九 過去

「――なんで棗が……これは棗がやったの?」

「何で、って言われても困るんだけどな、うーん……。まず一つ言えることは、“僕は君の”ってことかな」


 悠依の目からは涙が零れていた。しかし悲しいわけでもない。ただ単に棗が裏切ったことに、ショックを受けているわけでもない。

 思い返すと入学当初、棗は誰が見ても暗そうな雰囲気を纏っていた。そして悠依が話しかけ仲良くはなったが、いつもどこか距離を感じていた。


(あぁ、棗は最初から……私が話しかけたときからずっと……)


 そう思うと涙が止まらなかったのだ。


「悠依、泣かないでよ。大丈夫だよ、酷いことはしない。――ただ、君の“検査”をするだけさ」

「……検査?」

「そう、検査。簡単だよ。血液検査、レントゲンとかね」

「なんのために、というかこんなことをしてまでする意味は? 棗、あなた1人でやったの?」

「もー、質問が多いなぁ。“こんなことをしてまでする意味”は学園長直々の命令だから。“1人でやったの”は他にもいるよ? ほら、蒼麻くんを足止めする役とかね」

「学園長……」


 この学園の学園長は滅多に人前に出ることはなく、その正体を見た者はわずか数人、という噂が立つほどである。


「そう、学園長。ちなみに僕は学園長直属の諜報部員(ミージェン)だよ」

「なんで学園長が私を? ――そうだ、遥季は?」

「なんか学園長が君の出生に疑問を抱いたらしいよ? あぁ蒼麻くんは無事だよ? 今頃、相手してるんじゃない? ……なずなの」

「――まさか、なずなまで……」


 なずなとは、悠依の中学校からの親友であり、高校生になってからは『芍薬しゃくやく』クラスの悠依と死神の能力を持ち『石榴ざくろ』クラスのなずなとは、なかなか会う機会がなかった。そんな親友の名前を出され、悠依は動揺を隠せなかった。 


「そうだよ? 気付かなかったの? 長い付き合いなんでしょう?」

「そうだけど会う機会なかったし。……ちょっと待って! まさか柚子までとか?」

「いや、柚子は違うよ。僕達本当の姉弟じゃないし。でも、うすうす感づいてはいるんじゃないかな?」

「そう……」


 2人の間に沈黙がおりた瞬間、扉が開いた。入ってきたのはなずなだった。


「そろそろ良い? 検査始めたいんだけど」

「あぁ、一通りの説明はしたよ」

「そう、じゃあ行きましょうか、悠依」


 悠依は目隠しをされ、検査室とやらに連れて行かれたのであった。


 と書かれた扉の前に着くと、悠依を縛っていた縄が解かれた。


「あ、ありがと」

「勘違いしないで、別にあんたのためじゃないの。この部屋には学園長が待っておられるの。一応“大切に扱ってくれ”とのご命令だから縛ったまま連れて行くわけにはいかないのよ」

「学園長が……。そっか」


 開かれた扉の先、部屋の中にはなずなの言葉の通り学園長が座っていた。

 そこに居たのは悠依が想像していた学園長のイメージとはかなり違った学園長だった。

 悠依が想像していたのは“ひげを生やしたおじいさん”という感じの学園長である。

 だが、今、目の前にいるのはおじいさんでもおじさんでもない“お兄さん”といった印象の優しそうな若々しい学園長であった。

 しかし、この学園の創立年から考えてもこの年齢であることはおかしい。おそらく年齢維持フ―スーシェンという不老不死の魔法を使っているのだろう。


 学園長はしばらく悠依の顔を眺めた後、話し出した。心なしか学園長の瞳は潤んでいるように見えた。


「そうか、君が神月さんか」   

「はい。――あの、私の出生に疑問があると聞きましたが?」

「そうか、棗だな」

「はい、申し訳ありません」

「いや、いい。手間が省けた。好都合だ」

「ありがとうございます」

「それで、疑問とは何ですか?」

「そんなに知りたいのか? ……聞いてもよくないことだと思うが?」

「いえ、知っているのなら教えてください」


 悠依の意思は固かった。


(お父さんは小さいときに亡くなった、お母さんももういない。私が生まれる前のことを知っているのは、この人しかいないのかもしれない……)


 そう感じ、悠依は静かに、まっすぐに、学園長を見た。


「――分かった。まずは君の出生について話そう。君の母親の神月こうづき 瑠李るい、旧姓、十六夜いざよい 瑠李るい。彼女はこの世界で生まれこの世界で死した。完全な純血シュエだ。ここまでは君も知っているだろう? そして君の父親、神月こうづき 幽羽ゆうはは……」


 そこまで言うと学園長は黙ってしまった。


「話してください。私、父のことは死んだということしか聞かされていないんです。知ってるなら教えてください……!」


 悠依の剣幕に押され学園長はゆっくりと、戸惑いがちに、話し始めた。


「君の父親、神月 幽羽は、現世で生まれ現世で死した。――いや、正確には今も現世で生きているが……完全な異血イ―シュエだ」

異血イ―シュエ……?」


 そのとき、悠依はある疑問が浮かんだ。


「――あ、の、母が純血人シュエで父が異血人イ―シュエってことは……」

「あぁ、君は察しが良いね。――君は、混血ウェイシェだよ」

混血ウェイシェ……」


 混血人ウェイシェはこの国に0.5%ほどしかいない人種である。

 純血人シュエ異血人イ―シュエの両親から生まれた子供のことを言うが、まず、異血人イーシュエの割合が人口の1割にも満たないため、混血人ウェイシェの数自体が少ないのである。


「君には数少ない混血人ウェイシェの細胞などを研究するために協力してほしいんだ。――さすがの私も政府からの命には逆らえなくてな。すまない。私としてはただ、君に会いたかっただけなんだ」

「……そういうことなら良いですが、“部下の人”に躾し直したほうが良いと思います」

「躾? ――棗が何かしたか?」


 学園長の声が低くなり、目線も鋭くなった。


「何かって……、手を縛って床に放置されただけですけど、あれじゃあ拉致ですし。殺されるかと思いました」


 悠依がそう言うと、学園長の顔が曇った。


「棗。あとで私の部屋に来なさい。悠依さん。棗の態度、本当に申し訳ない。棗には後から言っておく。今はとりあえず協力をお願いしても良いかい?」

「――はい、わかりました」

「あ、あと、私は君のお母さんの親類にあたる。私にとって君は孫のような存在だと勝手に思っている。何か困ったことがあったら私に頼りなさい」

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