第17話

 一方、森の付近には市場の物好きな人々が集まってきていた。彼らの目線の先にあるのは、森の前に運び込まれた、巨大な鉄の塊だ。

 不気味に鈍く輝くそれは、人が中に入って操作しているようだった。厳めしい装甲のそれは車輪ではなく履帯が走行装置となっているようで、地面を抉りながら進んでいく。頭頂部にある砲塔は全方位に回るしくみになっているらしい。そのような鉄の塊が、三、四台森の前で動きを止めた。その塊達を後ろから見守るのはこの国の軍人と、彼らに警護されるように立つまだ若い一人の男だ。

「国王! 起動準備完了です、いつでも指示をどうぞ!」

 軍人のうちの一人がその男に声をかけた。国王、と呼びかけられたその男こそ、この国を現在治める、賢王と呼ばれる男であった。

「……この森の奥に、確かに異形共はいるのだな」

 厳めしい顔つきでそう、隣の壮年の軍人に問う。問いかけられた軍人は、は、と短く返事をした。

「そのようです。王。昨日派遣した諜報部隊の男からの報告によれば、確かに、熊の腕を持つ少年や、顔中に蔦を巻いた少女が目撃されたと」

「よろしい」

 王が顔をしかめる。まるで親の仇を見るような目で、森を見上げた。

「……忌々しい怪物共め、このような場所に集まり、無い知恵を振り絞ってクーデターでも企んでおるのか」

 王は片手をあげて、高らかに、総員っ、と声を上げた。

 その声に軍人達は一挙に敬礼する。

 掲げられた国旗が風にはためいて、見物人は息をのむ。森からは鳥たちが一斉に羽ばたいた。王は声を張り上げた。流石に森の奥に届くようなものではないが、その場にいる軍人達が聞き取るには十分すぎる。

「これは、我が国の新型兵器、『戦車』の起動実験である! あらかじめ周囲の住民には避難勧告を出している。今や、ここには誰もいない! いるとすれば、『国民ではない何か』である! 躊躇いはいらぬ! 大砲を撃ち、破壊せよ! 我が国の新たな兵器の威力をしかと我が目に見せてみよ!」

 国王が掲げた片手を勢いよく、森の方角に向かって振り下ろした。

「総員、出撃!」

 高らかな宣言と共に、鉄の塊が一斉に森につっこんだ。

 木々はなぎ払われ、根本から折られ、地面は抉られてなお鉄の塊、戦車は突き進んでいく。

 一台のそれが、大砲を一発、森の奥へぶち込んだ。砲台から打ち出された鉄球は、木々を粉砕してなお勢いを止めず森を破壊しながら剛速球で突き抜けていく。

 戦車達は破壊と共に真っ直ぐ突き進んだ。それらが向かう先は、ただ一つ。

 反狼の牙のアジトである、廃墟である。



 手を引かれて歩いていくと、先に小さな建物が見えた。

 近づいてみるとそれはどうやら教会のようで、青い屋根の頂点には白い十字架が掲げられている。今は使われていないのだろう、白い壁には蔦が生い茂り、所々にひびが入っている。

 古びて端に穴が空いた木の扉をローガンがゆっくり押すと扉はぎぎぎ、と鈍い音を立てながら開いた。中は薄ら暗く、しかし天井に空いた穴から漏れる光が案外綺麗に残っていたステンドグラスに描かれた聖母を照らし、その光景は廃退的ながらもどこか幻想的で、アンゼリカは思わず見惚れてしまう。

 中を見渡しながら一歩足を踏み入れると、床は特に軋むこともなく二人を受け入れた。

「……ここは……」

「昔使われていた教会だよ。市場の人の噂で聞いたんだ。いつから使われていないのか、何でこんな所に教会があるのか……それは分からないんだけどね。でもここには人も来ないから、丁度いいかと思って」

 ローガンがアンゼリカを見つめて、優しく微笑んだ。

「僕はね、アンゼリカと一緒に、ここに来たかったんだ」

「私と?」

 頷いて、ローガンは持ってきていた鞄を開く。そこから取り出したのは、薄い、白のベールだった。レースの装飾が施されたそれは、本で読んだ花嫁が被るウェディングベールのようだ。

 ローガンがアンゼリカのローブを取って、代わりにそのベールを彼女の頭からかけてやる。ローブは彼女の背中の羽根を覆うほどに長い。ローガンは満足そうに笑って、アンゼリカの頬をベール越しに優しく撫でた。

「似合ってるよ、アンゼリカ。天使みたいだ」

「ローガン、これ……」

「これをね、昨日は買ってきたんだ。アンゼリカと、今日ここに来たくて」

 アンゼリカに優しく微笑みかけて、ローガンが誓いを立てる騎士のように彼女の前に跪く。ローガンの腰の剣がかしゃりと小さな金属音を立てた。

 彼はそっとアンゼリカの小さな白い手を取って、その甲に軽いキスを落とす。天井からの光が二人を照らして、ローガンの髪が光を反射してきらきらと輝いた。

「……ローガン?」

 頬を染めるアンゼリカの顔を見上げて、ローガンは微笑む。その瞳に宿る色をアンゼリカは知っていた。レオナが、ルゥを見つめるとき、その瞳にあったものと同じだ。慈しみと、愛しさと、ほんの少しの情欲と。レオナはそれを愛の色だと言った。

「アンゼリカ」

 ローガンが優しく微笑み、またアンゼリカの頬を撫でる。今度はベールを少し捲って直接彼女の頬に触れた。


「アンゼリカ、ずっと言えなかったことを、今言うよ。僕は、君を愛している。おおっぴらには出来ないけれど、僕はここで、神と君に誓いを捧げたい。……一生、側にいることを」


 それはアンゼリカがずっと欲していた言葉だった。見開いた彼女の赤い瞳を縁取る白い睫毛を伝って、知らずのうちに滴が零れた。

 頬が濡れて、漸くアンゼリカは己が涙を流していることに気付く。反射的に拭おうとした手はローガンに捕まれて阻止された。擦ったら赤くなってしまうよ、そう言ってローガンは笑って、ポケットからハンカチを取り出してそっと拭ってやる。

「っ、ローガン、ローガン……」

「うん」

「私、私……ローガンのこと大好きよ」

「うん」

 ローガンは微笑んで、黙ってアンゼリカの言葉を待ってくれる。アンゼリカは震えそうになる声を絞り上げ、それを告げた。


「ローガン、愛してる。ずっと一緒にいたいの」


 それを聞いて、ローガンは嬉しそうに笑った。そうして、アンゼリカのベールを開く。

 彼女の涙に濡れた小さな顔が、ベールが取り払われて露わになる。

「アンゼリカ、ほっぺたが赤くなって、化粧をしているみたいだね」

 アンゼリカの視界には、もうローガンしか映っていない。鼻がくっつきそうなほどの距離にあるローガンの顔に、アンゼリカの頬はまた紅潮した。

 その変化にローガンは微笑んで、彼女の額に己のそれを合わせる。こつんと小さな音が鳴った。

「アンゼリカ、僕と、結婚しよう」

「……っ、ローガン……!」

 嬉しかった。ローガンが愛していると、そう言ってくれることが。

 ローガンはアンゼリカの、どろどろとした愛を知らないだろう。レオナの言葉を思い出す。愛し合うことは、受け入れ合うこと。お互いの異なる愛を受け入れ合って、認め合うこと。ローガンは自分の愛を受け入れて、認めてくれるのだろうか。どろどろとした愛を。

 受け入れられない可能性は、勿論ある。しかしアンゼリカは信じたかった。ローガンが己の愛を受け入れてくれると、そう信じたかった。

「……ローガン、私ね、あなたを愛しているわ」

 至近距離にあるローガンの瞳を見つめて、言葉を紡ぐ。

「私の愛について、いつかは話したいと思うの。私がどんな風にあなたを愛しているか。私の愛がどんな形をしているか」

「うん」

「……でも今は、これだけでいいわ」

 アンゼリカの白い睫毛を伝って、また滴が落ちた。

「ローガン、愛してる……っ私を、あなたのお嫁さんにしてください!」

 アンゼリカの唇に、ローガンの唇がそっと触れる。

 初めての唇へのキスは、少し塩の味がした。

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