第12話
「……一つの、形?」
「愛なんか、目にも見えなけりゃ定義もない、あやふやなもんだからねぇ」
レオナが笑う。姉御肌な彼女らしい、安心感を与える笑顔だった。
「きっとさ、どういうのが正解だとか、どういうのが間違いだとか、そんなもんありゃしないんだよ。愛がどんな形してるかなんて、そんなもんはその愛の持ち主にしか分からない。だからさ、その人が、これが自分の愛だって、胸張って言えるもんがあるなら、それがそいつの愛の形なんだと思うよ」
その言葉はアンゼリカの心にすっと染みた。アンゼリカはその言葉が欲しかったのかもしれなかった。なんだか酷く泣きたくなって、しかしそれをぐっと堪えてアンゼリカは口を開く。声が震えないように気を配りながら。
「ねぇ、レオナ。愛が人それぞれなんだったら、愛はすれ違ってしまわないかしら?」
それは確認のための質問でもあった。レオナが笑って、アンゼリカの頭を撫でる。
笑うレオナの蔦が生えたその顔は、とても美しいと思った。
「その異なる愛をさ、すれ違ってしまわないように、受け入れ合い、認め合うことを、愛し合うっていうんじゃないかなって思うよ」
「愛し合う……」
それはとても素敵な響きだった。愛し合う、愛し合う。ああ、ローガンが私の愛を受け入れてくれて、認めてくれて、私もローガンの愛を受け入れて。ローガンと愛し合うことが出来るなら、なんて素晴らしいことだろう。
そんな日が来るならば、きっととても幸せだ。
――だけれど、それはあまりにも無謀なことに思えた。何故ならアンゼリカの愛は、あまりにも歪んでいるからだ。ローガンはアンゼリカに、アンゼリカが自分を愛すならば幸せだろうと言った。ローガンは、アンゼリカの愛の形を知っても、そんな風に言えるのだろうか。
ふと、アンゼリカとレオナが腰掛けている向きの、左側から声がした。
確かそちら側に会議室に使っている廃墟の小部屋はあったはずだ。案の定、その声は会議に出ていたルゥとエリックのものだった。彼らは何か話しながらこちら側へ向かってくる。
「ルゥ、エリック! 会議は終わったのかい?」
レオナとアンゼリカがいる広場に向かってくる二人にレオナが声を張り上げた。二人もレオナとアンゼリカに気がついたようで、エリックの方は手を挙げて笑いかけた。
レオナが立ち上がってエリックとルゥの方へ駆けていく。アンゼリカはそれを追う気にはなれず、ぼんやりと見送った。
三人が何か話している。ふと、アンゼリカはレオナの瞳が、エリックを見るときとルゥを見るときで違うことに気がついた。
そこまでわかりやすく違うわけではないし、ずっとそうなわけではないのだが、レオナがルゥを見るとき、時々その目は蜜を溶かしたように甘やかになるのだ。
ルゥやエリックは気がついていないのだろうか。少なくともルゥの方は気がついていないのだろうと、アンジェリカは思っていた。
――三人が会話を終え、エリックとルゥはそのまま廃墟の出口に向かっていく。多分他の仕事があるのだろう。レオナは再びアンゼリカの方に戻ってきて、隣に腰掛けた。
「いやぁ、エリックとルゥはすごいねぇ。賢い人らの言うこた、馬鹿なあたしはわかんないや」
からからと笑うレオナに、アンゼリカは常々思っていたことを聞いてみた。
「ねぇ、レオナ。レオナはルゥを愛しているの?」
「……ふぁっ?」
アンゼリカの突然の問いに、レオナは素っ頓狂な声を上げる。
みるみるうちに顔を耳まで真っ赤に染めていく彼女はアンゼリカの方を振り返って目を白黒させていた。
「なっ、ななななにを言ってんだいこの子は!」
びっくりしちまうじゃないか! と叫んでレオナが片手で火照った己の顔を仰いだ。わかりやすいくらいに動揺している彼女の様子はいっそ面白い。
「そそそ、そりゃあルゥのことは好きだけどね。あくまで仲間としてだよ! 愛とかそんなのじゃあないさ!」
「そうなの?」
「そうだよ!」
「だけどレオナ。レオナって、時々ルゥを他の反狼の牙のメンバーとは違う目で見ているわ」
蜜を溶かしたような、甘い目。慈しみと、愛しさが混じり合ったようなそれは、レオナの言う『愛』に大体合致するのではないかと思った。
「……あんた、案外よく見てるんだねぇ」
レオナが蔦の生えた頬を軽く掻いた。それは殆ど肯定したようなものだ。
「愛してるのね、レオナ」
もう一度繰り返すと、レオナがああー、とうなって顔を膝に埋めた。赤い髪の隙間から覗く耳は、髪と同系色に染まっている。
はぁ、とレオナが軽く溜息をついた。
「愛、なんて大層なモンじゃないさ。結局あたしの片思いなんだしね」
「ルゥに伝えないの?」
「伝えないよ」
困ったように笑って、レオナは自分の頬を撫でる。右目から顔全体にかけて伸びる蔦を指で一撫でして、ううん、と咳払いをする。
「あたしはこんななりだからね。ルゥもさ、困っちまうだろ? あたしなんかにそんなこと言われても」
「レオナは綺麗よ?」
「あっはっは、アンゼリカは上手だね」
レオナが笑ってアンゼリカの頭をぽんぽんと軽く叩く。そのままレオナがアンゼリカの顔をのぞき込んで、そっと彼女の白い頬を撫でた。
「綺麗ってのはあんたみたいな子のことを言うんだよ。あたしには似合わないさ」
「……そんなことないと思うのだけど」
「あるんだよ、これが」
レオナは、今度は少し寂しそうに笑って、アンゼリカの頬から手を離して立ち上がった。軽く体を伸ばして、彼女はいつも通りの笑みを浮かべる。
「いいんだ、伝えなくて。ルゥとどうこうなりたいわけじゃない。今は反狼の牙にとって大事な時期だしね、リーダーのルゥに変なことで頭を使わすのも申し訳ないだろ?」
「でも、レオナはルゥの事愛してるんでしょ」
「あたしの愛より、反狼の牙の方が大事だよ」
そう言って、しかし、レオナはそれを否定するように首を振った。いや、違うな、と呟いて、彼女は切なそうに笑う。
「……ルゥに告白して、それで、拒絶されるのが怖いのさ。笑っちまうだろ、あんだけ偉そうなこと言っておいて、あたしだって怖いんだ。アンゼリカ、あんたの言うとおりだよ。あたしはルゥが好きだ。愛してる。だけどね、ルゥがあたしの愛を受け入れてくれる保証なんてどこにもないのさ」
はは、と乾いた笑いをあげて、レオナは視線を上に投げた。廃墟の広場でいくら見上げても、上に広がるのは灰色の古びた天井だけなのだが。
「伝えて、ルゥとの今の関係が崩れてしまうくらいなら、あたしは言わないよ。……臆病だって、笑うかい?」
「……いいえ」
アンゼリカがレオナを笑うなど、出来るはずがなかった。
「……ああ、愛ってのは、難しいね、アンゼリカ」
レオナがぼやく。アンゼリカは黙って、膝を抱えた。
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