第3話 80年目の海

 大海原が真夏の陽光を反射させる。まるで眩いばかりの宝石を散りばめた絨毯を何か巨大な力が動かしているかのようにその輝きは場所を変え輝き方を変え後方へ流れて行く。篠崎が前方に目を転じると汎用護衛艦『あきづき』の舳先が引き裂いた海面が白い飛沫となって後方へ流れ、彼女が生み出した合成風は篠崎が胸に付けた招待者を示す紅白リボンの花を激しくなびかせる。県知事になって、人には言えない楽しみの一つが自衛隊行事への参加である。しかも招待客として。激務の合間でも公務とはいえ、篠崎にとって癒しであり大きな楽しみであった。しかも今夜は常陸那珂港に停泊する航空護衛艦『かが』で開かれる祝賀会にも招待されている。


「あれは。」

 篠崎が灰色の塊に目を細めた時。

「前方、左手を御覧ください。防空護衛艦『あたご』が参ります。

 独特の抑揚を含ませた声がスピーカーから流れる。車は左側通行だが船は右側通行。誰かから聞いた豆知識をふと思い出しながら、篠崎は『あたご』か、と少し落胆する。あくまで『少し』だが。そう、乗り物好きの篠崎にとっては、イージス艦『あたご』の積み木で作ったように凹凸のない台形の艦橋、艦の規模にはアンバランスなぐらい大きなその台形には未だに馴染めない。

-乗り物らしくない-

 というのが乗り物マニアのDNAだが、一方でそれを肯定するDNAも篠崎は持ち合わせる。

 軍事マニアとしてのDNAだ。

 ただのマニアと違う点は、自衛隊を志したこともあることだ。篠崎は、大学4年生の頃に一般自衛隊幹部候補生学校を受験した。しかし、当時はバブル崩壊直後で空前の就職難とそれに反動した公務員ブームが重なったこともあり、残念ながら不合格となった。卒業後に防大卒同様、幹部である三尉、つまり一般の軍隊で言う所の少尉として任官する一般幹部候補生は、試験内容も難易度が高く、もともと狭き門だ。中学を出てから工学系を進んできた篠崎自身、一般科目の試験には自信もなく、卒業研究も重なってろくな試験勉強もしていない。事実、一般科目では出来た感触がなく、得意な筈の数学では暗号解読問題でつまづいた。この結果について後年篠崎は、バブル崩壊と公務員ブームを言い訳にしてきたが、覚悟の不足による慢心、準備不足が招いた玉砕であることは篠崎自身が良く分かっていた。

-もしかしたら-

 それでも、頑張っていたらあの艦橋に立てたかも知れない。

 擦れ違う『あたご』の艦橋で敬礼をする白い制服達を目で追いながら、心の中で敬礼する篠崎の心の奥底に小さな灯が宿る。

 少年の日のトキメキ。「防大卒じゃないから艦長は無理だなぁ。艇長ぐらいならなれるかな、ミサイル艇の。」と言っていた募集担当官の笑顔が浮かぶ。

「おーい。」「バイバーイ。」「カッコいいー」

 灰色の中に凛と立つ白い制服、きびきびと動き回る濃紺の作業着たち。いつもの護衛艦のキャンバスに今日は特別に様々な色を添える老若男女の民間人。特に子供達の元気な声が思い思いの言葉を送る。海上自衛官を新たな夢の一つに加えた子もいるかもしれない。

 艦長は無理でもいつかあの場所へ。子供達の声に呼び起こされた少年時代の清々しい想いが海風と絡み心の疲れと共に洗い流してくれる。


-『慰霊艦隊』か-

 篠崎が呟く。この8月、太平洋戦争終戦76周年を迎えたイベントが各地で行われる中、海上自衛隊が臨時に編成した艦隊である。昨年の終戦75周年はオリンピックで湧いた日本、遠慮した分今年は盛大にやるつもりらしい。そしてもう一つの意味がある。今年は『開戦80周年』これを機にあの悲惨な太平洋戦争。その開戦の理由、そして意味をもう一度考えてみよう。という論調だ。どうもこれに自衛隊が同調しているのではないか、と見る節もあるらしい。あくまで、解釈のひとつだが。右寄りの人も左よりの人も、何でも自分の解釈で考えようとする点は今も昔も大して変わらない。

 そんな篠崎も『開戦80周年』を考える。という流れに興味が無い訳ではない。彼にとって、いきなり衝撃的だったのは当時『太平洋戦争』という名称は存在せず、我々の先祖は『大東亜戦争』を戦っていた。ということ。そして『太平洋戦争』というのは戦後占領軍であるGHQが名付けた名称であり、これにより『大東亜戦争』という呼称を禁じた。という事実である。

 『太平洋戦争』と『大東亜戦争』太平洋と、大アジア。漢字の意味を取っても戦争の意義が全く異なって来るように思えた。

 『慰霊艦隊』は、そんな流れを認める事も、否定することもせずに今年の7月に編成された臨時の艦隊である。海上自衛隊では、これまでも各地の港湾祭りに護衛艦を派遣し、展示や体験航海を行ってきたが、今回、特に終戦の夏にちなんで艦名が太平洋戦争で活躍した旧日本海軍の艦艇と同じ護衛艦を選んで『慰霊艦隊』として臨時に編成したのだった。夏休み中に全国の主要港を回れるようにということで、各地方を訪れる際には、その地の各主要港で同日に港湾祭りを開催してもらうように要請し、各港に2~3隻ずつ分散派遣して公開を行うことで、一度に4箇所まで一般公開できるようにしてこの短期間で全国を回れるように計画している。この計画に基づき、この土日は茨城県の主要港に分散して展示と体験航海を行っている。自衛隊の要望とはいえ、各港が一斉に港湾祭りを行っているのだから、受け入れ側の苦労もひとしおであろう。この取組は今年から始まって終戦80周年の年まで、毎年8月のみ編成して巡礼のように各地を訪問するとのことである。ちなみに案内役の三佐の話だと今年は、茨城県の次に福島・宮城両県の主要港で同時に展示・体験航海を行うそうである。

 この土日に各港で展示を行っている艦は、篠崎の頭の中に入っている。マニアにとっては当然の事だ。南から順に

【鹿島港】

 汎用護衛艦『いかづち』

 (旧日本海軍 駆逐艦『雷』;1942年3月スラバヤ沖海戦で撃沈されたイギリス軍艦の漂流乗組員422名を救助)

 潜水艦『うんりゅう』

 (旧日本海軍 航空母艦『雲龍』フィリピンにロケット特攻機『桜花』などを運搬中に撃沈された。)


【大洗港】

 防空護衛艦『あたご』

 (旧日本海軍 重巡洋艦『愛宕』;レイテ沖海戦時の旗艦)

 潜水艦『そうりゅう』

 (旧日本海軍 航空母艦『蒼龍』;真珠湾攻撃、南方作戦、ミッドウェー作戦などで活躍)

 輸送艦『しもきた』


【常陸那珂港】

 航空護衛艦『かが』

 (旧日本海軍 航空母艦『加賀』;真珠湾攻撃、南方作戦、ミッドウェー作戦などで活躍)

 汎用護衛艦『あきづき』

 (旧日本海軍 駆逐艦『秋月』;旧日本海軍最初で最後の防空駆逐艦)

 補給艦『ましゅう』


【日立港】

汎用護衛艦『いなづま』

 (旧日本海軍 駆逐艦『電』;駆逐艦『雷』と共にスラバヤ沖海戦で撃沈されたイギリス軍艦の漂流乗組員を救助)

汎用護衛艦『あまぎり』

 (旧日本海軍 駆逐艦『天霧』;1943年8月、後の米大統領ジョン・F・ケネディが艇長を務めた魚雷艇PT-109と衝突)


 以上、慰霊と展示を目的とした艦隊といえども、ヘリコプター搭載護衛艦から空母化された航空護衛艦『かが』を筆頭にイージス艦である防空護衛艦1隻、バランスの取れた装備で対空、対艦、対潜水艦戦闘全てに対応する汎用護衛艦4隻、通常動力潜水艦としては世界トップクラスの『そうりゅう型』潜水艦2隻、そして今回は陸上自衛隊の強い要望で、災害派遣の実績と絡めて近年重要になって来ている島嶼防衛への理解を求めるために、慰霊とは無関係だが、輸送艦『しもきた』と補給艦『ましゅう』も艦隊に組込んでいる。特に戦車を搭載した輸送艦『しもきた』を戦車もののアニメで一躍聖地となった大洗に派遣することにしたのはファンサービスを狙った自衛隊の粋な計らいなのかもしれないが、観光流動が増え、茨城県にしてもありがたい話だと篠崎は思っている。

 合計10隻の堂々たる艦隊。やる気になれば弾道ミサイル防衛を含む防空、航空攻撃、対艦攻撃、対潜水艦戦闘、艦船護衛に通商破壊、洋上補給に上陸戦闘まで行えるこの艦隊は、まるで現代海軍の縮図のようだった。ちなみに航空護衛艦や防空護衛艦などといった呼称は、ヘリコプター搭載護衛艦『いずも』と同型艦の『かが』を改装しF-35Bステルス戦闘機を搭載できるように空母化した際に、以前の『かが』のようにヘリコプター運用に特化した艦や『あたご』のように無敵の防空システム、イージスシステムを搭載した艦も、対艦、対空、対潜をオールマイティーにこなす汎用護衛艦も、ひと括りに『護衛艦』と呼んでいたものを、役割毎に呼び方を明確化することを目的に始まった新たな呼称だった。それでも空母を『空母』と言わず『航空護衛艦』。巡洋艦クラスのイージス艦も『巡洋艦』と言わず『防空護衛艦』。誰がどう見ても駆逐艦である汎用護衛艦も『駆逐艦』とは言わない。戦闘艦は必ず護衛艦。と呼ぶ遠慮深さがあるからこそ自衛隊なのかもしれない。

-これだけの艦隊を、あの時代にタイムスリップさせたらどうなるのだろう。太平洋戦争の時代に-

 元来、妄想好きの篠崎にとってよくある歴史のif、小説の世界では『if戦記』なんてジャンルがあるのだから、そういった妄想をもつのは篠崎が特異なのではなく、他国に征服される事もなく永く深い文化をもつ歴史の中で唯一悲惨な負け方をした民族の妄想なのかもしれない。いや、それだけではない。アジア各地が欧米の植民地となって同じ人間でありながら肌の色の違いや、技術力の差で虐げられ、搾取されるのを目の当たりにしてきた日本。そうはさせじと欧米に肩を並べようと必死に富国強兵に取組んだ日本をABCD包囲網で追いつめ、それでも日米の国力差を懸念する日本は、平和的解決を求めて日米交渉を続け、妥協案を示してきた。しかし、アメリカは態度を急激に硬化しハルノートで資源に乏しい日本の首を絞めた。生き延びたければ明治初期の勢力にまで縮小することを強いるアメリカ、それは日清・日露戦争や欧米列強の様々な干渉などの幾多の理不尽と困難に立ち向かい、犠牲を払って積み上げてきた当時の日本にはとうてい受け入れられない。仮にそのような理不尽を受け入れれば、以後、さらなる理不尽を突きつけられ受け入れざるをえない「四等国家」に転落してしまう。そして仮に独立を保てたとしても、欧米列強に蝕まれ、搾取されてもはや国家として成り立たなくなるであろう。

 白人至上主義で欧米が植民地からの搾取により繁栄していたその時代、有色人種の国家で植民地になっていなかったのは、エチオピア王国、タイ王国そして大日本帝国だけであったことからもその危機感を測り知ることができる。

 

 国策方針を決める御前会議後に、海軍軍令部総長だった永野修身が軍の運用・作戦を取り仕切る統帥部を代表する形で語った言葉が木霊する。それは歴史のifを妄想する時にはいつも篠崎の心に去来する言葉だ。

 

-戦わざれば亡国と政府は判断されたが、戦うもまた亡国につながるやもしれぬ。しかし、戦わずして国亡びた場合は魂まで失った真の亡国である。しかして、最後の一兵まで戦うことによってのみ、死中に活路を見出うるであろう。戦ってよしんば勝たずとも、護国に徹した日本精神さえ残れば、我等の子孫は再三再起するであろう。そして、いったん戦争と決定せられた場合、我等軍人はただただ大命一下戦いに赴くのみである。-


 その後に行われた連絡会議で、最後の国策方針を決める際、首相の東條英機が、これまでに挙げられた3案、即ち、


一.戦争を極力避け、臥薪嘗胆する

二.直ちに開戦を決意、政戦略の諸施策等はこの方針に集中する

三.戦争決意の下に、作戦準備の完整と外交施策を続行し妥結に努める


に対して、他にないかと出席者に尋ねた際、第四案として「日米不戦」を提案し、陸海軍は矛を収めて政府に協力し、交渉だけで問題を解決する方針を提示した人物もこの永野である。それぐらい日米開戦は軍にとって、特に海軍にとってはリスクの高いものだったのだ。


 それぐらいの知識は篠崎にもある。だからこそ、この悲壮な戦いにifでもよいから華を持たせたくなる。

「戦うも亡国、戦わざるも亡国。か」

 篠崎は呟く。

 江戸末期の開国から欧米の植民地にされぬよう、欧米に追い付こうとして必死にもがいてきた後輩への「いじめ」に対して、このままいじめ抜かれて奴隷にされ、民族として滅びるよりは、自らの生存を守るために戦い、その想いを次の世代に残すことができれば、たとえ戦いに負けたとしても、民族はいつか再生するだろう。と挑んだ戦い。簡単に言えばそういうことだ。「確実にアメリカに勝てる。」とは誰も言えない。窮鼠猫を噛む。どうせ殺されるなら一矢報いて果てる。だから「戦うも亡国」なのだ。国が滅んでも日本民族であることを失わないための悲壮な戦いだからこそ歴史のifを考えたくもなるのかもしれない。

-この歳になっても-

 篠崎の少年の部分は、今でも歴史のifに想いを馳せてしまう。いや、「少年だから」ではないのかもしれない。歳を重ね、考え方も見聞も知識も磨かれてきたのだから、ifの理論も進化しているのかもしれない。

 真珠湾、珊瑚海、ミッドウェイにしてもガダルカナルにしても、はたまたマリアナやレイテにしても、その瞬間には「それなりの」兵力を持っていたのだから、ぎゃふんと言わせたい。

 若い頃、太平洋戦争の歴史をより深く学ぶよりもif戦記に浸り、当時流行ったシミュレーションゲームで再三に渡ってアメリカに勝利していたあの頃、勝ったといっても戦果が気に入らないと何度でもリセットを掛けてゲームを再開して得た勝利。それでも「もし、あの時、あの司令官が、こうしていれば。」などと、当時の指揮官を批判した。将棋のように待ったの効かない歴史を戦った先人に対して、リセット提督は気楽なもんだった。

 今の篠崎は、そんなに簡単に勝てるとは勿論微塵も思っていない。それは、仕事も人生も知識も経験も年輪を重ねてきたから言えることだ。

 あの頃、同じ趣味の友人達とゲームをしながら重ねてきた歴史感。

 あの頃の友人の得意気な声が懐かしく響き苦笑する。

-そんなに簡単なことじゃあない。-

 物事は、様々な要素が絡み合って動き、そして、そこに在る。

 だから簡単にifは語れない。

-だが、-

 だが、今回は違う。先日の環境エネルギープロジェクト会議で、つくば大学の高砂教授が言っていた「時空転換装置」を使えば「もしかしたら。」と思ってしまう。

 

 「時空転換装置」この理論を達成するためには、膨大なエネルギーが必要になるのだそうだが、それを、「加速器」から取り出すことが可能になったのだという。加速器は、荷電粒子を加速する装置で、直線型や、周回型のコースで光の速さ近くにまで加速させ膨大なエネルギーを作り出す。茨城には、つくば市、東海村、大洗町にその施設がある。

 技術的な会話が高まって来ると、興奮気味に早口になる高砂教授の話し方が、難解な内容に拍車を掛け、工学部系出身の篠崎にも殆ど理解不能だった。ただ、この装置の機能だけは、かなり興味深いものだった。「時空転換装置」は、将来の環境汚染を見据えて、大気、海水、河川、湖沼などを汚染の無い過去のものと入れ換えることで浄化する。というもので、聞く限りでは、過去に汚染を押しつける「無責任な装置」だと篠崎自身、批判しそうになった装置のコンセプトだが、過去と入れ換える汚染物資の量を自然の自浄作用で浄化できる量に制限する事で、現代の汚染物質を現代と過去に分散することで自浄作用により浄化する。という画期的なものだ。

 

 どんな代物なのか詳細は不明だが、「時空転換装置」を用いれば、『慰霊艦隊』をあの時代に派遣できるのではないか?

 そうすれば、タイムスリップ物のif戦記よりも遥かに現実的な方法で大逆転を実現できるのではないか?もはやifではなくなる。

 

 そう思い至った時点で、我に返った。

 小さな子供に笑顔で説明している自衛官が目に入る。

-俺は、何を馬鹿な事を考えてるんだ。-

 これはゲームじゃない。if戦記などの娯楽でもない。この艦を動かす自衛官には、家族もあり、将来もある。

-警察に警備を頼めないだろうか。-

 と語った高砂教授の心配の種は、そういう事なのかもしれない。

-やはり出来るのか、タイムスリップが。-

 過去と大気や水を入れ換えることが出来るなら他の物も出来るのかもしれない。

 これは大変な事になる。

-太平洋戦争-

 開戦から80年、日本はアメリカとどう戦えばよかったのだろうか?

 太平洋戦争の開戦以来、何百万の人々の血と涙を呑み込み、或いは山河から流れ込み湛えてきたきた海、太平洋。篠崎は眼下の海面を見つめる。

 80年目の海は深く静かにそこにあるだけだった。

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