第13話

 レオナは多分、ルゥの事が好きなんだ。そう、ウルソンは思っていた。

 廃墟の外でウルソンは空を眺めた。もうすっかり日も落ちて、空は真っ黒に染まっている。今日は空に雲一つ無い晴天だった。だからか、今日の夜空はよく星が見える。黒いカーテンをひいたような空に、小さな星の光が瞬いてとても綺麗だ。幻想的にも思えた。同時に、なんだか飲み込まれそうな空だとも思った。

 なんとなく、レオナがルゥを見る目とか、ルゥに話しかける声とか、そういうもので察していたのだ。レオナがルゥに抱く感情のことは。しかし、たまたまレオナとアンゼリカが話しているのを聞いてしまったことでその予想は確信へと変わった。

 盗み聞きしたかったわけではないのだが、二人が話しているところを見て、ついつい聞き耳を立ててしまった。幸いにも彼女達はウルソンの存在には全く気がついていなかったらしい。そのまま、いろいろなことを話していた。

 話の中心は『愛』であった。

 まだ精神的に幼いところのあるウルソンには、愛だの恋だのといったようなものはよく分からない、というのが本音である。アンゼリカはローガンという奴を愛しており、レオナはルゥを愛している、らしいが、それもウルソンにはよく分からなかった。

 特にローガンについては、ウルソンは悪い印象しかない。アンゼリカは否定するが、ウルソンは、アンゼリカがローガンに騙されているのではないかと常々思っていた。

 だが先程のアンゼリカの、レオナに語っていた内容を聞けば、そうではないのかもしれない、と思った。

 ――いや、仮に騙されていたとして。ローガンがウルソンの想像通り、酷い奴だったとして。

 それでもアンゼリカは、ローガンを愛しているのだろうと思った。どうしてアンゼリカがそこまで傾倒するのかは分からない。ウルソンには理解不能な範疇であった。

 ウルソンなら、相手が酷い奴で、自分を騙していたのだと知れば、多分失望して嫌いになる。だからこそアンゼリカがそうやってローガンを、いっそ盲目的なまでに慕う理由は分からなかった。

 それから、レオナがルゥを愛していて、だけどその想いをルゥに伝えるつもりがない、というのも、ウルソンの理解の範疇を超えるものであった。愛しているなら、言えばいいのに。相手に自分の思いが伝わらないというのは、虚しくはないだろうか。

 だが、レオナの方は、相手がルゥだという時点でなんとなく分かる気もした。


 ルゥは最近、ずっと気を張っている。……気がする。


 多分反狼の牙のリーダーであるルゥには、いろいろと考えることが山積みだったりするのだろう。それは分かる。反狼の牙は今まで、ルゥを中心に動いてきて、そして着実に大きくなってきた。ルゥ曰く、世界を変えるうねりを、反狼の牙が生み出しているのである。

 勿論、それを誇らしく思っているのは事実だ。ルゥとウルソンがあの日、サーカスから脱走して、それがまずはじめのうねりだったのだろう。小さな小さなそのうねりは、レオナやアルフレッドといった人々を巻き込んだ。巻き込まれた、或いは、うねりに飛び込んだ人々が、また新たにうねりを作り、どんどんそれは大きくなっている。ゆっくりと、だが着実に。それこそが革命だ。

 ルゥは革命の成功に命をかけている節がある。まるで、革命のためだけに生まれてきたんだと言うかのように、彼はそれを成功させるためにならば無茶もした。

 ルゥが革命を目指すのは、多分ウルソンのためでもあるのだろう。ウルソンやレオナ達が自由に生きられる世界を作るために、ルゥは走っている。自分自身も顧みずに。

 だからウルソンは、ルゥの前では必ず、革命を起こした後の世界を、希望を持って語った。早く、市場を自由に歩けるようになりたい。堂々と外を歩いて、腕を隠さないでいたい。そう話せば、ルゥは笑うから。いつもの仏頂面が少し崩れて、嬉しそうに笑ってくれるから、ウルソンは少々大げさなまでに希望を唱えた。

 勿論ウルソンが革命後の世界に展望を持っているのは嘘ではない。市場に行きたい気持ちも、腕を隠さず堂々と歩けるようになりたい気持ちも真実だ。だけどそれだけではなかった。しかし、その展望の裏に隠された気持ちを、ウルソンは言えなかった。

 ウルソンは夜空を眺めたまま、ごろんと地面に横たわる。散らばる小さな石が背中に当たって少し痛かった。

「……おれ、優しいルゥが好きだよ」

 ウルソンが呟いた言葉は誰の耳にも入らず夜空に溶ける。

 今だって、ルゥは優しい。ぶっきらぼうでいつも眉間に皺寄せてるけど、人のことをよく見てて、真摯に向き合ってくれる。だけど、とウルソンは心の中で唱えて、目を伏せた。


 なぁルゥ。昔はもっと、たくさん笑ってくれたよな。今じゃ、革命の希望を話したときにしか、あんまり笑ってくれないけど。

 サーカスにいた頃を思い出す。あそこは地獄だった。何か失敗をすれば殴られて、酷いときには鞭も使われた。ルゥは何度も何度も水晶を削り取られて悲痛な声を上げていて、その声をウルソンは聞くしかできなかった。苦しかった。痛かった。

 だけど、二人で身を寄せ合って、寒さをしのいだとき。サーカスの主人のヅラがずれていたとか、客が落ちていたバナナの皮に滑って転んでいたとか、そんなくだらない話で笑い合ったとき。一緒に脱走計画を立てているとき。二人で笑い合って、助け合って、そんな風に過ごしていたあの時、おれ達に自由なんて無かったけど、なんでだろう。あの時の方がよっぽど、近い場所にいた気がする。

 なんだか、今はとても、ルゥが遠くにいるんだ。おれ、最近ルゥの背中ばっか見てる気がするよ。


 ルゥが忙しいのは知っている。反狼の牙のリーダーとして、いろいろ考えているんだろう。だからこんな我が儘は言えない。

 寂しい、なんて。そんなことを言えば、優しいルゥは困ってしまうだろう。ルゥはおれ達のために頑張っているのに、そんなことを言ってルゥを困らせてはいけない。

 ――だからウルソンはその感情を隠して、ルゥの前では明るく振る舞った。きっとレオナも同じ気持ちなんだろう。ルゥは今とても忙しいから、ルゥに余計なことを言って困らせてはいけないのだ。

 だけど、ウルソンは心配だった。どこか『革命』というものに縛られているルゥが。

 もしもレジスタンスが無事革命を成功させたら、世界を変えることが出来たなら。或いは――考えたくもないことだが――致命的に革命のうねりが壊されてしまったら。その時、緊張の糸が切れた彼は、どうなってしまうのだろうか。



 朝食のスープをすすって、そうだ、とローガンが口を開いた。

「アンゼリカ、今日は多分、帰りが遅くなると思うよ」

「そうなの?」

「うん。だから、今日はあらかじめ晩ご飯も作り置いてあるから、良い時間になったら食べていて」

 分かったわ、と素直に頷いて、しかしアンゼリカは首を傾げる。今まで、ローガンが「遅くなる」なんて言ったことはなかったのに。何かあるのだろうか、とそう思って、疑問は素直に投げてみることにした。

「ローガン、今日は何かあるの?」

「うん、ちょっとね」

 ただ、アンゼリカの疑問はあっさりと流されてしまった。

 アンゼリカは不満を隠さず頬を膨らませる。そんな彼女を見てローガンは困ったように笑った。

「拗ねないでよ、アンゼリカ。大丈夫、君が心配することは何一つないよ」

「……そういうことじゃないわよ……」

 呟いたアンゼリカの言葉は聞こえたのか否か、ローガンはやはり笑って、宥めるようにアンゼリカの頭を優しく撫でた。

「少し調べごとをするだけさ。大丈夫だから、良い子で待っていてね」

「……分かったわ」

 渋々ながらもアンゼリカが答えると、ローガンはやはり、いつもの優しい微笑みを浮かべた。


 ――とはいえ、良い子で待っている、ということはないのだが。

 アンゼリカはやはり、昼から反狼の牙のアジトにいた。その日アジトの広場にいたのはルゥとウルソンとアルフレッドである。レオナはいないようだった。

「なんか、ここにアンゼリカがいるのも見慣れてきたよなぁ」

 そう言うのはウルソンだ。熊の両腕を頭の後ろで組んで、瓦礫の上でバランスを取る。

 確かに、反狼の牙のアジトにアンゼリカが通うようになって、早くも一ヶ月程度の月日が経とうとしていた。

「アンゼリカ、そろそろ反狼の牙に本格的に入るつもりはないのか?」

 アルフレッドが冗談っぽく話しかける。その話題はルゥの興味も引いたのだろう、少し離れた場所にいた彼が歩み寄ってきた。

「そうだな、そろそろ決めるべきなんじゃないのか」

「……そうね」

 正直なところ、アンゼリカの答えとしてはもうすでに決まっている。今や、アンゼリカはローガンから離れる気など一切なかった。だがそれを言えば、ルゥがこれ以上の反狼の牙への立ち入りを禁止することは目に見えている。それはアンゼリカの本意ではない。

 反狼の牙のアジトに入り浸るのは確かにローガンへの歪んだ愛の結果でもある。ローガンの新たな表情を見たいがために、こうして勝手に外に出て他者と交流していることに気付いてほしい気持ちと、それによってローガンに嫌われ、見捨てられることを恐れて何が何でも隠そうとする矛盾した感情がアンゼリカに、ローガンに隠れて反狼の牙のアジトに入り浸るという行為をさせていた。

 だが純粋に、このアジトでメンバーと話すこの空間が好きなのである。だからアンゼリカは出来るだけ長くこの場所にいたいと思った。

 だから、アンゼリカは首を横に振った。

「ごめんなさい、まだ決めかねているの」

 さらりと嘘をつく。この一ヶ月で、アンゼリカは随分嘘に対する抵抗がなくなった。

 利己的に、なったのだと思う。特に自分の愛の歪みに気がついてからは随分と吹っ切れた。多分、受け入れたのだろう。自分の自分勝手さを。醜さを。諦めたとも言えるかもしれない。なんにせよ、アンゼリカはアンゼリカ自身が思っていたほど綺麗な人間ではなかったということだ。

 そして、自分で分かってしまえば、それを取り繕うのは簡単だった。

「……そうか」

 ルゥは追求することも急かすこともなく、それだけ答えた。そのあたり、ルゥは優しいとアンゼリカは思う。そうしてその優しさにつけ込む自分は酷い奴だ、とも。

「アンゼリカがレジスタンスに来てくれたら、華やかになるよな!」

 ウルソンが元気よく言って、笑う。反狼の牙には女性が少ない。異形全体の割合の問題なのかたまたまなのかは分からないが、レオナを含めて二、三人しかいなかった。

「女の子ならレオナがいるじゃないか。それからシャルロットとか、エリーとか」

「うーん、皆やけに勇ましくってさ、あんまり女の子! って感じしないんだよなぁ」

 ウルソンは良くも悪くも素直である。そんな会話をするウルソンとアルフレッドを尻目に、アンゼリカは広場の隅の瓦礫に腰掛けるルゥに歩み寄った。

「ルゥは、やっぱり女の子が増えてほしいの?」

「あ? 興味ねぇよ」

 予想通りの答えが返ってきて、アンゼリカは思わず吹き出した。そんな彼女を怪訝そうに見て、なんだよ、とルゥが問う。

「いいえ。ルゥって色恋沙汰に疎そうよね」

「……別に、俺には関係ねぇからな」

 関係ないこともないと思うのだけど。アンゼリカの脳裏に浮かぶのはレオナだ。流石にそれは言わないが、ただ、ルゥがレオナをどう思っているのかは興味があった。しかし聞いていいものかと、聞くにしてもどう切り出すのか、とアンゼリカは口を二、三度、言葉に迷って口を開け閉めする。

「……女だろうが男だろうが、関係ない。反狼の牙のメンバーとして、上手く働いてくれるならな」

 その言葉は実にルゥらしい。彼にとって、絶対的に最優先されるべきはおそらく反狼の牙――もっというならば、革命の成功なのかもしれない。

「ルゥは、二言目には『革命』なのね」

「? 当たり前だろ」

「革命より大事なものってないの?」

「革命より……?」

 ルゥが少し考えて、そんな彼にアンゼリカはまた問いを重ねる。

「ルゥ、あなたはどうしてそんなに革命を求めるの?」

 アンゼリカは常々疑問に思っていたのだ。ルゥは頑なに革命を成功させることにこだわっているように見えた。それは、いっそ自分の命よりも大事にしているような、そんな気さえした。

「……俺が、反狼の牙のリーダーだからだ」

 そうとだけ答えて、ルゥは立ち上がった。そのまま無言でアンゼリカの隣をすり抜け、廃墟の奥へと消えていく。アルフレッドがルゥを呼ぶも、彼はそれも無視して行ってしまった。

「……私、聞いちゃいけないこと聞いたのかしら」

「アンゼリカは気にしなくて良いと思うぜ」

 独り言のように呟いたアンゼリカに、声をかけたのは意外にもウルソンであった。彼はいつの間にか瓦礫の上から下りて、アンゼリカの隣にいた。

「ルゥもさ、昔は、革命とか何とか、そんなこと全然考えてなかったのになぁ」

 ウルソンはどこか遠くを思い出すようにぼやく。別に、今が悪いわけでも、革命が駄目って言ってるわけでもないけどさ、そう言って、ウルソンは頭を掻いた。ルゥが去っていった方を見る目はどこか寂しげだ。

「ルゥが反狼の牙のリーダーになって、反狼の牙はどんどん勢いを付けてきて……おれ、ルゥと話す回数が減った気がするよ」

 昔は、もっとずっと隣にいたのにな。なんだか、ルゥが遠くに行ってしまったような気がするんだ。

 そう言うウルソンは悲しそうで、アンゼリカはそんな彼を見ていられなくて、そっと目をそらした。

 ルゥはこれで良いんだろうか。アンゼリカにルゥの生き方を指摘する資格は無いと知っていても、そう思わずにはいられなかった。


 ルゥ、あなたは本当に、そんな生き方で良かったの?


 そう心で呼びかけても、当然、答えは返ってこない。

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