十九 海

「悠依ちゃん、用意は大丈夫? そろそろ出発するよ」

「はい! 大丈夫です」

「それじゃあ出るよー」


 この日、悠依たちが向かったのは天織あめおり国内にある観光名所、天楡あめにれ海岸。天曳あめひきは星劉よりも温暖な気候のため、5月でも泳ぐことが出来るのだが、中でも天楡海岸は天曳有数の海水浴場となっていた。


 走り始めて数分、陽翔が何かを思い出したかのように、ミラー越しに悠依を見た。


「そういえば悠依ちゃん、大丈夫?」

「何がですか?」

「海っていったら水着でしょ? 男嫌いにはつらい場所じゃない?」

「あぁ……」


 顔を引きつらせる悠依に、陽翔が微笑みかける。


「……もしかして、気付いてなかった?」

「――大丈夫です! きっと!」

「無理だったら僕か遥季か架威を盾にしていいからね?」

「はい、わかりました!」


 車を走らせることさらに数十分、悠依たちはまず泳ぐために必要なものを買いに来た。


「さぁ。じゃあまず水着かな? 海水浴に必要なものを買おうか」


 陽翔の声に、薙癒がいち早く反応した。


「はい! じゃあ私と悠依ちゃんは水着決めてきますー!」

「え、ちょっと!」


 薙癒に腕を引っ張られ、2人は女性用水着のコーナーへ消えていった。


「さ、僕らも買おうか」


 残された架威・遥季・陽翔の3人は、早々に水着を決め、小物を見ていた。


「なぁ、浮き輪とかいる?」

「浮き輪かぁ。あってもいいんじゃない? あとボールとか?」

「あ、それだ。オッケー」


 数十分後、水鉄砲やビーチボール、うきわなどが入ったかごを持ちつつ、遥季がつぶやいた。


「てか、あいつら遅くね?」

「まぁまぁ、女の子は準備に時間がかかるものだよ、もう少し待っててあげよう?」


 今にも迎えに行ってしまいそうな遥季を引き止めながら、陽翔が言った。

 その時だった。


「お待たせしてすみません!」


 小さな袋を持った2人が戻ってきた。


「なんだ、2人とももう買ったんだ?」


 陽翔の問いかけに薙癒が答えた。


「はい! どんな水着を買ったのか内緒にしたくて買って来ちゃいました!」

「そう、じゃあ僕らも会計を済ませてこようか。ちょっと待っててね、2人とも」


 こうして、海水浴場に向けて再度出発することになったのだった。



そして、さらに数十分後、先程の悠依と陽翔の会話は現実のものとなる。


「うわぁ……」


 海岸に着いた悠依の第一声はそれだった。

 今はちょうど夏休み、そのうえ今日は快晴で絶好の海水浴日和。海岸は人で溢れかえっていた。


「大丈夫?」


 陽翔が心配そうに悠依の顔を覗き込む。


「あ、はい! 大丈夫です! 多分。海に入っちゃえば」

「じゃあ早速着替えようか。それぞれ着替えたら、またここに集合ってことで」


 陽翔の一声で、薙癒が悠依の手をつかみ走り出した。


「行こ、悠依!」

「うん……!」


 悠依は薙癒とともに更衣室へと消えていった。その様子を見て遥季たちも更衣室へと向かった。



―10分後―



「お待たせしましたぁ」

「あれ? 悠依ちゃんは?」


 更衣室から出てきたのは髪を上げ黒いビキニを着た、薙癒だけだった。


「あれ? さっきまですぐ後ろを歩いてたんですけど……。ちょっと連れてきます!」


 戻った薙癒、すると更衣室の方からは、何やら口論している声が聞こえてきた。


「ほら、みんな待ってるんだから!」

「ちょっ、ちょっと待って薙癒ー!」


 薙癒に押され姿を現した悠依は、先程着ていた紺のパーカーを思いきり上まであげていた。


「――悠依ちゃん、それで海に入るの?」


 陽翔は困ったふうに笑った。


「は、入るときは脱ぎますよ!」

「じゃあもう脱げよ。入るぞ」

「わ、わかってるよ!」


(もうどうにでもなれ……!!)


 悠依はパーカーのファスナーに手を掛け、一瞬考えると目を瞑り唇を噛み締めながら一気に脱いだ。


「えっ」


 遥季たちは声をそろえて驚いた。


 悠依の反応から“何かすごい水着を買ってきたのか”と思っていたのだ。しかし、パーカーを脱ぎ、水着が露になった悠依は青いビキニを身に着けていたのだ。




「変、ですか?」


 何の反応もない遥季たちに問いかける、不安げな悠依の顔は真っ赤だった。


「いや、似合ってるよ、悠依ちゃん」


 サラッと恥ずかしいことを言った陽翔とは対照的に、架威は目を丸くしていた。


「もっとダサいのかと思ったら普通だな。なんであんなに渋ってたんだよ」

「仕方ないでしょ? ビキニ着るの初めてなの! 恥ずかしいんだもん……」


 悪態をつく架威に対し、悠依は顔を真っ赤にして反論した。そんな悠依の視界に遥季が映った。


「……あの、遥季?」


 遥季は放心状態だった。口を開け、目をパチパチさせながら悠依を見ている。


「あ、ああ」


 何も言ってくれない遥季に、悠依は何かを確認するように尋ねる。


「似合ってない、かな?」

「そんなことないけど、ちょっと露出しすぎ」

「ごめん……」


 遥季は悠依の手をとり、続けた。


「だから、今日は俺から離れないで?」

「――うん!」

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天狗が狐に恋をした。 涼井 菜千 @c-cyan

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