川が明日、笠間市にある旧日本海軍の筑波航空隊跡地の博物館を訪れると聞き、休暇の篠崎は案内を兼ねて話の続きを聴くことにした。

 

 関係者と挨拶を交わしながらタラップを降りた篠崎は、壮大な航空護衛艦『かが』をもう一度仰ぎ見て電飾を歪みなく反射する黒塗りの車に乗り込んだ。

 大型建設機械メーカーの工場が2社も隣接し、国内ではお目にかかれないような巨大なダンプカーやブルドーザーを輸出する港湾地区。林立する大型クレーンがひときわたくましく見え、その奥に『かが』の輪郭を電飾が浮かび上がらせている。港湾の夜景写真が流行した事があったが、なるほど、上手く撮れれば飽きない写真になるだろう。

 

 WGIP

 戦後日本を骨抜きにしてしまった占領政策。大人として戦争を経験した世代が殆ど残っていない今も日本を蝕み続けているように思えてならない。

 開戦から80年、日本はアメリカとどう戦えばよかったのだろうか?

-戦うも亡国、戦わざるも亡国。しかし戦わずして国亡びた場合は魂まで失った真の亡国である。-

 あの悲壮な言葉が木霊する。

 あの戦争を「太平洋戦争」という呼称は、戦後占領軍が名付けたもので、あの戦争を戦った人々は「大東亜戦争」と呼んでいたという。

-大東亜戦争-

 この名称ならば、欧米列強とアジアにとって日本はどうすればよかったのか。という視点が芽生えてくる。

 敗戦国とはいえ、国を挙げて戦い、国中が焦土と化して、兵士だけでなく老若男女の計り知れない民間人を犠牲にして戦った国が、滅ぶ寸前まで戦った戦争の名称の使用を禁じられ、全く意味の異なる名称を使うよう戦勝国に強要される。敗戦の民は、愛するものが命を賭けた戦いの名を叫ぶこともできないし、その意味を伝えることも許されないのだ。

 なぜ戦勝国は「大東亜戦争」言う言葉を日本の歴史に刻ませなかったのだろうか。そして、なぜ当時の日本は受け入れたのだろうか。戦争の呼称だけではない。東京裁判も平和憲法も。今を生きる我々は、次の世代にどんな日本を語れるのだろうか。

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